今日は偶然にも違う場所で違う人から同じ意見を言われた。
・派遣労働者の雇い止めの話がマスコミを賑わしているが、それも彼らの責任である、
という意見である。
自分は今議会に「雇用を守れ、行政の策を打て」と主張してきたから、
どういう意味でそう思うんだろう、と思って聞き入った。
一つとして、
今の世の中、選り好みしなかったら仕事はまだまだある、
自分の努力の余地はまだまだあるのであって、
行政が安易に税金を使って助けてよいものか、
というもの。
みんな不幸な日本だが、別に心底不幸なのではなくって、
昔の方がずっと厳しかった。
今の世の中、自分でなんとでもまだまだできるだろう、
というご意見。
もう一つは
彼らは実は拘束される仕事を厭い、自由な身分を選んだのだ、
だからこうなることは予想されていたのだ、
という意見。
若い人を見るとよく感じることなのだ、という。
そうか、そういえばこの風潮、
結婚をしない風潮にも通じていた。
覚悟をしたくない、ということだ。
人間は拘束され、縛られ不自由になることを覚悟して、
その上で、
やっと絆とか連帯感とかそういうつながりの暖かさを知ることができる、
のであった。
「個の自由」を求めれば「孤の寂しさ」に通じてしまう危険
があるのだ。
そういえばこのところ教育界でも、子ども達に辛い現実は言わないし、
壁を設定したりもしない。
夢を追いかけよ、と教え続けている。
高校受験でも、希望校があったら、無理だ、とは決して言わない。
(保護者もうるさいし、最近は予想外に良い結果になることもよくある)
「難しいかも知れないけど、希望だったらやってごらん。」
と子どもをそのまま認めていく。
そして最後まで
「君には才能があるんだ。才能を信じて生きてごらん。」
と勇気づける。
いい加減に目を覚ませ。
生きるために仕事に就け、なんて
嫌われるから誰も言わない。
これが今日日(きょうび)の大人の「子どもへの対し方」だった。
派遣にまつわるご意見を聞き入って、
(企業倒産で急に職を失った若くはない人には当てはまらないが、)
初めからそれを選んだ若者には、まさに当てはまることだ
と思い知らされた。
・派遣労働者の雇い止めの話がマスコミを賑わしているが、それも彼らの責任である、
という意見である。
自分は今議会に「雇用を守れ、行政の策を打て」と主張してきたから、
どういう意味でそう思うんだろう、と思って聞き入った。
一つとして、
今の世の中、選り好みしなかったら仕事はまだまだある、
自分の努力の余地はまだまだあるのであって、
行政が安易に税金を使って助けてよいものか、
というもの。
みんな不幸な日本だが、別に心底不幸なのではなくって、
昔の方がずっと厳しかった。
今の世の中、自分でなんとでもまだまだできるだろう、
というご意見。
もう一つは
彼らは実は拘束される仕事を厭い、自由な身分を選んだのだ、
だからこうなることは予想されていたのだ、
という意見。
若い人を見るとよく感じることなのだ、という。
そうか、そういえばこの風潮、
結婚をしない風潮にも通じていた。
覚悟をしたくない、ということだ。
人間は拘束され、縛られ不自由になることを覚悟して、
その上で、
やっと絆とか連帯感とかそういうつながりの暖かさを知ることができる、
のであった。
「個の自由」を求めれば「孤の寂しさ」に通じてしまう危険
があるのだ。
そういえばこのところ教育界でも、子ども達に辛い現実は言わないし、
壁を設定したりもしない。
夢を追いかけよ、と教え続けている。
高校受験でも、希望校があったら、無理だ、とは決して言わない。
(保護者もうるさいし、最近は予想外に良い結果になることもよくある)
「難しいかも知れないけど、希望だったらやってごらん。」
と子どもをそのまま認めていく。
そして最後まで
「君には才能があるんだ。才能を信じて生きてごらん。」
と勇気づける。
いい加減に目を覚ませ。
生きるために仕事に就け、なんて
嫌われるから誰も言わない。
これが今日日(きょうび)の大人の「子どもへの対し方」だった。
派遣にまつわるご意見を聞き入って、
(企業倒産で急に職を失った若くはない人には当てはまらないが、)
初めからそれを選んだ若者には、まさに当てはまることだ
と思い知らされた。