変わった市長もいるなという程度で、さして関心もなかった。ところが、ついにリコール成立。これは、にわかに注目だ。
この市長、防大の出身である。だから、まさか蒙昧とはいえまい。ただ、奇人ではある。
―― 自衛隊には『ある金持ち組織』のために工作をおこなう所があるという話を聞いたことがあり、天皇家や吉田、岸、児玉などが含まれている。
自民党や民主党の活動資金は麻薬資金で、特別な遺伝子がある支配者層に人類は飼われている。
そもそも孝明天皇は伊藤博文から暗殺された。伊藤はその子も殺した上に自分の手下、大室寅之助にすり替えた。これが明治天皇の正体だ。今の天皇家はまさしくどこの馬の骨とも分からない家系である。
9・11テロは自作自演であるとする主張に賛同する。 ――
このような空言、珍説はおよそ奇人でなければ吐かない。奇矯さは人目を引くための方便であるのか、それとも心理に宿るなにものかの表出なのか。興味はあるが、本稿の主題ではない。
彼は市議を1期勤め、のち市長となり、いま2期目(1期途中で不信任、出直し選挙で再選)である。市長となってからのゴタゴタを列挙してみる。(個々の説明は省く)
◆全職員給与明細公表
◆市職員降格処分問題
◆張り紙はがし職員の免職
◆労働組合事務所の明け渡し通告
◆市職員の上申書の提出
◆副市長選任問題
◆「辞めてもらいたい議員」投票
◆議会への出席拒否
◆予算特別委員会で各課長に「答弁禁止」の指示
◆市議会特別予算委員会への出席拒否
◆議会の問責決議に「生意気です。能力も志もない人間が議員をやっちゃいかんのです。邪魔です。やめてもらいたい」とブログに
◆議会不招集と専決処分連発
◆自ら会長職を求め市体育協会に圧力
◆ネット選挙問題
◆障害者差別ともとれるブログ記述
◆報道規制問題
◆裁判所批判
◆裁判官の月給だと主張する一覧表をブログで公開
などなどである。溜のないヒステリックさを感じる。そして、
●有効署名が確定=市長リコール、住民投票へ―阿久根市
鹿児島県阿久根市の竹原信一市長の解職請求(リコール)運動で、市民団体「阿久根市長リコール委員会」が市選挙管理委員会に提出した署名簿の異議申立期間が12日、終了した。期間中の異議申し立てはなく、提出された1万197人分の署名の有効性が確定した。(朝日 10月12日)
…… となり、
●阿久根市長リコール住民投票、12月5日に 選管決定
鹿児島県阿久根市の竹原信一市長(51)の解職請求(リコール)手続きを進める市民団体「阿久根市長リコール委員会」(川原慎一委員長)は13日、市選管に対し、解職の是非を問う住民投票の本請求をした。これを受けて市選管は住民投票を11月15日告示、12月5日投開票と決めた。議会を招集せずに専決処分を繰り返し、片山善博総務相からも否定された「竹原流改革」の手法が問い直される。(朝日 10月13日)
…… 事態に立ち至った。
対する市長は、「リコールによって市民が市政に関心をもつことは良いことである」とコメントし、再出馬の意向だ。
市議時代に、委員会による北海道調査を物見遊山だと蹴ったことで問責決議を受けている。ルサンチマンとはいわぬまでも、対立は根深い。最初の市長選は、職員給与の削減を訴えて当選した。返す刀で議員定数を一挙に約3分の1に削減しようとして議会と争った。漁業で繁盛した市がいまや人口半減、瘦せ細る市勢が彼の行革路線を後押ししたことは事実だ。ギリギリに尖った阿久根の“コイズミ”が大向うの喝采を受けたともいえる。
ただ、手法は独善的でイリーガルでもあった。片山総務相も違法性を指摘する。専決処分の連発には、議長にも招集権を与えるように地方自治法の改正を求める声が挙がっている。二元代表制である地方自治の瑕瑾を埋める手立てになりそうだ。さらに予想外の副産物も。
●結構人気「議員力検定」 地方議員、議会批判に焦り?
議会活動にかかわる知識を問う「議員力検定」の人気が地方議員の間で高まりつつある。「議員はこんなに多く必要なのか」などと厳しい声があるなか、検定で裏付けられた「議員力」を議会改革につなげたい考えだ。来春の統一地方選に向け、有権者にアピールする狙いもあるようだ。
「鹿児島県阿久根市長の(議会軽視の)振る舞いの背景には、住民の議会への不信もあるんです」。山口二郎・北海道大教授が語りかけると、首都圏や東北地方から集まった地方議員ら約100人が耳を傾けた。
「日本の議会政治を考える」という勉強会が8月、東京都内で開かれた。主催したのは、学者らがつくる「議員力検定協会」。(朝日 10月16日)
現金なものだし、なにやら寒寒しくもある。
さて、タイトルに戻ろう。
「応仁の乱」とはいっても、「戊辰の乱」とはいわない。「戊辰の役」とはいっても、応仁の役」とはいわない。「大塩平八郎の乱」とて同じくだ。規模、期間ではない。「乱」とは秩序が乱れることであり、変革の呼び水とはなっても変革そのものではない。「天狗党の乱」のようにストラテジーなく、単なる暴発に終わった徒花もある。
朝日は13日の社説で「首長と議会の対立は各地に起きている。ともに怠慢や行き過ぎがないか、住民がチェックすることが求められている。阿久根市の試行錯誤も、住民に期待される仕事をしていくための契機として生かしてもらいたい。阿久根市民の経験は、地方自治を鍛える一つの過程といえる。」と評した。賛成だ。だから筆者は、あえて「乱」と呼びたい。
「阿久根の乱」は、「天狗党の乱」の二の舞を演じてはなるまい。少なくとも竹原氏には、『平成の大塩』の片鱗なりとも見せてもらいたい。天狗の申し子で終始せぬよう、切に祈る。 □