およそ八ヶ月振りに喰った。あまりの旨さに泣きたくなった。食い物ごときで落涙しては恥ずかしいので、原稿に字を落とす。
吉野家の牛丼である。
わが愛おしき片田舎にはそのような洒落た処はない。モスやミスドはあるのに、マックが二十分、ケンタが四十分。吉牛には車で二時間は走らねば行き逢えない。間遠である。まことに文化から孤絶している。
吉野家は明治二十二年の創業と聞く。東京日本橋に牛丼屋として店を開いた。初代・松田栄吉が大阪吉野町の出身であったことからこの屋号が付いた。同年には、大日本帝国憲法が公布され、東京市が生まれ、東海道線が全線開通した。『坂の上の雲』が輪郭を現し始めた頃ともいえる。爾来百十余年間、牛丼のみを売り続けた。まさに商いは牛の涎である。牛を馬に乗り換えた(といって馬肉ではないが)のが〇一年。一杯二百八十円、十数秒で「はい、お待ち」のファストフードに大転換を図った。今やメニューも増え海外にも展開、低価格・外食産業の雄である。
特筆すべきは〇三年のBSE騒動での対応だ。あくまでも米国産牛肉に拘り、豚丼などの代替商品を急遽投入してまでも、輸入再開まで牛丼の販売を中断した。吉野家の味は米国産牛肉でしか出せない。ファストフード店らしからぬ職人気質であろうか。老舗の沽券か。報道に接し、心中快哉を叫んだものだ。
すき家とは双璧をなす。松屋もある。だが、筆者は吉野家だ。味が二者を断然引き離すし、なにより名がいい。かつてわが町に粋な料亭があり、同じ屋号であった。川に乗り出すように躯体を構え、灯りが川面に映り、三味線や太鼓の音(ネ)が華やかに聞こえた。少年だったころの街の賑わいが、その名とともに戻ってくるのだ。それにBSEで見せた一本気。やはり、吉野家だ。
ワインは赤だの白だの、ナイフがどうでフォークがこうで、イタ飯だかイカ飯だか、乙にフレンチか、そも懐石はなどと、性分に合わぬ。早飯早〇芸のうちではないか。ファストフードでなぜいけぬ。栄養的に、とは片腹痛い。人間、死ぬまでは断じて生きている!(以上は、荊妻への面当て、ないしはレジスタンスである)
夜鷹蕎麦も歴とした本邦伝来のファストフードである。駅の立ち食いそばもそうだ。札(サツ)の要らない安価にどれだけ助けられたか。山のように掛けた刻み葱は、野菜の補給に役立ったはずだ(たぶん)。ホームでの沸き立つような喧噪に急かされて、勤め人たちが突っ立ったままでソバを掻き込む。時計を見遣りながら黙々と。今に変わらぬあの情景は、湯漬けを流し込んで戦場へ向かった戦国の武士(モノノフ)を彷彿させるではないか。
かつて触れたが、カップヌードルには少なからぬカルチャーショックを受けた。チキンラーメンにも打たれたが、その比ではなかった。これぞファストフードの極みではないか。器さえも用意が要らないというのは文明史を画す発明だ、と感じ入った。耆宿の言を借りよう。
縄文文化における土器の役割は大きかった。粘土で成形して火で焼いたこの容器は、それを持たない時代の人が“煮炊き”というものを知らなかったことにくらべ、人間のくらしに大きな便利をあたえた。ドングリも粉にして煮ることができるし、これに肉を加えれば、消化が容易になり、大量の栄養をとることができる。“煮炊きは第二の胃袋”といえるが、べつの表現でいえば、土器は体外の胃袋ともいえるのである。(司馬遼太郎著「街道をゆく」38から)
“煮炊きは第二の胃袋”であり、煮炊きを可能にした「土器は体外の胃袋」である。目の覚めるような洞察だ。なんだか縄文の世が、一瞬にして輝いてくるではないか。ならば熱湯三分で煮炊きを叶える件のカップは、さしずめ『現代最速の土器』か。やにわに嬉しくなってくる。
吉牛とカップヌードル、ファストフードの双璧だ。片や文明開化の滋味であり、片や昭和絶頂期の妙味である。つづく平成の世、世界の食文化が幸(サキ)わう。なんならついでに『カップ牛丼』はいかがであろう。
久方ぶりの吉牛に堪能し、つい噺が撥ねた。□