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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『ウルメ丸干の上乾』、私の秘かな酒の友となり・・。

2010-06-28 23:12:51 | 食べ物、お酒
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
ビール、或いは日本酒の辛口を晩酌しているひとりである。

私が年金生活をして以来、平素の買物は私の担当となり、
スーパーなど殆ど毎日買物をしている。

私は幼年期、農家の児として育てられたので、
山の幸の『山彦』、海辺の『海彦』にも属せることなく、
平地の田畑、雑木林に囲まれた『里彦』となった・・。

味覚は幼少の頃に決定されると多くの方が語られているように、
私は魚の生臭い匂いは何かと苦手となり、もとより魚釣りも避けている。

昨今、平素はアジ、イワシ、サバ、ホッケなどの干した大衆魚を購入して、
よく焼いて食べたりするが、
あたりはずれがあり、しばしば戸惑うことが多いのである。

そして月に数回は、付近の寿司屋さんより、
最初の時はアナゴ、アジ、活クルマエビ、アカ貝、インドマグロのトロ、コハダ、イクラ、鉄火巻き、玉子焼等であったが、
2回めからは要望し、変更した。
アカ貝、アワビ、イクラ、ウニ、サヨリ、ヒラメ、アジ、マダイ、甘エビ等のその時節で選定してもらい、そして鉄火巻き、マグロとした。

或いは、ときおり国内旅行に行ったりすると、ここ5年は、
昼食に回転寿司に行き、その地の地魚を頂き、満足することが多いのが、
魚にも知識のないつたない私の魚の思いとなっている。


今年の3月に、スーパーの魚コーナーで、
イワシ、アジなどを見ていた時、上段の棚に、
『ウルメ丸干の上乾』と明記されたウルメ・イワシの良く乾かされたのを見かけたりのである。
可愛らしいトレーに8匹ぐらいが入って折、これだったら生臭くなく、
適度にあぶって頂けば、私の晩酌の友にぴったりかしら、と微笑んだのである。

その日の夕食の前、あぶってビールを呑みながら頂いたのであるが、
良く乾かされていたので、ウルメの風味が凝縮し、奥行きのある味となり、
私は家内に絶賛したりした。

そして、台所に残っていた収納された袋を見て、

《 こだわりの丸干
          うるめ上乾

    熊本県で水揚げされた「うるめ」を
       上乾干し仕上げて旨みを凝縮。
           素材を活かしたうすい塩仕上げです。

              ㈱山下水産 熊本県天草市牛深町1545-10

http://www.tot3.com/flram/yamasita.html

と明記されていた。

私はこの日以来、何故かしら3日に一度ぐらい買い求め、
秘かな晩酌と友としている。



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小玉スイカの『ひとりじめ』の便(たよ)りに、思わず微笑んで・・。

2010-06-20 21:34:54 | 食べ物、お酒
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
先程ぼんやりとネットでニュースを見ようと
時事通信社の基幹ネットの【時事ドットコム】を開いたのであるが、
思わずひとつの記事のタイトルに目が止まり、
拝読しながら、思わず微笑んだりしたのである・・。

《 小玉スイカの収穫が本格化=和歌山県印南町 》

と題された記事である。

無断であるが、記事を転載させて頂く。

《・・
和歌山県中部の印南町で、
小玉スイカ「ひとりじめ7(セブン)」の収穫が本格的に始まった。

春先に寒い日が続いた影響で収穫時期は例年より1週間ほど遅く、
収穫量も少ないが、糖度は12~13度と例年通りの甘さになった。

ブランド名の由来は
「独り占めしたくなるほどおいしいから」
と生産者の山下勝也さん。

高糖度でシャリシャリした食感が特徴。
長径で18センチ、短径で15センチと大きさも小ぶりで、
冷蔵庫に入りやすく、皮が薄いためごみがあまり出ないのも、
少人数の家庭向けに人気という。

出荷のピークは20日ごろから7月上旬にかけて。
主に関西、中京方面に出荷される。

【もぎたて便】(2010/06/17-09:01)
・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

http://www.jiji.com/jc/c?g=jfn&k=2010061600933
☆【時事ドットコム】 小玉スイカの収穫が本格化=和歌山県印南町 ☆


私は幼年期に農家の三男坊育ち、
父が小学2年に病死、その後まもなくして祖父に他界されるまで、
田畑の農作物を見たりしているので、
西瓜(スイカ)も労苦の果てに実り、青果市場に出荷していた。

こうした影響もさることながら、私達夫婦は夏の食べ物として、
スイカは大好きのふたりである。

こうした小玉スイカの『ひとりじめ』の便(たよ)りを偶然に拝読したのであるが、
昨今は少数化の家庭を配慮された小玉の創意工夫されたスイカに感心したが、
何より小玉スイカのひとつの品種を『ひとりじめ』と命名されたお方に、
底知れぬ文才がある、と感銘さえ感じながら、微笑みを頂いたひとりである。


私はスイカには何かと愛惜もあり、美味しい夏の食べ物であり、
このサイトにも数多く投稿している。

たとえば、2007年8月28日に於いては、
【 夏の匂(にお)い・・♪ 】
と題して、投稿していた。

【・・
ときおり私は、自分が綴った文章を省(かえり)みたりする。
特に昨年の夏は・・一昨年の頃は何を思っていたのだろう、
と他愛ないことを振り返ったりする・・。

今朝は、今年の夏は7月には曇り、雨の日が多く、
8月になると平年以上の猛暑が多く、
スーパー、八百屋さんの店頭で並ぶ農作物が影響を見られているので、
昨年の夏は・・などど振り返りかえったのである。

一昨年の夏の終りに、私は西瓜(スイカ)のことを綴って折、
今年の夏を振り返ると、思わず苦笑したりしている。


スーパーで買物を済ませ、八百屋で野菜物を見ていたら、
西瓜があり、富良野産とシールが貼ってあった。

買物の引き車にくくりつけた段ボールの中は、
野菜物を入れると溢(あふ)れそうになるので、迷ったのである。

結果としては、重い西瓜を片手に提(さ)げて、
片手に買物の引き車を引っ張って、住宅街を抜けて歩いた。

サルスベリと称されている百日紅の淡い紅色の花を観たり、
宗旦木槿(ソウタン・ムクゲ)の底紅の純白の花びらを誉(ほ)めたりして、
暑い日中、アロハシャツも汗まみれとなりながら帰宅した。

夕暮れのひととき、家内と西瓜を食べながら、
『富良野の西瓜・・昔風の味だねぇ・・
最近は甘味が多すぎたものが多いが・・こうした味も俺は好きだなぁ・・』
と私は家内に言ったりした。

食べはじめていると、甘味が口いっぱいになり、
夢中で食べ終わると、口の周(まわ)りは西瓜特有の夏の匂いが漂(ただよ)った・・。

今年は6月の下旬より、茨城産、福島産、秋田産、北海道産を食べてきたが、
今日で西瓜は夏の香りを残して、最後と思われる。

家内は、夏の果物に関しては、メロンより西瓜が好きである。


このように一昨年の9月2日で綴っていたが、今年は天候が不順なので、
不作なのか高騰し、私が西瓜を提げてきたのは、
確(たし)か3回だったかしら、と家内と昨夕話したりしていた。
・・】


或いは、定年退職した翌年の夏2005年8月14日に於いては、
【 夏の日の西瓜・・♪ 】
と題して投稿していた。

【・・
日中、買物に行き、家との間を2往復した後、
最後は西瓜を買いに行った。

私達は、切り身の西瓜は買わない。
西瓜は、2人だけの家庭であるが、ひとつを買い求める。

2週間前頃は、店内の一角を占領し、置かれていたが、
今は大玉、中玉が1列に段ボールの状態で積み上げられていた。

今年は、7月に入ると、小玉、中玉の茨城産、福島産と買い求め、
そして今日はついに秋田産となった。

西瓜は、夏の終わりを告げているのだろう。

家に持ち帰り、夕方になると、冷えた西瓜に家内は、包丁を入れる、
甘い西瓜の切り目に塩をふりかけ、スプーンですくう・・。

幼児の頃は、かぶりついて食べたが、
この歳になっても飽きることのない食べ物のひとつである。

スーパーの店頭には、5月頃から陳列されているが、
私は夏になるまで、待ち焦がれる。

以前、綴ったが、何より季節感を大切にしたいし、
夏のひとつ風物詩であるからである。
・・】


そして2005年3月22日に於いては、
【 春の時節、西瓜(すいか)で思うこと・・♪ 】
と題して、投稿していた。

【・・
朝のテレビのニュースで、
西瓜の出荷されました、と店頭が映し出されていた・・。

この前、お墓参りの帰りに、
スーパーの店頭で、小玉だろうか西瓜があった。
値札には、千円と書かれていたが、
私としては、季節感が狂う、と思っていた。

農家の方は、付加価値を作る為、
色々ご足労された結果だと思うが、何かしら釈然としない。
私は場合は、やはり7月頃から、頂くものと思っている。


私が中学1年の時、昭和33年だったが、
親戚の叔母さんが、80歳に近く、寝たきりになった。

農家に嫁ぎ、60年ばかり農作物に労苦をされた方で、
2月頃になると、更に容態が悪化し、
『死ぬ前に・・西瓜が食べたかったわ・・』
と云った、と叔父さんさんから聞かされ、
私が買いに行く事になった。

私は日本橋の《せんびきや》、新宿の《高野》と廻った後、
渋谷の《西村》でやっと買えたのである。
あの頃の時代は、冬の2月に於いては、東京の都心でも多分この三軒しかなかっただろう。

そして叔母さんは、西瓜を食べて、
三日のちに亡くなった・・。

冬に西瓜を食べることは、
この場合は許せる、と少年ながら思ったりしたのであった。
・・】

このように私はスイカに関して、三通だけ取り上げたが、
人生のひとときでも生活苦を体験したことのある人しか、この美味を味わえない、
不思議な夏の風物詩となった食べ物である。



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ときには、『しじみ』の時雨煮を酒の友とし・・。

2010-06-15 07:43:30 | 食べ物、お酒
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
ビール、或いは日本酒の辛口を晩酌しているひとりである。

私が年金生活をして以来、平素の買物は私の担当となり、
スーパーなど殆ど毎日買物をしている。

家内から購入する要望品に関しては、
スーパーのチラシに家内が赤丸の印をつけて、
こうした必須品を探し求め責務が終えた後は、私が食べたい品などを陳列棚などを見て、
買い求めたりしている。

過日、佃煮(つくだに)の棚を見ていたら、

《 島の香
     しじみ
         時雨煮 》

と明示された、佃煮のしじみを見つけて、晩酌の共にと思い、購入したのである。

可愛らしいパックであるので、失敗しても少量という思いもあり、
その上、格安の品であり、年金生活の私にぴったりかしらと感じたのである。

過日の12日の暑い日中であったので、晩酌はビールと決定し、
ビールを呑みながら『しじみ時雨煮』を頂いたので、甘さを除けば、
美味しいのである。

次回から、生姜(ショウガ)を千切りにした上、醤油を加味して、脇役し、
この主役の『しじみ時雨煮』を頂けば、更に美味しく酒の共にぴったり、
と微笑んだのである。


こうした思いで、この『しじみ時雨煮』の製造元のホームページを、
先程開いたら、

http://www.simanoca.jp/recipi/syohin/sizimi_re.html#
☆ 島乃香株式会社 『しじみ時雨煮』☆

『しじみミニ丼』、『しじみごはん』などと、簡単なレシピにすれば、
と明示していたので、私は微苦笑したのである。

私は呑兵衛のひとりで、B型の熱血漢で思い込みの激しいタイプであるので、
このまま頂いても美味しいのに、と思ったりしている。

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この時節、私の好きな食べ物のひとつは、筍(たけのこ)・・。

2010-04-23 16:20:27 | 食べ物、お酒
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが.
本日も昨日と同じように平年より10度ばかり低い冷たい雨の降る一日となっている。

家内が家内の母とふたりで国内旅行に行っているので、
過日の17日より『おひとりさま』の生活をしているのであるが、
食べ物に関しては、家内が作ってくれた料理、或いはスーパーのお惣菜コーナーの売り場で、
適度に選定しているので困ることはない。

私がこの時節の好きな食べ物のひとつは、筍(たけのこ)である。

過ぎ去った10日前、昨日と長兄宅から、筍(たけのこ)を頂いたりし、
この間もスーパーのお惣菜コーナーの売り場で、筍の料理を見かけると、
何かしら最優先のように買い求めて、殆どここ9日間ばかりは、筍(たけのこ)づくしとなったりしている。

過日、家内から、
『あなたは・・毎晩・・たけのこ・・飽きずに頂いているわねぇ』
と呆(あ)れ顔で私は云われたりしていた。

『少なくとも幼年期まで農家の児だったから・・飽きることがないよ・・
この時節・・私は一番好きな食べ物よ・・』
と私は微笑みながら、家内に云ったりしていた。

私はこのサイトに於いても、筍(たけのこ)に関しては数多く綴っているが、
私の筍(たけのこ)に対する深い愛着と愛惜の思いをお解り頂く為に、あえて一部を再掲載する。

昨年の2009年4月29日に於いては、
【 私なりの筍(たけのこ)の深い思いは・・♪ 】
と題して、投稿している。

【・・
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
ときおり遠方に散策したりする時、偶然に孟宗竹の竹林に出会った時は、
思わず足を止めて、しばらく眺めたりしている。

或いは国内旅行で、孟宗竹の竹林を観た時も、私は時間が許す限り、眺めたりしている。

私の幼年期は、実家が農家で竹林を保有していた時代もあり、
私なりに孟宗竹の筍、そして竹林には深い思いでがあるので、多少こだわりがある。

このような心情なので、このサイトに於いて、たびたび綴ったりしてきた。

先ほど、私は過ぎ去った幼年期に思いを馳せていた時、孟宗竹の筍なども読み返していた・・。


2007年7月2日に於いて、
【 ひととき夢の中で・・♪ 】と題して、投稿していた。

【・・
昨日と同様に、昼過ぎに塩野七生・著の『ローマ人の物語』(新潮文庫)第23巻を読んでいるが、
居間で簡易ベットに横たわりながら、1時間程過ぎた頃、眠りに付いた・・。


私は東北新幹線のある駅からタクシーで15分走り続けた場所で降ろされた。
周囲は里山を背景に放置された田畑が幾重にもあり、広大な荒地となっていた。

ひとりの年配の老人が私に、
『あんたかいなぁ・・竹の物狂いのお人というのは・・』
と云った。

私は煙草を老人に勧めた後、私は煙草に火を点(つ)けた。

私はこの老人の方に熱弁を奮(ふる)っている・・。

日本の古来から孟宗竹をこの地一面に植え、竹の文化村を作りたい。
平地の土地は、土壌を四尺ほど、改良し、
建物以外は公園のように遊歩道を設ける以外は、孟宗竹・・一色とする。

建物は筍(タケノコ)主体の専門料理店、筍の加工食料品所、
そして竹に関しての日常品から工芸品に至るまで加工所、販売店まで手がけたい・・。

お客さんは、駅からマイクロバスでお迎えして、
筍づくしの料理と里山で栽培した山菜を食べて頂いた後、孟宗竹の中の遊歩道を散策して頂き、
お土産売り場で保存のきく筍、筍と山菜、そして竹細工の多種をお買い上げて頂く・・

『あんたなぁ・・採算あうのかいなぁ・・』
と老人は私の言葉を遮(さえぎ)った。

『採算はギリギリですが・・
孟宗竹の四季の移ろいの美しさを観て・・その方なりに感銘をして頂ければ・・』
と私は老人に云った。

『そりやぁ・・そうだが・・
あんたに以前云った値段で・・売るよ・・
だけどもね・・あんたは・・夢を見るのがお好きな人だね・・』
と老人は苦笑しながら、私に云った。


私は目覚めた・・。
サラリーマンを定年退職し、年金生活の3年生の私には、とてもこのように気力も資金もない。

私は庭に下り立ち、雨の舞い下りる庭の樹木を眺め、
煙草を喫いながら、どうしてあのような夢を・・と思い返している。


私は東京の郊外で農家の子として生を受け、
父、祖父が亡くなる小学幼年期まで田畑、雑木林、竹林の中で育った。

竹林は、孟宗竹の専用とした2反(約600坪)程あり、5月頃には筍を青果市場に出荷し、
竹は秋の頃に竹細工の方達が買い求めに来宅していた、
このような記憶が今でも鮮明に残っていたる。

ここ50年ばかり筍を作られている場所を見たり、
テレビで視聴したりすると、あれは本物の筍じゃない、と思っているのである。

私の幼年期に観た竹林は、前年の秋に根が浅くなった所を最低三尺掘り下げて植え直し、
春先には地割れと土壌が固くなるので、私達の子供は近寄れなかったのである。

4月の下旬から5月の初め、
地割れの箇所をたよりに祖父と父が専用のスコップで掘ったりしていた。
すべて地中で育ち、根元は最低15センチ以上あり、
少しでも地上に芽が出たものは身が固くなるので、商品価値が激減するのである。

私は地上から5センチほど芽がだした筍は皮が黒ずむので、
子供心でも、カラス、と呼んでいた・・。


このような想いがあったのか、ときには考えられない夢を見ることがある。

齢を重ねた私は、今でも夢は甘く、ときには苦いものである。
・・】


そして、2006年5月6日にも、
【 タケノコ、されど筍(たけのこ)・・♪ 】と題して、投稿していた。


【・・
     第1章

以前、筍については、私はたびたび綴ってきた。

私の幼少の頃、竹林があり、青果市場に出荷していたので、鮮明な思い出とこだわりがある。

地上から5cm以上、芽を出し伸びたものは筍じゃない、ということである。

私が大学入学後、ある体育系の部に所属した時、同期の方が福井県、福岡県の友がいた。

このような話をしたら、半信半疑の目付きをされたので、困っていた。


私の新婚旅行の時、京都の筍の売り場を観た時、
15センチの高さ、根回りが5センチが3月末に売られていた。

私の実家では、少なくとも30センチ、根回りが10センチ以上が基準値であったので、
これが筍かょ、と感じた。

このような思いがあり、地方のお方は理解してくれるかしら、と思い続けていた。

幸いにして、昨日の読売新聞で私の証言に近い記事があったので、
嬉しく感じ、記事を精読した。

  
     
     第2章

昨日の読売新聞の中、【彩事記】が随時掲載をされているが、榊原智子・記者が綴られた記事を無断であるが引用させて頂く。

《・・
・今春は寒い日が多かったため、タケノコが生えてくるのが、例年より遅くなった。
一番手の孟宗竹は、関東では4月下旬から頭を出し始め、
首都圏のタケノコ園ではこの連休に、タケノコ狩りのピークを迎えているという。

タケノコの産地といえば鹿児島、京都、静岡などの暖かい地方が知られている。
中でも京都産は軟らかく味のよさで有名だが、
実は東京も、戦前まで京都と並ぶタケノコの産地だった。

とりわけ『目黒のタケノコ』は、知る人ぞ知る名産だった。
目黒区守屋教育会館・郷土資料室によると、
京都では土や肥料をふわりとかけて、軟らかいタケノコを育てるのに対し、
目黒では根っこのあたりまで深く掘り、肥料を加えては固く戻したという。
この作業を数回繰り返す独自の栽培法で、身が締まり、味のいいタケノコを作っていた。

これが《初物好き》の江戸っ子の間で人気となり、
値段が高騰したため、質素倹約を求めた天保の改革(1841~43年)では、
『早い時期の掘り出しはダメ』と禁制まで敷かれたという。

それほど盛んに栽培されたタケノコだが、関東大震災の後に郊外に広がった宅地開発や、
高度経済成長期の都市の拡大で、タケノコ畑はじりじりと減少。
  (略)
・・》

東京の郊外の私の実家でも、程々にひろい田畑を耕していた農家に於いても竹林を保持し、筍を青果市場に出荷していた。
竹になったのは、竹細工の業者が買いに求めに来た、記憶が残っている。

目黒方式と違うのは、秋になり、根が浅くなったのを、
最低50センチ前後に深く掘った後、枯れた竹の葉を肥料を施して、地中に埋めた。

地上は生育した竹以外は黒土1色で、冬を越え、春の4月頃に地割れを見つけ、
専用のスコップで掘り出した。

この間は、子供は竹林に入ることは、足跡、靴跡が残るので、厳禁となっていた。

芽が地面より5センチ以上になったものは、柔らか味が薄れるので、
買取り価格が安くなり、家庭で食べたりしていた。

特にこれ以上伸びた筍は、竹の皮が黒ずみ、子供の私さえ、カラスと呼び馬鹿にしていた。

東京の郊外は、地中でいかに大きく育てあげるかが鉄則であった。


     第3章

東京の郊外は、東京オリンピックが開催された前、どの家も筍の青果市場への出荷は終えた・・。

わずかに竹林はあるが、かつてのような手入れがされず、ただ伸ばし放題の竹林が残っている。


このような形の竹林は、まだ私が小学生の頃、付近の崖に面した傾斜地に著名な小説家の邸宅があった。
傾斜に竹林が密集し、下方に池があった。

私は小学3年ぐらいの時、下校の時に遠廻りし、この脇道を通った時に、
この小説家が難しい顔して池を見詰めていた。

『あれが芸術家かょ・・難しい顔しているが・・
竹は生え放題・・孟宗竹のこと解っていないなぁ』
と子供心に私は心の中で呟(つぶや)いた・・。

後年、高校生になった私は駅前の本屋に行った時、店内の壁面に色紙と写真が掲げられていた。
そして、さりげなき武者小路実篤と明示されて折、私はあのお爺さんが、と気づかされたのである。


私は筍を出荷した竹林は、ある程度に間引いた上、黒土の1色で早春を迎え、
筍が出やすい状況のこだわりがあった。

孟宗竹が密集し、その間から筍が出てきて、地上から10センチ以上に成育した時に、
収穫するのは邪道と思っている。

こんな思いもあるが、
実家の長兄宅でも、わずかに竹林を残し手入れが行き届かない処から、毎年10本前後生えてくる。

子供の頃、カラスと馬鹿にしたのを実家から、毎年頂いている。

このような思いが私の心の片隅にあるので、かってのような整備された孟宗竹の群生を旅行先で見かけると、
私は少し涙ぐんで、立ちすくんだりしている・・。
  
・・】



これ以前にも、2005年4月24日に於いて、
【 筍(たけのこ)が食卓に・・。 】と題して、投稿していた。

【・・
昨日、長兄の宅より大きな筍を頂いた。家内は、早速台所で筍をむき始めた。

遠い昔、私が幼児であった頃、祖父、父が農家をしていたので、竹林が二反あった。

秋になると、地表に根が出そうになったのを三尺近く堀起こし、地中深く根を埋めていた。
次兄と私は、穴が掘られたのを子供心にいたずらをし、父によく怒られた。

春先になると、この竹林に子供が入るのを禁じられた。

柔らかな地表が微(わず)かな地割れを見つけて、筍を掘り出すためであった。
この微かな地割れを二、三尺を堀り、やがて大きな筍を掘り出した。

芽が地表にだしたのは、柔らか味が出てしまい身が固くなるので、カラス、と呼んでいた。
このカラスは、値が下がるので、家の人々の食卓にのせられた。
地中にあった良質の筍は、市場に出荷していた。

その後、残した筍は、日増しに大きくなり、やがて若い竹となり、
子供心でも著しい成長を眺め、感嘆した心を躍らせていた・・。


夏になると、ひんやりした竹林に入るのが、私は好きだった。
田畑の暑い中、この竹林は涼しく、ときたま風が吹くと、さわさわとした葉ずれの音を聴き、
心地よいひと時を感じたりした。

秋のある日、竹細工の方が買い付けに来宅した。
この頃、孟宗竹で籠(かご)、笊(ざる)、作物入れ用とかで何処の家も使われていた。

その後、昭和28年に父が亡くなり、まもなく祖父も他界した。


私の実家は、この後に急速に変わり、竹林も無くなった。
今、長兄の宅は、五、六坪の竹林に留めている。
手入れも昔ほど出来なくなったので、地表に出た、カラスを掘り起こしている。

そして私の幼年期に観た竹林の情景は、この付近の郊外では消え去ってしまった。
・・】

このように数多く筍、竹林のことなどを4つばかり再掲載したが、
私は昨今テレビなどで筍を掘り起こす情景を偶然に視聴したりする時、
遠い昔の幼年期に見た筍とは違う、と苦笑したりしている。



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『はかない潔(きよ)さ』の言葉に魅せられて、思わず『くず餅』を見つめて・・。

2010-02-22 17:11:28 | 食べ物、お酒
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
偶然に読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】に於いて、
ひとつの記事を見たのであるが、思わずタイトルの良さに魅せられ、読んだりしたのである。

フードライターの中島久枝さんが綴られた記事であるが、
私は魅了されてしまい、無断であるが転載させて頂く。

《・・
         くず餅 はかなさ潔い

東京・亀戸に本店のある「船橋屋」は江戸後期の文化2年(1805年)創業。

下総国(千葉県)船橋出身の初代が、古里の小麦でくず餅を作り、亀戸天神のそばで売り出したのが最初と伝えられる。
江戸風は、葛(くず)を使わないので、くず餅、久寿餅などと書くのである。

藤棚をくぐり、店内に入ると、作家・吉川英治の筆による看板があり、昭和の気分に包まれる。

作りたてのくず餅は、ぷりぷりとしてコシがある。
濃厚な黒蜜、よくいったきな粉がよくあう。
素朴だが、滋味深い。
そもそも、小麦を発酵させて菓子にするという発想がすばらしい。
私は寡聞にして類を知らない。

船橋屋では、江戸時代の伝統製法を守っている。
岐阜県内の工場で地下天然水を使い、小麦粉を15か月かけて乳酸発酵させる。
水洗いしてでんぷんだけを取りだし、東京の工場で蒸し、成形する。
完成までに1年以上もかけているが、賞味期限はわずか2日。
保存料も真空パックも使わないからだ。
なんとも、はかない。

「はかなくて良い。その潔さにこそ、価値がある」と、8代目当主の渡辺雅司さん。
「武士道は潔さを尊んだ。そうした日本人の心に合うのが、くず餅なのです」

こうした菓子作りにあやかりたいと、まっすぐな姿勢、一生懸命な気持ちを表すものとして、
手みやげに選ぶビジネスマンが増えているそうだ。
それがうれしい。
「心根は商品に表れる。見えないところも、しっかりと作りこんでいきたい」と渡辺さんは考えている。(フードライター)

 2~3人前 777円

 船橋屋

 (電)0120・8・27848

 〒136・0071 東京都江東区亀戸3の2の14

(2010年2月20日 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://www.yomiuri.co.jp/gourmet/food/kanmi/20100220-OYT8T00572.htm?from=yolsp
☆【YOMIURI ONLINE】 くず餅 はかなさ潔い ☆


私はお酒大好きの呑兵衛のひとりなので、平素は甘い物は苦手で和菓子、洋菓子は余り食べない。

しかし旅行先などで、煎茶、抹茶などを頂きながら、
和菓子を食べさせてくれる処では、家内と共に頂いたりしている。

日常、私が知人宅に訪問する時は、
お子様が高校生ぐらいの場合は、洋菓子を買い求めるが、
これ以上のお歳を召している場合は、和菓子を使っている。

家内は中学生の時から茶事を学んでいるので、
程々に和菓子に関しては詳しく、私は和菓子も無知な方であるが、
季節感がかもし出されていれば、独断と偏見で選定している。

旅先で和菓子の買い求める場合、
その地で長い歴史を育(はぐく)んだ老舗の和菓子店を使う。

私は差し上げたお方から、こうした場合は喜ばれている。

その地に生まれ、長年におよび人々から買い求められ、
味そのもの長年培(つちか)われた和菓子となっているので、
まぎれない和菓子と私は確信している。

和菓子は、その地の風土、文化を代表するひとつと思っている。


このような思いで、ときたま家内と和菓子について話したりすると、
貴方は人前では和菓子について話されないように、
と和菓子の基本も由来も無知な私に家内は苦言する。


私達夫婦の共通趣味は国内旅行であり、
4年前、たまたま私達は北海道の釧路市の街並みを散策し、偶然に駅前の和菓子屋を通り過ぎようとした時、
『あのお店の和菓子・・美味しそう・・』
と私は家内に話しかけた。

店内に入り、数点の和菓子を見ていたら、
私は少しばかり購入しょう、と家内に云ったりした。

結果として、私が決めた和菓子に関しては、
殆ど家内に苦笑されることが多かったが、このお店の和菓子に限り、
思った以上に美味しいわ、と賛意を得たのである。

私達は店を辞した時、『柳月』と看板が観えたのである。

http://www.ryugetsu.co.jp/
☆『柳月』 ホームページ ☆
私がこの中で特に魅せられて、小声で家内に絶賛したのは、下記の百代餅(ももよもち)であった。

http://www.ryugetsu.co.jp/online_shop/detail.php?id=5
☆『柳月』 百代餅(ももよもち) ☆


この後、家内と街並みを散策した時、
『先ほどのお餅・・確かに品位もあり美味しいかったけれど・・
貴方は・・やはり農家の子ね・・』
と家内は微笑しながら、私の幼年期の農家の児だったことを云ったりした。

古来より味覚は幼年期で決まる、と名言があるが、
私は和菓子も無知なひとりであるが、まぎれく確かな味の白みそ、柚子などの『百代餅 』だった、
と心の中で呟(つぶや)いていた。


このようなつたない思いの私は、
くず餅に関して、《はかなさ潔い》と銘々したフードライターの中島久枝さんの感性に惹(ひ)かれ、
記事を精読した後、『はかない潔さ』と飛躍させた言葉に置き換えて、微笑んだりしたのである。

私も幾たびか『くず餅』を家内のお供の身として、賞味したことがあるが、
今後は、『はかない潔さ』と秘かに思いながら、頂きたいと思ったりしている。



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思わず食べてみたい、館林市の『大根そば』・・。

2010-01-24 08:47:43 | 食べ物、お酒
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
今朝、まばゆい陽射しを受けながら、ぼんやりとネットでニュースを見ていた。
この中で、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】の経済ニュースのひとつに、

《 「大根そば」200年ぶりに再現 》

と見出しされた記事があり、大根が好きな私は、記事を精読したのである・・。

無断であるが、転載させて頂く。

《・・
大根そばを新しい名物に(下の赤椀) 群馬県館林市と市観光協会は22日、
江戸時代のレシピ本に「上州館林名物」として載っていた大根そばを約200年ぶりに再現した。

館林の名物はうどんだが、市内のそば店は細切り大根を混ぜたそばも出している。
目をつけた市花のまち観光課係長田島敏邦さん(52)が、
名物に出来ないか思案する中、1785年刊行の「諸国名産大根料理秘伝抄」に、
「大根蕎麦(そば)」と書かれたレシピを見つけた。

細切り大根にそば粉をまぶして煮た後、だし汁をかける。
田島さんは昨年暮れ、精進料理に詳しい同市当郷町、善長寺副住職前山文伸さん(35)に再現を持ちかけた。

この日、前山さんが調理して寺への観光客約30人に振る舞った。
かめば歯切れの良い大根のさくさく感と、そばの舌触り双方が味わえる逸品。
市内の主婦(78)は「大根の風味を感じられておいしい」と話していた。

市は新たな名物にと意気込んでおり、「観光イベントで試供品として出し、PRしたい」としている。

(2010年1月24日05時35分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。


http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20100123-OYT1T00049.htm?from=main7
☆ 群馬県・館林市 「大根そば」200年ぶりに再現 ☆

私は何かと大根が好きで、特に大根おろしを愛食し、ご飯とか餅などと共に頂き、
この世で一番美味しいので、大根おろしかしら、と微笑んでいるひとりである。

このサイトにも、少しばかり大根おろしに関して投稿している。

今年の元旦の日にも、
【 大根(ダイコン)下(お)ろしに、温かいご飯・・。 】
と題して、投稿している。

【・・
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であり、
2004(平成16)年の秋に家内の父が死去し、家内の母は独り住まいとなったので、
年末年始には我が家に来て貰い、私達夫婦と共に三人で過ごしている。

私の母が生前までは、世間並みに御節料理を三段重として、
家内は素材の購入から料理までを一週間ぐらいで、ふたセットを作ったりしていた。
ひとつは独り住まいの私の母、そして我が家で頂く分である。

このようなほど程の御節料理から遠ざかって、昨今の我が家は、
それぞれ三人が食べたい品を購入したり、家内は料理をしたりしている。
成城、仙川、最寄のスーパーに買い求めたり、ここ数年は通信販売の盛況で、
我が家も遅ればせながら、製造元の現地などの販売所に連絡して、購入したりしている。
たとえば、ホタテ、数の子などである。

結果として、我が家の食卓は、御節料理の単品が並び、各自が好みの品を食べ、
元旦の朝はお雑煮を頂いている。

このような昨年末の28日から夕食の時に、
家内、家内の母はビール、私は弐合徳利で純米酒の辛口を呑みながら、
談笑しながら頂いている。


こうした時の私の昼食は、ときおり大根(ダイコン)下(お)ろし、御醤油をかけて、
温かい白米のご飯にのせて食べたりしている。
そして、食後は煎茶を飲み、至って満足している。

家内達はこのような私の昼食を見ていて、最初の頃はあきれていた。
『農家の児として育った私は・・この世で一番美味しく・・贅沢な食事だょ・・』
と私は笑いながら云ったりしている。
・・】


そして大根をおろした餅のからみ餅に関しては、
【 呑んべえの予感した頃・・♪ 】
と題して、2005年5月1日に投稿している。

【・・
私が小学1年の頃だったので、昭和26年の年だった。
祖父と父は、東京の郊外で農業をしていたので、年末近くになると、餅を搗(つ)いた。

祖父の家を含み、六軒の家で交互に手伝う習慣となっていた。

祖父の家の順番になると、もち米を精米にし、水に漬けた後、
その当日になると早朝から二つ大きな竈(かまど)に火をいれ、
二尺程の正方形の蒸篭(せいろ)を幾重にも重ねて、蒸した。

ご近所の主人たちが5人来てくださり、それに私の家の人である。

午後になると、杵(きね)で臼(うす)の蒸されたもち米を搗いた。
すべて手作業なので、労力のいる時代だった。

餅になると、お供え、長方形ののし餅、とそれぞれに作っていた。
長方形ののし餅は、長方形の板で形を整え、片栗粉でまぶした。

年末から正月のお雑煮、七草を得て、
その後、ときたま2月の上旬まで食卓に出されることもあった。

このために、のし餅などは10畳の部屋を二つ使い、廊下まではみ出していた。

夕方の6時頃になると、搗きたての餅をあんこ、大根のからみ、きなこ用に
それぞれ作り、夕食がわりとなった。

ご近所の主人たちには、酒が振舞われ、茶碗酒として出された。

こうした時、ご近所の叔父さんが、私に云った。
『XXちゃん・・何を食べるの・・』

『う~ん、大根の辛いの・・』
と私は云った。

『そうかい、からみねぇ・・
XXさん、この子きっと呑んべえになるね・・』
と赤い顔した叔父さんは、笑いながら私の父に云った。


この数年後に父が亡くなり、祖父も他界したので、私の家は急速に没落しはじめた・・。

そして昭和32年の頃になると、
私の周囲の家々も時代の波が押し寄せ、住宅街に変貌し、このような風習は、消えた去った・・。

・・】

このように幼年期の頃から、何かと大根おろしを愛食し、
旅行先の食事処の蕎麦屋で、調味のひとつとして大根おろしがあれば、限りなく嬉しいのである。
そして、我が家でも年に10回ぐらい頂いている。

数年前の夏、蓮(ハス)の花を観るために群馬県・館林市に3泊4日で滞在したことがあるので、
200年ぶりに再現された「大根蕎麦(そば)」を食べてみたい、
と先程から10分ぐらい掲載された写真を眺めたりしている。



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大根(ダイコン)下(お)ろしに、温かいご飯・・。

2010-01-01 21:11:43 | 食べ物、お酒
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であり、
2004(平成16)年の秋に家内の父が死去し、家内の母は独り住まいとなったので、
年末年始には我が家に来て貰い、私達夫婦と共に三人で過ごしている。

私の母が生前までは、世間並みに御節料理を三段重として、
家内は素材の購入から料理までを一週間ぐらいで、ふたセットを作ったりしていた。
ひとつは独り住まいの私の母、そして我が家で頂く分である。

このようなほど程の御節料理から遠ざかって、昨今の我が家は、
それぞれ三人が食べたい品を購入したり、家内は料理をしたりしている。
成城、仙川、最寄のスーパーに買い求めたり、ここ数年は通信販売の盛況で、
我が家も遅ればせながら、製造元の現地などの販売所に連絡して、購入したりしている。
たとえば、ホタテ、数の子などである。

結果として、我が家の食卓は、御節料理の単品が並び、各自が好みの品を食べ、
元旦の朝はお雑煮を頂いている。

このような昨年末の28日から夕食の時に、
家内、家内の母はビール、私は弐合徳利で純米酒の辛口を呑みながら、
談笑しながら頂いている。


こうした時の私の昼食は、ときおり大根(ダイコン)下(お)ろし、御醤油をかけて、
温かい白米のご飯にのせて食べたりしている。
そして、食後は煎茶を飲み、至って満足している。

家内達はこのような私の昼食を見ていて、最初の頃はあきれていた。
『農家の児として育った私は・・この世で一番美味しく・・贅沢な食事だょ・・』
と私は笑いながら云ったりしている。



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仙台空港限定!『抹茶生キャラメル』のニュースに微笑んで・・。

2009-08-26 08:15:35 | 食べ物、お酒
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
読売新聞の朝刊の配達されるのがめずらしく遅いので、
殆ど毎日見ている読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を見ていたら、
思わず微笑んだりした。

【 仙台空港限定!抹茶生キャラメル、人気急上昇 】

と見出しされていたのである。

私は読みながら、少し興味を持ったので、記事を読んだのである。

無断であるが、このような好感するニュースは多くの方と分かち合いたく、
掲載させて頂く。

《・・
仙台空港限定販売の生キャラメル 
全国各地のスイーツに詳しい航空会社の客室乗務員の意見を聞いて開発された抹茶味の生キャラメルが、
仙台空港限定で今月1日から販売され、人気急上昇中だ。

仙台エアポートサービス(名取市)が、
空港を利用する客室乗務員に根強い人気がある抹茶味の大福に着目。
販売している仙台市内の老舗「お茶の井ヶ田」に
「流行の生キャラメルと抹茶を組み合わせては」と共同開発を持ちかけた。

10粒入り840円で、1日50~60個売れるほどの人気ぶりだ。
「牛タン、笹(ささ)かまぼこに続く仙台土産に」と両社の期待は大きい。

問い合わせは、仙台エアポートサービス(022・383・6205)へ。

(2009年8月26日04時55分 読売新聞)

・・》
注)記事の原文をあえて改行を多くした。


http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090825-OYT1T00715.htm


このような記事であるが、私は創意工夫ある食べ物に好感したのである。

私はお酒大好きのひとりであるので、日常はキャラメルは頂かないが、
小学生の頃に食べた大粒の確か明治製菓の『サイコロ飴』がこの世で一番美味しかった、
と確かな記憶がある。

今回の記事を読んで、私は抹茶は好きであるので、
例外として、食べてみたい、と思ったりした。

ただ、仙台空港限定と明示されているので、
私は『仙台』を径由で北東北を旅行する時は、
殆ど東京駅から新幹線を利用して仙台駅に下車するので、買い求めることは出来ないのである。

このようなことを家内に話したら、
『北海道の・・花畑牧場の生キャラメル・・
最初は牧場の売店の限定販売であったみたい・・好評で・・
昨年末に札幌に私達が行った時・・市内で私・・買って頂いたわよ・・
評判がよければ・・拡大販売されるわょ・・』
とお菓子などが好きな家内は笑いながら私に云った。

私は生キャラメルの世界も無知であるが、もとより創意工夫の下で、確かに魅了される味、
その上にある程度に限定された販売地域の範囲、
こうしたことが秘密があるのかしら、とぼんやりと思ったりしたのである。




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思わず、見惚れてしまった『今夜も一杯 酒の肴 写真特集』・・。

2009-08-14 17:33:02 | 食べ物、お酒
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であるが、
先程、ネットでニュースを見ていたら、

【 今夜も一杯 酒の肴 写真特集 】

と題された写真特集が掲載されていたので、思わず見惚れてしまった・・。

時事通信社のネット基幹の【時事ドットコム】の特集のひとつであるが、
固いと定評のある時事通信社が、このようなサービスをして下さり、
古い言葉で表現すれば、感謝感激かしら、と思ったりしたのである。

私は15分ばかり眺めたりしたのである・・。
そして日本酒の辛口に最適と思ったりしたのであるが、
私は無念ながらメタボの研修中の身であり、麗(うら)らかな若き女性の保健医さんと、
指きりの約束をしているので、
ビールの350mlの缶で2本までですょ、と優しく指示されたので、
旅行の時以外は殆ど守っている。


そして眺めていたら、この酒の肴は高そう、と年金の我が身を振り返ったのである。

http://www.jiji.com/jc/d2?p=fod00101-04433028&d=004ent

平素は家内が夕食の時に、私の晩酌用に数品を食卓にのせたりしてくれたり、
家内が実家に支援し留守になった時は、
私はスーパーのお惣菜コーナーの売り場で、適度に選定し、頂いたりしているが、
程ほどの価格である。

旅行先は別格であるが、平素は我が家のイベントとして、
ときおり『お祝い』と称して、ほんの少しばかり背伸びする程度である。

我が家はもとより民主党・代表されている鳩山由紀夫氏のように有り余るお金もないし、
私は羨望と嫉妬の余り、いいよなぁ、生活苦も体験したことのないお坊ちゃま一筋だし、
と思ったりしたが、
しかし、私はあのお方のように多忙と重責の身でないので、
好きな時に本を読めたり、眠くなったら昼寝もできる、と苦笑したのである。


尚、私の好きな魚はイワシ、サンマ、アジ、サバ、ホッケ等の大衆魚だったり、
肉類はレバー、砂肝などであり、庶民の子と微苦笑したりしている。

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改めて、お茶を摘む情景に心を寄せて・・。

2009-05-04 00:52:49 | 食べ物、お酒
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であるが、
私は過日、カレンダーを眺めていたら、『八十八夜』と明示されていたので、
微笑んだりしていた。

古来より、立春から八十八日を過ぎると、お茶の新芽を摘(つ)むとされてきた。

私の幼年期は、実家が農家であり、茶畑もあったので、
何かしら、こうしたお茶を摘む情景などを観たりすると、
それなりの深い愛惜感につつまれるのである・・。

私は煎茶をこよなく好きであり、30代の頃に引っ越すたびに、
或いはここ10年、気に入っていた煎茶が製造中止となったりすると、
今度の新たな煎茶が私のお好みの範疇にめぐりあえますよう、と念じたりしていた。

私は甘みも大切であるが、何より少し苦味、そして渋みの深い煎茶が好きである。

早朝に目覚めた後にぼんやりと頂いたり、そして日中も褒めながらも頂き、
夕食の時に純米酒の辛口かビールを呑んだりした後、
夜のひとときも美味しく、煎茶は日常の友として欠かせないのである。

そして、ときおり幼年期を想いだすこともある。


遠い昔、昭和26年の私が小学校に入学した時代である。

祖父と父が中心となって農家をしていたので、
東京の郊外でも程ほど広い田畑を耕していた農家でも、
お茶の樹を持ち、自宅用にまかなっていた。

母屋、蔵、納戸小屋の二軒の中、宅地からゆるい坂を登りきると、
防風用に欅(けやき)が50数本があった。
2間ほどの間隔で植えられて折、樹高は30メートル以上あった。
隣接した欅が互いに寄り添うにになると、片方を伐採して、薪(まき)とされた。

その先は平坦な地で陽当りが良く、苗床が幾重にもあり、
洗濯の干し場にも利用されていた。

この平坦な所を抜けると畑となっていて、その先が村道であった。
この村道と畑の境界線としてお茶の樹が植えられていた。
幅は4尺、高さは5尺程度で、50間前後の長さであった。


5月の初旬の頃になると、新芽を摘んでいた。
一家総出で、分家された人々も手伝いに来てくれた。
私が幼児の3歳頃からは、付近に莚(むしろ)を敷いた上で、寝そべっていた、
と後年に母から教えてもらっている。

新芽を摘んだ後、生葉撰り(なまはより)といって、
お茶の葉から混ぜりものや蝕まれた葉を取り除く選別作業をしていた。

その後、生葉を新鮮なうちに、蒸篭(せいろ)で蒸した後、
団扇などで扇(あお)いで、よく冷(さ)ました。
そして、長方形の大きな台の上に炭火をおこし、
その上に鉄板を敷いて、先程のお茶の葉を揉んでいた・・。

煎茶として出来た後、大きな桐箱、茶包みの箱に収納した。
この煎茶は、家族が1年で使ったり、
祖父の一言に寄り、来宅した方の1部の方に差し上げたりしていた。


私は幼児の頃、長兄、次兄に続き生を受けた三男坊の身であったが、
祖父と父は女の子を期待していたらしく、
祖父は無念と思いながらも、祖父の名から一字を私の名前に命名してくれた。
その後の私は、何となくいじけていたので、いたずらもして、父からよく怒られた。

祖父からは、私を不憫と思ったらしく可愛がってくれたが、
煎茶を淹れる時、いい加減な振る舞いで淹れる、と怒られた。

私が小学二年の時に父に死去され後、まもなく祖父も亡くなり、
肝要な農作業のノウハウと労力も減退したので、
田畑の作業も出来る範囲となり、
数年過ぎると、お茶を摘む労力もままならず、やむえずなくなったのである。

私は、成人してから、煎茶を淹れる時、
ときたま祖父を想いだされる・・。
そして、煎茶を淹れる時は、特に丁重にして、早や40年は過ぎている。



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改めて、和菓子のあれこれ・・♪

2009-05-03 09:34:37 | 食べ物、お酒
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であるが、
お酒は好きであるので、甘い物は苦手で、和菓子、洋菓子は余り食べない。

しかしながら旅行先などで、煎茶、抹茶などを頂きながら、
和菓子を食べさせてくれる処では、家内と共に頂いたりしている。

日常、知人宅に訪問する時は、
お子様が高校生ぐらいの場合は、洋菓子を買い求めるが、
これ以上のお歳を召している場合は、和菓子を使っている。

家内は中学生の時から茶事を学んでいるので、
程々に和菓子に関しては詳しく、
私は和菓子も無知な方であるが、
季節感がかもし出されていれば、独断と偏見で選定する。

旅先で和菓子の買い求める場合、
その地で長い歴史を育(はぐく)んだ老舗の和菓子店を使う。

私は差し上げたお方から、こうした場合は喜ばれている。

その地に生まれ、人々から買い求められ、
味そのもの長年培(つちか)われた和菓子となっているので、
まぎれない和菓子と私は確信している。

和菓子は、その地の風土、文化を代表するひとつと思っている。


このような思いで、ときたま家内と和菓子について話したりすると、
貴方は人前では和菓子について話されないように、
と和菓子の基本も由来も無知な私に家内は苦言する。


私達夫婦の共通趣味は国内旅行であり、
数年前、たまたま私達は釧路の街並みを散策していた時、
偶然に駅前の和菓子屋を通り過ぎようとした時、
『あのお店の和菓子・・美味しそう・・』
と私は家内に話しかけた。

店内に入り、数点の和菓子を見ていたら、
私は購入しょう、と家内に云った。

結果として、私が決めた和菓子に関しては、
殆ど家内に苦笑されることが多かったが、このお店の和菓子に限り、
思った以上に美味しいわ、と賛意を得たのである。

私達は店を辞した時、『柳月』と看板が観えたのである。

http://www.ryugetsu.co.jp/

私がこの中で特に魅せられて、小声で家内に絶賛したのは、
http://www.ryugetsu.co.jp/online_shop/detail.php?id=5
であった。

この後、家内と街並みを散策した時、
『先ほどのお餅・・確かに品位もあり美味しいかったけれど・・
貴方は・・やはり農家の子ね・・』
と家内は微笑しながら、私の幼年期の農家だったことを云ったりした。


古来より味覚は幼年期で決まる、と名言があるが、
私は和菓子も無知なひとりであるが、
まぎれく確かな味の白みそ、柚子などの『百代餅 (ももよもち)』だった、
と心の中で呟(つぶや)いていた。


尚、私も親族も『柳月』に関しては、一切関係のなく、
たまたま賞味したひとりであり、心にも残った銘菓である。




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ビール事情に疎(うと)い私は、思わず微苦笑し・・♪

2009-04-27 09:25:46 | 食べ物、お酒
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であるが、
この2月より市の推薦のメタボの研修を受けて折、
保健師の麗(うらら)かで清純なしぐさの女医さんとの指きりの約束をしたせいか、
アルコールが大幅に変化して我ながら驚いている。


研修を受講するまでは、殆ど純米酒の辛口を2合前後を呑んだり、
ときおり缶ビールを500mLをコブレットに注(そそ)いで、2、3本を呑む晩もあった。

研修後の私は旅行以外の日常生活は、
缶ビール350mLを2本としているが、
ときには1本で満足してしまう晩もあるので、我ながら不思議と感じたりしている。


特にこの時節、日中のひととき、主庭のテラスに下り立ち、
簡易椅子に座りながら、薫風に身をゆだねて、若葉の枝葉を眺めながら、
ビールを呑んだりしたことがあったが、
いまや煎茶を主体に、コーヒーなども飲んだりしているのである・・。
やはり麗(うらら)かで清純なしぐさの女医さんが思いだされたりするので、
私は微苦笑したりしている。


私は東京オリンピックが開催された若き頃は、
実家に住んでいたが、この頃はキリンのラガービールの大瓶を
近くの酒屋から取り寄せていた。

こうしたせいか、私はビールを呑む時は、このビールの味わいになじんでいた。
私は20代の後半になると、バーボン・ウィスキーとかワインが主体で、
ときおりビールを呑む程度であった。
家内と交際していた時、都心の名の知れたホテルのロビーの横にある喫茶コーナーでは、
コーヒーの値段と何故かしらギネス・ビールが同一なので、
私はこの黒ビールを呑むことが多かったりした。


結婚後は、サントリーのウィスキー『白』をオンザロックで呑むことが多かったが、
キリンのラガービールの大瓶を酒屋より取り寄せたりしていた。

この後、実家の近くに家を立てた後、
ビールが主体となり、キリンのラガービールの大瓶を呑んだりしたが、
休日などの時は、6本前後も呑め、わが人生としては一番呑めた時だった、
と苦笑している。


そして40代の頃からは、日本酒が晩酌の友と変貌し、やがて純米酒の辛口となり、
ときおりビールを呑む程度であった。

この頃、日本経済新聞の元旦号を読んでいた時、
愛読書のアンケートの特集記事で、
あるお方が、立原正秋氏の『男性的な人生論』と書かれていた。
経済人の多くは、司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』とか、経済専門書、
歴史専門書等を選定することが多い中で、
中々気骨の或る人と感じ、解る人解る、と私は思わず共感してしまったのである。

このお方は住友銀行からアサヒビールに建て直しに、
最高責任者として一人の男が投入された人であった。
まもなく、このお方の元で、スーパードライのビールの発売にされた。

私は衰退したアサヒビールに少し頑張って欲しいという理由もあったが、
やはり立原正秋氏の作品を愛読していると明記されたこの方に親愛の情を感じてしまい、
私はビールを呑むなら、アサヒビールのスーパードライと切り替えたのである。

この後、旅行に行った時、
たまたまアサヒビールの福島工場が新設された情景を観た後、
アサヒビールは再建され、躍進したのだからと思い、
私はアサヒビールのスーパードライから遠ざかったのである。


この頃、私は作家・山口 瞳の随筆を愛読していたので、
なんとなくサントリーのモルツとした・・。

そして、50代の頃になると、
ビールを呑む時はサッポロのエビスビールが多くなったりしていた。


定年退職後は、相変わらず純米酒の辛口を呑んでいたが、
ときおりビールを呑みたい時は、スーパーなどで缶ビールを買い求めるように変貌した。
そして、キリンのラガービール、或いはアサヒビールのスーパードライで、
価格が廉(やす)い方に選定し、年金生活のせいかしら、と苦笑したのである。

そして、年に何度かの少し高級の食事処に於いては、
サッポロのエビスビールを呑み、少し背伸びしたりしている。

旅行に行ったりした時は、ビールを呑む時は、
北海道の場合はサッポロのクラシックビール、
沖縄の時はオリオンビールと私は選定してしまうのである。


私はスーパーなどに買物に行く時は、牽(ひ)き車のキャリーカートを愛用しているが、
昨今はビールを購入する時は、350mLの24本入りの箱で購入することが多く、
お買い得などの場合、キャリーカートに乗せてくる。

昨日もスーパーのチラシを見た上で、アサヒビールのスーパードライを購入してきたが、
箱を収納する前、
【 あなたの1本が
       明日の日本をつくる 】
と明示されていたので、創意工夫のない宣伝文と苦笑したのである。

私だったら、少なくとも、
【 あなたの1本は
       大いに社会に貢献します 】
と酒税をかけて文案にするのに、と思ったりしたのである。


この後、この箱の先ほどの明示された下段に、
小さな文字で、
【 この商品1本につき1円が
  あなたの住む都道府県の自然や環境等の
  保護、保全活動に活用されます 】
と明記されていたので、私は驚いたのである・・。

そして私は、ネットでアサヒビールのスーパードライを検索したのである。

http://www.asahibeer.co.jp/superdry/umaasu/

このサイトをしばらく眺めていたが、
私はテレビを視聴する時は殆どNHKしか見ないひとりなので、
こうしたキャンペーンは無知だった、とため息をしたのである。

そして年金生活の私は無力ながら、ささやかに貢献できるので、
今宵からはスーパードライに20数年ぶりに専念しょうかしら、
と微笑したのである。


尚、私の現役時代はビール会社とは関係はなく、レコード会社に勤めた身であり、
現在も親族はもとより、親戚もビール会社とは一切無縁です。


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ふたたび、『海苔(ノリ)の日』について・・♪  

2009-02-06 07:04:20 | 食べ物、お酒
私は食べ物のひとつとして、一日おきぐらい海苔を頂いている。

本日は、台所にあるカレンダーは、優しく『海苔の日』と明示されていたので、
私は微笑みながら、少し調べたりしていた。

藤野邦夫・著の『幸せ暮らしの歳時記』(講談社文庫)が一番解かりやすいので、
無断であるが引用にさせて頂く。

【・・
2月6日が『海苔の日』となったのは、
701年(大宝1年)に施行された『大宝律令』によってである。

大宝律令とは、7世紀からの制度をまとめた基本的な法律で、
そこでは海苔が諸国の物産として、年貢に指定されているという。

それに基づいて、『全国海苔貝類漁業共同組合連合会』が、
大宝律令の施行日を現在の暦に換算、海苔の消費拡大を図って、
2月6日を『海苔の日』にしたのは、1967年(昭和42年)のことだった。

海苔は太古の昔から日本人に親しまれたきた食品で、
19世紀末に来日した外国人が、
『日本人は紙と竹で造った家に住み、黒い紙を食べている』
と仰天したというエピソードが残されている。

しかし今では、寿司などの普及と共に、
諸外国でも比較的なじみ深い食材になっているように思われる。

『海苔』という名称は、
ぬるぬるするという意味の『ぬら』が訛(なま)ったものである。

海苔はビタミン含有量は高く、
特にビタミンAはトマトの60倍以上も含まれて折、
カルシウム、りん、鉄分などのミネラルも多い。
また、29.1%も含まれる食物繊維の豊富さが注目される。

しかしながら、海苔で最も珍重されるのは、香りと風味と歯ざわりである。

・・】

以上、引用させて頂だいた。


私は炊き立てのご飯、そして味噌汁・・
そしてさぁーとあぶった海苔だけの食事でも、
この世に稀(ま)なほど美味しい食べ物のひとつと感じている。

私は普段は倹約家と思っているが、海苔に関しては高価な品を買い求めている。

私が死ぬ間際、やはりご飯、味噌汁、そして海苔で、
最後の晩餐としたいと思ったりしている。




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齢を重ねた64歳の私は、生まれて初めてヨーグルトを賞味して・・♪

2009-01-17 08:55:26 | 食べ物、お酒
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の5年生であるが、
昨夜、生まれて初めてヨーグルトを賞味したのである。

私達夫婦は、少し風邪気味であったので、
私は昼前に買物を済ませた後、
2時過ぎに海苔、佃煮、そしてシャケを頂きながら、
味噌汁と共にご飯を多めに食べたのである。

私は古風なタイプのひとりであるので、元気のない時は、
お腹いっぱい食べるのが、何よりの対策であると、
固く信じている拙(つたな)い男である。

夕方、お互いに早めに風呂に入った後、
『貴方も・・風邪薬・・飲んだら・・』
と私は家内から云われたりしたのである。

家内は一年に一度ぐらい風邪で早めに寝て休むことがあるが、
私の場合は、季節の変わりめに風邪をひく場合が多く、
ひどい時は5日前後、体調を崩す気弱い男である。

『夕飯はよいから・・早く休んだら・・』
と私は家内に云った。


この後。私は7時過ぎにひとりでコーヒー、煎茶を飲みながら、
菓子パンを2つ頂いたのである。
そして、8時過ぎに、何となく物足らなくなり、
冷蔵庫に保管してある家内の愛食しているヨーグルトを見つめて、
食べてみようかしら、と思いたったのである。


私は中学生の頃に、好奇心でヨーグルトを食べはじめた時、
牛乳の腐った感じで酸味もあるので、
ひと口、口に入れた後、私には合わない食べ物のひとつと確信し、
これ以来、敬遠していたのである。


私はおそるおそる食べはじめたのであるが、
何故かしら美味しいと感じて、もうひとつを食べて、
『ヨーグルトって・・美味しいだぁ・・』
と私は心の中で呟(つぶや)いて、ワンパック頂いてしまったのである。


http://www.meinyu.jp/product/yogurt_dessert/tokachiyogurt/

私は食べ終わった後、『北海道 十勝』と明記されていたので、
私は幾たびか北海道に旅行で訪ねたこともあり、
何かと北海道の食べ物が心身波長が合うので、
このヨーグルトも、お友達のひとりになった、と微笑んだのである。


今朝、顔を洗っていた時、
呑兵衛の私としては、たまたま休肝日となり、
生まれて初めてヨーグルトを頂いたのであるから、
少しお肌が良くなったかしら、と鏡を見つめ直したりしたのである。





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私なりの『一汁三菜(いちじゅうさんさい)』は・・♪

2008-11-15 15:10:46 | 食べ物、お酒
今朝、読売新聞の朝刊を読み、思わず私は微苦笑したのである。

『食 ショック 第四部』で、『変わる文化と習慣 Ⅰ』の特集連載の記事があるが、

【 崩れる「一汁三菜」 】

という見出しが第一面で大きく載っていたのである。

【・・
東京家政学院大・家政学部長の江原絢子さんは、
皿数が多く、彩りも鮮やかな「一見きちんとした食卓」に
問題が潜んでいると指摘する。
「和食の柱、『米と汁』の存在が薄れ、おかずばかりが目立つ」

「一汁三菜」---
ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の食は、
高度成長を経て急速に崩れていく。

・・】

以上、無断であるが記事の1部を引用させて頂きました。
注)記事の原文をあえて改行を多くした。


私は年金生活5年生の64歳の身であり、
買物と散策以外は殆ど家の中で過ごしたりしている。

小説、随筆などを読んだり、居間で映画を観たり、
或いは音楽を聴いたりしてる。
そしてときおり、庭の手入れをしたり、家内と国内旅行をしている程度である。

我家は家内と2人だけの家庭であるので、
食事に関しても、自在に頂いている。


朝食は8時過ぎが多く、
私は大きめのご飯茶碗、味噌汁も大きめで、
サケの瓶詰、海苔缶を用意したりしている。
今朝の朝食などは、ご飯の上にサケ、海苔、そしてコブの佃煮をのせて、
カブの醤油漬けと共に頂いたりしたのである。

家内は食パンにジャム、オレンジ・ママレード、或いはブルーベリーを塗り、
二枚ばかり食べながら、コーヒーを飲みながら頂いている。

私は幼年期は農家の子であったので、
少なくとも1日に1食は、ご飯を腹いっぱい食べないと
不満足な男である。

『ご飯の方が美味しいのになぁ・・
このような3色弁当みたいに・・贅沢な食事できて・・
喜ばしい限りだょ・・
恐れ多くも天皇陛下さま・・このような食事、頂いているのかしら・・』
と私は機嫌よく家内に云ったりしていたのである。


私は1日2食が多くなってきて、
昼食は食べたとしても軽く、菓子パン程度で充分である。


我家のメィーンは夕食の時であり、
私は純米酒かビールを呑みながら、
家内の料理した牛、豚、鶏、ラムのいずれかの肉類を中核とし、
野菜なども盛大に食べ、
そして最後には茹(ゆ)でた塩エンドウ豆を頂いている。
そして、この間に家内とたわいない話を少なくとも一時間はしている。

私は現役時代に多忙で、深夜に帰宅しても、
家内と夜食をしながら、たとえ睡眠時間を削っても
1時間前後、今日の出来事などを話したりしていた。

いつの日だっか忘れてしまったが、
家内が、貴方はいつも宴会みたいに夕食をするのね、
と云われたりした。


私は現役時代の時は、あわただしく朝食を頂き、
昼食は会社の付近の食事処で外食をしたが、
夕食か夜食は結婚以来相変わらずペースで、30数年すぎている。

そして年金生活になると、
朝食は私はゆっくりとご飯を頂き、味噌汁を飲み、
自分が食べたい品を頂き、早や5年目となっている。



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