伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

三たび 小保方、ガンバレ!

2015年01月23日 | エッセー

 初回は昨年の4月3日であった。以下、抄録。
『小保方、ガンバレ!』
〓「快楽をもたらす物質『ドーパミン』が大量に分泌」されるのは、「生物的な快楽を脳が感じるとき」だけではなく、「ギャンブルやゲームに我を忘れているとき」もである。後者はつまり「何の役に立つのかわからない、科学や芸術といったことに懸命に力を注ぐ」ことを先導し、ヒトが「自然の脅威を克服し、進化してきた」結果を招来した。大仰にいえば、『おもしろがる』には人類の進化が懸かっているわけだ。
 鬼の首を取ったように繰り返されるエビデンスと科学者倫理。
 これは完全に後世の偽作らしいが「それでも地球は動く」を借りて、「それでもスタップ細胞はできる」はどうだろう。捨て台詞には持って来いだ。〓
 「おもしろがる」は人類の進化を駆動する。それを失ってはならない。つまりは、そう咆えた(届いてはいないが)。
 二度目は1週間後であった。以下、抄録。
『再度 小保方、ガンバレ!』
〓欲目ではなく、実に堂々とした立派な会見であった。肚が据わった、まことに高高とした応戦であったといえる。
 ある情報番組でアンカーが「理研がせっついた研究発表だったのに、なんだか可哀相だった」と発言したのを受けた解説の先生が、「それは次元が違う。科学的証明とは話を分けて考えなければいけない」と宣っていた。これには呆れた。学会の発表会でもあるまいに、超最先端の専門的知見が記者会見ごときで披露できるはずはない。専門用語を繰り出せば、煙に巻くなの怒号が浴びせられるのは必定だ。会見は、事の成り行きを説明するために開かれたものだ(会場費は小保方女史の自腹だそうだ)。学者同士の、学問上の質疑応答ではない。件の先生は一見正論に聞こえて、実は会見の意味を『分けて考え』られない無思慮を晒している。木に縁りて魚を求む。駄々っ子にちかい。この程度の知的レベルが世をミスリードする。やはり、テレビは怖い。〓
 寄って集(タカ)って芽を摘む。踏んづける。蹴飛ばす。報道に名を借りたイジメだ。そう咆えた(届いてはいないが)。
 コロラリーはES細胞の混入で幕引きだそうだが、では誰の仕業か? 迷宮入りらしい。まさか本人ではない。それは断言できる(なぜなら、かわゆい妙齢の才媛はウソを吐かないというオジさんの人生経験によって頑強に裏付けられた不抜の信念による)。そこで、3回目のエールを送ることにする(オジさんは結構しつこい)。
 碩学、武田邦彦先生の力を借りる。先生は昨年末、『NHKが日本をダメにした』と題する著作を上梓した(詩想社新書)。NHKになぜ、どういう義憤を抱かれたのか。日頃の御主張からNHKと相性が悪いのは容易に察しがつく。同書で先生は、佐村河内事件、福島原発事故、家電リサイクル法、それに十八番の地球温暖化問題などについてNHKをコテンパンにやっつけている。そのうち主要な論件が、「STAP細胞事件に見る低レベルな報道姿勢」と題する章だ。
 サブタイトルだけを列挙する。
①  報道より1年以上前から始まった「論文」と「特許」への動き
②  同内容の特許を出している理研が、研究者を否定する不可解
③ 「ネイチャー」掲載が決まるまでの水面下での動き
④ 周到に準備されたであろうメディアへの発表
⑤ 報道当初より科学的成果より「人物」に焦点を当てた扱い
⑥ 論文公表から短時間で問題点を指摘できた人物の謎
⑦ 実験ノートなど本当はなくてもいいものだ
⑧ 論文の書き方が「不出来」と「内容の価値」は別だ
⑨ そもそも基礎的研究では「正しさ」など問われていない
⑩ 科学的研究では、コピペも責められることではない
⑪ NHKの本来の存在意義が失われたSTAP事件
⑫ 間違った画像は「研究の核心部分」などではない
⑬ あまりにも質の悪い「クローズアップ現代」の放送内容を検証
⑭ こんな短時間に論文の欠点を指摘することは不可能に近い
⑮ 研究者を守る立場の理研がなぜ、ウソをついてまで責めるのか
⑯ パパラッチに成り下がったNHK
 視点の多さに驚くが、なかでも⑨ は刺激的だ。本文を抄録する。
◇地動説でも、ロケットを宇宙に打ち上げて太陽系を見たわけではなく、小さな望遠鏡で星の動きを見て、惑星の動きは計算してみると太陽の周りをまわっていないとつじつまが合わないと言っているだけだ。でも最初はそれからスタートして、いろいろな観測をみんなでして、次第に新しい発見が完成していく。最初から「正しいかどうか」などを問うたら学問は成立しない。その意味で、STAP細胞は本当か?という質問は科学の進歩にとってきわめて危険である。
 20世紀の最高のノーベル賞と言われる、ワトソン・クリックのDNA論文は、同じ『ネイチャー』に掲載されたものだが、「ノート」で、わずか1ページ。実験方法も(彼らは自分のデータを使ったのではなく、他人のデータがほとんどだったが)、詳細な説明もない。しかし、DNAは二重らせんだ、それが生命の源だという画期的な着想だった。江崎玲於奈博士も、たしかフィジカル・レターに簡単な2ページの論文を投稿してノーベル賞を受賞している。◇
 そして、以下が画竜点睛だ。
◇人間の着想の素晴らしさというものは、詳細がキチンと書かれていることではない。書かれている内容が間違いを含んでいるということでもない。そこに示された考えが「これまで人類がほとんど考えたことではない」というのを少しの事実から導き出すことである。それは不確かであり、危ういものではあるが、その後、多くの人が関心を持ち、だんだん膨らみ、やがて巨大な発見や人類の福利に役立つものである。「こうしたらできる」とか、「他人が追試してできるような記述」とか、まして「80枚のうちに2枚ほど図を間違って貼った」などということは問題にはならない。◇
 アイザック・ニュートンの箴言がしきりによみがえる。
「私は、海辺で遊んでいる少年のようである。ときおり、普通のものよりもなめらかな小石やかわいい貝殻を見つけて夢中になっている。真理の大海は、すべてが未発見のまま、目の前に広がっているというのに。」
 『おもしろがる』「少年のよう」な目の輝きが、目くじら立てた『エビデンスと科学者倫理』にマスキングされてはいないか。「大海」を前にした好奇と謙虚。科学の原初にある心組みが二つ乍ら置き去りにされてはいないか。
 ⑩ については「『人間の知恵の産物』のうち、単なるデータや、アイデア、思想や感情を表現したもの以外、学術など以外は、『誰が実験しても、誰が書いたり、出版したりしても』なんの制約もなく共通に使用してもよい」と、著作権法の理解を明示している。
 ⑫ についても「画像の加工について『やってはいけないこと』を前提にしていますが、画像を論文に掲載する目的は、論文で示したことを画像という手段で論理をたてることであり、『加工してはいけない』という不文律のようなものがあるわけではない。加工によって具体的にどのような誤解を招いたかが問題で、加工自体には何も問題がないのは論理としても理解される」として去なしている。
 ⑮ は見落とされていた重要な指摘だ。「中心的な専門家4、5人が1年ほど綿密に見てわからないものを、関係外の人が1、2週間でわかるはずもない。つまり、(昨年)1月29日にSTAP論文が掲載されることをあらかじめわかっていて、またこの論文の不備や小保方さんの研究の欠点もわかっていて、あらかじめ指摘する準備を整えていたとしか考えられない」と、闇の存在を示唆している。
 ⑯ はあまり知られていない。「(昨年)7月27日、『NHKスペシャル』に使う映像を撮るため、バイクで追跡、ホテルに逃げ込む小保方さんを2人の屈強な男性のカメラマンが挟撃して小保方さんを追い詰め、さらに女子トイレに逃げ込んだ彼女を、女性の取材班がトイレの中まで入って監視するという行動に出た。この過程で小保方さんは全治2週間のケガをした」と記している。「報道に名を借りたイジメ」は、ついに奈落まで堕ちていたのだ。
 ともあれ、これで本邦は貴重な頭脳を海外へ流出することになるだろう(たぶん)。昨年の熱狂は嘘のように、マスコミは沈黙を続けるだろう。だが、オジさんは信じる(きっと武田先生も)。いつの日か、リターンマッチに颯爽とあなたが登場することを。 □