ガッツ藤本(藤本正人)のきょうのつぶやき

活動日記ほど堅くなく、日々の思いをつぶやきます

『ベーシックサービス 「貯蓄ゼロでも不安ゼロ」の社会』井手英策著

2024-10-06 20:14:13 | 本・映画など

きっとこれなんだ と自分は思った。



市場原理とグローバリズムの資本主義も残念ながら行き詰っている。

今のまま突き進んでも、社会をよい方向には変えることはできないように私には思える。

今後ますます少子高齢化は進み、市場は縮小を余儀なくされている。

それなのに、今も日本は成長と拡大、そして蓄積を求め、

生産性向上の名のもと、安い労働者として外国人、高齢者、女性に頼ろうとしている。

そして、格差だけが開いていく。

著者によれば、平成の30年間、所得格差はどんどん開き、

雇用形態も多様化し、平成末で、15歳から24歳の労働者では、正規:非正規の数は100:104。
また、45~54歳の場合、でも正規:非正規の数は100:47なのだそうだ。

また、世帯収入も全体の3割の世帯が、額面300万円未満(手取りなら約250万)なのだそうだ。

少なくも男女2人とも非正規ならば、生活を営むのも大変だ・・・。

うっ憤は社会にたまり続け、はけ口を求めて蠢き、社会は刹那主義に陥っている。

爆発してもいいから変わればいい・・・。

そんな雰囲気が漂っている。

そいなると民主主義も育たない。 


私はこのところ、ずっとそう感じているのだ。


著者 井手英策氏 は 著書の中でこう言っている。

(高齢者をめぐる家族関係を見て)

生きていれば悪魔に見え、亡くなれば天使に見える。
生きているだけでその人は「費用」とみなされ、それが「負担」に感じてしまう。
大人の健やかな命が、子どもの苦しみを生む。
そんな社会は終わらせなければならない、と。

また、こうも指摘するのだ。

なぜ大学を出ろ、と親が言うのか?
それは、老後まで安定した生活を保障するためである、と。

私たちは今、勉強したくなくても強制され、会社に入れば長時間労働に耐え、疲れ切り、
家族や子供と過ごす時間を失い、趣味や社会参加する機会ももてず、
老後に備えて貯蓄確保に躍起となって人生を送っていないか。

もし、老後まで安定が約束されるのならば、私たちの生活はどう変わるのだろうか、と。

さらに、

人は人の中にあって人でいられる。幸せを感じるものだ。
自己責任で孤立させるのではなく、「共にある」領域 をもっと作っていこう。
それは連帯であり、自治である、と。

そして、提案するのだ。

子育て、教育、医療、介護・・・基本的なサービスが保障されるとしたらどうだろう?

人はもっと豊かに生きていくことができるのではないか、と。


僕はこの点について、はたと気づかされ、そうなのかもしれない、と思うのだった。


著者によれば、

消費税を今より6%上げ、累進課税も強化することで
子育て、教育、医療、介護、障害、生活保護の基本サービス、すべて賄うことができるのだそうだ。

全ての人が受益者となり、人同士のねたみ、嫉み、対立は減り、
自分らしい働き方、生き方に近づくことができ、
社会参加の機会も増え、信頼と支えあいの社会ができやすくなるのではないか、

と提起するのである。


消費税の増税、それは世界各地、特に北欧の国々で実践済みだ。


資本主義が行くところまで行き、社会が変質する中で、

そちらの方がより人々は幸せを感じるのではないだろうか、 

自分はそう感じるのである。



なお、ベーシックインカムとは違うのであって、このベーシックサービス論では

サービスが必要になった時に必要な人に保障するのであって、

皆にお金を配るのとは違う。(ベーシックインカムは財源の用立てが不可能)

財源はより少なくて済み、だれでも必要になったら受給できるので嫉妬、対立は生みにくい。

(病気になる人に嫉妬する人は普通はいない)

また、ベーシックインカムだと、金をもらったんだからもう甘えるな、という自己責任論、

対立が社会に温存されてしまう。

が、ベーシックサービスならば、信頼しあえる社会に転換していくはずだ。

政治家にとって消費税アップは保身のために避けてきた話題であるが、

今の社会状況下ではこれが正解なのではないか! と著書を読んで、そう思った。


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