私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であり、
昨夜、総合月刊雑誌の『中央公論』(6月号)の深夜まで読んでいるうちに寝付いた。
今朝、5時少し前に目覚め、トイレでオシッコを終えて、
洗面台の横の窓を開けて外を眺めると、
雨上がり清々しい情景を見たりし、日中は快晴を予感させるような朝の陽射しも見た後、
まだ早いじゃないの、と眠さが残っていたので、再び寝室に戻ると、
家内は目覚めて、起きだして何かしら洗濯に取り掛かっている様子であった。
そして私は寝室の雨戸を開けて、障子越しのおだやかな陽射しを受ける寝室の中で、
私は布団にもぐり『中央公論』の読み残した寄稿文を読んだりした・・。

過ぎし10日の夕方、私は作家の塩野七生(しおの・ななみ)氏の寄稿文を読み、
つたない私でも叱咤されたりした。
この寄稿文は、総合月刊雑誌の『文藝春秋』(6月号)に於いて、
私は敬愛している塩野七生氏の連載寄稿文『日本人へ』(121)の中で、
《・・世間でまかり通っている一句に、賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶ、というのがある。
たがあれは、真赤な嘘である。
賢者は、歴史からも経験からも学ぶことができる人で、
愚者は、歴史からも経験からも学ぶことができない人、と言い換えるべきである。
なぜなら、歴史とは経験の集積にすぎないからである。・・》
引用先・『文藝春秋』(6月号)93ページ
この時の私は居間でソファーの座り、読んでいたのであるが、思わず絨毯の上に正座で座り直し、
そうですか、と何かと劣等感を秘めた私は、うなだれてしまったのである。

このような思いのある私は、せめてと思いながら読み残した『中央公論』の各氏の寄稿文を、
早朝のひととき読んだりした・・。
まもなく寝付いてしまい、目覚めたのは7時過ぎであった。
この後、居間に下り立ち、まばゆい陽射しが射し込む小庭を眺めたりした。
そしてNHKのテレビニュースをぼんやりと視聴していると、
家内は奥の和室を掃除をしていて、まもなく居間に戻った時、
『二度寝してしまったょ・・』
と私は家内に照れながら言ったりした。
『たまには・・よろしいじゃないですか』
と家内は笑いながら私に言った。

この後、現役のサラリーマン時代は誰しも業務は時間で競争するようにしていたし、
我が家は年金生活の今は、時間で勝負する時代は確かに終った、
とぼんやりと実感したりした。
私は中小業の民間会社に勤め、定年した2004(平成16)年の秋の前の5年間は、
リストラの烈風の中、私は出向となり、遠方の勤務地の為、
起床が4時45分とし、そして始発のバスに乗り、小田急線の電車の通勤途上で、
冬の時節の時は日の出を迎えたりしていた。
帰宅も夜の9時過ぎが多く、もとより睡眠不足となり、
休日の時の昼下がりに昼寝をして補(おぎな)ってきた体験がある。
そして50代の後半で、体力テストは勘弁してほしい、と思いながらも、
自分の敵は自分であり、努力しなければ何事も手に入らない、と奮闘してきた・・。
こうした私のささやかな体験があるので、年金生活をしている今、
ときには二度寝をして寝坊できることは、
年金生活の何よりの特権かしら、と心の中で呟(つぶや)いたりした。
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昨夜、総合月刊雑誌の『中央公論』(6月号)の深夜まで読んでいるうちに寝付いた。
今朝、5時少し前に目覚め、トイレでオシッコを終えて、
洗面台の横の窓を開けて外を眺めると、
雨上がり清々しい情景を見たりし、日中は快晴を予感させるような朝の陽射しも見た後、
まだ早いじゃないの、と眠さが残っていたので、再び寝室に戻ると、
家内は目覚めて、起きだして何かしら洗濯に取り掛かっている様子であった。
そして私は寝室の雨戸を開けて、障子越しのおだやかな陽射しを受ける寝室の中で、
私は布団にもぐり『中央公論』の読み残した寄稿文を読んだりした・・。

過ぎし10日の夕方、私は作家の塩野七生(しおの・ななみ)氏の寄稿文を読み、
つたない私でも叱咤されたりした。
この寄稿文は、総合月刊雑誌の『文藝春秋』(6月号)に於いて、
私は敬愛している塩野七生氏の連載寄稿文『日本人へ』(121)の中で、
《・・世間でまかり通っている一句に、賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶ、というのがある。
たがあれは、真赤な嘘である。
賢者は、歴史からも経験からも学ぶことができる人で、
愚者は、歴史からも経験からも学ぶことができない人、と言い換えるべきである。
なぜなら、歴史とは経験の集積にすぎないからである。・・》
引用先・『文藝春秋』(6月号)93ページ
この時の私は居間でソファーの座り、読んでいたのであるが、思わず絨毯の上に正座で座り直し、
そうですか、と何かと劣等感を秘めた私は、うなだれてしまったのである。

このような思いのある私は、せめてと思いながら読み残した『中央公論』の各氏の寄稿文を、
早朝のひととき読んだりした・・。
まもなく寝付いてしまい、目覚めたのは7時過ぎであった。
この後、居間に下り立ち、まばゆい陽射しが射し込む小庭を眺めたりした。
そしてNHKのテレビニュースをぼんやりと視聴していると、
家内は奥の和室を掃除をしていて、まもなく居間に戻った時、
『二度寝してしまったょ・・』
と私は家内に照れながら言ったりした。
『たまには・・よろしいじゃないですか』
と家内は笑いながら私に言った。

この後、現役のサラリーマン時代は誰しも業務は時間で競争するようにしていたし、
我が家は年金生活の今は、時間で勝負する時代は確かに終った、
とぼんやりと実感したりした。
私は中小業の民間会社に勤め、定年した2004(平成16)年の秋の前の5年間は、
リストラの烈風の中、私は出向となり、遠方の勤務地の為、
起床が4時45分とし、そして始発のバスに乗り、小田急線の電車の通勤途上で、
冬の時節の時は日の出を迎えたりしていた。
帰宅も夜の9時過ぎが多く、もとより睡眠不足となり、
休日の時の昼下がりに昼寝をして補(おぎな)ってきた体験がある。
そして50代の後半で、体力テストは勘弁してほしい、と思いながらも、
自分の敵は自分であり、努力しなければ何事も手に入らない、と奮闘してきた・・。

こうした私のささやかな体験があるので、年金生活をしている今、
ときには二度寝をして寝坊できることは、
年金生活の何よりの特権かしら、と心の中で呟(つぶや)いたりした。
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