伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

岡目八目

2019年05月07日 | エッセー

 マーティン・ファクラー。元ニューヨーク・タイムズ東京支局長で、現在は独立系シンクタンク 日本再建イニシアティブ(船橋洋一理事長)で主任研究員兼ジャーナリスト・イン・レジデンスを務める。慶應や東大に留学し漢文や経済学を修めた後、20数年間アジアを中心にジャーナリストの道を歩んできた。
 09年から西松建設事件を報道。検察の捜査のあり方や当局発表を無批判に報じるだけの記者クラブのあり方を鋭く批判した。
 12年、東日本大震災に際し政府の隠蔽や失策を追求しピューリッツァー賞のファイナリスト(最終選考対象)にノミネートされた。
 15年にはISによる邦人人質殺害事件に関する本邦マスコミの対応を強く批判。 「日本のメディアの報道ぶりは最悪だと思います。事件を受けての政府の対応を追及もしなければ、批判もしない。安倍首相の子どもにでもなったつもりでしょうか。保守系新聞の読売新聞は以前から期待などしていませんでしたが、リベラルの先頭に立ってきた朝日新聞は何をやっているのでしょう。もはや読む価値が感じられません」
 と切って捨てた。
 16年2月、「安倍政権にひれ伏す日本のメディア」を上梓。政権によるメディア支配の実態を曝いた。同年5月小稿で『政権にひれ伏すメディア』と題して、同書を取り上げた。
 そして本年4月、満を持して世に問うたのが新刊「米国人ジャーナリストだから見抜いた日本の国難」(SB新書)である。
 紹介サイトにはこうある。
──バブル崩壊で始まり「失われた30年」を過ごし停滞と閉塞感の中で時が流れた平成日本。フェイクニュースと極論、偏向に満ち溢れる平成末期。長年の低成長とデフレがもたらした「貧困・分断社会」という現実、そしてポピュリズムが生み出した民主主義の危機。この国をミスリードしてきた官僚や政治家、マスコミの在り方という問題だけでなく、国民を欺き続け盲目的な国民が多い構造こそ問題の根源にある。いま、「政治」「経済」「外交」「メディア」「教育」「生活」と、どこをみても「問題だらけ」で、国難レベルの危機にあるわりには危機意識が足りていない人が多いのも現実である。日本在住20年、知日家ゆえに国難・崖っぷちの日本を憂う米国人ジャーナリストが、 日本に住む私たちが気が付かないいまの日本の実態に迫り、ポスト平成への提言までも行う1冊。──
 「だから見抜けた」という割には首を傾げたくなる部分もある。だが、無粋な反論はしない。彼の「日本を憂う」は本物と信じるから。代わりに、「だから見抜けた」いくつものイシューの中から意外や意外を3つ紹介したい。
◇「KonMari」が全米席巻──「片づけ」というソフトを展開した日本(上掲書のサブタイトル、以下同様)
 戦後物作りのハードで先行し、平成に入りソフトで後れを取った日本──。大括りにすればそうなる。ところがどっこい、欧米から「ウサギ小屋」とバカにされた住環境ゆえに「Spark Joy」(「ときめき」の訳語)が生まれ、「KonMari~人生がときめく片づけの魔法~」が誕生した。今や「世界で最もクリエイティブな国」と評されている。
 〈「Kon Mari」という単語は、「超片づけ」を意味する新しい英語として通じる。彼女は「部屋をきれいに片づける」という日常的な家事を、見事なまでにイノベーティブなソフトとして展開したのだ。〉(上掲書より)
 ソフトでの見事な巻き返しである。12年1月、拙稿で彼女に触れた。
 〈大枠は「断捨離」に似ているが、なんといっても『ときめき』がキーワードである。「片づけはマインドが9割」と説く。触った瞬間に「ときめき」を感じるかどうかが、捨てるか否かの見極めどこだと力説する。〉(「“断捨離” と “ときめき”」)
 「Spark Joy」とは言い得て妙だ。ゲームソフトではないソフト。家事に異次元の「Joy」を「Spark」させる。ひょっとしたら、刻下アメリカで最も著名な日本人は「Kon Mari」かもしれない。
◇戦前のアメリカは「世界の警察官」ではなかったという事実
 〈太平洋戦争勃発前のアメリカ軍の規模は、国際社会の中でまったく大きくなかった。アメリカ陸軍の戦力は世界第17位、陣容は17万5000人でしかない。戦力の規模はポルトガルとブルガリアの中間だ。アメリカ空軍の戦力は世界第20位、陣容は1万9000人程度でしかなく、古い戦闘機が数百機あるだけだった。アメリカ軍の中で唯一強かったのは海軍だけだ。〉
 緒戦で「唯一強かった」海軍を叩く。「是非やれと言われれば半年や1年は随分暴れて御覧に入れる。2年3年となれば全く確信がない」と宣言した山本五十六は彼我の戦力を的確に見据えていたといえよう。「2年3年と」経たずして、アメリカは急速に軍備を増強する。基盤的工業力が段違い桁違いなのだ。「2年3年」どころか、翌年6月のミッドウェー海戦以来、日本は坂道を転げ落ちる。反面、「世界の警察官」に“なってしまった”アメリカは冷戦を背負い込み、世界経済の屋台骨を自任してはみたものの、当今「アメリカ・ファースト」を叫ばずにはいられなくなっている。まことに盛者必衰の感ありだ。
◇自衛隊に「外国人部隊」が編成される日も遠くはない
 これには意表を突かれた。
 〈3OO万人体制の中国軍がすぐ隣で控える中、現状の自衛隊の勢力だけでは中国に対抗しようもない。少子高齢化はこれからますます進む。徴兵制に替わる代案として、外国人部隊を自衛隊内に編成する可能性もありうると私は思う。(外国人がアメリカ軍に入り、アメリカ国籍を取得するように)今後は人手不足の自衛隊に、外国人を積極的に受け入れる道もあるのではないか。災害救助に従事し、有事の際には最前線で戦って日本を守る。そうやって5年間過ごした人には、ご褒美として日本国籍をプレゼントする。貧しい途上国で暮らす人にとっては、自衛隊員として給料をもらって働き、そのうえ日本国籍をもらえればありがたい。しかも自衛隊は、アメリカと違って戦後一度も戦地で戦闘に従事していない。PKOや、インフラの整備、後方支援だ。世界で最も命を落とすリスクが低いリーズナブルな軍隊だし、外国人の応募者は多いと思う。「在日米軍基地の撤退」「外国人部隊の誕生」というシナリオこそ、現実的に描き始めるべきではないか。日本人だけで自衛隊と日本の防衛を維持するのは、もはや難しい時代になりつつあるのだ。〉
 荒唐無稽と聞き流されそうだが、存外瓢箪から駒かもしれない。日本の人手不足を充足するには700万の外国人労働者が必要だとの資産もある。そうなれば、日本人の定義が問い直されるだろう。「第3の開国」どころの話ではない。現政権に果たしてそれほどのグランドデザインが描かれているのかどうか。自衛隊明記の改憲論にしがみついて自衛隊そのものの存続を失念しているのではないか。少子高齢化は自衛隊とて例外ではない。長期に亘って採用計画を下回り、17年には年齢制限を6歳も引き上げ32歳にしている。じわじわと深刻化する採用難は、防衛省内では「静かなる有事」と囁かれているそうだ。してみれば、「外国人自衛隊員」はあながち似ぬ京物語ではないのだ。
 傍目から観ると碁盤の八つ目先を見通せる。だから、岡目八目という。マーティン・ファクラーは見事な岡目である。 □