夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
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2月の石垣島と周辺の島々の情景は・・。《6》第5章 サンセット・クルーズ、初めてヨットに乗船

2014-02-08 08:31:08 | 旅のあれこれ
     第5章 サンセット・クルーズ、初めてヨットに乗船

2月10日(日)
私たち夫婦は昼過ぎまで、 陽射しを燦々とする中で、川平湾の風光明媚な情景を観たり、
食事処のサンテラスで、バラソルの下で私は煙草を喫いながら、ビールを呑んだりし、至福のひとときを過ごしたりした。
家内はトロピカル風のジュースを飲んだりして、前日までの不安定な天候の中、
雨時々曇り、ときおり風強しが多く、苦い日々を過ごしてきたので、お互いに爽快の時を共にした。

この後、路線バスを利用して、石垣市の街中を散策したし、喫茶店のような所で休息していた時、
『XXちゃんさぁ・・夕方に《サンセット・クルーズ》ツアーの追加をしてみない?』
と私は家内に問いかけた。

私たちが滞在しているホテルのフロントの一角にある観光専門スタッフが常駐しているが、
初めて到着した7日の夕食後に、このコーナーの横にある観光ツアーのパンフレットで、
《サンセット・クルーズ》を知り、私たちは瞬時に魅了されて、
このスタッフの方に13日の水曜日のツアーを申し入れ、やがて確定した。

しかしながら《サンセット・クルーズ》は、夕陽に恵まれないと意味はなく、
私たちは今回のこれまでの旅路は、何かと雨時々曇りで、ときおり風も強い、
淡き陽射しが射したら、まもなく曇り、小雨となり、本日が初めて陽射しが安定した日であった。

このような状況であったので、天候か観光オプション・ツアー施行先の事情で中止も考えられるので、
私は家内に言ったりしたのである。

そして家内は承諾し、やがては観光専門スタッフに急遽本日の追加を申し入れ、
結果としては本日の午後6時から7時半の《サンセット・クルーズ》となった。


私は過ぎし55歳のサラリーマンの現役時代に於いて、会社でハワイ旅行が施行され、
私はオプションのひとつとして《サンセット・クルーズ》に参加したが、
大きな観光船の上、何よりも曇り空で無念の思いの体験があったりした。

こうした私の秘めたる想いで、私たち夫婦は午後5時過ぎに、ホテルのロビーで待機していた時、
何かしらヨットで《サンセット・クルーズ》と聞いていたので、
私たちのような観光の乗船客は6名前後かしら、と私は家内と談笑していた。

まもなく欧米人のような方で細身の長身の容姿の40代の男性が、
私たちの近くに来て、
『XXさんですか? 私が本日の《サンセット・クルーズ》担当するXXXXです』
と私に日本語で挨拶した。

私は観光ツアーの方は日本人の男性で船長のアシスタントの若き男性を想定していたので、
少し驚いたが、家内は全く予測していなかったので、後であの時は驚いたわ、と私に言ったりした。

そしてこの欧米人風の男性に導かれて、送迎車に乗り、やがてヨットが係留されている桟橋に行った。

やがてアシスタントもいなく、この欧米人風の男性がたった独りで操縦、案内人と知り、
私たちは最後部の椅子席に腰かけた。
                  
私たちか何よりも驚いたのは、乗客の観光客は私たち二人だけで、
貸切船で贅沢この上もなく、と私は感じたりした。

そして桟橋を離れて、やがて海上保安庁の巡視船(?)が視られると、
          
『何かとお忙しくて・・大変ですねぇ』
と操縦士兼案内人の欧米人風の男性は私たちに言ったりし、
          
私は瞬時に尖閣諸島の中国、台湾との紛争を思い重ねて、この操縦士兼案内人の欧米人風の男性に好感した。


まもなくして私は、
『海がお好きなようで・・ヨットの経歴は長いのですか?』
このような意味合いの言葉を操縦士兼案内人の欧米人風の男性に重ねた・・。
          
『私は(アメリカ)テキサスの北部の生まれで・・20歳の少し前にヨットに魅せられました・・。
そして1997年から・・この地で《サンセット・クルーズ》しています』
とこのアメリカ人の40代の方は言ったりした。

私は若き頃からヨットに魅了され、各国の海をヨットでクルージングされ、
やがてこの石垣港で、《サンセット・クルーズ》ツアーを施行された、と知った。
             
そして私は映画の『ジャイアンツ』(1956年の作品)でテキサスの時代の変貌、
或いは『大いなる西部』(1959年の作品)で牧場の経営者の娘の婚約者が、
初めて広大な牧場に訪れ、牧童頭に案内される時、
「この牧場は広いだろう・・」と言われて、
「海の方が広いょ」と婚約者の海の男が応えたシーンを
アメリカ人の40代の方に映画のタイトル、主演のスターを英語の単語を駆逐して、私は話しかけたりした。

やがて私は、たまたま同じカメラと知ったりして共感を深めたり、
そして住んでいる処の思い、家族のことなども含めて、私たち夫婦は親睦を深めて談笑を重ねたりした。
          
                  そしてご当人の承諾を得て、私は記念に撮った。

この後、海をこよなく愛し、少し寡黙な男を私は《ヨットマン》と秘かに名付けたりした。
          
そして私たち三人は移ろう時の海上の波、夕暮れの陽射し、雲の流れを見つめたり、
               
こうした中で、私の好きな光景のひとつは。
               
その間に、私と《ヨットマン》は、デジカメで盛んに情景を撮ったりした。
          
このような光景は、海上のヨットの低い角度から、初めて撮れる一葉と思ったりしている。
          

          

          

                                       《つづく》
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