ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

大学の人文社会系の学科は縮小すべき?

2015-11-18 09:19:20 | 東工大

文部科学省が今年の6月に「大学の人文科学系の学科は縮小すべき」と解釈できる通達を出し、大学を含めて多くの知識人が強く批判している。文科省自体「誤解を招く表現だった」と半分取り消すような言い方をしている。しかし、私には批判のほうに問題が大きいように感じられる。日本に文化人と呼ばれる人たちの底の浅さを感じる。

ほとんどの批判は「人文科学系の教養は大切だ。だから縮小せよと言って軽視するのはけしからん」というものである。一見正論であるが、人文科学系の教養が重要だということと、大学に学科を置くことの間には大きな乖離がある点を無視している。東工大は工学系の大学で科学者や技術者を育成することを目的としている。だからと言って文学や哲学の事業が必要ないわけではない。しかし、平安文学やイギリス文学を専攻とする教授を抱える必要もない。授業のやり方にはいくらでも工夫の余地がある。まず、学生に人文社会系の教養を持たせることと、それを専門とする教授を抱えることは異なるということを認識すべきである。大学の学科の規模とは基本的にどれだけの教授を抱えるか決まる。また、教授は論文を書くことが求められるので狭い分野に特化しがちな点も問題である。これらの要因によると思うが、客観的に見て日本の国立大学の人文社会分野は理科系と比べてレベルが低く、無駄が多いように思う。

今年の10月には26の国立大学が人文社会系の部門を見直すと発表している。これらの大学の学長にしてみれば、「文部科学省の通達は学内を説得するために背中を押してくれた」、という感じではないかと思っている。しかしこのようなコメントを出している文化人は見たことがない。このブログの読者はどう感じられるだろうか? 大学は文部科学省の圧力に屈しておかしな方向に動き出したと思っているだろうか?

大学教育は社会のは流行に沿ってころころと教える内容を変えるべきではない。しかし、いつまでも同じことをやっていて良いわけもなく、時代に合わせて変化していくことも不可欠である。それは大学の経営陣が自分で判断すべきことである。文部科学省の通達を私が良いと思っているかといえば、私がいつも言っているように「マイクロマネージメント」だと思っている。大学に自主的に判断させるように、大学全体としての評価システムを確立することが文部科学省のやるべきことだと思っている。


後期授業始まる

2015-10-19 09:09:53 | 東工大

私にとって最期の授業になる後期の授業が始まった。私の東工大での任期は今年いっぱいなので、来年の後期の最後のほうは大学に居ないことになる。そこで来年は非常勤講師として講義を完遂させることにしている。

例年、私の授業の受講者は10人前後だが、今年は20人以上が来ている。最初の数回の授業では学生は色々な授業に顔を出してどれが良いかを選択するので、最終的に何人になるかはまだわからない。しかし、私の授業では学生に議論をさせて、議論への参加度合いと発言内容で成績を決めることにしているので、人数が大きく異なると進め方を考えないといけないと思っている。

最初の数回は参加者が確定しないので講義にしているが、今年の受講者には欧米系の学生が多く、適宜質問を入れてくれるのでやりやすい。ちなみに私の授業は英語で行っており、殆どの受講生は留学生で日本人の受講生は毎年1人か2人である。

今年は5年間の最後の年なのでスポンサーであるJR東日本に対しての5年間の総括もまとめないといけないし、研究として手掛けてきた電波の有効利用もまとめておく必要がある。忙しい秋になりそうである。


次の端末に何を買うか迷う

2015-10-06 14:18:37 | 東工大

以前、このブログで報告したのだが、私が大学で使っているノートPCのキーボードが故障してしまった。本体は生きているので、外付けのキーボードを使ってしのいでいるが、無線LANが起動できなくなったのがなんとも不便である。デバイスマネージャで見るとハードウェアは問題ないようなのだが起動するスイッチが働かない。無線LANが使えないと会議室に持っていくときなど非常に不便なので買い替えようかと思っている。

大学勤務は残り3か月を切っているので、終わった後のことを考えないといけない。ウィトラのオフィスには大きめのノートPCがあるので、小型のノートPCを買おうかと思っていたが、小型のものは値段が高い。そこでWindowsのタブレット端末も候補に入れて見ているのだが、Windows Tabletは数が出ておらず、どうも使いにくいのではないかという予感がしている。そこで最近はiPadを考えている。

iPadの問題はWordやPower PointといったMicrosoft Officeのソフトが使えないことである。見るだけなら良いのだが編集作業はできない。そこでMicrosoft Officeを使わないことを考え始めた。現在私はMS-Wordの代わりにGoogle Docsを使っている。厳密にいうと下書きをGoogle Docsで行い、清書はMS-Wordで行っている。今年の初めくらいからこのパタンでやっているが次第にGoogle Docsが使いやすくなってきている感じがしている。

同様にプレゼン資料をGoogle Slidesで作成して仕上げをPower Pointにすれば結構使えるのではないかと思い始めた。試しにちょっと使ってみたが、結構いけそうである。アニメーションもできるようになっている。Power Pointの資料としてセーブすることもできるので結構いけそうである。Googleの良いところは異なる端末から同じ資料を編集するのが非常にやりやすい点である。こうして次第にMicrosoftは業績が悪化していくのではないだろうかと思う。

iPadを買うのならAppleの同様なアプリを使いそうなものだが、私はGoogleは好きだがAppleは好きではないので、できるだけGoogleにしたいと思っている。Googleは様々なサービスを無料で提供しており、私はGoogleには「お世話になっている」という感覚を持っており、有料のクラウドなども使うときはGoogleをまず考えようと思っている。


科学技術の長期トレンドを考える

2015-09-21 11:15:43 | 東工大

今日は多くの会社で5連休の中日だが我がウィトラは仕事をしている、と言ってもいつもよりのんびりした感じである。以前にも書いたような気がするのだが科学技術の長期トレントについて感じていることを書いてみたい。

私の見方では20世紀の前半(1960年頃まで)の社会に大きな影響を与えた技術は人類が動力と電気を手に入れたことだと思う。これらがあらゆる面での人間の行動を活発化させ、技術もあらゆる分野で進歩したのだがやはり生活に大きな影響を与えたのは交通と電気だと思う。

20世紀の後半は半導体技術の進歩による情報通信機器の進歩である。コンピュータや光ファイバの性能は10万倍、100万倍に上がった。

そして21世紀の前半はインターネットと生命科学だと思う。生命科学の進歩と影響も非常に大きなものになると思うが、経済的に影響の大きいのはインターネットだと思う。インターネットは目に見えるものではないので「それほど影響が大きいのか」と思われるかもしれないが、私は知識の獲得手法が格段に進歩し知識を獲得しやすくなる点が大きいと思っている。これは「情報格差」を少なくし、世界各地での価格相場を知らないで安く買いたたかれていたアフリカの人たちなどに大きな恩恵をもたらし、経済格差縮小に役立つと思う。先進国では必要とされる「知識」の質が変わってくる。

21世紀の後半は「ロボットの時代」になると思う。この時代になるとIBMの「ワトソン」のような巨大人工知能、ロボットスーツ「HAL」のような人間の体の動きを助けるものができて、人間の生活はまた大きく変わると思う。そしてこの時代になると縮小した経済格差は拡大する。今、人間の多くが比較的「高級」と思っている仕事が7割くらいロボットに置き換えられていくだろうと思うのである。学校教育、中間管理職の判断、研究などがロボット(人工知能)が指示を出してその通りにやったほうがうまくいくようになる。例えば薬の開発などでも「これとこれを組み合わせてやってみたらどうか」ということを人工知能が100種類ほど提示する。人間はそれに従って薬を作ってみて動物実験を行い人工知能に報告する。人工知能が次の提案をする。特定の研究室ではせいぜい2-3種類しか試せないが、人工知能は世界中の情報を集めるので実験の進み方がまるで違う。人間が指導する研究室は人工知能に負けていくわけである。こうして多くの人間はロボットの指示に従って実験を行い報告を上げる部下になる。

もちろん、人工知能を制御する人間もいるわけだが、それはごく一部の極めて優秀な人たちである。そして世界中が「この極めて優秀な人たち」の奪い合いになる。こうして格差が拡大していくわけである。

格差縮小と格差拡大は多少時間のずれはあるが、重なって同時並行的に起こる。今、世界では先進国と新興国の格差縮小が起こると同時に、先進国内での国民の経済格差の拡大が起こりはじめている。

こうした流れに対して、全体的に日本は問題意識も取り組みも遅れていると感じている。私自身は人間が人工知能に使われる時代にはおそらく生きていないと思うが、私の孫くらいの世代にとっては大きな問題になるはずで、今から考えておくべきだろうと思う。



大学教育について考える(2)

2015-07-17 17:11:15 | 東工大

私の大学勤務も残り半年を切った。現在大学では教育改革が進行中である。国立大学も法人化され、実力をつけなくてはいけない状況にある。私は特任教授と言う立場で投票権などは持っておらず意見を言う立場にはないので詳しくは知らないのだが、どうも根本的な見直しにはなっていない印象である。前回は大学で[スキル」を見いつけさせるべきだと書いたが、今回は授業内容について書いてみたい。

東工大の授業メニューはOCWと言うシステムで公開されておりシラバスと呼ばれる授業概要はインターネットで見ることができる。東工大の工学部の学部生向けの授業メニューを見るとなんと全体で960科目もある。この中には必修科目と選択科目があるはずだが、それはちょっと見ただけでは分からない。しかし授業メニューを見ると「供給側の論理」が圧倒的に優先されている感じがする。つまり教授達が自分の研究室に学生が来る時に勉強しておいて欲しい科目が並んでいると言う感じである。私はこの点に違和感を感じる。学生に教えるべき内容は教授達が教えたい内容を並べるだけではないだろうと感じるのである。

私の出身校である京都大学の工学部のカリキュラムを見ると全科目の一覧表は無く、1,2年目は一般教養、3年目は専門の準備、4年目は専門科目、というような書き方になっている。この一般教養は人文・社会科学系、自然・応用科学系、外国語系、現代社会適応科目系、拡大科目となっている。京都大学は総合大学であるだけに科目の幅は広く、基礎をきちんと教えるようにはなっているが、やはり供給側の論理は感じられる。私の感覚で言うと現在社会適応科目系をもっともっと充実させるべきであると思う。大学と言う一般社会から離れた場所で仕事をしている教授達は一般的にこの分野はあまり得意では無く、外部講師を招聘する必要が出てくるので充実は難しいのだろうが、大学教授でもこの分野を語れるように訓練すべきだし、必要なら社会人を外部講師としてどんどん招くべきだろうと思う。

そもそも大学は「教養とは何か」をきちんと考えるべきだと思う。文学の分野で言えば紫式部や清少納言は「教養」と捉えるが、又吉氏の「火花」のような最近の芥川賞は教養と捉えないような感覚が大学にはあるのではないかと思う。しかし最近の芥川賞や直木賞はどういう傾向にあるか、文学は低調になってきていてアニメにクリエータは動いてきておりアニメで質の高い作品が最近は出てきている、と言った話のほうが現代では「教養」として適しているのではないかと思う。経済学で言えばケインズの経済学などよりも会社の仕組み、株式の仕組み、投資の仕組みなどのほうがむしろ重要な「教養」なのではないかと思う。

私の意見は即物的すぎるのかもしれないが、こういったことを含めて「本来どうあるべきか」を大学改革では議論してもらいたいと思っている。


レベルの低い毎日の社説

2015-07-07 10:43:22 | 東工大

日頃から毎日新聞の社説はレベルが低いと感じていたが、今日はまさにその典型だった。今日の社説は2件あり以下のようである。

ギリシャ問題について:
ギリシャの態度はけしからんが、ギリシャがユーロ脱退すると世界経済に大きなインパクトがある。EU首脳の英断を望みたい。

韓国との関係:
世界遺産問題で日本は韓国に振り回されたが、これで対話の窓を閉じてはならない、両国政府はうまくやってもらいたい。

どちらも、片方の意見を採用すればもう一方が困るまたは怒る、という問題であり、それに対して「政府はうまくやってもらいたい」という意見である。考えた結果の会社の意見とは到底思えず、願望を述べただけである。これで社説と呼べるだろうか?難しい問題に対して自分の解決策はなく、両方を立てるように「うまくやれ」と言い、政府がどちらかを立てればマイナス面を強調して政府を批判する。こういった新聞社の態度が日本の世論に影響しているような気がする。今、自民党の圧力の問題で日本国内は大騒ぎしているが与党経験のある政党は内心では似たようなことを考えているだろう。

テレビの時事番組などでもこういった態度を取る人が多く、私は苦々しく思っていたのだが、ある人によると一見何も考えていないように見えても、あのような人は時事番組のコメンテータとしては必ず必要で、局は意識してそういう人を入れているそうである。それは国民の中に同じように思っている人が多いはずで、それを代表しているということである。それを自分は別の考えを持っているのだが、国民はこのように思っているのではないかと忖度して発言すると見透かされてしまうので、本当に分かっておらず素朴な疑問や期待を持つ人が番組内に必要だから、という説明だった。国民の意見が分かれているときはそれぞれに対してそういう人が必要で、しっかりした意見を持つ人を入れる余地がなくなる。それが日本の時事番組の作り方だ、という記事を読んで、私は「テレビはそんなものか」と思うようになり腹は立たなくなった。しかし、社説までそのレベルではやはり腹立たしい。

税金は上げずに、借金を返し、物価は安定させて、国民の収入は増やし、福祉は充実させる。そんなことが現実にできるのかどうかは考えずに政府にそれを要求し、どこかで問題が出るとその部分を批判する。それがマスコミのあるべき姿だと信じて情報発信を続け、国民がそれを信じるようになれば、日本のギリシャ化もあり得るだろう。

金が無ければ支出を減らすのは王道である。チプラス首相が、安倍総理のように金融緩和をして経済を上向かせ、借金を返済するというシナリオを持っているならまだしも、「皆で借金を踏み倒そう!オー」という態度では見捨てられて当然だと思う。ロシアや中国が救済に入る可能性はあると思っているがその時には必ず表に出ない裏の契約が入るだろうと私は思っている。その裏の契約は政府幹部にとって好ましく、国民にとって好ましくないものになるだろうとも思っている。


大学教育について考える

2015-05-22 09:08:02 | 東工大

今日は教育について考えてみたい。インターネットの普及によって一般人が情報を獲得することは飛躍的に容易になった。印刷技術の発明に匹敵する、あるいはそれ以上の技術革新だと思う。教育内容はその状況に合わせて変化していくべきだと思うのだが少なくとも日本の教育の変化は非常に遅いと思う。教育は幼稚園から社会人まで全てで行われるが、社会人教育が一番変化に対応していると思う。今日はその中で大学教育、それも私が身を置いている大学院ではなく学部の4年間の教育について考えてみたい。現状の大学までの教育は大学入学を目標としており、ここを変えるのが教育を変える突破口になると思うからである。

大学の教育改革はあちこちで言われ、東大の秋入学が有名だが東工大でも教育改革を唱えている。しかし、今一つ私にはピンと来ていない。私は「どういう人材を育てるか」「何を教えるか」を抜本的に見直すべきだと思う。大学では「国際的リーダシップを取れる人材」を育成する。そのために「英語教育を強化する」などと言っているが何か違うのではないかと感じている。

私は大学4年間の教育として、一般教養は不可欠だと思う。良い例が東工大での池上彰氏の授業である。あのような現代社会を知るための授業は多くの学生が受けるべきだろう。会社の仕組み、司法の仕組み、世界の政治体系(民主主義、共産党一党独裁、北朝鮮やサウジアラビアのような世襲制)、議会の仕組みなど、経済の仕組み、芸術の仕組み(芸術がどのように評価されているか)、などである。大学4年生までは教授が自分の研究分野に関して話すよりも、世の中の仕組みとそれぞれの人たちがどのようにして生活を支えているかを教えることが必要だと思う。これらは「知識として教える」というスタンスで良いと思う。

専門分野に関しては知識教育は大きく絞り込み「スキル育成」に注力すべきだと思う。特に大学では「スキルを獲得するスキル」を身につけさせることが重要だと思う。「スキルを獲得する」という意味でもっともよく機能しているのはクラブ活動、それも本格的なクラブ活動だと思う。いわゆる体育会系の運動部でレギュラーになれば大体スキルを獲得したとみてよいと思う。「スキルを獲得するスキル」を身に着けさせるには複数のスキルを獲得することが良い。従って「少なくとも二つのスキルを卒業までに身に着ける」ことを重要な評価指標とする。

スキルの中身は学問に限る必要はない。空部活動で獲得した運動や芸術でのそれを一つのスキル認定し、それに加えて大学で教えるような内容で一つのスキルが獲得できればよい。私の場合だと囲碁を一つのスキル獲得として認定してもらってよいと思う。スキルを獲得すると言っても自転車に乗れなかったのが乗れるようになった、というレベルではスキルとは言えない。自転車に乗ることでもスキルとして認定するには大会に出てある程度の実績を残すレベルが必要だと思う。

学問にかかわるスキルに関しては「何ができるか」がスキルであるのでそれを規定する必要がある。コンピュータプログラミングでも良いし、電子回路や機械の設計でも良い。数学科などはスキルの認定が難しそうで工夫する必要があると思う。論文は実績であり、スキル獲得の根拠にはなるが、論文自体はスキルではないのできちんと分けて考える必要がある。レベルも重要でどのレベルのスキルかを評価尺度として導入したほうが良いと思う。

最終的には現在の単位認定をスキル認定で置き換えていくのが良いと思うが、移行期間としてスキル認定を授業の単位と同格に扱って、卒業の要件とするのが良いと思う。そしてスキルには特別の名称を与え、就職活動などで「うちの大学ではスキル認定というのをやっていて、これまでにこういうスキルを獲得しました。卒業までにはこれもスキルとして獲得する予定です」と語れるようにすれば就職の助けにもなると思うのだが、いかがだろう?


大学の大宴会

2015-03-04 08:29:47 | 東工大

2日、3日と1泊で塔ノ沢の温泉に行ってきた。昨年も書いたと思って調べてみたらやはり昨年もこの時期に宴会があり記事を書いていた。こういう宴会はあまり好きではないのだが、今年で最後ということもあり、参加することにした。

参加者は東工大の電気・情報系の教授と准教授で70人くらいいる。今年3月末で退官する教授をねぎらうのが主目的である。昨年は3人が退官し、3人ともよく知っている人だったが今年は5人退官したが言葉を交わしたことのある人は一人だけだった。その一人の教授は仲良くしてもらっていたので、「ご苦労様」と言いたい。

毎年感じるのだが、参加者が男ばかりというのが異様な感じがする。今年は一人だけ女性がいたが畳の部屋で浴衣で参加する宴会には女性は参加しにくいだろうと思う。元々女性が少ないのにこれではますます参加する気がなくなるだろう。おそらく、これまで退官を祝ってもらう側に女性は一人もいなかったのではないかと思う。将来的には女性の退官教授も出るはずだから、立食パーティにするほうが良いと思うし、教授間の交流もやりやすいと思う。東工大の教授が男尊女卑ということは全くなく、紳士が多いので、幹事が工夫すればよいことだと思っている。

そもそも大学教授は男性が多い。アメリカでも男性教授が8割で、経営者よりもむしろ教授のほうが男性比率が高いそうである。なぜなのかはよくわかっていない。日本では女性は特に工学系で少ないように思うがいずれ増えてくるだろう。

今年は花粉症に悩まされた。花粉症の薬を持っていくのを忘れてのだが、箱根は横浜よりもはるかに花粉が多かった感じがして、鼻が詰まって眠りにくかった。今週の月曜日あたりから急に花粉が増えた感じがしているが特に箱根のほうはスギ花粉が多かった感じがする。例年もこの時期に宴会があるのだがそれほど花粉を意識した記憶は無いので今年は早いのだろう。歩くときはゴーグルとマスクをしている。マスクをすると吐く息が上に流れてゴーグルの中に入りガラスが曇るのが悩みの種である。今日から東工大で「移動通信ワークショップ」が開催され、来週は立命館大学で学会がある。学生の卒業がきまり、3月が各界の季節である。


若者に必要な能力は?

2015-02-18 08:02:37 | 東工大

大学での後期の授業は大体2月の第1週で終わり、あとは卒業のために発表会とか審査会、卒論提出、入試と言ったプロセスに入る。私はこの春卒業する学生を抱えていないので比較的気楽に過ごしている。

授業の最終回は私は講義ではなく学生とのDiscussionを英語ですることににしている。内容は以下のようなものである。「私が大学を卒業したころには、パソコン、インターネット、ケータイのどれもなかった。今の生活からは考えられないような変化だろう。今や君たちは図書館を手の中に持っているようなものである。君たちがこれから生きていく40年間にはもっと大きな変化が起こるだろう。これからの40年間を考えるときに必要な能力は何だと思うか?」

話のはじめとして「私の若かった時代には知識が極めて重要だった。これからに時代知識は必要なくなるのか?」というような話をする。知識が不要という人はいない。どのような知識が必要かは時代とともに変わってくる。「検索して出てくる知識はたいしたことは無い」、という人がいるが検索しても出てこない知識はなかなかない。自分の中で一つの知識を他のものとどう結び付けるかが重要だ、「理解する」ための知識が重要だ、という方向に話は向かう。では「理解する」とは何か?「他の人に説明できることだ」という学生がいる。「理解していても説明できないこともある」という学生もいる。それでも「教科書に書いてあったから」ということではなく説明しようといろいろトライできることが理解しているということだろう、ということになる。どういう知識が重要かは学生だけでなく社会人全体にとって重要なことだろう。「使える知識」が重要でその知識は単純な知識と何が違うのかを認識する必要があると思う。

必要な能力に関しては「コミュニケーション」「想像力」「創造力」などいろいろ出てくる。いずれも結論が出る問題ではないが、こういった問題に注意を喚起して考えてみるのは重要なのではないかと思っている。



秋の花粉症

2014-10-20 10:40:55 | 東工大

私にとって、秋の花粉症の季節が始まった。病院に行って花粉症と診断された訳では無く、勝手に思っているだけなのだが、ここ数年、この時期になると症状が出る。スギ花粉のように、目がチカチカ、鼻水が出るという症状では無いのだが時々くしゃみが出るのと、喘息のように気管支が晴れている感じがして呼吸が通りにくくなる感じがする。

私は、皮膚科に通ってアレルギーのくするを定期的にもらっている。「じんましん」と言う診断だが食べ物で症状が出る訳では無く、家ダニ等のアレルギーで体にかゆみが出る。このための薬(アレロック)は花粉症にも効くのでスギ花粉の時期には飲む頻度を増やす。同じように秋のこの時期にも飲む頻度を増やすと症状が改善するので自分で「花粉症」だと判断している。

秋の花粉症については昼間はあまり問題を感じることは無いのだが、夜寝ていると呼吸不全の感じがして寝苦しくなる。なかなか寝付けないので起きてパソコンをいじったりしていると苦しさは感じなくなるが、寝不足になってしまう。昼間は体が活動的で呼吸も無意識のうちにそれだけ大きくしているので問題が無いのだが、寝ている間は呼吸機能も下がってきて空気の通りにくさを感じてしまうのではないかと感じている。

今日、始めてマスクをして家を出てきた。気のせいか呼吸が楽な感じがするが、昼間は元々問題を感じていないので今夜どうなるかで効果が分かると思う。中国北京のマラソン大会でマスクを捨て走っている人の映像がニュースで流れていたが、PM2.5はマスクを通り抜けるので殆ど効果は無いだろう。これに対して花粉は粒子が大きくマスクでかなり防げるので花粉が原因ならば症状が改善するはずだと思っている。