伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

「そして、バトンは渡された」

2019年05月05日 | エッセー

 ふと帯に目が止まった。
──私には父親が三人、 
   母親が二人いる。
    家族の形態は、十七年間で
    七回も変わった。
    でも、全然不幸ではないのだ。──
 手に取ったのは、2019年『本屋大賞』受賞作「そして、バトンは渡された」(文藝春秋)だった。何々賞と名の付く作品はほとんど読まないのだが、「父親が三人」と「七回も」にいつもの鼻先思案が引き込まれた。著者は瀬尾まいこ。元中学国語教諭で、01年から数々の賞を受けている。
 紹介サイトにはこうある。
 〈高校二年生の森宮優子。
  生まれた時は水戸優子だった。その後、田中優子となり、泉ヶ原優子を経て、現在は森宮を名乗っている。
 名付けた人物は近くにいないから、どういう思いでつけられた名前かはわからない。
 継父継母がころころ変わるが、血の繋がっていない人ばかり。
 「バトン」のようにして様々な両親の元を渡り歩いた優子だが、親との関係に悩むこともグレることもなく、どこでも幸せだった。〉
 「父親が三人」。その三人とは、
〈水戸   産みの親。母は天国に、父はブラジルにいる(らしい)。
 泉ヶ原  威厳有る、お金持ちの義父。でも少しお人好し。
 森宮   一流企業で働きながら、男手一つで優子を育てている。〉
 と、帯にある。
 「七回も」は水戸家で2回、中に1回はさんで、泉ヶ原家で2回、森宮家で2回。いずれも「若くて美人でおしゃれな義母」(帯)・梨花が授けてくれたものだ。「授ける」はいかにも不似合いに感じられようが、「どこでも幸せだった」秘密を知れば納得がいただけよう。
 大団円で森宮が語る。

「梨花が言ってた。優子ちゃんの母親になってから明日が二つになったって」
「明日が二つ?」
「そう。自分の明日と、自分よりたくさんの可能性と未来を含んだ明日が、やってくるんだって。親になるって、未来が二倍以上になることだよって。明日が二つにできるなんて、すごいと思わない? 未来が倍になるなら絶対にしたいだろう。それってどこでもドア以来の発明だよな。しかも、ドラえもんは漫画で優子ちゃんは現実にいる」

 物語の核心であるが、稿者の鼻先思案はそこではない。先月の小稿『オヤジは説明できない』で引いた橋本 治氏の洞見が頻りに過ったのだ。
〈もう「家」そのものが実質的な機能を失っている以上、一人の支配者、一人の統治者であるような家長に、全体を統率する力は宿らない。・・・・もう一人の人間に権力を預けて「指導者」と言うのをやめて、代表者が複数いてもいいあり方を検討すべきではないのでしょうか。〉
 梨花にとって家父長制としての「家」は思慮、慣習の片隅にもない。「実質的な機能を失っている」。父親は不思議にも三人。「代表者が複数」だ。とすれば、この作品は橋本氏の「最後の指南」へのアンサーではないか。
 著者は期せずして橋本氏から「そして、バトンは渡された」……と、ぎなた読みをしてみた。 □