(写真は、我が家が今年購入したお節料理。 今年は上記“洋風おせち”を2箱購入し本日2日昼までに一家3人で2箱をほぼ完食した。 出来合いのお節にしては予想以上に分量が多く、食べ応えがあった。
上段左から、パストラミビーフ、帆立貝柱のマリネ、パンチェッタのミートローフとチキンとチーズのテリーヌ、サーモンとベーコンのロースト、 中段左から、栗のブランデー煮と若桃の甘露煮、海老、ローストビーフ、豚角煮、 下段左から、大根ピクルスのスモークサーモンロール、生ハムのマリネ、フルーツカスタード、ポークグリラーのサワーソース和え)
2013年の新年は私の居住地 東京では、本日やや風が強いものの比較的穏やかな晴天が続いている。
年末突然の出来事が相次ぎ慌しく過ぎ去った師走を駆け抜けた後、この正月期間を利用して少し腰を落ち着け、現在小休止中の原左都子である。
先程昼間にテレビで垣間見た「箱根駅伝」では、日体大が26年ぶりの往路優勝を遂げた様子だ。 何でも往路5区の日体大最終ランナーでありキャプテンでもある3年生の男子学生氏は、昨年父親を癌で亡くしたにもかかわらず、その葬儀の翌日から駅伝ランナーとして気丈に練習を続けてきたとのアナウンサー氏の解説でもある。
素人ランナーの私自身が昨年初めて公的な陸上競技会やロードレースに出場して完走するとの経験を積めたお陰で、テレビ報道を通しての駅伝やマラソン中継が今まで以上に楽しめることが嬉しい!
一素人初心者ランナーの立場ではあるが、テレビ画面を通して、こういう場面では如何なるレース展開にするか、あるいは沿道からの声援にどう応えるか等々、自分が走っている気分でレース観戦が楽しめることが実際にレースに参加した身としての特権でもあろう。
加えて、今回の箱根駅伝日体大5区ランナー氏のお父上が癌で亡くなったとの情報も、現在の我が身に滲みる思いで本日のレースを見守ったものだ。
という訳で、ここからの新年初頭「原左都子エッセイ集」は、昨年12月初旬頃より末期膵臓癌にて闘病中の義理姉に関する第3報に入らせていただく事としよう。
昨年末の12月29日に義母に会い義理姉の容態を尋ねたのだが、その段階では義理姉は2度目の開腹手術直後だったこともあり正確な情報を得られないでいた。
昨日の元旦に義母を我が家に招待し再確認したところによると、短期間内の2回に及ぶ開腹手術のダメージが甚大な様子で、現在義理姉は体力消耗状態を強いられ到底人に面会出来る状態ではないとのことだ。
既にご存知の方も多いであろうが、膵臓癌とはあらゆる癌の中でも完治に至る確率が低く予後が期待できない癌の一つである。 いくら定期健診を毎年真面目に受けていようが、発見しにくい性質の癌なのであろう。
それが故に膵臓癌に罹患した以上、本人は癌部位からの出血による貧血症状や突然の激しい腹痛等が起こって初めて病院の診察を受けるしか方策が取れないようだ。 そうしたところ医師から告げられるのは、既に癌が末期状態……
そうだとしても昨日我が家に招待した義母が、膵臓癌の厳しい現状や義理姉が現在置かれている医療的立場を重々わきまえた上で、私と対等に話し合ってくれることに大いに助けられた元医学関係者の私である。
義母が毅然と私に告げる。 「娘(義理姉)の命は膵臓癌の厳しさから推し量って後3ヶ月と考えるべきだ。 そうした場合、やはり今後の事は今から計画的に考えて置きたい。」云々…
既にその話を年末にも義母から聞いて承知していた私だが、改めて義母の気丈さに感謝すると同時に、もはやベットから起き上がれるのか否か不明の義理姉の現状を思い、今後ますます一族の一員として役立てるべき行動を取るのが私に課せられた任務と再確認した。
この種の差し迫った事象が自分の身近に勃発しない限り、現在の国全体の社会や自治体、あるいはもっと狭い地域コミュニティにおいてすら、人と人との関係を見直す機会など皆無であるのが現在の日本国民が置かれている実情ではなかろうか?
昨日の元旦、私は多少足が不自由との理由で要介護ケアマンションに入居中の義母を我が家に招待するため、駅近くのタクシー下車場所まで迎えに出かけた。
そこを通り過ぎる地域市民の人々の姿が、一部の子どもを除き正月にして皆“暗い”ことこの上ない。 この国の市民達はいつの間にこんな暗い表情で街を歩かねばならなくなったのか??
正月だと言うのに、まるで墓場にでも行くかのごとくの市民の有様だ……
いやいや、それはあくまでも先だってアルゼンチンを訪れたばかりの原左都子の主観的観測に過ぎず、一見“暗く”見える市民の皆さんとて、それぞれに初詣等々を楽しまれるために元旦から街に繰り出しておられるのであろう。
それにしても、まさか皆さんの家族すべてが癌罹患者を抱えている訳でもあるまいに、一家揃って元旦の日に街に繰り出せるならばそれを「幸せ」と考え、もう少し穏やかな微笑を少しでも周囲に示して欲しい思いの私だ。
私とて身内の切羽詰った不幸は辛い。
それでも、少なくとも本人の不幸後にこの世に残される我が身内達には出来る限りの笑顔で接し続けたく考えている。
常に私に遠慮がちだった義母が元旦早々我が家を訪問する決断をしてそれを実行してくれた事に感謝しつつ、今後少なくとも身近にいる周囲の人々には私なりの人情と愛を注ぎ続けよう! との所信を掲げた今年の正月である。
日本の皆さんも新たな年を迎えた事を契機に笑顔を取り戻そうではありませんか?!
上段左から、パストラミビーフ、帆立貝柱のマリネ、パンチェッタのミートローフとチキンとチーズのテリーヌ、サーモンとベーコンのロースト、 中段左から、栗のブランデー煮と若桃の甘露煮、海老、ローストビーフ、豚角煮、 下段左から、大根ピクルスのスモークサーモンロール、生ハムのマリネ、フルーツカスタード、ポークグリラーのサワーソース和え)
2013年の新年は私の居住地 東京では、本日やや風が強いものの比較的穏やかな晴天が続いている。
年末突然の出来事が相次ぎ慌しく過ぎ去った師走を駆け抜けた後、この正月期間を利用して少し腰を落ち着け、現在小休止中の原左都子である。
先程昼間にテレビで垣間見た「箱根駅伝」では、日体大が26年ぶりの往路優勝を遂げた様子だ。 何でも往路5区の日体大最終ランナーでありキャプテンでもある3年生の男子学生氏は、昨年父親を癌で亡くしたにもかかわらず、その葬儀の翌日から駅伝ランナーとして気丈に練習を続けてきたとのアナウンサー氏の解説でもある。
素人ランナーの私自身が昨年初めて公的な陸上競技会やロードレースに出場して完走するとの経験を積めたお陰で、テレビ報道を通しての駅伝やマラソン中継が今まで以上に楽しめることが嬉しい!
一素人初心者ランナーの立場ではあるが、テレビ画面を通して、こういう場面では如何なるレース展開にするか、あるいは沿道からの声援にどう応えるか等々、自分が走っている気分でレース観戦が楽しめることが実際にレースに参加した身としての特権でもあろう。
加えて、今回の箱根駅伝日体大5区ランナー氏のお父上が癌で亡くなったとの情報も、現在の我が身に滲みる思いで本日のレースを見守ったものだ。
という訳で、ここからの新年初頭「原左都子エッセイ集」は、昨年12月初旬頃より末期膵臓癌にて闘病中の義理姉に関する第3報に入らせていただく事としよう。
昨年末の12月29日に義母に会い義理姉の容態を尋ねたのだが、その段階では義理姉は2度目の開腹手術直後だったこともあり正確な情報を得られないでいた。
昨日の元旦に義母を我が家に招待し再確認したところによると、短期間内の2回に及ぶ開腹手術のダメージが甚大な様子で、現在義理姉は体力消耗状態を強いられ到底人に面会出来る状態ではないとのことだ。
既にご存知の方も多いであろうが、膵臓癌とはあらゆる癌の中でも完治に至る確率が低く予後が期待できない癌の一つである。 いくら定期健診を毎年真面目に受けていようが、発見しにくい性質の癌なのであろう。
それが故に膵臓癌に罹患した以上、本人は癌部位からの出血による貧血症状や突然の激しい腹痛等が起こって初めて病院の診察を受けるしか方策が取れないようだ。 そうしたところ医師から告げられるのは、既に癌が末期状態……
そうだとしても昨日我が家に招待した義母が、膵臓癌の厳しい現状や義理姉が現在置かれている医療的立場を重々わきまえた上で、私と対等に話し合ってくれることに大いに助けられた元医学関係者の私である。
義母が毅然と私に告げる。 「娘(義理姉)の命は膵臓癌の厳しさから推し量って後3ヶ月と考えるべきだ。 そうした場合、やはり今後の事は今から計画的に考えて置きたい。」云々…
既にその話を年末にも義母から聞いて承知していた私だが、改めて義母の気丈さに感謝すると同時に、もはやベットから起き上がれるのか否か不明の義理姉の現状を思い、今後ますます一族の一員として役立てるべき行動を取るのが私に課せられた任務と再確認した。
この種の差し迫った事象が自分の身近に勃発しない限り、現在の国全体の社会や自治体、あるいはもっと狭い地域コミュニティにおいてすら、人と人との関係を見直す機会など皆無であるのが現在の日本国民が置かれている実情ではなかろうか?
昨日の元旦、私は多少足が不自由との理由で要介護ケアマンションに入居中の義母を我が家に招待するため、駅近くのタクシー下車場所まで迎えに出かけた。
そこを通り過ぎる地域市民の人々の姿が、一部の子どもを除き正月にして皆“暗い”ことこの上ない。 この国の市民達はいつの間にこんな暗い表情で街を歩かねばならなくなったのか??
正月だと言うのに、まるで墓場にでも行くかのごとくの市民の有様だ……
いやいや、それはあくまでも先だってアルゼンチンを訪れたばかりの原左都子の主観的観測に過ぎず、一見“暗く”見える市民の皆さんとて、それぞれに初詣等々を楽しまれるために元旦から街に繰り出しておられるのであろう。
それにしても、まさか皆さんの家族すべてが癌罹患者を抱えている訳でもあるまいに、一家揃って元旦の日に街に繰り出せるならばそれを「幸せ」と考え、もう少し穏やかな微笑を少しでも周囲に示して欲しい思いの私だ。
私とて身内の切羽詰った不幸は辛い。
それでも、少なくとも本人の不幸後にこの世に残される我が身内達には出来る限りの笑顔で接し続けたく考えている。
常に私に遠慮がちだった義母が元旦早々我が家を訪問する決断をしてそれを実行してくれた事に感謝しつつ、今後少なくとも身近にいる周囲の人々には私なりの人情と愛を注ぎ続けよう! との所信を掲げた今年の正月である。
日本の皆さんも新たな年を迎えた事を契機に笑顔を取り戻そうではありませんか?!