伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

福島克也 君について

2009年07月03日 | エッセー
 浅田次郎氏のサイン会でのこと。頼めば誰々様へと脇書をしてくれるとのこと。メモ用紙に友人の名を記して渡した。
「んっ」、氏の筆が止まった。介添えの秘書を振り返る。「先生、同じですね」と彼が呟いた。
「いやー、奇遇、奇遇です」
 すかさず「友達です」と応える。氏は「へえー、そうですか!」とにっこりほほ笑み、握手で応じてくれた。

 浅田次郎著「きんぴか」は、桁外れにおもしろい。リボルバーのように爆笑の連続撃ち。笑い疲れたころ、驟雨のように泣かしてくれる。半分はヤクザの世界を描いているのだが、これがなんとも明るく滑稽である。ピカレスクを謳うものの通途の勧善懲悪ではなく、ピカレスク本来のユーモラスな風味を過剰に敬承して限りなくコメディーに近いともいえる。
 希代のストーリーテラーに掛かると、裏街道は堂々たる幹線道路に変貌し、日陰者は国民栄誉賞に輝き、奇人・変人はフツーの人に、異人は偉人に、性格異常者は品行方正なる模範市民に、病人は健常者に、ボケはまともに、そして犯罪者は英雄となる。ミスターマリックなぞは高が知れている。ぜんぶタネありではないか。(そのタネが判らないのがなんとも悔しいが …… )ところがどうだ。浅田御大はタネも使わず、ネタだけをペン先に乗せて、奇想天外、驚天動地、前代未聞の大ウソ、いや荒業をビシビシと決める。「泣き」の次郎は世を憚る仮の名、「笑い」の次郎こそ、その正体だ。といいたいのだが、それもウソらしい。
 なにせこの作家、「 学者は真実を追究しなければならない。しかし小説家は嘘をつくことが仕事である。」(「つばさよ つばさ」から)と公言する未曾有の正直者だ。正直の度が過ぎて、本心が掴めない。まことにややこしいお人である。

「きんぴか」に登場する人物は、一人を除きみな荒唐無稽である。苔むしたギャグだが、「そんなヤツ、おらんやろー?!」のオンパレードである。
 坂口健太 ―― ムショ帰りのヒットマン。度胸右に出る者のない相当に時代錯誤の、チャキチャキの江戸っ子ヤクザ。
 広橋秀彦 ―― 大蔵省トップキャリアから大物代議士の秘書に転身。末は総理かと嘱望されたが、一身に罪を被り政界から消えた超秀才。
 大河原勲 ―― 坂口以上にアナクロでありながら、大義なき湾岸政争への派遣に抗って一人で武装蜂起した和製ランボー。元自衛官。筆者、お得意の分野だ。
 この三人が主役である。これだけでもかなりアブノーマル、アンビリーバボである。小説にしか棲息し得ない人種である。
 向井権左ェ門 ―― 泣く子も黙る凄腕の元刑事。三人のフィクサーである。警視総監とは闇市育ちの同期の桜。この道一筋。豊富なコネを使い、退職後も辣腕を振るう。
 阿部まりあ ―― 五千人を殺したと豪語する救急救命室のベテラン・ナース。医者もヤクザも震え上がる「血まみれのマリア」。病室では自分が法律だと嘯く。ななんと、坂口といい仲に。
 岩松円次 ―― 関東に蟠踞する広域暴力団・天政連合会内金丸組組長。文士崩れで才覚も人格もない。ただ配下には恵まれ、資金は潤沢。五代目総長の座を狙う。
 田之倉五郎松 ―― 天政連合会若頭。ナンバー2であり、岩松のライバル。地位に反して品性劣り、子分は烏合、始終ドジばかり踏んでいる。
 新見源太郎 ―― 四代目天政連合会総長。ボケか偽装か定かならぬ展開の果てに、大団円、跡目相続で大英断を下す。
 その他、政界の暗部を暴いて暗殺される新聞記者。世界的ネットワークを軽々と破る天才ハッカー少女。離縁された広橋ののちに、婿に入った風采の上がらぬ医者。ところが、あのマリアが舌を巻いた現代版赤ヒゲ。向井に愛の鞭で打ち据えられ、邪道から立ち直る切れ者課長刑事。町金(マチキン)も恐れおののく芸術的踏み倒し名人の借金王。任侠映画に脳髄まで染められ、カネでのし上がる土地成り金ヤクザ。 …… などなど、実に多才、多芸、多種、多様。京の生鱈、天こ盛りである。

 さてその中で、先述の「除いた一人」こそ誰あろう、「福島克也」君なのである。
 金丸組若頭。主役ではないが、重要な脇役である。坂口の弟分で、全3巻に通じて登場する。ヤクザにしておくのはもったいないほどに真面目、かつ紳士である。日常の言語はごく普通の標準的日本語で、ここぞという決め時を除いては裏世界の手荒なお言葉はめったに出ない。掌の先には合計10本の指が欠けるところなくきっちりと揃っており、いつも背広にネクタイ、紳士の鑑である。ハンドルを握ると、とたんに人格が野獣に豹変するが、それ以外は極めて平和的だ。
 忠実で知的で、手堅く、気が利き、義に堅く情に厚い。とても有能、できる男である。繊細かつ大胆、決断が速い。万を超える構成員の大組織を、金融から建築、ソフトウェアーまで扱う「金丸産業」として切盛する社長であり、盆暗親分に代わり、組を実質的に束ねるオーガナイザーである。
 高級住宅街に居を構え、娘の弾くピアノの音が優雅に流れ、家人は彼を「パパ」と呼ぶ。裏と表、見事な使い分けである。
 時代が読める彼の理想は、ヤクザの集団をそっくりカタギの事業集団に変えること。天下に一点の曇りなき、世の王道を歩む近代的ヤクザにメタモルフォーゼすることだ。

  …… そんなわけで、周りがあまりに突出した人物だらけであるせいか、彼が唯一『まとも』に見えるのである。「そんなヤツなら、おるかもしれーん?!」である。
 現身(ウツシミ)の福島克也君はいかがであろう。
 これが上記の特徴にぴったりと符合する。まるで『移し身』のようだ、といえば事は簡単だが、そうは問屋が卸さぬ。卸さぬもなにも、そうだとしたらわたしとは今世、袖振り合いもしないに決まっている。自慢ではないが、半世紀以上をカタギひとつに決めて生きてきた。第一、作中の人物とアナロジーを一々に詮索しても意味はない。ただ、不惑を越えて急にメタボになった胴回りと欠損した指がないこと、紳士風の挙措、情に厚い性格、裏街道ではなく裏道を好んで歩くクセは似てなくもないが …… 。

 ウソで固めた虚偽と同様に、ウソで固めた真実もあるのではないか。ウソの上塗り、重ね塗りで輝く、ウソのような至宝もあるのではないか。塗師こそ、小説家の天職だ。「きんぴか」とは、ウソの世界で織り成される目眩(クルメ)く人間の輝きをいうに違いない。あの金バッジではない。眩しくて正視できないから、この小説家はウソで包(クル)んだ。数多いウソの中でも、これは「ぴかいち」の出来栄えである。なにより、オーラスを包む霧のような寂寥感はただのピカレスクではないことを雄弁に語っている。

 ついつい読みそびれて、とうとう2年。この2日間で一気呵成に読了し、感想に替えて本稿を綴った。
 これで若頭が加わり、福島克也君が二人。両人とも「きんぴか」の、かけがえのない友人となった。 □


☆☆ 投票は<BOOK MARK>からお入りください ☆☆