序章 南東北の桜を訪ねて
明日より、1泊2日の桜を訪ねる旅行に行く。
『三春』の滝桜、『白石』の一目千本桜、『最上川』千本桜、
『長井』の久保桜を含めた6ヶ所である。
私達夫婦は東北地方の南部地方に、桜の季節を訪ねるのは初めてであり、
未知の空間となる。
第一章 遅れた春の日に
4月18日(月曜日)
東北の南部地方の桜の名勝を6ヶ所を訪ねる周遊観光ツアーに参加した。
郡山の近郊にある《三春の滝桜》は、一分咲きだった。
紅枝垂桜(べにしだれざくら)で樹齢千年以上いわれる大木で、
枝は支柱で支えら、里の中の斜面に忽然とあった。
見事な大木であったが、支柱に支えられるのを視ると、
痛ましいような感情をよぎった。
この桜の周辺は、樹齢50年以上の桜が30数本あり、
やはり一分咲きであったが、
清々しく、東北の遅い春を現(あらわ)していた。
肌寒かったが、観光客で賑わっていた。
その後、白石市のはずれにある白石川の川堤で、
数多くの染井芳野が七分咲きを見せていた。
観光客は少なく、市民の人たちで賑わっていた。
この川べりに7キロ近くわたって千本の白っぽくたわわな桜並木が続いている、
と市民の方から教えて頂く。
こうした情景を観ると、
地元に住まわれている市民の方たちの春の訪れを楽しまれているのに、
素朴な喜びを頂いた・・。
この地を後にして、宿泊先の蔵王温泉より高台にあるホテルに行くため、
スカイケーブルを乗り継ぎ、根雪が2メートル以上残っているので、
雪上車に乗る。
落葉したブナ林の中に、ホテルがあり、その周辺にドッコ沼があった。
浴室から、ブナの樹木を通し、
ドッコ沼が見え、根雪が沼に押し寄せていた。
雪解けのひとつの情景である。
最終章 満開の樹の下で
早朝、部屋からドッコ沼を眺めた・・。
弱い朝陽がブナの樹木を照らし、
樹元の根雪は幾分薄く、少し離れた根雪は相変わらず厚く、
沼岸に押し寄せている。
沼の水面は、陽差しを受けて早春の漂いを見せていた・・。
ホテルをチェックアウト後、
スカイケーブルで下山する途中、蔵王温泉の街並みが快晴の陽だまりの中、
浮いているようだった。
バスの車窓からは、山形盆地の街並みが一望でき、
ここからの景観は何回見ても飽きない光景である。
盆地特有の山並みから緩やかな斜線の中での雑木林が観られ、
その山里には、切り開かれた畑があり、点在した人家が見られた。
盆地の底は、人家の多い街並みがあった。
最上川に面した白鷹町の付近にある河川岸にある千本桜は、
固いの蕾であった・・。
川の流れは急速で、ゆたかな清冷な流れでを見せてくれた。
やはりこの地は、東京の郊外より、
暦を一ヶ月もどしたような遠方な地であった。
長井市にある久保桜を観に行くため下車し、
歩き始めた時、田畑の道あぜの付近には、
土筆(つくし)、蓬(よもぎ)が見られた。
素朴な情景であったが、この後の江戸彼岸桜はどうでも良い、と思えた。
里の春の訪れを確かに受容できたので、
私は満足し、心が豊かになったことを自覚した。
久保桜は、一分咲きで樹齢千二百年の風格があったが、
先ほど見た土筆、蓬の方に、私は魅了された。
観光客は多く、地元の方が、この地で採れた蒟蒻(こんにゃく)を串刺しで、
烏賊(イカ)で味付けをしたのが、
家内はイカ味を工夫してあって美味しい、と言った。
私は地酒の試飲をした後、
純米酒は美味しくなく、やむ得ず原酒を買い求めた。
会津若松の鶴ヶ城公園の桜も、一分咲きであった。
その後、郡山の開成山公園に行き、満開の桜に出会ったのである。
桜はもとより、白木蓮、日陰の付近に辛夷(こぶし)咲き誇っており、
周辺一帯を白い花で染められていた・・。
旅の終わりに、たわわに咲く満開の桜の樹の下で、
家内と言葉を交わした。
『色々と観て廻ってきたが・・
ここで春一色とは・・予想もしなかったょ・・』
と私は家内に言葉をかけた。
明日より、1泊2日の桜を訪ねる旅行に行く。
『三春』の滝桜、『白石』の一目千本桜、『最上川』千本桜、
『長井』の久保桜を含めた6ヶ所である。
私達夫婦は東北地方の南部地方に、桜の季節を訪ねるのは初めてであり、
未知の空間となる。
第一章 遅れた春の日に
4月18日(月曜日)
東北の南部地方の桜の名勝を6ヶ所を訪ねる周遊観光ツアーに参加した。
郡山の近郊にある《三春の滝桜》は、一分咲きだった。
紅枝垂桜(べにしだれざくら)で樹齢千年以上いわれる大木で、
枝は支柱で支えら、里の中の斜面に忽然とあった。
見事な大木であったが、支柱に支えられるのを視ると、
痛ましいような感情をよぎった。
この桜の周辺は、樹齢50年以上の桜が30数本あり、
やはり一分咲きであったが、
清々しく、東北の遅い春を現(あらわ)していた。
肌寒かったが、観光客で賑わっていた。
その後、白石市のはずれにある白石川の川堤で、
数多くの染井芳野が七分咲きを見せていた。
観光客は少なく、市民の人たちで賑わっていた。
この川べりに7キロ近くわたって千本の白っぽくたわわな桜並木が続いている、
と市民の方から教えて頂く。
こうした情景を観ると、
地元に住まわれている市民の方たちの春の訪れを楽しまれているのに、
素朴な喜びを頂いた・・。
この地を後にして、宿泊先の蔵王温泉より高台にあるホテルに行くため、
スカイケーブルを乗り継ぎ、根雪が2メートル以上残っているので、
雪上車に乗る。
落葉したブナ林の中に、ホテルがあり、その周辺にドッコ沼があった。
浴室から、ブナの樹木を通し、
ドッコ沼が見え、根雪が沼に押し寄せていた。
雪解けのひとつの情景である。
最終章 満開の樹の下で
早朝、部屋からドッコ沼を眺めた・・。
弱い朝陽がブナの樹木を照らし、
樹元の根雪は幾分薄く、少し離れた根雪は相変わらず厚く、
沼岸に押し寄せている。
沼の水面は、陽差しを受けて早春の漂いを見せていた・・。
ホテルをチェックアウト後、
スカイケーブルで下山する途中、蔵王温泉の街並みが快晴の陽だまりの中、
浮いているようだった。
バスの車窓からは、山形盆地の街並みが一望でき、
ここからの景観は何回見ても飽きない光景である。
盆地特有の山並みから緩やかな斜線の中での雑木林が観られ、
その山里には、切り開かれた畑があり、点在した人家が見られた。
盆地の底は、人家の多い街並みがあった。
最上川に面した白鷹町の付近にある河川岸にある千本桜は、
固いの蕾であった・・。
川の流れは急速で、ゆたかな清冷な流れでを見せてくれた。
やはりこの地は、東京の郊外より、
暦を一ヶ月もどしたような遠方な地であった。
長井市にある久保桜を観に行くため下車し、
歩き始めた時、田畑の道あぜの付近には、
土筆(つくし)、蓬(よもぎ)が見られた。
素朴な情景であったが、この後の江戸彼岸桜はどうでも良い、と思えた。
里の春の訪れを確かに受容できたので、
私は満足し、心が豊かになったことを自覚した。
久保桜は、一分咲きで樹齢千二百年の風格があったが、
先ほど見た土筆、蓬の方に、私は魅了された。
観光客は多く、地元の方が、この地で採れた蒟蒻(こんにゃく)を串刺しで、
烏賊(イカ)で味付けをしたのが、
家内はイカ味を工夫してあって美味しい、と言った。
私は地酒の試飲をした後、
純米酒は美味しくなく、やむ得ず原酒を買い求めた。
会津若松の鶴ヶ城公園の桜も、一分咲きであった。
その後、郡山の開成山公園に行き、満開の桜に出会ったのである。
桜はもとより、白木蓮、日陰の付近に辛夷(こぶし)咲き誇っており、
周辺一帯を白い花で染められていた・・。
旅の終わりに、たわわに咲く満開の桜の樹の下で、
家内と言葉を交わした。
『色々と観て廻ってきたが・・
ここで春一色とは・・予想もしなかったょ・・』
と私は家内に言葉をかけた。