原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「マッチングアプリ」よりも、現実社会で人と出会いませんか??

2023年04月22日 | 恋愛・男女関係
 と言ってみたところで。

 私が青春を謳歌していた時代と現代では、人間関係における諸形態が大幅に変化してしまっている。

 例えば「個人情報保護法」の成立などがその最たるものであろう。
 他者の個人情報にみだりに立ち入るべからず、なるこの法制度は、明らかに自分と他者との距離感を大きく隔ててしまった感覚がある。😩 


 我が青春時代(特に上京後)は、若者の間で“ナンパ”がそれはそれは凄まじい勢いで実行されていた。

 例えば繁華街を歩いていると、「ねえ、彼女。年いくつ? 名前何て言うの? よかったら、お茶しない??」 ってな具合だ。

 この私など、電車の中で声を掛けられたこともある。
 「すみません。 少しお話していいですか? もし時間があれば、次の駅で下車してお茶しませんか?」  この時は、時間が無くてお断りしたが。

 あるいは、新宿駅で電車を待っている駅のホームで声をかけられた。
 「彼女、これからどうするの? よかったらお茶しない?」 

 当時は「喫茶店でお茶」文化も盛んで、とにかくお話ししようよ! という訳だ。
 これなど、とりあえず話し合おうとの趣旨だが、出会いの第一歩としては至って健全と言えないだろうか。

 当時流行っていた新宿や六本木の“70年代ディスコ”へ行くと、ここは要するに男女の「ナンパ」出会いの場であったともいえよう。 
 
 年月が流れて、既に30代後半だった独身時代にも私はナンパを経験している。
 高校教師だったが、仕事の帰りにバス停でバスを待っていると、車が停車して運転手の男性が「駅まで行くんでしょ? 送るよ」と来る。 さすがに教職者でもあるし自分の年齢も考慮して、丁寧にお断りしたものだが。

 この「ナンパ」で恋が成立したことも、若き頃にはあった記憶がある。
 ただ基本的に一貫して“結婚願望”に欠落していた我が身故に、付き合いが長続きしなかったなあ。



 話題を変えよう。

 2023.04.21付朝日新聞夕刊記事「取材考記」のテーマは、東京社会部記者の29歳男性による「信頼性向上を アプリで結婚 胸張れるよう」と題する内容だった。
 この記者氏は1991年のお生まれ(現在31歳か?)のようだが、ご自身がアプリで出会った相手と結婚されたらしい。
 私見だが。
 朝日新聞記者といえば「エリート」であろうし、また仕事柄、現実世界での出会いも多そうに思う(?)のだが。 その身にして「アプリ婚」とは驚いた。😲 

 さすがにご自身が「アプリ婚」故に「(結婚の)きっかけはアプリ、と胸を張れる社会になってほしいと願っている」と、締めくくられているが。



 二人の関係がうまく行くならば、出会い方など何だっていいとも言えそうだが。

 原左都子の過去を振り返ると、「ナンパ」とは、ある意味では優れた出会い方ではないかと思ったりもする。

 少なくとも声を掛ける側は、相手の何某かを気に入って声を掛けたはずだ。(少なくとも、昔はそうだった。 ナンパしてきた相手から何らかの被害を受けた事は皆無だ。 もしもその気が無くて「ごめんなさい…」と一言でお断りしても、すぐに引き下がってくれて後味は何ら悪くはなかったものだ。)


 これに対し、現在は「マッチングアプリ」による被害も多発していると見聞する。
 実に“危険性の高い”時代に変遷している事実に驚かされ、辟易とさせられるが。
 まさに、人間関係が急激に希薄になった社会を物語る現象であろう。


 「マッチングアプリ」とて、人間関係のきっかけに利用されること自体を完全否定はしないが。

 とにかく如何なる出会いであれ、二人でとことん話し合う機会を共有しては如何だろう?
 それにより、自身達で良き出会いを引き寄せることに期待したいものだ。
 

私も独身最終期に“遠恋”を経験している…

2023年04月04日 | 恋愛・男女関係
 とにかく長き独身時代に、主体的に仕事も遊びも恋愛もとことん謳歌して来ている私だ。


 そんな我が独身時代の最後の締めくくりとも言える出来事が、まさに“遠恋”だった。
 その“遠恋”、ただ事じゃなかった。 
 相手が米国人男性だったのだが…

 この“遠恋”物語に関しては、「原左都子エッセイ集」バックナンバーにて2部構成「彼の名はジョニー」「ジョニーと別れた理由」に於いて綴り公開している。

 そのごく一部のみを、以下に引用しておこう。

 そして、帰り道でジョニーが少し真剣な話を始める。この頃にはわずか一日で私の英会話力は相当上達していた。その話によるとジョニーはある深刻な身体的事情を抱えているということである。それは「睡眠障害」なのであるが、若かりし頃のドラッグ経験の後遺症であるらしい。今後もずっと抱えていく事情であるという。
 補足説明をすると、1960年代後半頃のアメリカではベトナム戦争反戦運動をきっかけにヒッピーが流行り若者の間でドラッグが蔓延していた。その頃ジョニーはちょうど学生でやはりドラッグを経験したらしいのだ。このドラッグ問題は当時のアメリカでは大きな社会問題であった。今尚その後遺症で苦しむ人達は多い。 
 
 ジョニーの口からその話を聞いた直後は、私は米国人としては考え得る話程度に捉え軽めに受け流していた。
 ところが、その後そのジョニーの後遺症が二人の関係に大きな影を落とすことになる。(続編へ続きます。) 

 (以上、ほんの少しだが我がエッセイ集バックナンバーより引用したもの。 “ジョニー”はあくまでも仮名です。)



         
 この写真は、1991年秋頃ジョニーが来日した際に新宿新都心にて撮影してくれた30代後半頃の原左都子。 高校教師をしていた時期で、いつもスーツスタイルだった。)



 話題を大きく変えよう。

 今現在、日本国内の結婚の出会いのきっかけとして “マッチングアプリ”が一番多いらしい。

 その辺の国内事情に関する情報が2023.04.03付朝日新聞「天声人語」に掲載されていたため、それを以下に要約引用しよう。

 そう口に出してつぶやくだけで、何か少し、やりきれない気持ちになってしまう。 遠距離恋愛、略して“遠恋”である。 この春もまた、幾多の恋人たちがつらい恋路をたどるのだろうか。 (途中大幅略)
 時代は進み、いまや恋愛はスマホが舞台である。 昨年、結婚した人の出会いのきっかけは学校や職場よりマッチングアプリが多かった、との調査結果もあるとか。 遠恋は多様化し、コロナ禍で「オンライン同棲」という言葉さえ生まれた。
 ただ、それでも数年前の朝日歌壇にはこんな一首がある。 <春からは遠き距離恋愛をはじめます 心を君で全部みたして> 深く、うなずく。 ときは移れど、切なさは変わらない。

 (以上、朝日新聞「天声人語」より一部を引用したもの。)




 我がジョニーとの遠恋話に戻そう。

 ジョニーとの出会いは、決して“マッチングアプリ”ではない。 
 出会ったのが1990年代頃だったため、携帯電話すら無かった時代背景だ。
私が夏に米国の姉に会いに行った時に。 私を愛車のポルシェでドライブに連れて行ってくれると申し出たジョニー(当時システムエンジニアとして活躍していた)が、姉の家の玄関先で待っていた私に“一目惚れ”して恋愛が始まった。
 その後、秋にはジョニーが日本へやって来て(上記写真参照)、その後冬になって私が再び米国を訪れて、恋愛関係が続行した。

 一時は、(私は近い将来、サンフランシスコで暮らすことになるんだなあ…)などと、淡い夢を抱いたりもしたものだが。
 国際恋愛に加えて遠距離恋愛とは生易しいものではないことを、痛い程に思い知らされたジョニーとの恋愛騒動だった。😭 

 
 最後に“マッチングアプリ”に無理やり話題を振るならば。

 そんな七面倒臭くて回りくどい手段で、相手と出会わなくとて。

 アプリよりも現実世界での出会いの方が、よっぽど刺激的で手っ取り早いと私など思うのだけど。


「恋人」とは自然発生的に出来るものじゃないですか??

2022年12月10日 | 恋愛・男女関係
 原左都子エッセイ集、久々の「恋愛カテゴリー」エッセイになるが。



 本日2022.12.10付朝日新聞「悩みのるつぼ」の相談は、30代女性による「恋人がほしい、けれど」だった。

 最初この相談のタイトルのみが目に入った時、てっきり10代ぐらいの少女からの相談かと思った。
 ところがよく見ると、何と相談者は30代とのことだ。


 早速、以下にその相談内容を要約引用しよう。

 恋人が欲しい。 絶対に恋人でなければダメというわけではなくお茶飲み友達でも、むしろそのぐらいの距離感がいいのだが、①私の事を傷つけて来ない ②馬鹿にしない ③尊重してくれる 相手を心のオアシスとして私も大事にしたい。
 つまり相手にも私を特別に思ってもらいたいのだと思う。 となるとやはり恋人だろうと思うが、恋愛はちょっと苦手だ。 一喜一憂したり、コンプレックスで不安に思ったりすることが多いからだ。 
 数か月前に、長年お付き合いしていた同棲相手の態度に耐えかねて実家に帰って来た。 わがままは自覚しているが彼もひどい人だった。 それでもむなしい夜には連絡を取りたくなる。 (中略)
 一般的にはまだ新しい恋愛に進める年齢だと思うが、私には精神的持病がある、結婚や子供を望んでいないなど注意書きが多く、誰が相手をしてくれるだろうと暗い思考に陥ってしまう。

 (以下略すが、以上朝日新聞“悩みのるつぼ”の相談を要約したもの。)



 早速、原左都子の私見に入ろう。

 30台の女性にして、随分と“他力本願”の恋愛相談と見た。
 何ですって??
 相手男性の条件として、①私の事を傷つけて来ない ②馬鹿にしない ③尊重してくれる ことが絶対条件ですって???

 そういう心理的なやりとりとは、お互いの恋愛付きあいの中で自然とはぐくまれていくものであろう。
 最初から、その条件を前面に掲げねばならない恋愛のスタートとは。
 確かに相談女性が抱えているらしい「精神的持病」によるものかもしれないし。 
 そうだとすれば、その“持病”とやらを回復させることこそがこの相談女性としては先決問題ではなかろうか??
 これから恋愛をスタートせんと欲している相手に、その条件を飲め!と迫るのは、明らかにルール違反であろう。
 いや、そんな“持病”にも勝る魅力がこの女性に備わっているとの自信があるのならば、勝手になさればよい話とも捉えられるし…


 こんなところで原左都子の過去恋を語ったとて、特に長年の我がエッセイ集ファンの皆様からは、「耳にタコができてるよ!」と辟易とされそうだが…😩 😝 

 今回の相談者が30代との事で、今回は我が30代の恋愛事例を挙げておこう。

 A氏(仮称)との出会いは、公立高校教員時代だった。
 私は新採用、あちらは他高校からの転勤異動で、新学期が始まる前に他の転勤者共々校長室へ招かれたことにより同席した。
 A氏とは隣の席になりあちらから声かけ頂いたところ、偶然同年齢とのことでて話が弾んだ。
 その後新学年が始まった。
 A氏はマイカー通勤だったが、私が仕事の帰り道にバス停でバスを待っていると、よく「夕食を一緒に食べよう」等々と誘ってくれた。
 その後すぐさま、A氏がマイカー通勤からバス・電車通勤に切り替えたのには驚いた。 どうやら、A氏は私と酒宴の席を共にしたかったようだ。
 その後は、二人で日々酒宴三昧を繰り返すうちに親密度が増していった。
 A氏とはその後、紆余曲折(その詳細については割愛するが)しつつも私の退職まで付き合いが続いただろうか?
 私が見合いにて晩婚後も連絡を取り合う仲だったが、今となっては残念ながら音信不通だ。


 私の場合、恋愛に関しては“海千山千”であることを重々認めるが。
 何と言うのか、30代には30代らしき恋愛の法則や形があるのではないかとの感覚がある。
 
 そんな身にして、上記“悩みのるつぼ”相談者の「相手男性の条件として、①私の事を傷つけて来ない ②馬鹿にしない ③尊重してくれる ことが絶対条件」。 この文言は如何に考えてもアンビリバボーだ。

 そんな(根本的に主体性に欠ける)30代女性の相談者に、私からアドバイスするならば。
 と言ったところで、どうも所詮“生き方”がまるでかけ離れている様子であり、何を言っても通じそうにないのが正直なところだなあ。
 ごめんなさい…


経済力ある女性は「国際ロマンス詐欺」を楽しんでいいんじゃないでしょうか??

2022年09月22日 | 恋愛・男女関係
 (冒頭写真は、漫画家・井出智香恵氏による新刊「毒の恋」を朝日新聞記事より転載したもの。)

 
 冒頭から、本日の「朝日ID」よりメールにて届いた情報より一部を引用しよう。

  見ず知らずの相手に恋愛感情を抱かせて現金をだまし取る国際ロマンス詐欺で、7500万円の被害に遭ったと告白した漫画家の井出智香恵さん(74)が単行本「毒の恋」(双葉社)を出版した。 ネットでのやりとりだけでなぜ信じ、大金を送り続けてしまったのか。「レディースコミックの女王」のベテラン作家が自身の体験を赤裸々に語り、再発防止を訴える。
 2018年2月、井出さんのフェイスブックに1通の英文メッセージが届いた。
 相手はハリウッドスターのマーク・ラファロを名乗った。半信半疑ながら、パソコンの翻訳機能を使ってやりとりした。70歳の漫画家だと写真付きで自己紹介すると、「You look pretty cool with your job(仕事をしている君の姿は最高にクールだ)」と絶賛された。
 30代で結婚後は夫の暴力と放蕩(ほうとう)の中で、一人で稼いで3子を育てて離婚。そんな過去の告白に、20歳下の“マーク”は「僕は君を悲しませない」と憤ってくれた。妻と離婚調停を内密に進めており、弟の不慮の死に心を痛めていると明かした。

 (以上、本日の「朝日ID」よりメールにて届いた情報より一部を引用したもの。)




 引き続き、本エッセイ集 2021.05.18付記事「我が過去に経験したFacebook上の事件、あれぞ『国際ロマンス詐欺だったのか?』」からごく一部を以下に転載しよう。


 つい最近、ニュース報道等で「ロマンス詐欺」と銘打つFacebook上の振り込め詐欺関連の報道に接した。

 何でも、詐欺被害に遭ったのは日本国内各地の複数の60代女性達。
 その詐欺の特徴とは、相手男性は“国連に勤務する医師”とのことのようで、“フィアンセ”である貴女に日本まで会いに行きたいからその旅費として100万円を振り込んで欲しい、と伝えられたらしい。
 (ところがニュース報道によれば、金融機関で振り込む際に被害者女性が用紙に“カタカナ”で記入し始めたことを不審に思った窓口係員が“国際ロマンス詐欺”と見抜き詐欺であることが判明したとのことだ。 ちょっと分かりにくい話だが、その女性の場合は“完璧に”騙されていたのであろう。)

 2016夏の我がフェイスブック事件と比較してみるに。
 私の場合はそもそもお互いに十分に自己紹介し、私の方は亭主と娘がいるこをあちらは最初から把握している。 その立場にして決して私を“フィアンセ”と呼ぶわけもなかった。 あちらは奥様を癌で亡くされたようだが、当時16歳高校生の可愛い息子さんがいて2人でテニスをする写真等々を送ってくれたりもした。
 とにかくよく写真を送ってくれる人物だった。
 私とのフェイスブック上の付き合いとは、要するに“文通”だった。 筆まめな人であり同じく筆まめな私と意気投合して、一体どれ程のメールのやり取りをしただろうか。 
 私側としては、またとはない英語ブラッシュアップのチャンスでもあり、実際あの夏の1か月半の間に英文読解・英文記述能力が久々に急激にアップしたものだ。

 別の側面から加えると、人間とはたとえメールとの手段であれ、一定期間親密に付き合えば“情が移る”ものでもあろう。
 B氏に関してはご自身最愛の当時16歳の息子さんの日々の話題も多く、まさに我が“母心”に染み入るものもあったのも確かだ。

 この事実を逆側面から考察するに。
 我が過去のSNS上の経験がもしも「振り込め詐欺」(上述の通り私の場合は自力で未然に防いだ立場だが)であったならば、やはりその実態とは甘いものではないのかもしれない。

 (以上、本エッセイ集2021.05.18付バックナンバーより一部を転載したもの。)



         
 写真は2016年夏当時、我がFacebookページ宛に相手英国人男性から届いた英文メールをコピーしたものの一部。 コピーするといつもA4用紙1~3枚程の分量のメールが届いた。 個人情報につき、あえて裏面から撮影した。
 これを読みこなし、いつも辞書を引きつつ同じ分量程のメールを作成して返信したものだ。
 実際、ひと夏のこの英文やり取りのお蔭で、我が英語読解・作文力が大いに蘇ったものだ。

 私の場合は失う物は何も無かったし、とにかく“マンツーマン”にての英文読解・筆記能力のブラッシュアップが思いもよらず叶ったものである。

 

 漫画家の井出智香恵氏に話を戻そう。

 井出氏は、国際ロマンス詐欺により7500万円の大損失を計上したようだが。

 その後こうやってプロ漫画家としての能力を活かし、新刊を発刊されたことだし。
 一時ではあったが、「心臓を掴まれる」程の恋愛経験をなさったのは事実であり。  そのご経験を今後如何に捉えて生きるか、こそが今後の人生を更に有意義にする好材料ともなりそうに想像する。


 井出氏ご本人も、朝日新聞記事内で以下の発言をされている。
 「年を重ね、仕事を失う不安や健康問題などの悩みが増えた私の『心の隙間』に詐欺師が入り込んだ。 愚かな体験だが、教訓にして欲しい。聞く耳を持たなかった私にお金を貸してくれた友人知人におわびし、死ぬまで漫画を描いて返済することを誓う。」

 井出氏の場合、今後の弛まぬ漫画家活動により、きっとその損失金額を早期に回収されることだろう。           


女性とて、男の外見を重視する時代

2022年06月26日 | 恋愛・男女関係
 表題に関してだが、この原左都子もかなり以前よりこの現象にもちろん気付いている。

 実際問題、既にこの世は男も外見を繕う時代に移ろいだと言えるだろう。



 この課題に関するネット情報を発見したので、以下に一部を要約引用しよう。

 「食べさせてもらえる訳じゃないんだから…」婚活で男性だけでなく、女性も年収や学歴より「外見重視」になった理由

 「男性も女性も、相手に求める外見レベルがどんどん上がっている」 そう語るのは仲人Tさん。神戸の結婚相談所「結婚物語。」でチーフアドバイザーを務めている。
 日本の婚活市場を調査しつづけてきた仲人Tさんは、「外見」の重要度が上がっていると指摘する。
 ミスコンを中止する大学なども増える世の中の流れがある一方で、婚活の場では外見が重視されるようになっているとしたらその理由はなぜなのか。(中略)
 もともと男性は外見や若さで女性を選ぶ傾向にあった。 それは現在もあまり変わっていない。
 しかし、以前は見た目よりも年収や学歴で男性を選ぶ傾向にあった女性陣が、だんだんと「外見重視」に傾いてきた。

 昭和時代は、男が稼ぎ、女が家事をするのが一般的だった。

 例えば昭和60年(1985年)ごろまではまだまだ専業主婦が一般的で、共働き世帯は少なかった。そんな時代では当然「稼ぐ男性」が選ばれてきた。 婚活に限らず、男女がデートしたら男性が奢るのが当然で、女性は文字通り「食べさせてもらう立場」でした。

 それが平成になると様子が変わってくる。平成12年(西暦2000年)以降になると専業主婦は半分以下になり、働く女性がどんどん増加していった。それにつれて、社会の構造も男性社会から男女平等の社会へと変わっていく。

 「男勝りの女性」が「女を捨てて」「男性より頑張って」やっと出世を手に入れることができた昔と違い、自分を美しく保ちながらバリバリ働いている女性が圧倒的に増えてきた。
 そうなると、ある程度稼いでいる女性は「男性に養ってもらう」必要がなくなる。 実際に年収400万未満の女性と年収400万以上の女性を比較したとき、年収400万以上の女性陣の方が婚姻率は低い。 (中略)

 男性が「専業主婦希望は無理、共働きしてね」という意識を持つようになった分、女性も「食べさせてもらえる訳じゃないんだから、イケメンがいい」という発想になってきているのです。(中略)

 SNSやTikTokには美女が溢れている

 ところが、男性ばかりの結婚相談所のスタッフも「女性だけではない。今、男性も相手に求める外見レベルがどんどん上がっている」という。

 SNSやTikTokを見れば、いくらでも美女が溢れている。実はその美女は加工アプリの賜物で、実際には存在しない。でも、それに見慣れてしまっている男性は、普通の女性に対して「ブスだな」と感じてしまう。そして、実際に出会える女性を魅力的に感じることができないんだとか。 男女どちらも、昔よりも見た目を頑張らないと結婚できない時代になってしまったのかもない。 若い世代はこの流れに敏感で、男性もどんどん美容を取り入れている。

 結婚するにあたって、大事なのはもちろん中身。それに異を唱える人はまずいないだろう。 (中略)

 「じゃあ、ブサイクに生まれたらもう打つ手がないじゃないか!」と思われるかもしれませんが、意外とそうでもない。

 (以下略すが、以上ネット情報の一部を引用したもの。)



 私事及び私見に入ろう。

 少し前に、当該goo内で原左都子がほとんど毎日訪問させて頂いている某ブログをいつものように訪ねたところ。
 そのテーマが、この「婚活」だった。
 実際に婚活パーティに行かれた(?)、あるいはそれに出向いたお仲間から聞いた今時の「婚活パーティ」の様子を赤裸々に記載されていたのだが。

 今時の「婚活パーティ」の出席者とは、女性が圧倒的に多いらしい。
 (私の記憶が誤っていたらお詫びするが)、そのパーティ出席女性達は皆が皆、自分自身を顧みず、相手の男性を高望みしているようだ。
 結果としては、そもそも数的に男女比が全く成り立っていないために、まるで女子会の如くのパーティになってしまうとの結論のようだ。


 これを読ませていただいて、過去に私自身が出席した婚活パーティを思い起した。

 この私も20代終盤と30代後半時に、都内にて「婚活パーティ」に出席した経験があるのだが。 (参考だが会費は高額で、ある程度の年収を自身で稼ぐか、親に依存するかせねば支払えない額だったものだ。 私の場合は、当然ながら自費での登録だった。)
 当時の婚活市場は断然男性が数多く、女性は少数だった。
 
  正直言って、私の場合20代終盤期の登録時には結婚の意思は無かった。
 そのため男性からのオファーをお断りしてばかりの“悪質登録者”であったと認めよう。😱 

 それに比し、30代後半期の登録(こちらはパーティ形式ではなく個別の見合い形式だったが)においては結婚に対する本気度が高かったのだが。
 それでもやはり女性の登録者はごく少数で、実際問題“引く手あまた”だった。😝 
 そこで知り合う男性とお話しすると、私のように自分が職業人として社会で活躍している女性はごく少数らしい。 女性の親が会費を払って入会していて、結婚後も専業主婦希望の女性が多いとのことだった。 
 その頃は既に職業女性の方がモテる時代背景だったかもしれないが、とにかく、引く手あまたの中私が選んだのが今の我が亭主である。


 自分の見合い話が長引いたが。
 
 最後に、結婚に至る際の相手との出会いに関して、我が経験から結論を導こう。
 出会い方がどうであれ、結局人との出会い・結びつきとは「誠意」以外の何物でもなかろう。
 「外見」「学歴」「収入」…
 見合いに於いてはそれらを比較検討し易いのは確かだ。
 それは私自身の経験からも否定しないが。
 
 はやり最終決定時には、お互いの「誠意」こそがものを言う、と結論づけたい。