夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

定山渓温泉、冬の周辺の遊学記《10》 第9章 小金湯温泉の湯処は

2014-02-19 18:09:38 | 
       第9章 小金湯温泉の湯処は

過日、地下鉄の南北線の『真駒内』駅と滞在している定山渓温泉地の間を路線バスで、
幾たびか往還している時、バスの車内で、『温泉 日帰りパック』と題されたパンフレットがあり、
私は手に取って、読んだりした・・。

何かしら『定山渓』、『豊平峡』、『小金湯』の温泉地が、
札幌駅・真駒内駅から各温泉地に往復バスが運行されている、と知ったりした。

そして温泉大好きな家内にパンフレットを手渡すと、
『小金湯温泉は近い処だし・・行ってみたいわ』
と私に言ったりした。
          
          
私たちは滞在している『定山渓』は、少なくとも毎朝夕は入浴しているし、
『豊平峡』は3日に訪れて、予期した以上に満喫して、旅の最終日に寄ろうと決意しているが、
『小金湯』は未知であり、札幌の市民等から愛されているような温泉地であり、
滞在している間、行って見よう、と私たちは話し合ったりした。

2月9日 小金湯温泉『湯元 小金湯』
この日、私たちは路線バスで10余分足らずの『小金湯』に向った。
そしてバス停を降りたが、めざした『湯元 小金湯』の館を5分ぐらい彷徨(さまよ)った後、
バス停より5分ぐらい歩いた先にあった。

『湯元 小金湯』の館内は、ゆったりとしたクアハウス形式であった。
そして私は入浴後、館内の食事処でジャガイモのベーコン巻きを昼食代わりにして、
ビールを呑んだりして、家内を待ちわびた。

やがて合流した後、家内はフライトポテト、台湾風のアイスクリームなどを賞味したりした。

その後、家内は再び入浴してくる、と言ったりしたので、
私は館内をめぐっていた時、休息室のような一室があった。

数多くのリクライグ・シートがあり、多くの方はシートに座り、静粛な室であった。
私もリクライグ・シートに身を寄せて、持参した本を読んだりした。

そして時折前景の雪景色を見たりすると、時が止まったように感じ、
やがて私はまどろみながら寝付いてしまった・・。
そして目覚めた時、家内が隣席に座っていて、
この後、別室に移動した時、少し鼾(いびき)をしていましたょ、と家内から私は言われたりした。

そして私は天国にいたような甘受の時を過ごし、この世の贅沢なひとときを共にした、
と微笑んだりした。


2月13日 小金湯温泉『まつの湯』
私たちは2月9日に小金湯温泉『湯元 小金湯』に初めて訪れて、予期した以上に湯処に満足し、
この湯処の近くに、もう一軒の湯処の『まつの湯』が気になった。

そして滞在している間に行かなければ、のちに後悔しても・・と思いもあり、
家内の誘惑により、69歳の体力の衰えた私でも、行きましょう、と元気な声で言ったりした。

しかし滞在している観光ホテルを出て、路線バスに乗車している間、
小雪から風も伴う本降りのような雪の状況となった。

そしてバス停を降りたつと、5分少しで『まつの湯』に到着すると思いながら、歩いたりした。
          

やがて傘を差していても防寒コートは雪まみれとなり、『まつの湯』に到着した。

そして私は大浴場、露天風呂に30分ばかり浸かったりしていると気分爽快となり、
私は細長いテーブルが数多く並びられている大広間の片隅で、
私たちの利用客は10数名であったので、座布団を三枚お借りして横たわったりした。

その後、家内を待っている間、ビールを2杯お代りしていると、
雪は止み、陽射しが射し込んできた・・。

宿泊滞在している定山渓、豊平峡、そして市内、或いはこの小金湯の地域でも、
天候が激しく移ろうので、私は微苦笑したりした。

やがて家内と合流した後、私はビールのおつまみ・・
そして家内は軽食に、何かないかしら、とメニュー表を見たりした。


私たち夫婦は、たまたま小金湯温泉の『湯元 小金湯』、『まつの湯』、
或いは豊平峡の『豊平峡温泉』の湯処に満喫させられ、
それぞれ魅了された湯、くつろげる休憩室があり、湯処の三冠王かしら、と実感を深めたりした。

そしていずれの湯処も程ほどの格安な値段で入浴できるので、
私が札幌の市民だったら、毎週一度はこの中の一軒を訪ねると、
月に少なくとも湯処の三冠王を入浴でき、休憩室でくつろげる、と妄想したりした・・。

                                         《つづく》
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定山渓温泉、冬の周辺の遊学記《9》 第8章 『定山渓グランドホテル端苑』の館内

2014-02-19 13:47:52 | 
       第8章 『定山渓グランドホテル端苑』の館内

2月9日
私たち夫婦は定山渓温泉地の片隅にある『定山渓グランドホテル端苑』に、
2月2日の夜から13泊し、15日の朝には辞するが、
この日の9日の朝は、雪が本降りとなっていた・・。
          
この日まで市内の各地、付近を周遊したりしてきたので、少し疲れを感じて、
この日は館内でのんびり過ごそう、と私たちは話し合ったりした。

そして朝食後はいつものようにロービーの片隅で、わずか二紙の新聞が置いてあり、
私は地方紙の『北海道新聞』、そして全国紙の『読売新聞』を読んだりした。
          
この滞在期間に、私は期日前投票した都知事選の結果に微苦笑したり、
或いは大雪が全国的に各地が困憊している情況を学び、憂いたりした。

ときにはロビーの渓谷側に面した所から、渓谷を眺めたりした。
          
或いはロビーの中心にある状景を見たりする時もあったりした。
          

こうした中で、私たちの指定された6階の一部屋が、大浴場、露天風呂に行く時は、
この2階にあるロビーを通り過ぎなければいけないので、
ロビーの中央付近にある若き女性に、こっそりと見つめたりする時もあった。
          

2階にある大浴場は、『希みの湯』と称されて、露天風呂も隣接されて、雪景色が一望でき、解放感がある。

或いは1階にある大浴場は、『祈りの湯』命名され、露天風呂も隣接されて、静かに湯浴み出来る所であった。
そして低温のサウナが設置され、サウナの高温に苦手な私は低温だったら大丈夫かしら、
と思いながら、この日に挑戦した。

そしてこの室内から、ベートーヴェンのピアノソナタの『月光』が流れて、
低温サウナに身をあずけて、私は聴いたりしていると、なるほどねぇ・・この曲は確かに合うねぇ、
と微笑んだりした。

私は楽譜も読めず、楽器も弾けない拙(つたな)い身であるが、音楽を聴くのは好きな方で、
このベートーヴェンのピアノソナタの『悲愴』とか『熱情』も魅了されている曲となっているので、
この『月光』の後は何の曲がかかるかしら、と漠然と思ったりしていると、
熱さを感じてきて、私は退散してしまった。

そしてこの日は、ぐうだらな私でも、この後は持参した本を
部屋に戻った後に、ベットに横たわりながら読んだりしていた
             
この本は2008年(平成20年)12月下旬に4泊5日で札幌に訪れ、
初めて『さっぽろホワイト・イルミネーション』を観た時、
吉田武三(よしだ・たけぞう)・著作の『武四郎つれづれ ~北の風土記』(北海道新聞社)を買い求めて、
遅ればせながら北海道の名付け親と称せられる松浦武四郎の道内をくまなく踏査の偉業を学んだりした。

そして少しボケてきた私は、復習ねぇ、と思いながら今回再読した。
                                         《つづく》
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定山渓温泉、冬の周辺の遊学記《8》 第7章 『北海道開拓の村』を初めて訪ねて

2014-02-19 06:35:13 | 
       第7章 『北海道開拓の村』を初めて訪ねて

2月8日
もとより北海道は、アイヌの人々が住み、その後の江戸時代の後期には、徳川幕府の意向に基づいて、
道南の松前地方を中核に移住され、
やがて明治時代になると、政府の奨励により、東北、北陸、中部地方などの一部の人々が本格的に移住され、
悪戦苦闘の苦難を得て、北海道の各地が少しづつ開拓されてきた。

こうした明治から昭和初期に及び、北海道で建築された建造物が、
『北海道開拓の村』に於いて、移築復元・再現されている、と私は遅ればせながら知り、
北海道の開拓の歴史の一面を学ぼう、と家内を誘って、私たちは初めて訪れた。

そしてこの日の8日、私たち夫婦は宿泊している近くの『定山渓車庫前』のバス停より、
                   
路線バスに乗り、地下鉄の南北線の『真駒内』駅に向かい、
その後『真駒内』駅から『大通』駅に着いた後、地下鉄の東西線に乗り換えて『新さっぽろ』駅に向かった。

そして『新さっぽろ』駅を生まれて初めて下車すると、この駅はJR千歳線の『新さっぽろ』駅と合体する
大きな駅ビルだったので、戸惑いながら『開拓の村』行きのバス停を探したりした。

まもなく駅ビルの一面がバス・ターミナルのように各方面のバス停となっていた。

やがて私たちは『開拓の村』行きのバスに乗車すると、車窓から新さっぽろの街並みを観たり、
まもなくバスが『森林公園』駅前に着き、周辺の状景に魅了され、後でJR函館本線のひとつの駅だった、
と学んだりした。

そして再びバスは走ると、樹木豊かな一帯となり、私は見惚れてしまった・・。
まもなく広大な『野幌(のほろ)森林公園』の中に於いて、
『北海道開拓の村』、『北海道開拓記念館』、『百年記念塔』があると知ったりした。

やがて『開拓の村』のバス停に到着いると、なだらから丘の上に、
管理棟と活用されている旧札幌停車場の大きな建物が聳え立ち、
私たちは受付となっている大きな建物を目指して歩いた。
          

やがて『開拓の村』の村内に入ると、この冬期の土・日・祝日・さっぽろ雪まつり期間中に限り、
馬そりに乗って主要な村内を観られる、と動物好きな家内は事前に調べて折、
何かと動物の苦手な私を誘った。
          

やがて若き清麗な案内嬢の解説を聞きながら、市街地、漁村、農村、山村の各群のそれぞれ建物を観たりした。

この後、私たちはこの村内の中を数時間歩き廻ったりした・・。
          

そして明治、大正、昭和の時代に、この北海道の各地で苦楽を共にし、
生活された人々の住居、郵便局、学校、府舎などを多々教示させられた。
          

          

こうした中で、欧米人風の50代の男女の6名のグループに逢ったりし、
          
この館の60代の男性の解説者を共に聞いたりした。
そして解説される方が、英語の単語を幾たび重ねながら、解説されていたのに私は好感を深めたりした。
                                         《つづく》
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