中野みどりの紬きもの塾

染織家中野みどりの「紬きもの塾」。その記録を中心に紬織り、着物、工芸、自然を綴ります。

第13期「紬きもの塾」受講生の紬塾レポート

2021年12月20日 | 紬きもの塾’17~’21
                          ドウダンツツジの冬芽

工房の満天星躑躅も葉をすっかり落とし、マッチの軸のような枝先の冬芽に赤く灯をともしています。

今年度の紬塾が終了し、みなさんから6回の内容を振り返ったレポートを提出して頂きました。
今期のみなさんもしっかり内容を受け止めてくださったようで、主宰として嬉しく思います。
少人数で個人レッスンに近いので、私も一人一人と向き合うことになりますが、とても熱心に真摯な向き合い方をしてくださいました。

着物をたくさん着ている人ほどショックは大きいようなこともあるかもしれませんが、みなさん目からウロコを落としてくださったようです。(@_@。
変えられない方もたま~にいらっしゃいますが、着物の世界の奥は深く、着飾るだけではないことを学んでいただければと思い厳しいことも申し上げたりしています。

着飾るということがどういうことなのかもわからず、ただ高級だからとか、有名ブランド、有名作家のだからとかで着ることではないのです。
仮装行列の1回だけの衣装ではなく、一生かけて付き合うのが紬織の着物というものです。
それを引き受けるだけの力を付けていかなければ本当に着ることはできないです。

自分の目で確信を持てるか、実際に着てどうなのか、それは簡単ではなく自問自答しながら一生をかけて身に付けるものでしょう。それなりに経費もかかります。

運針もハードルは高いようですが、それなりにできるようになっていますし、何より楽しくなったと言ってくださってます。この指導は毎回本当に大変なんです~(;'∀')
畳の部屋なので私がそれぞれの方の元へ膝をつきながら移動し、何度も何度も手本を示したり、進捗を見てあげたりで、翌日は腰のサイド、中殿筋が痛くて動けなくなります。このやり方はもう変えなければ、と思うのです、、。

では以下に4名のかたのレポートを掲載します。
少し長いですが、みなさんの素直な感想ですのでお読みいただけたらと思います。
紬塾は来年の開催は未定ですが、検討中の方はよくお読みください。

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程よい緊張感のある、刺激的な紬塾の日々が終わってしまうことを寂しく感じておりますが、これからは先生や同期の皆さまから得たヒントを、実践・実感することに取り組んでいきたいと思います。

着物(紬、木綿)や素材としての布が大好きです。
大好きな布を纏える着物(紬)が好きです。
着物(紬)を着なくても困らない時代に着物(紬)を着る意味はなんだろうか、なぜ着物(紬)が好きなんだろうか。
そんな疑問のヒントが紬塾にあるような気がしたのと、単純に中野先生の布をたくさん見たり触ったりすることができるのではないか、という下心が受講志望理由でした。

繭から糸を取らせてもらいました。ウェーブのあるゆらゆらとした糸で、
繊細なのに意外としっかりしていることに驚きました。

自然光のもと、先生の着物を2枚羽織らせてくださいました。
着物を見せていただいたときにすぐに脳内で「ピンク系」「オレンジ系」と分類しておりましたが、羽織ってみると、自分含めほかの参加者の皆さまも、二枚ともそれぞれに似合っており、草木染めの色の奥深さを感じました。

紐や下着、着物のお手入れ、アイロン、着物の引き受け方など実践的かつ自然な方法をたくさんご教授いただきました。



特に運針は、中学校の家庭科の授業以来で、私は裁縫が大の苦手です。
初夏の紬塾で糸を付けず針の動かし方の基本を教えていただきました。
次回の秋の紬塾まで期間がありましたので、夏の間は、赤い残り糸を付けて、
着物の紐に運針をして練習しました。急に上手くなるわけはなく、方向も縫い目もガタガタですが、運針ができれば、自分が思いついたときに、紐や伊達締めを作ったり、敷物に作り変えたりと、とことん着尽くすための工夫ができるという教えは、目の前の世界が広がる思いでした。
今は運針は練習で終わってしまっていますので、これから紐1本、作ってみようと思います。 
出来上がった紐に刺繍でもしようかしら、と苦手ながらワクワクしております。
註:上の画像はご本人から送られたもの

春夏秋冬を通じての紬塾、先生の取り合わせが自然で無理がなく、場とその季節の空気に馴染んでいたことが印象的でした。
『着ることは生きること、その人そのもの』という先生の言葉を先生の取り合わせを通じて感じることができました。

日常生活にある着物(紬)の景色がこれからも日本にあってほしい、と願ってやみません。
いかに素晴らしい着物(紬)であっても、美術館の中で保管されていては、着物(紬)の生き生きとした姿ではないように思います。

紬塾での学びは、きっと、私のこれからの着物(紬)との付き合い方の土台となります。
本物・より良きものを見分けること、実際に手と頭を動かす(使う)こと、
感覚や季節・美しさを感じる力を研ぎ澄ますために精進することを大切に、
1日でも長く、着物(紬)と付き合っていきたいです。
先生、ありがとうございました。(K.M.)

***********
6回にわたり、『紬とは?』から始まる『生き方』の勉強をさせて頂いた。
 
毎回のテーマが興味深くかつ「何となくわかっているつもり」の部分もあると思いきや、実は全然わかっていなかったという事実と、それをわからずに着物に接するのは恥ずかしいという気持ちが認識でき、
草木染や紬、着物に対する愛着が深まったと感じる。

特に2回、3回と進んでいく中、糸や織物の『色の深さ・奥行き』を見る目であったり、
『バイアスがきれい=堅牢性』といった『織物の風合い』を見る目であったり、具体的でわかりやすく教えを頂きとても貴重な体験であった。

また物を大切に使うということに始まり、自然環境をいたわる生活の知恵などからは、真のサステナビリティを
改めて考えさせられ、自分レベルの「やっているつもり」の甘さを突きつけられた気がする。
とことん使うの回で「小豆3粒包めたら布は捨てない」というお話を伺ったが、身が引き締まる思いがした。                                 

後半の帯や小物の取り合わせや色の選び方などは、長らく同じような視点できてしまっていたところから
まさに目から鱗が落ちたようで、『先入観を持たずに、モノを見る目を養う』新たなスタート地点に立てたようである。
 
最後の回で『着ることは社会との繋がり=他者との関わり』という先生のお言葉が印象的だった。
ある著名な洋服のデザイナーの自伝に「服は着ることによって自分らしさを表現できるツール」という意味の
文章があったのを覚えているが、そこに通じるものも感じた。
先生の御著書【樹の滴】のなかにある『着物は人の身体を包むもの、そして気持ちを支えるもの』という一文にも着ることの意味の大切な一面を納得できる。

毎回持ち回りで自分の中でのポイントを発表した、幸田文氏の著書「きもの」を読破することは根幹であり
紬塾のゴールとしての『ものを見る力をつける』入口のエッセンスが、物語全てを通してちりばめられていたと思う。
「きもの」の後半以降の描写で関東大震災の混沌の中
「肌をかくせればそれでいい、寒さをしのげればそれでいい、なおその上に洗い替えの予備が一そろいあればこのうえないのである。ここが着るものの一番初めの出発点ともいうべきところ、これ以下では苦になり、これ以上なら楽と考えなければちがう。やっと、着ることの底が直に分かった思いだが、これを納得したのは下町総なめのこの大火事にあったおかげなのだ。それにしても大きな損失に対して、あまりに小さい納得とはいえ、しかしまた逆に考えると、それほどのひどい目にあわなければ、着物の出発点は摑むことができないくらい、女は着るものへ妄執をもっている、ということでもある」
と主人公に考えを持たせている。

以上のように今まで自分のなかで着物とは、大好きなものであり、衣食住の一部のある意味スペシャルステージとして位置付けていた程度だったが、今回紬塾での学びを通して、もっと違う次元の大切なものに大きく変わった。

そして最後になりますが、ご指導いただいた『運針』練習はこの後の人生の課題の一つとなりました。 (O.Y.)   
                                
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紬塾へ通っていた友人の紹介で2015年の個展に足を運んだのが中野先生と先生の作品との出会いでした。
そのとき羽織らせていただいた着物は、優しい色合いで美しく、羽織ったとき優しくて温かい気持ちになり思わず笑みがこぼれました。そのときの気持ちは忘れられません。

そして2019年、やっと紬塾の申し込みをして学びが始まりました。
初めて伺った桜工房の和室からはお庭の木々が見え、自然の光の中に先生の織り機などがあり、家も呼吸しているようでした。先生の作品に通じる心地よい空間で、ここに来ただけでも参加できてよかったと思いました。

参加者の皆さんのお着物や着姿を見て、堂々と楽しんでいらっしゃることが素敵だなぁと思いました。
一方で、私は着付けを学んだことが少なく自己流だったことを不安に思ったり手持ちの着物に自信がなく、毎回緊張して参加しました。

学んだ中で変わったことは、自然への尊さを日々の暮らしの中で感じることが増えたことです。
その間に引っ越しをして、畑や庭仕事を始めたたことも大きかったですが、
畑も表面的に“自分がやっていること”に焦点が当たりがちになり、そこに満足してしまうようになるのですが、
紬塾に参加して、自分の目で見て、ひとつひとつ感じて、実践していくことの大切さを学び、
また先生の姿からも・・・上手く言い表せないのですが、深い学びをいただきました。

暮らしの中での違和感を見てみぬふりをしていたこと、乱暴だったなぁと思うこともありました。
とことん着尽くすの回だったと思います。古い繕い物(襤褸)の美しさを本で見せていただき、私も心から「美しいなぁ」と思いました。
そのとき自分でたのしくやっていた繕い物なども、みなさん関心を寄せてくださり驚きました。
人様に見せたら笑われると思って半分は恥じていたのですが、私も自信がないからと自分のやっていることを恥じることなく、真っ直ぐな目で見て、自分が納得いかなければもっと改めていけば良いことなのだと、思いました。

着物についても、人に認めてもらう必要もなく、ただどのような印象を与えているかという配慮や
今の自分だけでなく、自分がいなくなってからも引き継ぐ方がいるかもしれないことへの配慮など
他者に媚びるわけではないけれど自分のことばかり考えているわけではない生きる姿勢を中野先生のお話からも、ふとした瞬間からも、学ぶことができました。

また、和裁については妊娠出産で遠ざかってしまいましたが、学校で運針を習得できたことは本当に幸いだったと思いました。それもできるだけでは宝のもち腐れなので、日々の暮らしに活かしていきたいし、人には見えないところでもそのような時間を作ることが着物を着たとき周りに与える印象へも影響してくるんだろうなと、思っています。

紬塾に通おうと思ったきっかけにあった、中野先生のような自然体の着姿に憧れるけれど、どうしたらいいかわからないという疑問の答えは、何か知識を得ることで解決することではありませんでした。それでも、やっとわかったことがありました。大きかったのは、自分がずっと表面的なことに囚われて、深く真っ直ぐにモノを見ようとするのを避けてきたことに気づけたこと。そして、答えは一人ひとり違うということ。
自分の感性で、ひとつひとつ選んでいったことや日々の暮らし方が現れているのだということが、痛いほどわかりました。

紬塾で教わった中にはすぐ実践できることもありましたが、真似するだけで先生のようになれるわけではありません。これからの暮らし方をまた一から見つめ直し、自分の感性で着物と向き合っていきたいと思います。

また、高価で手の届かないと諦めて、拗ねてた部分もありましたが、それも本当に無駄な想いでした。
モノを見る目が深まったことで、今あるものへの扱い方、選ぶことに責任を持つことが変わったように感じます。
そしてこれから私が働くようになったとき、先生の作品を手に取りたいという想いで働くのも張り合いがあって楽しいだろうなと、希望を感じています。

先生の作品の背景にある、暮らし方、生き方、お人柄を知ることができ、自分の生き方を見つめ直し改める第一歩となりました。
また、一緒に学んだ皆さんとの交流も暖かく、お会いするたびに着物を楽しんでいこうと前向きな気持ちになれました。
本当にありがとうございました。(O.M.)

**************
紬塾での時間から

5月にはじめて先生と皆様にお会いして、あっという間の、でも、しっかりとした何かを感じられた、そんな「とき」を過ごさせていただきました。
それぞれの回での印象に残ったことをお伝えしたく思います。

第1回
この日、先生の作品を羽織らせていただいたのですが、緊張していてよくわからなかったというのが正直なところです。最後の回、いろいろ学んだ後なら、また違ったものがあったのかもと、せっかくのチャンスをなんと勿体ない、とあの日の自分を責める気持ちです。

印象的だったのが「心が動く瞬間をみつめる」との先生の言葉でした。
それこそが、私個人がここ数年、求め続けていて、取り戻したいと思っていることでした。
17年ほど前から東日本大震災の数年後までの約10年間、仕事と家事と育児と学生生活の4つの役割のなかで走り続けていた私は、その間に祖母と妹と父と母を亡くし、季節の移ろいや音楽や読書や、たのしいと感じる時間と力(余裕)を無くしていました。
最後に母を亡くしたあと、母を思い出す中で記憶がたどりついたのが母の着物姿でした。
このことは、第一回のそれぞれの着物との馴れ初めでお話ししたと思います。

この日に、先生が宗廣力三先生の作品集を見せてくださいましたが、作家物などにあまり興味のない私は初めて聞くお名前でしたので「へぇ、この方が先生のお師匠さんなのね」と淡々とした気持ちでいました。
ところが、この後日、私は「心が動く瞬間」に遭遇しました。日本民芸館に出かけたとき、こころ惹かれる作品がありそれがなんと!宗廣力三先生の作品だったのです。なんという偶然。それは圧倒的な力で、ものを観る力のない私にも素晴らしいと感じさせる布でした。

先生と出逢い、紬塾でお話を伺って、宗廣力三先生を知り、郡上紬という布をみて、わくわくするような「心が動く瞬間」を得ることができた、と今とてもうれしく思っています。

第2回
この回で、繭から糸と引き出したときのなんとも言えない気持は、一生忘れないと思います。なんと細い、なのに途切れずにするすると糸がでてくる、とても不思議でずっと引き続けたい心持ちでした。同時に、この細い細い糸を紡いで、それがしっかりした糸となり、反物となるまでのながい時間とひとの手と思いを想像せざるを得ませんでした。

この日、先生は「理にかなった“糸”の扱い、動作」というものがあると話してくださいました。このとき、私は、“糸”に限らず、ひとやものもその個性や特性に応じて対応するとそれぞれの良さがいきるという風に理解し、布を織るということは、もしかしたら社会のなかにあることと似ているのだなと考えました。
出来上がってすぐの反物(布)は、毛羽やかたさがあるが、長く着て、何度かの洗い張りを経て柔らかくからだに沿うようになることと、社会に出たての新人がいろんな経験を経て人間的深みを増すこととを重ねました。そして私自身がよい紬、愛される紬のように生きたい、なりたいと、考えました。

第3回
運針の回でした。
和裁を学んでいながら、運針ができない私はここで「基本の大切さ」というものを深く考えました。運針は頑張って練習しています。

この回で先生は「ほんとうに上手な人の縫った着物は、着心地だけでなく、解くことを前提に縫われている」と仰いました。実はこのことは、和裁中に何度かお直しを経験して実感していたことでした。
改めて先生からそう聞いたことで、相手の気持ちや行動を考える、目の前にいるひとだけでなくその先のもっと先にいるひとのことも想像して縫う、着物という洋服とは違う、繰り返し引き継がれていくことのできるものの、奥深さと、ひとへの思いやりを考えることができました。

第4回
着物の取り合わせの回。
この数年きものを着てきて、格や晴れと卦の違いをうまく理解できずにいたので皆さんの作った取り合わせをもとに説明いただけたことがとても勉強になりました。そして、私の取り合わせのとき先生が帯締めを別のものに変えられた途端、あっ!と思うほど素敵になったことがなによりも印象的でした。帯締めに限らず、小物ひとつ選ぶことがいかに大切かがよくわかりました。
引き算の美。色合わせだけでなく質感を合わせる。物の力をみて合わせる。
これがこの日の先生の言葉でこころに残った3つです。

似合わない地色のきものも、帯や帯締め、帯揚げに似合う色をつかうことで自分に似合うようにできますよ、というお話し、ここでも私はまた、あまり好きではない相手とも工夫次第でうまく付き合うことができるかも、と人間関係につなげて考えておりました。

第5回
実は、この日、紬塾へ着ていく着物を前の週に考えて決めておりました。それは、前回の取り合わせの回で教わったことを参考に考えて決めたものでした。
ところが、前日の金曜日のお昼ごろ、先生から「明日は、マイサイズを書いて持ってくるように」とメールが届き慌てました。決めていた着物は、着丈が短いけれど何とか着ているものでマイサイズとはいえないものだったからです。
夜、仕事を終えてから、改めてマイサイズで仕立てた着物を中心に取り合わせを考えました。この回には、先生の個展でいただいた『林檎で染められた帯揚げ』をお見せしたかったので秋田黄八丈の苅安色の着物で伺いました。黄八丈も草木染なので、事前に考えていた取り合わせよりよかったと思います。

この回で「着ることは生きること」という言葉がありました。
着ているものからそのひとの“人となり”が見えると。自分に自信がない私は、すこしドキドキしました。そして自信が持てるよう努力しようと思いました。

第6回
半幅帯の回
苦手意識があってほとんど締めたことがない半幅帯でしたので、YouTube でみた方法で自宅から締めて出たのですが、なんとなく背中が落ち着かない気持ちでした。でも先生が教えて下さった方法だとスッキリとして背中に違和感もなく、着心地よかったです。

見せていただいた蚊帳ふきんの補正と、先生が使っておられたアイロン台(マット)は、さっそく作ってみたいと思います。市販のアイロン台を使っているのですが 1 センチほどの高さがあり、また、幅が反物とほぼ同じで使いづらく悩んでいたのです。

この回で改めて、取り合わせについては頭で考えないで、無垢な目でまっさらな気持ちで美しいものをみること、と伺いました。そして、着物を着ることはひとの目に触れている、社会に関わっていることだとし自覚してきちんとしようと思うこととの言葉がありました。

当日の感想でも言葉にしましたが、紬塾で先生から得た学びは、まさにそのことでした。
ひとに優しく、自分にも優しく、地球や環境にも優しく、他者とのかかわりを大切にし、美しいものをみて美しいと感じ、自分中心ではなく全体を思い、大切に生きること。

紬塾に参加できたこと、このご縁に感謝しております。ありがとうございました。(T.K)


                       以上
 



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