伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

筒香提言に大拍手!

2019年02月03日 | エッセー

 少年野球では「お茶当番」なる半ば強制的な係があるらしい。ベンチでの給水補給や体調を崩した子どもの手当が本来の目的だが、子ども、監督、コーチのために食事やお茶も用意する。果ては監督、コーチの雑用までこなす。今では食事とお茶の提供が本務で主に母親が当たる。親馬鹿が昂じて大変な負担を背負(ショ)い込んでいるわけだ。
 少年野球そのもののフィジカルな危険性も指摘されている。未成熟な少年期に1つだけの競技に特化すれば障害を受けるリスクが高まる。これから長年月を掛けて使っていくポテンシャルを先食い、あるいは失ってしまうわけだ。
 加えて少年野球にまで勝利至上主義がはびこり、チームの内外ともに熾烈な競争に晒されている。もはやスポーツ本来の「遊び」はどこにもない。昨年の小稿から引くと、
 〈競技者を“player”という。“play”の原義は「遊び」である。「競技性」は生存本能が馴致されたものであろうが、「遊戯性」は開放されることで人類を霊長に押し上げた。今、これが逆転している。たかが遊びが雲散し、優勝劣敗が跋扈している。〉(11月「eスポーツ<承前>」から)
 というわけだ。それがあってか、野球人口は少子化の6~10倍の速さで減少しているそうだ。スポーツのもつ遊戯性と競技性のアンビヴァレンツ。積年のアポリアではある。
 そのような状況を憂い、DeNAの筒香嘉智が立った。先月15日、堺市で行われたシンポジウムで整形外科医らにより提案された「学童野球独自のルールの変更」10項目を支持すると言明した。さらに25日、都内の日本外国人特派員協会で記者会見し提言を後押ししたのだ。
 10項目は以下の通り。
1. 投球数規制70球、試合回6回 / 2. 練習時間規制1日3時間 / 3. 試合数規制年間100試合以内 / 4. トーナメント制ではなくリーグ制の大会 / 5. 塁間投捕間距離の改正(もっと短く、投手有利な条件へ) / 6. 盗塁数規制 / 7. カウント1―1からの開始 / 8. お茶当番、応援の緩和 / 9. 監督不要(サイン指示なし) 10.パスボールなし
 注目されるのは4. であろう。筒香は「勝利至上主義の弊害」を強く主張する。「目先の勝利ではなく、子供たちの将来を見据えた野球環境を作ること」を訴える。「負けたら終わりのトーナメントではメンバーも固まり、連投や肘、肩の故障も増える」。だからこそリーグ制をというわけだ。これは特大ホームランである。野球を子どもたちの心身の成長につながるものにしたい、子どもたちの笑顔が戻る楽しいものに、それが願いだと語った。プロ野球選手にしておくのはもったいない。いや、プロ選手だからこそ、いやいや『日本の4番』だからこそ値千金の発言である。NPBも捨てたものではない。鈴木大地スポーツ庁長官の御賢察とイニシアティブに期待したい。
 勝利至上主義の成れの果てはどうなるか。思想家内田 樹氏の箴言を徴したい。
 〈「競争勝者には報奨を、敗者に処罰を」というルールで集団を管理していれば、いずれ人々は自分以外のすべてのメンバーが自分より愚鈍で無能であることを願うようになる。その方が自己利益が増大するのですから、そう考える。でも、そうやってお互いが自分以外のすべてのメンバーの成長を阻害し合っているうちに、集団そのものが「使えない人間」たちで埋め尽くされてしまう。〉(「ローカリズム宣言」から)
 成れの果てにあるのはシャーデンフロイデの狂い咲きだ。昨年のアメフト“反則タックル”がなによりの実例である。
 
タモリの名言が甦る。「健康のために スポーツのし過ぎに注意しましょう」 往時のタバコのパッケージの捩りである。さらに、「子どものために スポーツのさせ過ぎに注意しましょう」とでもなろうか。
 もう1点。事は少年野球だけではない。少年どころか、幼児期からの特訓、これは如何なものか。おそらく福原愛あたりから始まったのではなかろうか。浅田真央、内村航平、吉田沙保里、張本智和、さらには大坂なおみ、貴景勝などなど、挙げれば切りがない。マスコミはドラマ仕立てで褒めそやし、視聴率を稼ぐ。親は選べないといってしまえばそれまでだが、大成はごくわずかではないか。陰には的を外れ力尽きた矢が山積しているにちがいない。大坂なおみの影響を受けてラケットを振る子どもがにわかに増えるのはまだカワイイ。問題は、何十、何百番目かの泥鰌を狙ってまなじりを決する親馬鹿が出てくることだ。被害者は子どもだ。それを忘れてはなるまい。ともあれ、筒香提言は核心を突いている。手が腫れ上がるほど拍手を送りたい。 □