備忘録として

タイトルのまま

孫子

2007-10-06 12:57:40 | 中国
孫子とは春秋時代の孫武と戦国時代の孫臏(ソンピン)の二人を指す。
以前読んだ海音寺潮五郎の”孫子”は孫武と孫臏(ソンピン)の物語を書いた小説であるが、今回読んだ浅野裕一著”孫子を読む”は孫武が書いたと言われる孫子の兵法十三編を湾岸戦争や太平洋戦争などを例に解説したものである。

春秋時代、呉越同舟や臥薪嘗胆で有名な呉越の戦いで登場するのが孫武で、呉王闔閭(コウロ)に謁見したとき軍隊を指揮するところを見せろと請われ、女官を2隊に分け、王の2人の寵姫をそれぞれ隊長にして十分に訓練したのち、軍令を発したが女官たちは笑って従おうとしなかった。そこでもう一度指令を徹底したのち、軍令を発したが、またしても女官たちは命令に従わなかった。そこで孫武は”指令が行き届かないのは将軍(孫武)の罪だが、中身が分かっているのに指令に従わないのは隊長の罪だ。”と言って、王の懇願を退けて二人の寵姫を切り殺したのち、新しい隊長を任命し再び命令を発したところ、今度は全員一糸乱れず軍令に従った。これによって呉の将軍になった孫武は楚への復讐に燃える死体に鞭打つで有名な伍子胥とともに呉の勢力拡大に貢献した。
一方、孫臏は兵法の同門であった友人である龐涓(ホウケン)に裏切られ膝から下を切断された。龐涓が将軍となっていた魏の敵国である斉の軍師となって戦場で復讐を果たす。
これらの話は司馬遷の史記にあるのだが、後世に残された”孫子の兵法十三篇”を誰が書いたのかは長い間論争になっていた。孫武自筆説、孫臏作、さらに後人偽作説などがあった。しかし、1972年に山東省の前漢時代の墓から孫氏の兵法と孫臏の兵法の双方が発掘されたことで十三篇が孫武によるものであることが判明したのである。

さて、以下は”孫子を読む”からの銘記すべき箇所。
1.指揮官の資質に関して
事前に周到な準備をしてシナリオ通りに行動するするのでなければ不安でしかたないという人物は指揮官には向かない。指示されないと動けない、型どおりにしか動けない、小心翼々(気が小さい)として生真面目な人間は指揮官には向かない。指揮官は刻々と変化する戦況に臨機応変に対処しなければならない。
2.山本五十六の”一年は暴れてみせる”は大勢に迎合した言である。
勝算がないとわかっていたのなら最後まで開戦反対を貫きとおすべきだった。孫子は勝てない戦はするべきではないということが大前提となっている。日本では、目上の者に対する慎み深い態度や周囲との協調性が美徳とされ、逆に相手かまわず自己の信念を執拗に主張したり、あからさまに人の意見の欠陥を指摘するような人間は狭量だと排斥される。自分の確信なしに周囲の雰囲気に同調する和をもって貴しとなす的な協調性を否定しない限り、何度でも敗北する。
3.孫子は拙速を肯定する。
日本人は拙速嫌いだが、用兵でスピードを失すれば勝機を失うし、長引いて泥沼化した戦争は、今のイラク戦争、10年に及んだベトナム戦争、15年続いた日中戦争など枚挙に事欠かない。
4.指揮官は兵を選ばない。
部下の意欲や能力の低さを嘆くのではなく、かれらの心理を操作し勢いをつける。
5.風林火山
風林火山とは孫子による変幻自在の進撃を指すもの。武田信玄も山本勘介も孫子を読んでいたが、日本では適用しがたいと思っていたようだ。
6.孫子好きの日本人は孫子の教えに背いている。
孫子は戦意のない農民を戦わせることを前提として兵学理論を組立ており、精鋭部隊の勇戦奮闘ではなく、素人集団によってどうやって敵をだまして勝つかを考える兵法である。日本人の好きな”正々堂々と戦う”や””寡兵よく大敵を制す”という発想はない。武士道、倫理観、職人気質、凝り性などの日本人としての美徳が臨機応変であるべき思考を阻害している。

結論は、日本人は気質として、戦争、特に国と国との総力戦には向いていないので戦争はしないほうがいいということだ。

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