「原左都子エッセイ集」にて4年程前の 2012.6.27 に公開した 「一人旅に出たペンギンくんの物語」と題するエッセイが、ここ一両日我がエッセイ集 Popular Entries のトップテンにランクインしている。
何故、このエッセイが今頃になって検索数を増やしているのかは不明なれど、著者である私自身がよく覚えているバックナンバーの一つだ。
当該エッセイをその題名にはそぐわない 「時事論評カテゴリー」 に分類したのは、確かに当時この物語の題材となった “とある事件” が一世を風靡したからに他ならない。
あれから4年の年月が流れ行き、この“事件”を既に忘れ去った人々が大多数であろう。
手前味噌ながら、私自身がこのエッセイを幾度読み返しても涙が止まらない‥…。
何と説明すればよいのか、あれから4年の年月しか経過していないにもかかわらず、こんなエッセイを綴れる “心のひだ” と自由時間空間が、その頃の自分に備わっていた事実を取り戻したくなるノスタルジーに誘(いざな)われるのだ。
そこで、本日のエッセイは当該 「一人旅に出たペンギンくんの物語」を以下に今一度コピーして紹介することから始めよう。
*****************
ボクは葛西臨海水族園で飼育されているフンボルトペンギンのオスで、まだ1歳なんだ。
早春3月のある日、ボクは水族園ペンギン飼育空間後部にある大きな人工岩山に登って遊んでたんだよ。
その岩山の高いところまで登り着いたら、お外が見えたのさ。
そこには今まで見たこともない大きな大きな海が広がっていた。
わあ、すごいな~~! あんなところで泳いでみたいな~!
なんて思っていた途端に足を滑らせて、気がついたらボクは水族園の外の道路に落ちてた…
体は痛いし、困った事になったなあと思いながらも、海の匂いに誘われてボクは痛い体を引きずりながら海の方向へ急いだのさ。
そしたらいつもの水槽とは大違いで、海ってほんとにびっくりするぐらい広くて大きいんだよ。
こんな広いところで泳げる!と感激して、夢中で泳ぎ回ったのさ。
いつも周囲にいっぱいいる仲間もいないから、飼育員さんがくれるエサの奪い合戦を繰り広げなくていいし、生まれて初めて経験する自由を満喫したよ。
でもおなかが空いて、ちょっぴり不安になったんだ…。
そんな時、お魚を発見したよ! パクッと取って食べてみたら、これがいつも飼育員さんがくれるエサよりもずっとずっと新鮮で美味しいんだ! もう癖になっちゃって、それからは狩猟の毎日さ。
潮に流されて川へも行ったよ。 そしたら、ボクの写真を撮る人が結構いたよ。 写真のモデルになることは水族園で慣れ切ってるから、へいっちゃらってものさ。
寝るとこもボクなりに見つけて毎日暮らしていたんだけど、ちょっと危ない目にも遭いそうになったよ。 例えばボクより大きなお魚に出会ったり、漁をしている船の網に引っかかりそうになったりとかね… そんな時には全力で逃げたよ。
(水族園に戻った後で飼育員さん達が話しているのを聞いたら)ボクが一人旅に出た辺りは東京湾だったようで、そこは結構海水がきれいなため美味しいお魚がいっぱい取れる環境だったみたいだよ。
だから、ボクは元気に海や川で暮らせたのさ。
でも、さすがに一人旅の寂しさが身にしみ始めたんだ……
ここでちょっと、左都子お姉ちゃんが写した冒頭の “ヘボい” ピンボケ写真を見てよ。
上部の写真はボクが水族園に帰った日の5月24日に行徳橋付近で映された様子なんだけど、とても寂しそうでしょ…
下の写真は、その情報を得て駆けつけた水族園の係員がボクを連れ戻そうと必死になっている風景だよ。 係員の人もボクがびっくりして再び海に戻らないように時間をかけて少しずつ近づいて来てくれたから、ボクは水族園に帰れたんだ。
その後、ボクはまた葛西臨海水族園のペンギン飼育空間で元気に過ごしているよ。
少し一人旅をしてきた身としては、また集団飼育生活に十分に慣れるまでにしばらく時間がかかるとは思うけど…。
でも、水族園で飼育されている一ペンギンでありながら、勇敢にも“一人旅”外遊をした立場として少し思うこともあるんだ。
生物体にとって何が幸せなのだろうかと…
ボクはたまたま岩山を登り切るという冒険心と体力があったから“一人旅”が出来たと思う。 でも、確かにそれをすることで命の危険もあったよね。
ボクが旅に出た地域が大都心に位置する海だったし、ボクが元々住んでいた水族園もその地にあったからこそ、係の人達がいろんな情報を収集できてボクは今回葛西臨海水族園に戻れたのだとも思う。
どうなのだろう。 ボクは水族園に戻れて幸せなのか? それとも“一人旅”で天敵に遭うことも覚悟した人生を全うするべきだったのか??
左都子お姉ちゃんもよく分からないなどと言いつつ、「悲しいかな、元々水族園で飼育されたことがペンギンくんの人生を決定付けていた」 などと言いたげだけど……
****************
上記物語は、原左都子が昨日(2012.6.26)葛西臨海水族園を訪れ “脱走ペンギン” に関して収集した情報、及びその周辺立地を我が目で視察確認して綴ったフィクション内容であるため、事実とは異なる点が多々あろう点をお詫びします。
今回のエッセイの最後に、葛西臨海水族園館長名で公開している“お詫び”文書の一部を紹介しよう。
“この度は貴重な飼育動物を脱走させる事となり、深くお詫び申し上げます。 幸いに5月24日、職員の手によって脱走より82日ぶりに無事捕獲する事ができました。…”
私見の結論を述べるが、人間の勝手な論理や都合により自然界で生き抜いている動植物を捕獲して人工飼育とする場合、せめても日々細心の注意を払ってその責任を全うするのが捕獲された動植物の「命」に報いるということではあるまいか。
甘い思考の下での人工飼育など、許されるはずもない。
(以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより引用したもの。)
話を現実に移そう。
私は今朝、現在開催中の2016リオ五輪開会式の一部をテレビにて垣間見た。
実は今朝開会式が行われる事を私自身は一切承知していなかったのだが、定年退職後4年余りの年月が経過している亭主が、自室で開会式を見ているらしき音声を聞き付けたのだ。
「えーーー、もうリオ五輪が始まったの!?!」なる(五輪ファンからみると)とんでもなく勘違い出遅れの私も、リビングのテレビを付けてみた。 確かにリオ五輪開会式の実況生中継がなされている。
さすが、五輪とは“お祭り”だな! 4年に一回くらい、世界が喜び大騒ぎするこんな盛大なお祭りが実施されても、世の衰退には繋がらないのかな~~。
などと、花籠を一杯積んだチャリンコに乗り200国余の選手団をプラカードと共に先導するリオの若人達(この演出こそが過去の五輪と比して一番斬新だったのではなかろうか?)をみて、私なりの感動を貰ったものだ。
そう言えば、亭主が現役時代は昼間私はもっと自由だった事も思い起こした。
娘のサリバン先生として日夜教育指導に当たりつつも、昼間の時間帯に私は短時間ではあるがその自由時間を活かし、上記のごとく自分自身が興味を持った事象の探索に一人で出かけたものだ。
上記の「葛西臨海水族園」によるペンギン脱出・救出事件も我が大いなる興味の一つだった。
この事件の場合、結果としてペンギンくんが救出された事実こそは感激的だったものの、何故ペンギンくんが脱出し危険な目に遭わざるを得ない運命にあったのかを、どうしても私自身の目で確認したかったのだ。
その私なりの現場視察確認・検証作業が一応叶い、公開したのが上記のエッセイである。
亭主が定年退職する事とは、(家庭により大幅な相違があろうが)奥方の自由行動時間が奪われる事態となる事を再確認させられる。
いやもちろん、それでも自分がやりたい事を亭主に訴えたならばそれを認めてくれよう。
ただ、年老いつつある身内を日々身近に見ると何だか哀れ感も漂うものだ。 心ある人間としては、昼間一人で自分の好き勝手行動を実行していた頃とは、その実態が大幅に食い違わざるを得ないものだ。
それでも我がエッセイ集にて、実地調査による 「一人旅に出たペンギンくんの物語」 のごとくのエッセイを綴れる機会を、必ずこの先も自力で叶わせられるべく展望する私でもある。
何故、このエッセイが今頃になって検索数を増やしているのかは不明なれど、著者である私自身がよく覚えているバックナンバーの一つだ。
当該エッセイをその題名にはそぐわない 「時事論評カテゴリー」 に分類したのは、確かに当時この物語の題材となった “とある事件” が一世を風靡したからに他ならない。
あれから4年の年月が流れ行き、この“事件”を既に忘れ去った人々が大多数であろう。
手前味噌ながら、私自身がこのエッセイを幾度読み返しても涙が止まらない‥…。
何と説明すればよいのか、あれから4年の年月しか経過していないにもかかわらず、こんなエッセイを綴れる “心のひだ” と自由時間空間が、その頃の自分に備わっていた事実を取り戻したくなるノスタルジーに誘(いざな)われるのだ。
そこで、本日のエッセイは当該 「一人旅に出たペンギンくんの物語」を以下に今一度コピーして紹介することから始めよう。
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ボクは葛西臨海水族園で飼育されているフンボルトペンギンのオスで、まだ1歳なんだ。
早春3月のある日、ボクは水族園ペンギン飼育空間後部にある大きな人工岩山に登って遊んでたんだよ。
その岩山の高いところまで登り着いたら、お外が見えたのさ。
そこには今まで見たこともない大きな大きな海が広がっていた。
わあ、すごいな~~! あんなところで泳いでみたいな~!
なんて思っていた途端に足を滑らせて、気がついたらボクは水族園の外の道路に落ちてた…
体は痛いし、困った事になったなあと思いながらも、海の匂いに誘われてボクは痛い体を引きずりながら海の方向へ急いだのさ。
そしたらいつもの水槽とは大違いで、海ってほんとにびっくりするぐらい広くて大きいんだよ。
こんな広いところで泳げる!と感激して、夢中で泳ぎ回ったのさ。
いつも周囲にいっぱいいる仲間もいないから、飼育員さんがくれるエサの奪い合戦を繰り広げなくていいし、生まれて初めて経験する自由を満喫したよ。
でもおなかが空いて、ちょっぴり不安になったんだ…。
そんな時、お魚を発見したよ! パクッと取って食べてみたら、これがいつも飼育員さんがくれるエサよりもずっとずっと新鮮で美味しいんだ! もう癖になっちゃって、それからは狩猟の毎日さ。
潮に流されて川へも行ったよ。 そしたら、ボクの写真を撮る人が結構いたよ。 写真のモデルになることは水族園で慣れ切ってるから、へいっちゃらってものさ。
寝るとこもボクなりに見つけて毎日暮らしていたんだけど、ちょっと危ない目にも遭いそうになったよ。 例えばボクより大きなお魚に出会ったり、漁をしている船の網に引っかかりそうになったりとかね… そんな時には全力で逃げたよ。
(水族園に戻った後で飼育員さん達が話しているのを聞いたら)ボクが一人旅に出た辺りは東京湾だったようで、そこは結構海水がきれいなため美味しいお魚がいっぱい取れる環境だったみたいだよ。
だから、ボクは元気に海や川で暮らせたのさ。
でも、さすがに一人旅の寂しさが身にしみ始めたんだ……
ここでちょっと、左都子お姉ちゃんが写した冒頭の “ヘボい” ピンボケ写真を見てよ。
上部の写真はボクが水族園に帰った日の5月24日に行徳橋付近で映された様子なんだけど、とても寂しそうでしょ…
下の写真は、その情報を得て駆けつけた水族園の係員がボクを連れ戻そうと必死になっている風景だよ。 係員の人もボクがびっくりして再び海に戻らないように時間をかけて少しずつ近づいて来てくれたから、ボクは水族園に帰れたんだ。
その後、ボクはまた葛西臨海水族園のペンギン飼育空間で元気に過ごしているよ。
少し一人旅をしてきた身としては、また集団飼育生活に十分に慣れるまでにしばらく時間がかかるとは思うけど…。
でも、水族園で飼育されている一ペンギンでありながら、勇敢にも“一人旅”外遊をした立場として少し思うこともあるんだ。
生物体にとって何が幸せなのだろうかと…
ボクはたまたま岩山を登り切るという冒険心と体力があったから“一人旅”が出来たと思う。 でも、確かにそれをすることで命の危険もあったよね。
ボクが旅に出た地域が大都心に位置する海だったし、ボクが元々住んでいた水族園もその地にあったからこそ、係の人達がいろんな情報を収集できてボクは今回葛西臨海水族園に戻れたのだとも思う。
どうなのだろう。 ボクは水族園に戻れて幸せなのか? それとも“一人旅”で天敵に遭うことも覚悟した人生を全うするべきだったのか??
左都子お姉ちゃんもよく分からないなどと言いつつ、「悲しいかな、元々水族園で飼育されたことがペンギンくんの人生を決定付けていた」 などと言いたげだけど……
****************
上記物語は、原左都子が昨日(2012.6.26)葛西臨海水族園を訪れ “脱走ペンギン” に関して収集した情報、及びその周辺立地を我が目で視察確認して綴ったフィクション内容であるため、事実とは異なる点が多々あろう点をお詫びします。
今回のエッセイの最後に、葛西臨海水族園館長名で公開している“お詫び”文書の一部を紹介しよう。
“この度は貴重な飼育動物を脱走させる事となり、深くお詫び申し上げます。 幸いに5月24日、職員の手によって脱走より82日ぶりに無事捕獲する事ができました。…”
私見の結論を述べるが、人間の勝手な論理や都合により自然界で生き抜いている動植物を捕獲して人工飼育とする場合、せめても日々細心の注意を払ってその責任を全うするのが捕獲された動植物の「命」に報いるということではあるまいか。
甘い思考の下での人工飼育など、許されるはずもない。
(以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより引用したもの。)
話を現実に移そう。
私は今朝、現在開催中の2016リオ五輪開会式の一部をテレビにて垣間見た。
実は今朝開会式が行われる事を私自身は一切承知していなかったのだが、定年退職後4年余りの年月が経過している亭主が、自室で開会式を見ているらしき音声を聞き付けたのだ。
「えーーー、もうリオ五輪が始まったの!?!」なる(五輪ファンからみると)とんでもなく勘違い出遅れの私も、リビングのテレビを付けてみた。 確かにリオ五輪開会式の実況生中継がなされている。
さすが、五輪とは“お祭り”だな! 4年に一回くらい、世界が喜び大騒ぎするこんな盛大なお祭りが実施されても、世の衰退には繋がらないのかな~~。
などと、花籠を一杯積んだチャリンコに乗り200国余の選手団をプラカードと共に先導するリオの若人達(この演出こそが過去の五輪と比して一番斬新だったのではなかろうか?)をみて、私なりの感動を貰ったものだ。
そう言えば、亭主が現役時代は昼間私はもっと自由だった事も思い起こした。
娘のサリバン先生として日夜教育指導に当たりつつも、昼間の時間帯に私は短時間ではあるがその自由時間を活かし、上記のごとく自分自身が興味を持った事象の探索に一人で出かけたものだ。
上記の「葛西臨海水族園」によるペンギン脱出・救出事件も我が大いなる興味の一つだった。
この事件の場合、結果としてペンギンくんが救出された事実こそは感激的だったものの、何故ペンギンくんが脱出し危険な目に遭わざるを得ない運命にあったのかを、どうしても私自身の目で確認したかったのだ。
その私なりの現場視察確認・検証作業が一応叶い、公開したのが上記のエッセイである。
亭主が定年退職する事とは、(家庭により大幅な相違があろうが)奥方の自由行動時間が奪われる事態となる事を再確認させられる。
いやもちろん、それでも自分がやりたい事を亭主に訴えたならばそれを認めてくれよう。
ただ、年老いつつある身内を日々身近に見ると何だか哀れ感も漂うものだ。 心ある人間としては、昼間一人で自分の好き勝手行動を実行していた頃とは、その実態が大幅に食い違わざるを得ないものだ。
それでも我がエッセイ集にて、実地調査による 「一人旅に出たペンギンくんの物語」 のごとくのエッセイを綴れる機会を、必ずこの先も自力で叶わせられるべく展望する私でもある。