伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

雪 三様

2007年02月07日 | エッセー
 底冷えを振り切って床に就く。目覚めると、窓の外は眩(マバユ)い銀世界に満ちていた。野山も街並みも厚化粧をしている。雪の白粉だ。少年の日、高揚感とともに雪の一日が始まる。
 戯れて新雪に身を投げる。人形(ヒトカタ)が残る。記憶をなぞりながら道を踏み分ける。この日ばかりは足形が付き纏う。行く手に白無垢の校舎が迎えてくれる。時ならぬ出で立ちだ。固く結んだ雪は合戦の銃弾。命中に彼は飛び上がり、被弾は直(ジキ)に水となって肌を刺す。雪だるまも作った。当時は炭もバケツもすぐに用意できた。もちろん、バケツはブリキで、炭は日用品だった。雪が降り積もった日、それは少年にとって格別な一日となった。
 遠景に退(シリゾ)いて、遙かな星霜が過ぎる。

 ひと夜を境に自然が身繕いを一変する。近景も遠景も輪郭だけを残しながら、等し並みの白銀に染め上げる。鮮やかなメタモルフォーゼだ。おどろきは蠱惑を誘(イザナ)い、人を酔わせる。壮大な変身の美に酔い痴れる。


 「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」
 冒頭に触れた時、悪寒に襲われた。読み進む呼吸を整えるまでしばらく立ち竦(スク)んだ。言霊の実在を確信した刹那だった。
 自然が設(シツラ)える書割であろうか。雪でしか醸せない風味。その書割のなかで、雪を十全に含んだ芳醇な筆致が男を描き、女を演ずる。「雪国」の不朽は白栲(シロタエ)の場景とともにある。
 この書割は数々の名作を生んできた。「豊饒の海」、三島は「春の雪」から筆を染めた。浅田次郎、「鉄道員(ポッポヤ)」も然りだ。日盛りでは成し得ない劇だ。

 天は巧なる絵師のごとしか。時として見せる日常に非ざる高みの書割。作家はそれを借景し物語を紡ぐ。日常に非ざる劇は天の書割に包まれ迫真となる。

 
 それは音もなくやってくる。「白の恐怖」だ。人の営みなぞ一溜(タマ)りもない。自然も喜怒哀楽の諸相を現ずる。太刀打ちはできぬ。しなやかに応ずるほか、手はない。
 冬山の遭難は後を絶たない。八甲田山中、死の彷徨は二百人近い凍死者を出した。世界の山岳史上、最大の惨劇だった。
 極寒(ゴッカン)の死は睡魔と背中合わせだ。極度の疲労が睡魔を呼び寄せるのか。寝入ってしまえば体温は更に落ちる。踵を接して凍死が待つ。「白の恐怖」は心地よい眠りを伴って忍び寄る。白銀の真綿が一瞬にして死装束に変わる。畏怖を忘れた時、容赦ない痛撃に見舞われる。侮れば自縛は必至だ。
 自然は決して優しくはない。白銀の世界は死霊が蠢く白妙の闇でもある。

 やがて陽が差し雪消(ユキゲ)に春が迸ったら、一安心だ。

 それにしても暖冬はまことに無粋を窮める。□