先程、ときおり愛読している公式サイトの【 日刊ゲンダイ 】を見ていたら、
『 記憶障害は2種類 進行を遅らせるには「口に出す」機会を 』
と題された見出しを見たりした。
私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
恥ずかしながら私は、70歳を過ぎた頃から齢を重ねるたびに、物忘れが多くなった、
と改めて気付き、 独り微苦笑する時もある・・。
たとえば家内とテレビの旅番組を共に視聴したりしている時など、
あそこも行ったよねぇ、と私は家内に言ったりした時、その地の情景などは鮮やかに重ねることができても、
肝心の地域名が言葉に出来ないことが、もどかしさを感じることがある。
しかしながら、私の幼年期のことなどは、何故かしら鮮明に思いだせるのである。
たとえば祖父と父が健在だった頃、所有していた田畑、雑木林、竹林、田んぼの中で流れていた小川などの情景、
或いは初めて観た映画作品は、1950年(昭和25年)の夏、『長崎の鐘』を母に連れられて鑑賞したこと、
今でも心の片隅に残っている・・。
ここ数年、物忘れが多くなり、溜息を重ねたりしているが、
確か私が小学3年生の頃、 亡き脚本家の菊田一夫(きくた・かずお)さんが
『・・忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ・・』と、
名作の『君の名は』で遺(のこ)された名言に、私は独り微苦笑したりしている。
そして昨今でも、新聞、ネットのニュースなどを読んだり、テレビでニュースを視聴したりすると、
やがて数日後には、忘れてしまうこともあり、つたない私の小さな悩は、
収容できずオバー・フローになり、 忘れてしまうことで、悩が適度な記憶量に調整を図っている、
と無念ながら思ったりしている・・。
このような心情を秘めている私は、 《・・記憶障害は2種類・・》と読み、
どのような記憶障害なのょ・・