伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

極月、「ヤケのヤンパチ」

2007年12月18日 | エッセー
 「ヤケのヤンパチ日焼けの茄子、色が黒くて食いつきたいが、あたしぁ入れ歯で歯が立たない、とくらぁー」お馴染み、寅さんの啖呵売である。今年の漢字は「偽」だそうで、そんな御時世を託ってみればやはり寅さんのことばが浮かんでくる。ところが、首相は「信」の一字を挙げた。ひどいブラックユーモアだ。「人」の「言葉」と書いて「信」。そのことばが今年、哀しいほどに軽かったのが誰あろう、永田町の赤絨毯を徘徊する面々だ。となれば、もうひとつ寅さん。「たいしたモンだよ、かえるのションベン。見上げたもんだよ、屋根屋のふんどし。けっこう毛だらけ猫灰だらけ。おめぇのケツは糞だらけ」とでもカマシたくなる。田圃にいたす蛙さんのお小水も、仰ぎ見る屋根屋さんの下帯も、永田町に住まう魑魅魍魎の所業に比べれば、まことに大したモンに見えてくるのはわたしだけではあるまい。

 「ヤケのヤンパチ」、浮かぬ浮世に腹いせ紛れではあるまいが、近年滅法増えたのが夜毎の電飾である。せめてもの景気づけか。クリスマスツリーでは物足りぬか。夜陰に浮かぶ光の渦。わが陋屋は片田舎の住宅街にあるが、近頃はこの辺りにも進出著しい。飲食店が俄に林立したかと見紛うばかりだ。勿論、都会地ではそこいら中をイルミネーションが覆っている。建物のエントランス、ポーチ、ビルの壁面、並木などなど。はては一般家屋の生け垣、屋根、しまいには家一軒を丸ごと包み込むものまである。さらに色数も増し、点滅の変化も多彩になった。
 かつて流行ったトラック野郎の電飾のように、やがて廃れるのであろうか。それとも息の長いものか。ともあれ新手の年末風物詩になりつつある。早いところでは11月の中旬から始まり年を越すものもあるが、さすがにクリスマスを区切りに大半が姿を消す。元の木阿弥ならぬ、元の宵闇に戻る。
 ただ、昼間がいけない。書割の裏側を晒したような態(ナリ)で、なんとも無粋だ。まるで年増芸者のささくれ立った寝起きの顔だ。昼行灯ならば行灯に変わりはないが、昼電飾はそうはいかぬ。剥き出しの配線でしかない。楽屋裏は見せないように、昼間の工夫がほしいところだ。

 「ヤケのヤンパチ」、明治4年の鹿児島で椿事が起こった。名君といわれた島津斉彬の後継として幕末の薩摩に君臨した島津久光。生麦事件でつとに有名である。頑迷、因循、専制、まさに旧制の権化である。ところが、臣下である西郷・大久保がこともあろうに廃藩置県を主導する。もちろん大反対だ。しかし雄藩・薩摩の権力者といえども、天下の趨勢には抗しがたい。首謀者は配下である。腸が煮えくり返る。太政官布告を受けるや、日がな一日鹿児島の空に花火を打ち上げ続けた。それで鎮まったかどうかはしらぬが、薩摩勇人ともなれば鬱憤晴らしもスケールが違う。

 ともかくも、今年は暮れる。暮れるついでに、花火のひとつも挙げたいところだが、生憎夏の名残の、湿気った線香花火しかない。これでは火もつかぬ。かといって、電飾では昼夜の落差が甚だしい。夜は誤魔化せても、昼が惨めだ。笑い話にもならぬ。
 今宵も、拙宅は玄関にしょぼい外灯が一つ。薄暗闇の中で在処(アリカ)をためらいがちに示しているばかりだ。□


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