夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『結婚記念日』、私たち夫婦は年月を重ねると変貌して、私は微苦笑して・・。

2018-03-31 15:28:59 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、たまたま昨日、私たち夫婦の結婚記念日であった。

いつものように平素と変わらず私たちは過ごし、夕食を頂いたりした。
そして私は五日毎に濃いウィスキーの水割りを呑むので、
家内は『菜の花のからしあえ』を特例として加わっただけである。

こうした中、いつものように談笑する中、
『僕たちの結婚記念日も・・変ったよねぇ・・』
と私は家内に微笑みながら話したりした。

『そうよねぇ・・』
と家内は微苦笑しながら私に言ったりした。

          

私たち夫婦は1976年〈昭和51年〉3月30日に、都心にある学士会館で結婚式、そして披露宴を終えた後、
最寄りにあるニューオータニに宿泊した。

翌年の初めて『結婚記念日』は、私はサラリーマンの多忙時であったが、
この世はロマンも大切だと私は思い深めて、
その週の土、日曜日を活用して、結婚当日の夜に宿泊したニューオータニに1泊2日で滞在した。

当日の夕食の時、家内は水色のロングドレスを着て、私も少し高価なブレザーを着たりしていたので、
ボーイさんから結婚披露宴後の新郎新婦と間違われて、私たちは微苦笑したりした。
そして私は背伸びして、私たちは高級ワインを呑みながら、フランス料理を頂いたりした。

翌日は庭園を散策したり、茶屋風で和菓子を頂き、濃茶などを呑んだり、
至福のひとときを過ごして帰宅した。

                      

翌年になると、幾たびか婚約期間にデートした時のひとつ銀座の食事処で、
夕食を頂き、記念日をお互いに祝ったした。

3年目になると、賃貸マンションから一戸建ちの引越し前後で、慌しい中、
披露宴でキャンドル・サービスの際、大きなキャンドル(蝋燭)を頂き、
これを新居の居間にある食卓テーブルで灯(とも)したりした・・。

この大きなキャンドルは、どうした訳か解からないが、25年まで目盛りが付いていた。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったが、数多くの夫婦は25年過ぎれば、子供達が成人し、
やがて次世代となるからだろう、と漠然としながら私は感じたりした。

私たち夫婦は確か10年目の頃までは、記念日の夕食の時は、キャンドルを灯して、
家内が改まった容姿で、私たちは居間で食事を頂いたりした。
そして互いにプレゼントの品を渡しあっていた・・。

その後は、私たち夫婦は共通の趣味のひとつは国内旅行であり、
私のサラリーマンの職務として、3月決算月は更に多忙期となったので、
2月に2泊3日で各地を訪ねて、記念旅行に変貌した。

          

2004(平成16)年の秋に定年退職後、多々の理由で年金生活となった私たち夫婦は、
家内からは旅行の宿泊数が多いのが良いわ、との要望で、
この記念日前後は、5泊6日前後の旅行となってきている。

我が家の私たち夫婦の両親は、家内の母だけとなり、遠い地に独り戸建に住んでいる。

ここ4年、家内は家内の妹と交互に、介護に泊りがけで行く日もある。
こうした時は、我が家は私が『おひとりさま』となっている。

そして結婚記念日の日も、ここ4年の中、私は我が家で『おひとりさま』で迎えた年も、
2回ばかりあったりしてきたが、こればかりはやむえないよねぇ、独り苦笑したりしてきた。

このように私たち夫婦は、年月を重ねると変貌して、私は微苦笑したりしている。

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