TEAM KAKERU掲示板より転記
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肝心な1区なのに、6位圏内どころか13位という絶望的な順位となってしまい、みんなが1年掛かりで仕上げてきた成果を発揮する最高の舞台を奪ってしまいました。ほんとうに申し訳ありませんでした。
1.レース展開(スタートからゴールまで。Pageの中心)
最前列のアウトからスタート。トラック内は冷静に走りました。昨年と同じく前から3列目くらいに位置して周りの状況を確認しました。ペースは昨年よりやや速めに感じました。周回路に出た1周目、予想通りTTランナーズが先頭に立ちました。そこに名大倶楽部がついて先頭を引っ張る形となりました。ペースを上げていこうとしていました。層の厚い学生を相手に、1区で稼いでおきたいという思惑はどのチームも同じ。さらに守山自衛隊、愛知学院大、愛教大、アスカムR.C、が続き上位6チームで集団を形成。前のペースを伺う形で名城大、KAKERU、OWLS、愛大、南山大、でんでんむし、岐阜経大、トヨタ田原、が7~14位の第2集団を形成。おそらく第1集団からは3周目になって何人か零れ落ちてくるはず、そこを狙って抜いていけばいい。2区以降を考えると名大倶楽部には先行されたくなかったのですが、1周目で付いていったら先に自分が潰れる気がしていました。だから相手が落ちてくるのを待つ形としてしまいました。自分にとって相性のいいトラックの記録会のように、集団で走って徐々に人数が減っていく中で勝ち残ろうと考えていました。周回路南側のストレートで徐々に第1,第2集団の差が広がり始めました。予想外なのは名城大が第1ではなく第2集団にいる展開。なんとしてもこのチャンスを逃さず先行して2区に繋ぎたい。周回路1周目の通過は7'11"。(昨年のカーニバルでは1区7.9kmを24'53"で8位でした。今年は24'20"か最低でも24'30"では行きたいし、実際にそれくらいでは行けると感じていました。1周2.3kmでは7'08"のペース設定。)集団走であることを考えればほぼ想定通りのペース。昨年は1周した時点でもう少しだけ楽だった気もしましたが、それは誤差の範囲。2,3周目にかけて徐々にペースが上がっていくはずなので周囲が動くのを待ちました。
2周目、周回コースの序盤は、第2集団の先頭を引く形となっていました。コース上にマンホール蓋で小刻みなアップダウンがあったり、後続選手と何度も足先が接触したり、とても走り辛い状況でした。そのたびにバランスを崩しつまづきそうになりました。力を貯めたいところでしたが、逆にストレスが貯まる中盤でした。前方では第1集団から愛教大が遅れ始めているのが見えました。このまま集団で追っていけば愛教大は吸収できる範囲。あまりにも走り難く、余計な力を使うので、第2集団の先頭を譲って中位につくことにしました。しかし、あっという間に抜き去られ、すぐに集団の最後尾となりました。それでも落ち着いて周りの様子を伺いながらついていきました。周りを風除けに使って力を温存、勝負は3周目だとみていました。
2周目の終盤。トンネルをくぐって3周目へ。ここで自分が徐々に遅れているのに気付きました。付けそうで付けない差。これ以上差を開けてしまうと追いつけなくなってしまう差。かといってここでペースを上げて一気に詰めて並んでもすぐにまた離されてしまいそうな差。ジリジリと離されていくなか、自分はどうしたらいいのか分からなくなっていました。特に今年は、全チームの力が拮抗しているため、1区で遅れたら致命傷だとわかっていながら、それなのにどうすることもできない自分。どうして付いて行けない?、どうして付いて行かなかった?、どうして前に追いつけない?、どうして追いつこうとしない?。2周目のラップが7'32"。21"も落ちていました。おそらく7位集団は1周目、2周目がほぼイーブンペースで進んでいました。
3周目、前方で遅れ出した選手を目標に走りました。でも自分も遅れている選手のひとり。簡単には詰まりません。つけませんでした。なぜ集団から離れてしまったのか、こんなに簡単に離れてしまっていいのか、とか、何のために1年間やってきたんだ、とか、ここであっさり諦めることができるくらい自分にとって名岐は簡単なものだったのか、とか。仮に自分にとって名岐が簡単なものだったとしても、今の自分にレースを放棄する権利なんてない。自分が止まったら、あとの5人はここまで努力してきた成果をどこで出すんだ?。大舞台を奪う権利なんて自分にはない。自分ひとりで騒いで盛り上げてみんなを巻き込んでカーニバルに挑んだのに、自分だけ好きな位置で走っておいて、みんなの走る舞台を奪い去ってしまうことが許されるわけがない。
体が進まないだけでなく、頭の中もぐちゃぐちゃになっていました。沿道から応援の声もずっと聞こえるし、KAKERUのウィンドブレーカーもずっと目に入っていました。本来なら応援してくださる方と目を合わせることで力が湧いてくるはずなのですが、このときは怖くて、申し訳なくて、目を合わせられませんでした。愛大、でんでんむし、南山、OWLS・・・前に見えているのに追うことができない。コース南側の外周路を走っているときに、左遠方にTTランナーズがトラックに入っていくのが見えました、こんなにも差がついてしまったのか。もがきながら競技場に入り、最後だけは岐阜経大をかわしたものの、25'09"の区間13位。
2.よかったところ(レースや、レースに向けての体調作りに関して…)
今シーズンは春先の第1戦から5000m15分台を出し、800m,1500m,5000m,3000mSC,10000m全てで自己ベストを更新しました。特に、3000mSCで11年ぶりにベストを更新し、東海大会7位というのは大きな自信になりました。そのベースになったのが、3'30"~3'50"/kmくらいの8kmランニング(ラストはペースアップ)と150m流し(ほぼ全力ダッシュ)をセットにしたトレーニングです。結果的に、トラックレースのペースで安定して走れるようになり、例年になくスピードのキレも出てきました。今回の駅伝カーニバルは、とても評価できる走りではありませんでしたが、それでも最後のトラックだけでも無意識のうちにスパートをかけて襷を繋げたことは、少なからず流しの効果があったのかなと思います。
あと、カーニバル直前の2週間はとても充実していました。時間が無いながらも、23:30頃に帰宅してから走って心肺機能を上げ、夏場のトラックシーズンで必要性を感じた補強とストレッチを毎日続けました。全て、走れるコンディションとするために。
また、不安要素は休養不足なので、2日前からは十分睡眠を確保し、前日は刺激練習を終えて早めの夕食でしっかり食べ、8時間寝ることで万全の態勢として、全ての不安要素を消して臨めたことは良かった点です。
3.悪かったところ(レースや、レースに向けての体調作りに関して…)
今年のカーニバルではアンカー9.6kmを走りたいという願望があって、トラックシーズンを終えた10月からは、レース数を抑えて2ヶ月間で5000mのペースを10kmまで維持できるようにトレーニングを行うつもりでいました。しかし、10月・11月はたまたまこの2年間でいちばん仕事が立て込んでしまい、想定してたほどトレーニングの時間が作れませんでした。この時点では無理なトレーニングをして体調を崩すよりも、できる限り睡眠を確保することの方が優先でした。
また、今年から地元で小学生への陸上指導をするようになったことで、土曜のトレーニング時間の制約ができました。朝9:00開始なので、5:00に起きて先に自分のトレーニングを終えてしまうようにしましたが、いちばん必要な持続走がほとんど消化できませんでした。(その反面、教えることで色々な技術を得ることができ、自分自身が速く走れるようにもなりました。)
秋以降レース数を絞ったことが仇となり自分の調子も把握できませんでした。さらに11月の中山道では体調不良で走ったため全く参考にならず、周囲の選手の伸びを見て焦るばかりでした。
ちょうどこの時期に毎週愛知駅伝の代表選手選考練習会があり、11月の下旬に2週間続けて田渕君に敗れたことがきっかけで吹っ切れました。田渕君が補欠で、自分が選手としてカーニバルに臨むのに、自分が遅いのでは話にならない。残り2週間。できることは全てやることにしました。1年間カーニバルのためだけにやってきた、最後くらいギリギリまで追い込んでも当日までもつだろう、たった2週間の辛抱。それが上述の、充実したラスト2週間の悪あがきにつながりました。
4.6位との差を逆転するための各自の改善点(自分自身)
まだまだ精神的に弱い。肝心なところで力を発揮せずに逃げてしまう自分がいます。
大学時代のことですが駅伝の選手選考から漏れた際に、監督から「チームのために(下働きして)貢献しようなんて考えるな、自分が練習して強くなろうと思え、それがチームのためになる。」と言われたことがあります。自分の弱さを見られたくないから、キツい練習を途中でリタイヤし、グラウンド整備や試合の備品の準備をしていた時のことです。
今になってもインターバルには苦手意識があるし、ゆっくりロングjogするほうが好きです。でもそれでは速くなれない。自分の場合には10kmを走れる力をつけないといけません。5000mやハーフに比べて、10000mは経験が足りません。カーニバルでも名岐でも10km走る力は必要不可欠です。今年は5000mのためのトレーニングしか積めていませんでした。
普段遅いペースで走っていては、レースで速く走れるわけがない、それが自論です。自分の場合は、5000mなら4000mを、10000mなら8000mをレースよりも速いペースで走る持続走を練習の中に取り入れる必要があります。
他チームは大学生や、大学のOB、実業団OBばかり、みんな実績を持っています。とくに近年はその傾向が強くなっています。そういった相手に勝つには、考えて効率よく行動するしかありません。時間がないのは誰でも同じです。KAKERUも経験や実績はあります。対等以上に勝負できるはずです。やり方次第で強くなる伸びしろはまだ残っています。
スタートラインに立った時点で勝負はほとんど決まっているのかもしれません。レースで確実に100%の力を発揮するには、トレーニングで120%出せなければいけません。レース当日の精神力だけで、持っている力100%をフルに出し切るのは難しいものです。今回のカーニバルでも、1周目で第1集団についていく思い切りがあれば・・・、第2集団に意地でもついていくことをしていれば・・・、そのまま走れていたかもしれません。でもそれができませんでした。それができるだけの力が備わっていなかったからです。
5.6位との差を逆転するための各自の改善点(チームへの貢献)
今年はカーニバルをトップ通過をすることを目標にシーズンインしました。KAKERUのなかでは、東海地区の他のクラブチームや大学生の状況については、自分がいちばん詳しい立場にいるので、4月から毎週のように各試合の結果をチェックし、他チームの記録をまとめてきました。そういった作業は嫌いではないので、率先して情報集めをしました。とにかく昨年の39秒差を取り返すために。カーニバルに出場するチームは勿論、名岐本戦で勝負するであろうチームのこともチェックし、あくまでも次年度の名岐シード権を取るレベルまで見据えていました。情報収集には4月からの累計で何十時間と費やしました。その作業が無駄に感じることもありましたが、情報を調べることで自分たちの目指す目標が明確になるわけですし、自分自身も○○には負けたくない、という具体的な目標も出てきました。その何十時間を自分のトレーニングに充てるという選択肢もありましたが、自分が練習して20秒伸ばすよりも、自分が伸びなくてもチーム全員が目標を見据えて15秒ずつ速くなったほうが、チームのトータルとして速くなれる。そう信じて。(来年は他チームのことはあまり考えないようにします。まずは自分ありき。情報収集よりも自分が強くなることを最優先にします。)
苦しい時はチームメイトの頑張りが励みになります。べつに掲示板に書いたり、blogに書いたりする必要はないと思います。お互いに電話をかけたりやメールを送ったり、雑談でもいいので各々の情報交換ができれば力になると思います。苦しいのは自分だけでないとわかるだけでも楽になります。
6.その他言いたいこと
長い1年でした。また同じ1年を繰り返さないといけないのかと思うと、気が遠くなります。でもその場その場で、自分なりに最善の選択肢を選んで行動してきたつもりです。だからこの1年で後悔はありません。ただ、最後の最後に自分の甘さを思い知らされた、それが結果です。
もしかすると、自分だけが勝手に熱くなって、少なからず暴走している部分があったかと思います。チーム内に温度差もあったかもしれません。それでも一年間、後悔はしたくなかったので、自分のやり方を貫きました。そんなやり方を許容してくださり応援してくださった皆さんには本当に感謝しています。
皆さんの前では「いつまで走れるか判らない」と言っていますが、走ることはやめません。
学生の時に悔しい想いを続けてきました。だから苦しい局面になると、いつも「あの時の悔しさに比べたら、今の状況なんてたいしたことない」と自分に言い聞かせて乗り越えています。悔しい経験がなかったら、絶対に今の自分はいません。悔しさを払拭するために続けています。だから、走ると決めた以上は真剣にやらないと自分が許せない。手を抜くのが許せない。
こんな硬い考え方しかできない頭に、体がどこまでついていけるか判りませんが、もう1年は辛抱してみます。
2年前の岸本さんの呼びかけから始まったKAKERU。(実は)最初は、ほんとにそんなことできるのかと疑っていました(ごめんなさい)。でも全員で一年目のカーニバルを戦いました。そのとき結成して良かったと思いました。自分がいちばん熱くなっていた高校時代のライバルたちとチームを組み、もう一度輝ける舞台を目指す。それは譲れません。今では長距離だけでなく、短距離・跳躍とKAKERUのメンバーが増え、年齢層も広がりました。これからもチームとして大きくなっていきます。でも名岐だけは自分にとって特別な存在、これだけはこだわっていきたいです。