伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

LAWS

2019年01月29日 | エッセー

 “LAWS”(ローズ) LAW(法律)の複数形ではない。“lethal autonomous weapons systems”「自律型致死兵器システム」の略称である。「AI兵器」のことだ。AIを使って自律的に動き、標的を自ら判断して殺傷するキラーロボット、ロボット兵器、またそれら兵器システムをいう。人間に代わるロボット兵士でもある。何度か触れた米中ロによる新手の核・ミサイルや宇宙での軍拡競争以上に狂気の沙汰である。核兵器を凌ぐ兵器ともいえる。原型的なそれは1990年代から実戦配備されているが、AIの長足の進歩によっていよいよ現実味を帯びてきた。
 今から6年前の9月、NHKが『クロ現』でロボット兵器を取り上げたことに触発されて愚稿を呵した。再掲してみる。
 〈アフガンやイラクで、アメリカはさまざまな無人兵器を実戦に投入している。数年前には無人攻撃機によってタリバンやアルカイダの司令官が爆殺された。しかし他の局面では誤爆や巻き添えで多くの民間人が犠牲になり、深刻な疑問が呈されている。操縦員の誤認や地上部隊の誤報が原因らしい。
 高度なAIを搭載し自律行動するものもあるが、ほとんどは遥か彼方のアメリカ本土の基地から衛星を介して操作される。モニターを見ながらの操作である。傍目にはテレビゲームのようだ。マイカーで基地に出勤し“戦闘”を行い、任務後ハンバーガーショップに立ち寄り、子供のサッカーの試合を観戦して帰宅する。このとてつもない日常と非日常の悪しきコラボレーション。疑問を抱き、精神を病み、退役する操縦者が後を絶たない。さらに、モニターに克明に映し出される殺傷場面。意外なことに、現地の地上軍兵士よりも心的外傷後ストレス障害に陥る確率は高いという。
 もしもロボット兵器が主流になれば、間違いなく戦争は相貌を一変する。第一、戦域は地球規模に広がる。操作が行われる米本土の基地も、敵にとっては紛れもない戦場だ。また、勝敗はどのように判じられるのか。ロボット兵器の損害の多寡をもってするのか。“生身の”兵士は残っているのに。あるいは領土の争奪という古典的レベルに先祖返りするのであろうか。さらには気がついてみれば、技術競争に収斂してしまうのか。
 愚考を巡らすに、次のようなフェーズを進むのではなかろうか。
  ① 人と人との戦い(双方がロボットを所有しないなら。もちろん武器は使う)
  ② ロボットと人との戦い(ロボットを持てる側と、持たざる側)
  ③ ロボット同士の戦い(持たざる側がきっと持つに至る)
  ④ ロボットと人の戦い(ロボットを失った側は人的リソースを総動員する)
  ⑤ 人と人との戦い(④ でおそらくロボットは敗退するだろう)
 ⑤フェーズは希望的観測に過ぎないとの反論もあろうが、“創造主”たる人間の力は決して侮れまい。つまりは、元に戻る。ここが、核戦争とまったく違う。核の場合、最終戦争となって二度と戦争は起こらない(起こせない)からだ。だが、じゃあ初めからやるなよという愚かさは甲乙つけがたい。これでは、ウロボロスそのものではないか。〉(「ウロボロス」から抄録)
 いや、実に恥ずかしい。穴があったら入りたいが、ないので恥曝しを続ける。各フェーズはもっともらしく見えるが、大事な前提が抜け落ちている。「人的損失を最小限に抑えるため」、人“格”的損失を必然的に招来することだ。せっかく前段でPTSDに触れながらそこで足踏みしてしまった。血を見ない戦いは血塗られた戦いに比して倫理的抑制を極小化するという点だ。はじめは確かにそうだ。しかし“結果”が逆襲する。PTSDがそれだ。エノラ・ゲイを先導したストレート・フラッシュ号の米軍パイロット・クロード・イーザリーは英雄と称えられたが、後精神を病んだ。原爆死した人々の幻に戦慄し苦悶したという。惨たらしいことではあるが、そこにはまだ人間がある。しかし、「高度なAIを搭載し自律行動するもの」になったらどうか。ここまで踏み込まねばならなかった。戦争への心理的、いな倫理的抑制が野放図に解き放たれるからだ。フェーズ② は容易に起こり、フェーズ③ へ進む可能性は消えるにちがいない。「核戦争とまったく違う」どころか、それは核以上に可能性が高い。浅慮に汗顔の至りである。つまり、ウロボロスになる前に他者を噛み殺してしまう。もちろんバグや損傷、誤作動による暴発もありうる。核以上に危険でもある。
 中世史を専門とする歴史学者本郷和人氏は、日本の戦争史において長刀に代わって「槍」が登場したのは南北朝時代だとする。
 〈南北朝時代になると、いかに多くの兵を集めるかということに重きが置かれるようになります。いわば「戦いの素人」(農民)が大勢集められて戦場に連れて行かれるようになるのです。(長刀は扱いが)難しい。誤って味力を斬ったり自分を傷つけたりする恐れかある。こうして槍という武器が生まれ、大勢に槍を持たせて一方向に突撃させるという戦法がとられるようになりました。槍なら遠くから相手を突けばいいわけです。そしてここから集団戦が生まれます。(農民たちに)相手と斬り合うなんてできません。だから槍を使わせます。遠くから突く。または長い槍でもって敵の頭の上からバンバン叩く。そうやって恐怖心を少しでも取り払って兵隊として機能させたのです。〉(「軍事の日本史」から抄録)
 してみれば、槍は日本版ローズの祖型ともいえる。フィジカルにもメンタルにも戦闘への抵抗を引き下げる悪知恵、悪足掻きが、ついにローズという鬼胎を生んだともいえよう。
 13年ごろからNGOによるLAWS反対キャンペーンが展開されてきた。17年からは国連で公式の政府専門家会合が開かれている。オーストラリア、中国、ブラジル、イラク、パキスタンなど26カ国がLAWSの禁止を表明した(中国は使用禁止に限って)。だが、フランス、イスラエル、ロシア、イギリス、アメリカはLAWS規制に反対だ。日本政府は昨年9月、LAWS開発の意図はないが規制すれば民生のAI技術発展を阻碍しかねないとの認識を示した。なんとも奥歯に衣着せる煮え切らない対応だ。ただ国会では昨年4月超党派議員による「キラーロボットのない世界に向けた日本の役割を考える勉強会」が開かれ、国際人道法の観点からも議論が進展している。出遅れの感はあるが、ひとまず嘉したい。
 核に次ぐ人類への新たな脅威、LAWS。核の二の舞だけは避けねばならない。 □