伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

幻想の緊急事態宣言

2021年05月17日 | エッセー

 ロックダウンするわけではなし、警官が街に繰り出して人出を規制するわけでもなし、飲食店に24時間の閉店を強いるわけでもなし、通行証を発行するわけでもない。多少の不便はあっても諸外国に比して『緩い』レギュレーションが「緊急事態宣言」である。確かに標的にされた飲み屋さんがバタバタと倒れたり、ストレスによる自死や犯罪が増えたという実害は生まれた。しかしまん防を含めこの宣言にどれだけの実効性があったか、はなはだ疑わしい。何度繰り返しても、人出をはじめまるで効き目がないのが実情ではないか。『笛吹いて踊らず』を狙ったものの、これでは『笛吹けど踊らず』どころか『笛吹けど踊り止まず』である。
 大騒ぎして厳かに発出はするものの、実体はない。幽霊の正体見たり枯れ尾花である。なにせ宣言した当の本人が自宅で流行り歌を聴きながらペットを抱えてくつろぐ、あの貴族気取りのなんとも薄っぺらで漫画にもならない呆れるほどのチープな絵面(エズラ)がその象徴だ。メルケルをはじめ真っ当な指導者が涙ながらの訴えを繰り返している最中に、である。「私が国家」と言挙げしたこの夜郎自大男の振る舞いに緊急事態宣言の虚構性はすでに見破られていたのだ。大衆は愚にして賢。国民をバカにしてはいけない。
 岩波国語辞典には「幻想とは根拠のない空想。とりとめのない想像(をすること)。」とある。最初は専門家の知見も聴かず、のち聴いた振りをし、最後は追い込まれて押し切られる。まさに「根拠のない」そのままのありようだ。それ故、「幻想の緊急事態宣言」という。コロナ禍は実在するが、宣言は幻想なのだ。かつ繰り返されるたびに幻想の度は深まっていく。
 もう一つの幻想の中で、小賢しく泳ぐ雑魚がいる。丸川珠代五輪相だ。
 先月23日、TBSの金平茂紀キャスターが「五輪と感染対策のどちらが優先事項か」かと糺した。丸川は「感染対策の現場は東京都。五輪の主権者も東京都。都が一番ご存じ」と躱した。続いて、緊急事態宣言と五輪開催は無関係とのバッハ発言に対し同じ認識かと迫ると、「IOCと東京都が話をした上でそうを言ったかどうかは分からない」と回答を避けた。
 これを受けてTBSの「報道特集」でキャスターの膳場貴子が「えっ、本当に大臣ですか?」と呆れ、仰け反った。
 次に今月16日、記者会見での金平氏との遣り取り。
金平:オリンピックで絆を取り戻すと発言されたが、この情況の中で絆という言葉はふさわしいのか? 
丸川:その点については特別な考えはありません。
金平:ボランティアの辞退が増える中で有償のボランティアをオリンピックの名を伏せて募集している実態がある。これは絆という美しい言葉にふさわしいのか? 
丸川:有償、無償は責任によって異なります。ボランティアの方は選手と同じようにバブルの中で動いていただきますのだ安全は保たれます。先日、世界陸上を中継されていたのは確かTBS。そのことはお分かりになったのでは。
 さすがはアンバイ君のお気に入りだ。そらっとぼけて、チクリと刺して、窮すればそれがどうした。言葉は丁寧だが、チンピラの対応だ。出しゃばりオバハンが幻想の中で抜き手を切ろうとするからこうなる。
 「すがすがしい」の意味が変わり、本邦はアホノミクスからスカノミクスへ。アホから外れを意味する「スカ」へ。と、一刀両断するのは敬愛する浜矩子先生である。だが、「あの目は、まさしく誰も信用していない人の目だ」とマキャベリズム信奉者を公言する『奸佞首相』の本質を見事に剔抉している。最新著「“スカノミクス”に蝕まれる日本経済」(青春新書、本年4月刊)は期待通りの好著だ。特に目は、今月9日の拙稿で「怨念のこもった目、敵を狙う目」と記した認識と軌を一にする。
 括りにもう一度繰り返そう。コロナ禍は実在するが、緊急事態宣言は幻想である。 □