中野みどりの紬きもの塾

染織家中野みどりの「紬きもの塾」。その記録を中心に紬織り、着物、工芸、自然を綴ります。

作品集「樹の滴」の感想をいただきました

2023年12月08日 | 作品集『樹の滴』
半巾帯連作も無事織り上がりました。
ブログ更新も出来ませんでしたが、気持ちを集中させるためには他のことは全て置いておかなければなりませんでした。
まだこれから湯通し、検反、仕立依頼などで気は抜けないのですが、、。

さて、拙著、作品集「樹の滴」をお読みくださった方からメールを頂きました。
50代の和裁士さんだそうですが、ご自身の仕事と重ね合わせ感想を綴ってくださいました。
仕事のジャンルを超えて、何か共感して頂けたなら嬉しく思います。
私も改めて11年前、原稿を夢中で書いた日のことを思い起こしました。
手書きで、ペンを持つ指が痛くなるほど一気に書き上げました。

和服の仕立も大変な仕事と思います。
お洒落着の華やかさの陰で、縁の下の力持ちのように目立たない存在ですが、いい仕立てでなければいい着姿も作れません。
他人様の新しい反物に鋏を入れることはどんなに気を使うでしょう。
また古い着物の仕立て替えは生地の傷みや汚れ、用布のやりくりなど、これも細やかな気配りが必要です。
それぞれの体格に合わせた寸法の相談や、柄合わせ、縫うだけではない時間も相当掛かります。
工房でお願いしている和裁士さんにもいつも感謝しています。

許可を頂き、頂いた感想をほぼ全文、下記に掲載させてもらいます。


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『樹の滴』拝読しました。
糸の選定、染めの草木の準備、糸の寝かし、デザインの設計・・・と想像以上の多くの工程があることを知り驚きました。
若い頃に染織工房を見学しましたが、糸を紡いで機を織る工程しか記憶に残っておらず今回、興味深く作品集を読ませて頂きました。

お陰様で紬に対しての知識が深まりより親しみを感じるとともに、中野様の作り手としての熱意に強く感銘を受けました。
これまで当たり前のように下前に配置していた大きめの節も自然の織りなす美しさと捉え、愛情を持って配置していきたいと考えを改めたところです。

文中に「これまで三十数年の間に自分用に着物を作ったことはありません」とありました。この文は後に作り手としての着ることの重要性を書かれています。それには私も同感です。
ただ、私はその「自分用に着物を作ったことがない」という言葉にすごく共感と言いますか感じるものがありました。
私は国検1級を取得した27歳からの25年間、私も自分の着物を一枚も縫っておりません。
休日は家族や身内の着物を縫う、身内の着付けは私がするので自分はどうしても洋装になってしまうなど、いつも自分以外の人のために和裁をしてまいりました。
これまではさほど気になってはおりませんでしたが、50歳を過ぎた頃から和裁との向き合い方、着物との向き合い方についてなんとなく違和感を感じるようになりました。

もう少しゆったりとした気持ちで着物を楽しみたいなぁ。せっかく好きな着物に携わる仕事をしているのにいつもクタクタで思うように着物と向き合えていないなぁ。お客様の着物を縫いながらただただ「私もいつかこんな着物を着てみたいなぁ」と羨んでばかりでした。

そんな折、「樹の滴」を読んで、これまで「やらなきゃ」という使命感でお仕立てをしておりましたが、中野様が美しい布をめざしてこられたように私も手探りながら和裁の技術を磨き、そして多くを望まない私なりの和裁士をめざしたいと思うようになりました。

今後、和裁士としてそして次世代へと着物を伝えていく者として、行き詰まった時には「樹の滴」を手引きとさせて頂きます。  
              
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技術の基礎、基本はどんな仕事でも変わらないと思いますが、その後、何を大切にして仕事するかは一人ひとり違ってきます。和裁もただ綺麗に細かく、寸法通り早く縫いました――だけではない、その着物、素材が持つ特性や、人が着るという一番大切なことを俯瞰できなければならないのだと思います。
紬も人が着るもの、という大前提の中で、それでも美やアート性も存在させたいと思っています。

上の感想にもありますが、プロとしてこの仕事で食べていくと決めて、修業に臨んだことですので、自分用や、よくできたと思うものを先に自分のものにしたことは、帯揚げ一枚とてありません。
ただ、最後の一反くらい自分を意識し、自分とは何かを探るために織るかのも良いかもしれません・・。

トップの写真「灰緑地縞着物」は作品集に収められているものですが、カメラマンにここを撮ってくださいと、私からお願いした写真です。この節がまさに自然と人のなせる技なのです。私の使う赤城の節糸ならではのものですし、たまに出てくるここを取り除いてはいけないのです。織りキズとして扱われることもありますが、それは、人工的な、機械的なモノだけを良しとする現代の貧しさです。
上手く景色になるように織り込むのが人の技です。



赤城の節糸に接した時の感動や、真綿の糸を初めてつむいだ時の蚕が持つ原糸のウェーブを今も鮮明に記憶しています。
帯回りの上の写真は、ヤマモモ染めのベージュの帯、薄いピンクの帯揚げも私の作ですが、ご本人がとても気に入って選ばれ、この取り合わせになりました。

着物は着物だけでは成り立たず、他の物との取り合わせで、成立する高度な美の世界だと思います。
「着ること」が作ることにつながります。作家の思いだけを込めてはいけないのです。着る人や帯、小物類を想像できるかできないかは大きな違いです。

また、和裁の方も自分が着ることで、いろいろ寸法や素材の違いなど、細かな発見があるのではないかと思います。

こんな着物文化の高度で豊かな世界を残さない訳にはいきません。
着物という形だけでなく、上質なもの同士を取り合わせる文化を残さないといけないのです。

私は単に、織物好きとか、紬好き、着物好きなわけではなく、自然と人が一体となり、そこに双方のいのちを再現しているものに関心があるだけです。それはジャンルなど関係ないことです。

作品集「樹の滴」には「着物」、「紬」、「染織」などのジャンルに関係なく読んでいただけるように意識して書いてあるつもりです。ある意味過激です。!(^^)!
宜しければご一読ください。




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