中野みどりの紬きもの塾

染織家中野みどりの「紬きもの塾」。その記録を中心に紬織り、着物、工芸、自然を綴ります。

いけばな作家 中川幸夫さんを偲んで

2012年07月04日 | 工芸・アート
中野みどりHP


中川幸夫「花」

いけばな作家の中川幸夫さんが故郷香川の地で去る3月30日に亡くなられました。
享年93歳でした。
私は4~5回お会いして少しお話を伺ったりしました。気さくな普通のおじさんの感じでしたが、本当の芸術家だったと思います。
前にご紹介した井田照一さんとはタイプは違いますが、フラットなものの見方や品格は同じだったと思います。

華道家はたくさんいますが、花の咲き始めから朽ちていくところまでを見つめ(時に腐らせ)、そしてそれを作品として昇華させていくひとはほとんどいないと思います。
花をただじっと見つめていくことから仕事が始まっているのです。
そして花だけでなく工芸、美術、写真、その他諸ジャンル、古典も現代のものも見続けていました。新聞も隅から隅まで読んでいたそうです。

あるいけばな作家が「花は蕾が開きかけた時が一番美しい。その一番美しいところをいける」と言い、牡丹や藤の花はよく使い、雑草といわれるようなものは使わない。
そうだろうか?と思ったことがあります。
蕾の開きかけも確かに美しいけれどその時だけが花ではない。また、大輪の花もいいけれど道端の草も小さな花をつける。
枯れすすきも中川さんの手にかかると根をさらされ、いのちの根源を表現する。

笹山さんが編集していた季刊誌『かたち』No.24に「一番小さい花で魅力的なイヌノフグリ、紫色の。あぜ道に咲いているのね、それは毅然たる主張で大きい花より見事に咲いているよ。」と中川さんはインタヴューに答え語っているのです。

人も子供には子供の美しさがあり、青年には青年の美しさ、中年も老いてシミやシワだらけでもも生きいきとした美しさには上下はない。

中川さんが80歳を過ぎ、体調を崩し中野のアパートから弟が暮らす香川のご実家へ戻られた頃の5月に、「かたち」の笹山さんと近くまで用事もあり、突然訪ねたことがあります。
8畳の和室に通されたのですが、床の間には中川さんの手によって花菖蒲が活けられ、座卓の上には来る途中で見かけた濃いピンクの花をつけた野草が何気なく、でも「ほほーっ!」という感じにしだれさせて活けられていました。
中川さんという人はここに活けられた花そのものだなあとその時に感じたことを記憶しています。
そして京都の若手の陶芸作家の作品についてあの人の仕事はいいと熱く語っていいました。
花を活けたくなるような作品だったのでしょう。

NHKが晩年の中川さんの仕事や姿を映像に納めているのですが、それをテレビで見た私の母は見終えて「すごい花だねぇ。言葉がない。流派の人たちはどう思うのだろう」と興奮して電話をしてきたことを忘れません。
母は紀州の山の中で自然を満喫して娘時代を過ごした人ですが花が好きでした。
中川さんの写真集を見せると何度も見返していました。
母はその年に亡くなりましたが写真集を見せてあげられたことはせめてもの親孝行と思っています。
私も初めて実作を見た日から1週間ぐらい血が体中を駆け巡っておさまらなかったですから。

笹山さんは毎週のように中川さんのアパートへ通っていたこともあり、季刊誌『かたち』でも何度か記事にしてきたのですが、かたちの会会誌の最新号(7月1日発行)に追悼特集を組んでいます。私も拙文ですが追悼文を寄せています。
流派を離れ上京し、中川さん37歳、夫人の半田唄子さん49歳の時に一合五酌の酒を酌み交わし結婚。
中野の6畳一間のアパートでともにいけばなの創作活動に命を賭けたお二人のことは忘れません。 合掌。

貴重な内容になっていますので是非お読みいただきたいと思います。
会員からもさすがに反響が5~6人から寄せられていました。

冊子のみを購入することもできますが、「文化は市民一人一人が作る」をスローガンにしているかたちの会へ是非ご入会をお勧めしたいです。私もボランティアで手伝っています。
入退会はご自由に。

かたち21の笹山さんにお問い合せください。
笹山さんのブログもご覧ください。


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