先程、ときおり愛読しているネットの【東洋経済オンライン】を見ている中で、
『 定年後、最高の人生を送るための4Kとは何か 』と見出しを見たりした。
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の73歳の身であるが、
どういうことですか・・と思いながら、定年後の人生のありかたの好奇心に負けて、精読してしまった・・。
この記事は、40代、50代の人が、幸せな定年後を送るために必要な「4K」とは?、テーマであり、
編集者・ライターの大住 奈保子さんが、
『定年を楽園にする仕事とお金の話 ~45歳からそなえる「幸せ老後」のキホン~』を上梓された
ファイナンシャル・プランナーの高伊 茂さんにインタビューなどをされて、纏(まと)められた記事である。
無断であるが、この記事を要約させて頂く。
《・・「老後もおカネに困らずに暮らしたい」。これは多くの人の願いだ。
だが、30~40代の人たちが「年金世代」になる頃には、
「年金の受給開始が70歳以上になる」とも言われる。
すでに、主に年金だけで暮らす「高齢者無職世帯」の家計は、月々3~6万円の赤字(総務省の家計調査)だ。
「定年を迎えたら、あとは退職金や年金で悠々自適」というライフプランは、過去のものとなりつつある。
「老後難民にならないために、今からしておくべきこと」とは何か。
☆「老後は年金でなんとか食いつなげる」は甘い考え
厚生労働省が発表した2016年の簡易生命表によると、
現在の平均寿命は男性で80.98歳、女性で87.14歳。
今は80歳以前にお迎えが来る人は、むしろ少数派だ。
これから、定年後の人生は、短く見積もっても20年。
「人生100年」と考えると40年もある。
そう考えれば、いかに「細々と暮らす」といっても、年金のみの収入では、不安になるだろう。
(略)実際に高齢者無職世帯の家計は赤字だ。
終身雇用制が事実上崩壊し、少子高齢化が進む現在、40~50代は今の高齢者より退職金も年金も少なくなる可能性が高い。
「老後は年金があれば、なんとか食いつなげるだろう」という考えでは
早々に貯蓄が底を尽き、「老後難民」まっしぐらになりかねない。
☆老後の不安は、おカネがあるだけでは消せない
しかも、実はおカネが多少あっても、老後の不安は消えないのだ。
英国など他の先進国の事例でもわかるように、老後の不安要素としておカネと並んで多いのが、孤独だ。
たとえ年金も退職金も必要ないほど潤沢な蓄えがあったとしても、
それだけで幸せな老後が約束されるわけではない。
実際に第一線を退いた60代の2人に話を聞こう。
Cさん(60代女性)
「夫は現役時代、自他共に認める仕事人間だったのですが、定年を境に人が変わったように無気力になりました。
一日中何もせずにボーっとしていて、口を開けば文句ばかり。家庭の空気も悪くなるばかりです」
Dさん(60代男性)
「仕事を辞めて時間的にゆとりが出たはずが、かえって体調が悪くなりました。
出社時間や『平日』『休日』というメリハリがないためか、生活のリズムが崩れてしまったことが一因かもしれません。
気分もすぐれず、新しいことに挑戦しようという気持ちにはなかなかなれません」
もちろん、CさんやDさんのような人ばかりではなく、
仕事や趣味に、あるいはその双方で、60歳以前だったときよりも輝いている人も多いはずだ。
では、「幸せな老後」の定義とは、いったい何なのだろうか。
ファイナンシャル・プランナーの高伊 茂さんによると、幸せな老後への近道は「4K」を満たすことなのだという。
◎一般的に大事だとされるおカネ(経済)、
◎からだ(健康)、
◎こころ(生きがい)に加えて、
◎私は家族(パートナー、仲間なども含む)も幸せな老後に欠かせないものだと考えています。
☆「老後難民になる人」、「ならない人」の差は何か
高伊 茂さんによると、「さみしい老後を過ごすことになる人は
『80歳くらいになればお迎えが来るだろう』などと考え、定年後のライフプランニングを軽視している傾向にあります。
90歳から100歳まで生きるという前提のもとで、現実的なライフプランを立てることが大切です。
そのためには、早いうちから家計収支を把握したり、保有資産を整理しておくことも必要です。
『おカネの管理はパートナーに任せきり』というのではいけません。
或いは投資の知識も必要で、「投資経験を積んでいなかったために、
退職金などまとまったおカネが入ったときに、怪しい投資話に引っかかる人が後を絶たないので、
若いうちから少しずつ、投資の感覚を身に付けておくことが大切だ。
もとより年金はいつから、どのくらいもらえるのか。
保険にはどんな種類があり、それぞれどんな違いがあるのか。
よく研究してライフプランに組み入れてみるといい。
こうした学びの中で、自分に必要な貯蓄額や保障の内容が自然とわかり、
漠然とした老後の不安から解放される。
定年が楽園になる人と地獄になる人――。
今気づけば大丈夫。
幸せな老後に向けて、コツコツと準備を始めよう。・・》
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後39年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住んでいる。
私たち夫婦はお互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂き、程ほど貯金を取り崩しながら、
ささやかに過ごしている。
私は中小業の民間会社に35年近く奮戦して2004年〈平成16年〉の秋に定年退職を迎えたが、
この間、幾たびかリストラがあったりしたが、何とかくぐり抜けたが、
最後の5年半はリストラ烈風となる中、出向となったりした。
こうした時、私たち夫婦は遅ればせながら第二の人生について、話し合ったした。
具体的には、どのような生活をしたいか、であった。
やがて年金を受け取り、お互いの趣味を尊重してささやかに生活して、
ときたま国内旅行ができれば・・と漠然としながら私たち夫婦の結論であった。
こうした中で、経済にも疎(うと)い私が、
信愛している経済ジャーナリストの荻原博子さんなどの数多く著名人の寄稿文を読んだりした。
そしてデフレ経済の蔓延している中、定年時に持家(マンションか戸建て)のローンは返済完了となり、
預貯金が3000万円あれば、公的年金を受け取りながら堅実に年金生活をし、
少しづつ取り崩して生活すれば、少しはゆとりのある年金生活ができるかしら、と学んだりした。
やがて私は出向先で2004年(平成16年)の秋に、何とか定年退職を迎えることができた。
そして、私は出向身分であったので、リストラ烈風の中、
社員を自主退職させる希望退職優遇制度などの免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。
しかしながら根底の実情は、この当時は大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もない私は、
自身の力量のなさを悟(さと)ったりした・・。
そして何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまったので、
やむなくサラリーマン生活を卒業した。
このように私のつたないサラリーマン時代であり、もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートとは、遥かに遠い存在である。
私の年金生活の日常は、このサイトに幾たびに記載してきたので、
今回は省略する。
そして私たち夫婦は、幸運にも大病に遭遇しないで、今日に至っている。
私は今年の9月の誕生日を迎えると、恥ずかしながら74歳となる。
過ぎし年にゴールデン・イヤーズと称される60代を卒業し、
定年退職をするまで、何かとつたないサラリーマン航路を歩んだ為か、
我が人生として、予測した以上に安楽な期間を享受できたりしてきた・・。
そして70代を過ごし始めると、ときには60代の日々に愛惜を重ねたり、
これから到来する日々に期待を膨らましたり、微笑んだりしている。
或いは、ときおり物忘れもあり、やむなく人生は気合だ、と自身を叱咤激励をしたりしてきた。
☆過ぎし年、旅先で偶然にめぐり逢えた私が敬愛している書家・詩人の亡き相田みつを氏の扁額
こうした中、70代を迎えてからは、心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命を意識して、
確かな『生きがい』と『健康』、そして『気力』を持続できるようにと願いながら
プラス思考で過ごしているのが実態となっている。
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体と信愛し、年金生活を過ごしている。
このように私は定年退職まで、何かと悪戦苦闘が多かった私は、私なりに年金生活を享受しているので、
つたない人生航路を歩んできた私でも、『先憂後楽』の人生かしら、と微苦笑をする時もある。
今回の記事に於いて、幸せな老後への近道は、
一般的に大事だとされるおカネ(経済)、からだ(健康)、こころ(生きがい)、そして家族(パートナー、仲間なども含む)、
と学び、つたない人生航路を歩んできた私は、恥ずかしながら、そうですよねぇ・・
と微苦笑を重ねたりしている。