この見出しはいい。
圧巻「ひとりビートルズ」
ポール・マッカートニーのワールドツアー「アウト・ゼアー」(米インディアナポリス)をレポートする朝日新聞の記事だ(今月3日付)。
〓トレードマークのバイオリンベースを抱えて現れたポールは、1曲目に「エイト・デイズ・ア・ウィーク」をぶつけた。いきなり、初期ビートルズのロックンロールナンバー。・・・
今回のツアーでは驚くほど多くのビートルズ曲を演奏する。「オール・マイ・ラビング」など初期のロックンロールから、後期の「ヘイ・ジュード」「レット・イット・ビー」まで。出し惜しみすることなく、ファンの気持ちをはずさない。・・・
もしも再結成があったのなら、ジョン・レノンが歌っていたであろう曲。ジョージ・ハリソンに捧げて「サムシング」も歌った。〓(抄録)
こんなことを伝えられた日には、11月の来日公演が気が気ではなくなる。とりわけ以下のくだり、記者自身の滾りにこちらも気が立ってしまう。
〓すぐれた音楽は、人の記憶と結びつく。記憶を強化し、浄化し、救済する。ビートルズが史上最高のロックバンドだという意味は、そうした曲を、だれよりも多く残したから。・・・(解散の後・引用者註)二度と再び相まみえることのなかった途方もないバンド。今、ポールが、一人決然と、再現しようとしてくれている。〓
「ひとりビートルズ」とは、「一人決然と、再現しよう」との意志を表したものだ。だから、巧い。
「すぐれた音楽は、人の記憶と結びつく。記憶を強化し、浄化し、救済する」とは卓見ではなかろうか。団塊の世代にとっては、好悪に限らず「記憶と結びつく」音楽だ。最も多感な時期の始終に、偶会と永訣を二つながら体験した。世代的僥倖というほかない。
記憶を「浄化」するとは、何だろう。三木 清がいう「すべて過ぎ去ったものは感傷的に美しい」(人生論ノート)からなのであろうか。そうではあるまい。浄化とは醇化の謂ではなかろうか。
一世風靡などという底の浅いものではなく、奇しくもオノ・ヨーコが言った「社会現象」を起こし時代を創った音楽は歴史のメルクマールであり座標軸でもある。だから「人の記憶」は定位され、残余は取り払われて、いつでも蘇る。「あの時、流れていた曲」ではなく、「あの曲を聴いたのは、あの時」である。
さらに穿てば、「すぐれた音楽」はコメモレーションを生む。「偽造された共同的記憶」だ。内田 樹氏が世代論の有効性として認めた点である(12年6月本ブログ『世代幻想論』で触れた)。氏は「人間というのは、とても複雑で精妙で、主に幻想を主食とする生き物だ」(「ためらいの倫理学」から)と語る。同じ幻想を喰らう世代がアイデンティティをもたぬはずはなかろう。
ただしビートルズに限り、優に数世代を跨ぐ。数世代は歴史の名に中(アタ)ろう。それにしても、なおポールは「アウト・ゼアー(OUT THERE)」と投げかける。古希を越えさらに向こうを見据えている、と捉えたい。
稿者が使う机の抽斗、その奥の奥に、いま、ヤフオクドームのチケットが眠る。11年振り4度目の来日ライブ、初日だ。“Out There”ともいえるし、“Here,There and Everywhere”ともいえる。 □