山下惣一さんも令和5年に亡くなってしまった。
私も何かのイベントでお話は聞いたことがあると思う。
もっといろんな話を聞いて、質問もしてみたかった。
それにしても、今、米が手に入らないと騒いでいる。
昨年夏の猛暑とインバウンドと、能登地震で買われた影響だというが、
30年前から「農民に減反させて外国から輸入するなんて本末転倒」と
疑義を呈してきた山下さん、井上ひさしさんほかの指摘は
やはり正しかったのだと思う。
そういえば、今朝は松岡正剛さん(編集工学、知の巨人そして角川武蔵野ミュージアム館長)の訃報が新聞に載っていた。
悲しいばかりである。
以下、5冊の備忘録を書いてみる。
・・・・・・・・・
農産物は市場に出ると繊細=工業の目線で語ってはいけない
農業は生産量が1割増えると値段が大暴落し、1割足りなければパニックになる。山下さんの話では、前年比3%増で値が70%下がったとか。(ミカンの話)
また、当時東北で、缶詰用の桃が、冷夏と長雨で落果がひどく、
品質低下を見越した製造業者が5円/kgといってきた。
生産費を考えると1haあたり200万円の赤字になった。
農業では食えない・・・
山下さんの地域(佐賀県)の農家も、農業では生活できず、父親が農閑期に出稼ぎ(賃稼ぎ)に行かざるを得なかったという。
東北の農家も冬は酒造りや建設や出稼ぎに行っている。
出稼ぎでなければ、兼業農家として しのいでいる。
大規模化は危うい
農業の近代化とは、より大規模に単一で機械化して、儲かる作物を
より多く生産することを目指すのだが、そうすると安くなってしまう。
生産を調整して価格維持しようとしても、
所詮、アメリカの農業や安い労働力の途上国にも太刀打ちできない。
うまくいっても、相手国が補助金で支えて安く輸出(ダンピング)してくれば、かなわない。
大規模化したら、天候不順など何かがあったら、借金が返せなくなり倒産してしまう農家も多い。
そもそも農業は、気温が1度上がっても、雨が少し降らなくても、雹(ひょう)が降っても、霜が降りても・・・今までの苦労が水の泡となる。
そういう点で工業製品と同じ土俵で論じられない・・・。
近代化の裏には、農産物貿易自由化が
昔は大豆5畝、サトイモ五畝(せ)、あずき五畝、ナタネ五畝と少しずつ作ってきた。それを五畝五畝(ごせごせ)百姓と揶揄してきた。昭和36年農業基本法ができ、農業の近代化を目指す。機械化、大規模化、単一化で生産性を上げた。儲かるものを作れ! 選択的拡大だ! と指導された。余った次男、三男は工業に吸収された。工業輸出のいけにえとして農業があった。その先に、農産物貿易の自由化があった。アメリカが輸出する農産物以外をつくる、それが選択的拡大の裏の意味だったのではないか。
近代化以前は日本の食料自給率は73%あった。それから30年後、自給率は42%に(1996)小豆はあずきは28%→7%に、豆類は25%→5%に。そして、2011年には食料自給率は39%、穀物自給率は28%になってしまった。世界人口の2,3%の日本のために、世界の農畜産貿易の1割が対日本、国内のうちの2倍以上1200haの農地が、使われている。そして一方では、減反政策で日本の農地が余っている。これって、なんだ!?
農は成長でなく循環
政治は改革改革というが、日本人のあいさつは、「お変わりありませんか?」である。不易と流行の不易を地で行くのが農業である。
商家は2代で老舗と呼ぶが、農家は2代では新家でしかない。
農家は移転しない。持続可能を旨とするのだ。
農を経営しようとすると・・・破綻する
儲かる農業とは、儲かる作物を儲かる時期にしか作らない農業。
商品作物に特化しても消費者に飽きられたら終わり。
株式会社化したら、経営が行き詰まったら放棄するか、
もっと大きな外資が来るが、投資家に買収されてしまう。
南米の農業は大規模化したのち、乗っ取られ、破綻した。
資本の論理で企業経営に乗り出した養鶏も、外国のえさ、外国の品種と行き詰まり、商社に乗っ取られることが多かった。
農と文化はつながっている
井上ひさしはコメの自由化に反対した。それは、農業を捨て、文化を失うことだから。
日本は稲作、コメを食べる生活が作る文化だ。
ドイツならジャガイモ、スイスなら乳製品、フランスならブドウである。
どの国でも文化直結の農産品は輸入させない。
GATTは輸出国側に都合の良いルールである。
自分の都合で輸出しなくてもよい。補助金を当てて安く輸出してもよい。
自由化しなくてもよい。これらは輸出側の権利である。
さらに、アメリカにはスーパー301条の発動権もある。
1993年、日本はGATT合意をし、2008年時点では、ミニマムアクセス米は年に77万t輸入され、さらにその管理費用が200億円かかっている。TPPでは「例外なき関税撤廃」されようとしている。
余っているのに輸入しなければいけないって何なんだ?!
貿易の自由化は、グローバリズム。アメリカの戦略だ。
戦後の給食に対する小麦(パン)文化の輸入も、一環だ。
なお、麦に比べても、コメは優秀な作物。
コメは1haあたり5tとれるが、麦は3t。
栄養価、バランスも良いが麦はたんぱく質がない。
だから、麦文化は肉食を伴う。
コメは粒のまま食べられるが、麦は粉にするしかない。
そして、コメは連作が効くが麦はダメだ。
水田はダムの働きをし、土を守り、環境を守る。
雨にも負けずでは、一日4合といっていたが、今は1合しか食べない。
年間60キログラム。水田の4割は休耕田か放棄地になり、小麦の自給率も14%、大豆は3%だ。
稲作農家の平均時給は256円である。
目に見えない価値
「農」の生産以外の公益的価値、側面を認め、それに対し直接支払することをデカップリングという。
西欧はそれをする。スイスなどは国境の保全という意味もある。日本も中山間地域への補助が始まった。(2000~)
環境クロスコンプライアンス制度もオーガニックビレッジに対して開始。(2024~)
韓国では有機農業に対して環境の側面も評価して進めている。(親環境農業育成法1998)
日本は農作物を自給自足するには1100万ha必要だが、538万haしかない(1989)。農業は、地元にあってよかったねと地域住民が思うようになるべきだ。地域を離れると市民も無関心にならざるを得ない。
日本人なら日本で作った農作物で生きることが大切で、そのために、日本の食の伝統を取り戻したい。
最近は遺伝子組み換えイネがモンサント社からつくられ、種もモンサント社、それを使った耕地面積は5年前の30倍に。
(当時)(モンサント社は2018バイエルに買収された)
井上ひさしは「遅れたものが勝ちになる。」主義だと述べる。
15年くらいで価値観は一巡りする、という。
私も「一周遅れのトップランナーっていうけど、そういう流れが来ている」とよく講演会で話してきた。
「食」と「農」と「環境」は「不易」でなければならない。
成長ではなく循環でなくてはならない。
農産物の貿易自由化は輸出国輸入国どちらの農業をもだめにする。
輸出国の農業は、大規模化、機械化、化学肥料農薬の使用、水の枯渇などで土がだめになり、
借金がかさんで土地を追われることにもなる。
輸入国にとっては、とってかわられ、農業は成り立たなくなるし、窒素をためることにもなる。
農作物の自由化で、食糧が飢餓国に届く、必要としているところに届くというがそうではない。
そうではなくて、最も高く売れるところに届くだけだ。
規模とコストを問題にするのは農業をつぶすためか?!
アメリカなどは1戸当たり200ha、日本は1haだ。 それでも頑張って、生産量を増やせば価格が下がる。
『タマネギ畑で涙して』は山下さんほかが、タイの農民を訪ねていく紀行文だが、
農業の近代化を通して農民がむさぼられていくのは日本と同じ過程をたどっている。
タイでも近代化がすすめられたが、大規模化、機械化してひとたび天候不順などで失敗すると土地を奪われ、小作になったり、米を作っているのに自分ではコメが食えない、という状況が起きている。利をむさぼるのは、金貸し、機械設備、卸しなどを牛耳る「ミドルマン」だ。(華僑)
タイでも北と南では天候も土も違い、北の貧農は土地を追われ、娘は身売りされ、ということもままある。
(タマネギ畑で涙して)
域産域消 四里四方で
山下さんは、「農業の地域離れ」を何とかしたいと思っている。が、農協の共販システムは、指定地制度につながっていて、それで補助を受けられたりもする。「野菜生産出荷安定法(1066)はトマトやキュウリなどは10ha以上、キャベツやレタス、大根などは25ha以上の生産があれば指定産地となる。しかし、指定産地になると中央卸売市場に半分以上は持っていかなくてはならない。さらに、そのランク付けもあり、地元では出回らなくなっている。
しかし、近年、農業を取り巻く環境が変化してきた。
市場もセリより相対に。消費者も地元志向が強くなってきた。
一方、生産者の取り分は減少傾向だ。今、(1998)生産者の取り分は、ダイコン27%、白菜15%、キュウリ30%、ミカン29%だ。消費者が払っているのは大半が、輸送、包装、卸し費用なのだ。
だから、(それらを省いて)地元の野菜は地元で食べるようにしたい。
自治体ごとに自給率を調べ、露天市を復活利用し、農協とコープの連携例もあるのだから、それも進め、
各自が地元の農を守っていくようにできないか。
農家、あるいは地域が、自給品目、自給率を高め、自ら食べるだけでなく地域の供給し仲間を増やしていく。
これが大切なのだ。商品作物、特産物は、やるならばその土台の上だ。
ある村で起きていることは、日本中で起きている。
日本で起きていることは世界中の村で起きている。
これがグローバリゼーションの特徴だ。
結局、
各自(消費者も農家も)が身の回りの「環境」と「食」と「農」を守っていくしかない。
自分(身)が変われば世の中(土)が変わる。
自分(身)が変わらなければ、世の中(土)は変わらない。
それが身土不二なのだ。(身土不二の探求)
世界の工業国は農業国でもあり、農産品の保護はしっかり譲らない。
(核保有国も同じ。つまり、経済も農も食も戦力も整えているのが、
所謂、普通の国なのだ。 藤本の感想)
また、輸出する場合、補助金で安くしダンピングしてくることもある。
身土不二とは
身土不二は(しんどふじ)と読むが、仏教では、(しんどふに)と呼ぶ。
明治30年代、陸軍薬剤監をしていた石塚左玄の起こした「食養道運動」
のスローガンとして『身土不二』は唱えられた。自分の住む四里四方でできた旬のものを正しく食べることを目標とする。
人の命を支えているものは食べ物であり、海産物含めてすべて土が育んだものだ。ゆえに、人間は土そのもの。『身土不二』ということだ。
一方、宗教界でも同じ言葉が使われて、こちらは、土を世の中に見立て、
人間の在り方が世の姿となる、という意味。『身土不二』は1305年、中国の仏教書『廬山蓮宗寶鑑』の中にでてくる廬山蓮宗の教義の大綱書。廬山蓮宗は中国浄土教であり、紀元400年頃に起こる念仏を唱える仏教。それを善導大師が日本に持ち返り、時代を経て、法然が受け継いで、親鸞へと続く。
身土不二は韓国で盛ん
韓国でも『身土不二』運動が盛ん。こちらはGATTに対抗し、国産を農産物を食べよう、しかも、有機で、という運動。韓国農協中央会の会長ハン・ホソン氏が日本の(有機農業の草分けとして知られている)荷見武敏氏の著書『協同組合地域社会への道(1984)』に感動して始めた。この本には、「土を基盤とする物質循環の理法を尊重し、生態系のバランスを崩さない自然な農法を目指しているのが有機農業の生産者であり・・・『身土不二』の哲学を身に着けており、『土健やかにして食健やか、食健やかにして民健やか』・・・自給率を高め、域産域消を広めていくべき…」という提言が書かれている。
なお、GATTに対抗しているときは、韓国もバブル景気であり、農業へのバッシングが強かったという。農業だけ補助され保護されて胡坐をかいている、という批判である。その後、韓国では、経済が破綻し、輸入飼料、輸入肥料、輸入燃料の高騰で大規模化した農家は借金の返済で首が回らなくなった。それも日本と同じ。
経済発展の過程で、農業を放棄し、食を失い、金も失った韓国は、外国産農産物を買う金もない。そうしたなか今まで傍流であった自然農業に光が当たり始める。韓国自然農業協会会長の趙漢珪さんに大きな影響を与えたのは3人の日本人でヤマギシズムの山岸己代蔵、『酸素法の本意』の著者、柴田欣志、巨峰を生み出した大井上康の三氏。(ヤマギシズムについては自分は大学生のころ興味があって、本気で三重県に尋ねてみようと考えていた。が、親に止められたことを懐かしく思い出した。)自然農業では脱化学農薬、飼料、肥料をはじめ、画一農業から地域農業へ、設備の大規模化、先端化から簡素化へ、小規模多品目の有畜複合農家の育成と近距離産直システムの構築などを目指している。
今、ソウル市など大きな都市でも有機給食が実現している背景がそこにあるのだと私もわかった。
なお、身土不二っていうと砂川育雄議員を思い出す。市議だったころ、つまり、2000年頃、砂川さんは身土不二のことを言っていた。
星寛治さん
さいごに、『北の農民 南の農民』における北の人、山形県高畠町で有機農業を提唱し、それを 社会づくりにまで発展させた星寛治さんには会ってみたかった。星さんは早くに有機小農複合自給こそが百姓の基本に立ち返ると唱え、有機産直運動を展開、それを村づくり、文化づくりに昇華させ「高畠町基本構想」において「家々の庭先には家庭菜園があり、新鮮で安全な食べ物を自給できること、田園の中につちかわれた人と人とのつながりによって困難な問題に対し、相互扶助で対応できること・・・」とマチの基本構想の前文に理想像を書かしめた人である。有機農業と産直運動、これを通して人々が話し合い、課題を解決し、つながっていくこと。これが街づくりであり、文化(Culture)が耕されるのだ。耕す=Cultivate←agriculture(農業)
なんと所沢が!
そして、もうひとつ、その偉大な星寛治さんと、先日受けた講座で講義された谷口吉光教授(秋田大学)(急な展開でスミマセン、わたし有機農業の関連の勉強会に参加シテマシテ)のどちらもが、その中で指摘されていた人物、運動が「所沢生活村」白根節子さんの有機産直運動であったのだ! 星さんは白根さんに励まされ、谷口先生は白根山の講演を聞いて、それぞれ有機農業を実践され、研究を始めたのだった!
思い出すのは昨年と一昨年、市内某所で「所沢生活村」なるブースを見つけたときのことだ。
有機農業を推進しているらしいのだが、ブースにいる女性のかたが、生協やコープとちがって、華やかさやオシャレ感が感じられないので、きっと本質的なんだろうけど数人の方の細々とした運動なんだろうと私は勝手に判断していた。
昨年には私も有機給食を採用する覚悟を決めていたので、市の取り組みを滔々とお話ししたのだが、
「所沢生活村」がこの世界でそれほど根源的な存在だったとはつゆ知らなかった。
帰り際に、リンゴを買っていけと言われしぶしぶ買ったが、
あのリンゴは今思うと山形の高畠町、星さんたちの有機リンゴだったに違いない。
なんという失態。石清水八幡宮を訪ねて本尊を拝まなかった、あの仁和寺の法師のようではないか!?
以上長々と羅列したが、備忘録としてご容赦を。
※ また、読んだ本全て今から10年以上前に刊行されたものですから、その後、変わっていることもあることだと思います。私も詳しくないこともあり、お許しを。
山下惣一さんと星寛治さんの書信によるやりとり
井上さんは、コメは文化 自由化に絶対反対を主張した
タイ農民と日本の農民 タイでも同じことが日本以上に起きている
身土不二 私たちと土は一体 人間と世のありようも