農耕が始まり蓄えができて、戦争が始まった。平和な期間が3メートル99センチだとすれば、戦争はわずか1センチ。400万年に及ぶ人類史の400分の1でしかない。つまりほとんどの期間、人間は平和に過ごしてきた。戦争は常に人間とともにあったのではないのだ。だから文明が生んだ戦争を、新たな英知でなくすことができる。 ―― これは、考古学者の故佐原真氏の自説であり終生の信念であった。氏はこの主張を世界に訴えていくことが、考古学研究者に課せられた最大の課題だとも言った。専門家ばかりではなく、世人が常(トコ)しなえに心中深く刻むべき遺訓の一つであろう。
おそらく第二次世界大戦の終結あたりが区切りであろうが、戦争は遂行の対象から回避の対象に替わったはずである。「はず」の決定打が原爆であったことは論を俟たない。大括りに括ると、そうだ。21世紀のいま、戦争を回避することはあらゆる選択肢のファースト・プライオリティーである。外交も武力紛争に至る道を塞ぐことが大前提だ。外交的手法の果てに戦争を据えるアナクロニズムとは永訣するのが、ホモサピエンスとしての務めであり生き残りの道だ。
72年、国交正常化交渉を巡り北京で周・田中会談が行われた。
田中総理:尖閣諸島についてどう思うか? 私のところに、いろいろ言ってくる人がいる。
周総理:尖閣諸島問題については、今回は話したくない。今、これを話すのはよくない。石油が出るから、これが問題になった。石油が出なければ、台湾も米国も問題にしない。
田中総理:具体的問題については小異を捨てて、大同につくという周総理の考えに同調する。
田中総理の「小異を捨てて」は中国語では「小異を残して」が慣用であり、周総理もそう発言したらしい。だが、そこは阿吽の呼吸だ。それこそ小異を措いて、事を進めたのであろう。
78年、日中平和友好条約批准書交換のため来日した小平副首相はこう発言した。「この問題は一時棚上げしても構わないと思う。10年棚上げしても構わない。我々の世代の人間には智慧が足りない。次の世代の人には我々よりもっと智慧があろう。その時はみんなが受け入れられるよい解決方法を見いだせるだろう」
周総理と同じ文脈だ。「智慧」とはなにか。「知恵」よりもより高度な知的営為ではあろう。実利を狙った弥縫だという向きもないではないが、棚上げ自体が智慧でもあったろう。いま、30年は優に超えている。いまだ智慧は湧かず、か。
司馬遼太郎を引こう。
■領土とは何か。といういわば西洋の概念は、それまでの中国では茫漠としていた。多分に観念的なものながら、宇宙の宗主が中国皇帝であると思われていた。
西洋式領土の概念は限界を設けることだが、そういう限界があれば、中国皇帝の宗主概念は、消滅してしまう。ことばをかえていえば、歴史的中国には、「あれは、わが版図だ」という、極東の古俗ともいうべき縄張り意識があっただけであった。
中国皇帝を宗主(本家のあるじ)と仰いで朝貢してくる蕃国があれば、これをあつく接待し、使者には、貢物をはるかに上まわる高価なみやげものを持ってかえらせるという「版図外交」があっただけである。
中国と西洋との互いに異なるこの領域・領土思想が、清末には西洋の力の優勢によって西洋式に領域思想が洗い晒されてしまい、変化した。■(「街道をゆく」19 中国・江南のみち)
版図と領域、ちがいはじつに漠としてる。だが人的繋がりを軸としたテリトリーを前者とすれば、かなり可塑的で、鷹揚なものといえる。前世紀初頭、それが仇となった。租界や租借によって国土が無残に蚕食されていった。
一国の歴史も振り子のような力学現象をみせる。新中国となって、「西洋式に」「洗い晒され」た領域思想が無作法に露頭してきたと、わたしは視たい。78年の中越国境紛争、ロシアとの国境紛争、南シナ海での複数国との領海権紛争、そして東シナ海、尖閣諸島へ。また、「改革開放」以来の成長路線が振り子を加勢した。
軍事においても同様だ。中国史では武は低きに置かれつづけた。清末はその旧弊に泣いた。周知のとおり、人民解放軍は中国共産党麾下の軍事部門である。いわば『党軍』だ。国軍としての位置づけは二義的なものだ。毛沢東思想に明るいわけではないが、軍事的トラウマが濃厚な背景をなすといえるのではないか。
「智慧」に戻ろう。
今のところ、領土問題に裁定を下す国際機関はない。隣地との境であれば出るところに出れば片は付くのだが、隣国との境は出ようにも出るところがない。ならばと力関係(国力)だけで事が決するのはいかにも能がないし、淋しい。下手をすれば武力衝突の悪夢が現実となる。前述の「アナクロニズム」が再来する。
だから、智慧ではないのか。
共同開発だけが智慧ではなかろう。捨ててもいいが、小異を残すのも智慧だ。中国とて文革はとっくに過ぎた。夜郎自大では世界から総好かんを喰うと、解ってきたはずだ。今回も顔半分は内に向けていると踏んで相違はない。さらに、掲げる「平和台頭論」の看板に偽りありと大いに疑念を呼んだのは相当な痛手だ。
ただ忘れてならぬのは、人類はいまだかつて一国で13億もの民を抱えた経験がないという史実だ。わが国と指呼の間に巨大国家があり、かつ境を接しているという事実だ。さらにその国が大国への道を歩み始めた歴史的切所にあるという現実だ。いな、大国に戻り始めたといったほうが正確であろう。さまざまに栄枯盛衰があった中で、有史の過半を世界に冠する大国でありつづけたのだ。それも近々1世紀前までだ。大国主義批判が囂しいが、「主義」である以前に「大国」であったのだ。このあたりを冷厳に踏まえねば、諸説は争鳴し、ただ縄を糾うばかりだ。別けても、「勇ましい発言」に足を掬われかねない。大向こうの喝采はあっても、一時(イットキ)のカタルシスでしかない。智慧ある所業でもなく、無知のカオスが俟つばかりだ。
英国にある国境紛争研究所は、「絶海の孤島でも、領土紛争は武力衝突を招きやすい。民族の誇りに直結し、ナショナリズムをあおるからだ」と警告する。フォークランドをレファレンスしてであろう。
再び、司馬遼太郎の箴言を提示したい。
■ナショナリズムは、どの民族、郷党にもあって、わるいものではない。
ただ浅はかなナショナリズムというのは、老人の場合、一種の呆けである。壮年の場合は自己についての自信のなさの一表現かもしれぬ。若者の場合は、単に無知のあらわれでしかない。■(「街道をゆく」28 から)
一国にも、老壮青の別がある。個人の精神におけるそれもある。蓋し両国にとって、この言葉は重い。実に重い。
智慧とは、外交を軸とする官民にわたるソフトパワーの総結集であろう。相手方の意図を的確に捉えるインテリジェンス(情報ではなく)も大事な智慧だ。知識を積み上げただけで智慧にはならない。知識を自在に駆使するのが智慧だ。さらに、物理的手段、武力に『逃避』しないという軛を嵌める決断でもあろう。まさにソフトパワーによる背水の陣だ。背後には呪わしい黒々とした濁流が渦を巻く。一歩も、いな半歩さえも後退はできない。
21世紀の名将韓信はいるか。素人集団であるいまの政府でないのは衆目の一致するところだ。いまさら手際の悪さを論っても生産的ではない。デッサンもしていないのに、いきなり絵の具を塗れといっても無理だ。官房長官の仙石氏がかつて安倍総理辞任にぶつけた名言「あんな子どもに総理大臣なんかやらせるからだ!」の伝でいけば、「あんな子どもたちに政府なんかやらせるからだ!」となろうか。
再びの大国への坂が易かろうはずはない。当方とて、越して行く先はない。しかも、「わずか1センチ」でも、絶対に譲れない。だからこその智慧だ。 □