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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ときには二度寝を甘受して、年金生活の何よりの特権かしら、と微笑みながら・・。

2013-05-17 14:39:36 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であり、
昨夜、総合月刊雑誌の『中央公論』(6月号)の深夜まで読んでいるうちに寝付いた。

今朝、5時少し前に目覚め、トイレでオシッコを終えて、
洗面台の横の窓を開けて外を眺めると、
雨上がり清々しい情景を見たりし、日中は快晴を予感させるような朝の陽射しも見た後、
まだ早いじゃないの、と眠さが残っていたので、再び寝室に戻ると、
家内は目覚めて、起きだして何かしら洗濯に取り掛かっている様子であった。

そして私は寝室の雨戸を開けて、障子越しのおだやかな陽射しを受ける寝室の中で、
私は布団にもぐり『中央公論』の読み残した寄稿文を読んだりした・・。
     

過ぎし10日の夕方、私は作家の塩野七生(しおの・ななみ)氏の寄稿文を読み、
つたない私でも叱咤されたりした。

この寄稿文は、総合月刊雑誌の『文藝春秋』(6月号)に於いて、
私は敬愛している塩野七生氏の連載寄稿文『日本人へ』(121)の中で、
《・・世間でまかり通っている一句に、賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶ、というのがある。
たがあれは、真赤な嘘である。

賢者は、歴史からも経験からも学ぶことができる人で、
愚者は、歴史からも経験からも学ぶことができない人、と言い換えるべきである。
なぜなら、歴史とは経験の集積にすぎないからである。・・》
引用先・『文藝春秋』(6月号)93ページ

この時の私は居間でソファーの座り、読んでいたのであるが、思わず絨毯の上に正座で座り直し、
そうですか、と何かと劣等感を秘めた私は、うなだれてしまったのである。
     

このような思いのある私は、せめてと思いながら読み残した『中央公論』の各氏の寄稿文を、
早朝のひととき読んだりした・・。
まもなく寝付いてしまい、目覚めたのは7時過ぎであった。

この後、居間に下り立ち、まばゆい陽射しが射し込む小庭を眺めたりした。
そしてNHKのテレビニュースをぼんやりと視聴していると、
家内は奥の和室を掃除をしていて、まもなく居間に戻った時、
『二度寝してしまったょ・・』
と私は家内に照れながら言ったりした。

『たまには・・よろしいじゃないですか』
と家内は笑いながら私に言った。
     
この後、現役のサラリーマン時代は誰しも業務は時間で競争するようにしていたし、
我が家は年金生活の今は、時間で勝負する時代は確かに終った、
とぼんやりと実感したりした。

私は中小業の民間会社に勤め、定年した2004(平成16)年の秋の前の5年間は、
リストラの烈風の中、私は出向となり、遠方の勤務地の為、
起床が4時45分とし、そして始発のバスに乗り、小田急線の電車の通勤途上で、
冬の時節の時は日の出を迎えたりしていた。

帰宅も夜の9時過ぎが多く、もとより睡眠不足となり、
休日の時の昼下がりに昼寝をして補(おぎな)ってきた体験がある。

そして50代の後半で、体力テストは勘弁してほしい、と思いながらも、
自分の敵は自分であり、努力しなければ何事も手に入らない、と奮闘してきた・・。
     

こうした私のささやかな体験があるので、年金生活をしている今、
ときには二度寝をして寝坊できることは、
年金生活の何よりの特権かしら、と心の中で呟(つぶや)いたりした。


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