夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

朝、目覚めてぼんやりと微睡(まどろ)む時、やがて二度寝ができることは、この世で最も贅沢なひととき、と私は微笑み・・。

2018-03-14 15:38:47 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後39年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住んでいる。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中、私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、
『働らなくても、何とか生活ができるので助かるわ・・』、
と家内がときおり、 呟(つぶや)くように私に言ったりする。

『そうだよねぇ・・』
私は苦笑しながら応じたりしている。

       

私は私は中小業の民間会社に35年近く奮戦して2004年〈平成16年〉の秋に定年退職を迎えたが、
この間、幾たびかリストラがあったりしたが、何とかくぐり抜けたが、
最後の5年半はリストラ烈風となる中、出向となったりした。

やがて私は出向先で2004年(平成16年)の秋に、何とか定年退職を迎えることができた。
     
そして、私は出向身分であったので、リストラ烈風の中、
社員を自主退職させる希望退職優遇制度などの免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。

しかしながら根底の実情は、この当時は大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もない私は、
自身の力量のなさを悟(さと)ったりした・・。

そして何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまったので、
やむなくサラリーマン生活を卒業し、年金生活を始めた・・。。


このように私のつたないサラリーマン時代であり、もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートとは、遥かに遠い存在である。

       

世の中の数多く60代の諸兄諸姉は、人生の苦楽を重ねた後、
何かと安堵しながら、身も心も溌剌と過ごせる人生の黄金時代と称せられるゴールデン・イヤーズの中、
知人、友人から何かと嬉しい、楽しげな便りを数多く受けたりしてきた・・。

そして私でも、過ぎ去った60代の10年間の年金生活の日々は、
定年退職時までは何かと悪戦苦闘が多かった為か、
私の人生の中で何より安楽な時代、と思い重ねたりして享受してきた・・。

                        

2004年(平成16年)の秋、年金生活の当初は、
現役サラリーマン時代は悪戦苦闘が多かった為か、解放感で高揚したりした・・。

そして独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。

何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりした。

       

私たち先輩、そして私たち同世代、少し若い団塊世代のサラリーマンの多くは、
もとより職務、そして家計の責務で、睡眠時間を削り奮戦してきた。

私も職務を果たす為に、奮闘して、平日は睡眠時間を削ることが多く、
休日のひとときに昼寝などをした補(おぎな)ってきた。

或いは若き40歳前後は、コンピュータ自社導入のシステム開発、運営業務などで、
徹夜も幾たびもして、今働くなくていつ働くょ、と自身を叱咤激励したりしてきた。

やがて最後の5年半はリストラ烈風の中、あえなく出向となったりし、
従来の都心の本社勤務地より、遠方となり、朝の4時45分に起床して、帰宅できたのは午後9時前後が多く、
出向先の不馴れな物流センターで、自分の敵は自分だ、と奮(ふる)い立たせたりした。

                 

やがて年金生活の当初は、朝、布団(ふとん)の中で目覚めた後、
もう会社に行かなくてよいんだ、と安堵感に微睡(まどろみ)ながら微笑んだりした。

そして二度寝などを甘享したりすると、夢の中で職務上の成功体験の出来事より、失態した出来事が多く、
目覚めた後、独り苦笑したりしてきた。


やがて数年後はサラリーマン時代の夢は激減し、
朝まどろむ時、夢と現(うつつ)の世界を往還するように、今日はどこを散策しょうか、
駅前の本屋に行き、あの本を買い求めようか、などを思い馳せたりしてきた。

或いは家内と国内旅行に行き、旅先のロビー、食事処で隣席して談笑した人たちを思い浮かび、
たとえ一期一会でも、人生の微笑みひとときを過ごせた、と走馬灯ように感じたりしてきた。

                        

ここ一週間、布団にもぐるのは、真夜中の12時前後であり、
目覚めるのは朝の5時半ぐらいが多くなっている。

こうした中で、現役サラリーマン時代だった時と違い、悩みは激少している為か、
たとえ震度3ぐらいの地震でも、 目覚めることなく熟睡している。

そして目覚めた時、ぼんやりと昨日は・・と思い浮かべたり、
今日は・・と予定事項を思い浮かべたりしている。

まもなく15分ぐらい過ぎた時、オシッコだ、と感じて、布団から起きだすことが多くなっている。
       
しかしながら、やがて布団のぬくもりが恋しい為か、布団に戻ってきてしまい、
枕元で昨夜読んでいた本を開き、読み出したりする。

まもなく30分ぐらい本を読んでいた為か、疲れを感じて目を閉じているうちに、
眠ってしまった・・。

やがて一時間ぐらい二度寝した後、目覚めてぼんやりとまどろんだりした・・。

       

過ぎし日の出来事とか、これからのささやかな願いの数々が、
夢と現(うつつ)の世界を彷徨(さまよ)うようなひとときとなっている。

そしてぼんやりとして正気には程遠く、
やがて起床して、煎茶を飲んだりして、正気になり微苦笑することが多くなっている。

このように朝、目覚めてぼんやりと微睡(まどろ)む時、やがて二度寝ができることは、
貧富に関係なく、この世で最も贅沢なひととき、と私は微笑んだりしている。


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