夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

都心の郊外は、5月のような陽気となり、買物メール老ボーイの私は、戸惑いながら微笑み・・。

2018-03-01 14:43:33 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の73歳の身であり.
今朝ぼんやりとカレンダーを眺め、2月の『如月(きさらぎ)』のカレンダーを見て、
愛惜を秘めながら破き、そして別れを告げたりした・・。

2月の日々も過ぎ去ってしまえば、実に早く感じられ戸惑ったりしてきた。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は68歳の家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後38年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに、日常を過ごしている。

       

今朝の7時過ぎ、テレビで地元の天気情報を視聴すると、
朝の6時は春の嵐の影響で小雨降る中、11度前後の暖かさとなり、
この後は急速に回復して快晴となり、昼下がりに19度前後の陽気となり、
午後の6時は13度前後の陽気が予測されます。

このような意味合いを報じて、19度前後の陽気は、5月のような陽気だよなぁ、
と私は戸惑ったりした。

やがて10時半過ぎ、いつものように家内から依頼された品を求めて、
平素の買物メール老ボーイの私は、冬用のスポーツ・シャツを着て、出かけたりした。

昨日は、12度前後の快晴の中、冬用のスポーツ・シャツに、カーディガン風のフリースを着ていたら、
少し熱く感じた私は、本日はカーディガン風のフリースは不要と感じて、
冬用のスポーツ・シャツだけで、颯爽と最寄のスーパーに行ったりした。

私は2月を過ごしてきた容姿は、上半身は冬のスポーツシャツの上に、カーディガン風のフリース、
下半身はアウトドアの丈夫な長ズボン、ウオーキング・シューズとなっている。
そしてA4サイズのバックを園児に真似て、斜め掛けして、颯爽と歩いたりしている。

こうした中で、北風が吹く日だけは、防寒着を重ね着をしてきた。

       

ここ数年の2月、私はぼんやりと思い馳せたりした・・。

いつものように買物を終えた後は、毎年のように我が家の周辺を三寒四温の中、
住宅街、遊歩道、公園などを独りでひたすら歩き廻り、冬麗の落葉樹の冬木立、或いは花を愛(め)でて、
季節のうつろいを享受してきた。

       

そして帰宅後は、我が家の小庭に健気(けなげ)に咲いてくれた水仙を眺めたりしてきた。
            

やがて確か20日頃だったと思われるが、玄関側にある小庭にある白梅が、遅れてご免なさい、と言ったように、
恥じらいながら数輪咲き始めて、やがて白梅は凛とした純白の色合いを早春の清麗の美として感じたりした。
            
ときおり玄関庭に下り立ち、昼下りの陽射しを燦燦と受けた白梅の花が、静寂の中に咲き、
私は微笑みながら、長らく見つめたりした。

                    

そして梅の純白の花は、ときおり微風が吹くと、
かすかに花びらが揺れて、まぎれない美を幼年期の頃から、私は感じたりしている。


しかし今年は、平年より寒く三寒四温には程遠く、五寒二温のように感じて、
我が家の水仙も莟(つぼみ)が膨らみ、数輪だけが咲いているのが現状となっている。

私の住む世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域では、
昨年の12月頃から平年より寒く、1月下旬には四年ぶりに20センチ前後の大雪が降り、
私は大いに戸惑ったりした。

我が家の白梅だけは、平年並みに愛でることが出来たが、
付近の公園にある早咲きの桜は、昨年の2月下旬には私は、小躍(こおど)りしながら鑑賞してきたが、
数日前には莟(つぼみ)が膨みかけていた状態であったりした。

このような思い馳せたりし、過ぎ去った『如月(きさらぎ)』の2月に愛惜を秘めながら別れを告げたりした・・。

       


そしてぼんやりと、2月の『如月(きさらぎ)』のカレンダーに愛惜を秘めながら別れを告げ、
新たな『弥生(やよい)』の3月のカレンダーを眺め、
お待ちしていましたょ、と何かとプラス思考の私は心の中で呟(つぶや)いたりした。

古来より2月は梅の花が咲き、3月は桃、やがて桜の花が咲いてきたので、
『桜月(さくらづき)』、『桃色(ももづき)』と称せられ、寒さが長らく続いた冬の季節が過ぎた後で、
暖かな春の訪(おとず)れに、数多くの人々は共有しながら悦(よろこ)び感じて過ごす時節である。

こうした思いで過ごしてきた私は、3月の時節は我が家の近くの遊歩道を歩き、
ときには小公園に寄ったりすれば、
毎年のように桃、やがて桜の花にめぐり逢え、私は小躍(こおど)りしながら歩いたりし、
3月の散策は少年のように悦び勇(いさ)んで歩き廻ると思われる・・。

こうした中で、欅(ケヤキ)、クヌギ、コナラ、モミジ、ツツジなど雑木は芽吹き、

          

幼年期に農家の児として育った私は、見惚(みと)れながらも何よりも愛惜を深めながら、
今年もしなやかに過ごしなさい、と天上人となっている両親、祖父などに励まされる季節となっている。

もとより3月を迎えれば、初旬には日本中の女の子をそれぞれのご家庭で慶(よろこ)び祝う『桃の節句』、
下旬の初めには新たなる旅立つの園児は『卒園式』、学童、学生は『卒業式』などが祝賀され、
こうした中で働いて下さる新たなる社会人の諸兄諸姉が、不安と希望を秘めてスタートされる時節でもある。

そして社会の中核である働いて下さる諸兄諸姉も、再就職や人事異動などで、
新たなる職場に配属され、戸惑いながらも意欲充分な志(こころざし)で、勤務される時期でもある。

私はこうした時節は、定年後に年金生活を過ごし14年生になった今、
それぞれの人々の人生の門出に、微笑ましく感じて過ごしている。

       

このような3月は、天上の気候の神々のきまぐれな采配により、
『春に三日の晴れなし』と古人からの伝えがあり、春の暖かな青空の快晴の日が長く続くことはなく、
少年や少女の多感の心情のように、天候は定まらないことに、齢ばかり重ねた私でも戸惑う時節でもある。

しかしながら私は、数多くの落葉樹は芽吹き、やがて桜花が観られる季節なので、
          

私は自宅付近の住宅路、遊歩道、或いは公園などを喜びながら歩き廻り、
見惚(みと)れる季節である。


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