伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

『おもかげ』

2017年12月15日 | エッセー

 あまりの符合に身が竦んだ。浅田次郎の新刊『おもかげ』はメインステージがICUなのだ。実はこのところ体調が極めて悪い。9年前と昨年のICUの悪夢再来かと怯えていたところだった。小説をこれほど身につまされて読んだことは一度もない。小説という仮想がわが身の現実とシンクロナイズする。偶然と打棄るには生々しすぎる。
 昨年12月から本年7月にかけて毎日新聞に連載された作品の単行本化である(今月5日毎日新聞出版から発刊)。
 〈忘れなければ、生きていけなかった。
 浅田文学の新たなる傑作、誕生――。
  定年の日に倒れた男の「幸福」とは。
  心揺さぶる、愛と真実の物語。
 商社マンとして定年を迎えた竹脇正一は、送別会の帰りに地下鉄の車内で倒れ、集中治療室 に運びこまれた。
  今や社長となった同期の嘆き、妻や娘婿の心配、幼なじみらの思いをよそに、竹脇の意識は 戻らない。
  一方で、竹脇本人はベッドに横たわる自分の体を横目に、奇妙な体験を重ねていた。
 やがて、自らの過去を彷徨う竹脇の目に映ったものは――。〉
 出版社のHPにはこう紹介されている。「横たわる自分の体を横目に、奇妙な体験」、ここが肝文だ。原文中にはこうある。
 〈これはいわゆる体外離脱などではなく、そうと見せかけた幻想ということになりはすまいか。異常をきたしている脳の機能か、幻覚作用のある薬品が、みごとな仮想現実を作り出しているのである。〉
 〈僕の上には、ありうべからざることが起こり続けている。
 夢や妄想の類ではない。どう考え直したところで、明らかな実体験である。だから「夢のような体験」という言い方はできるが、「リアリティーのある夢」ではない。
 たとえば僕は今、赤坂見附駅のプラットホームに立っているのだが、見えるもの聴こえるもの肌に感じるものすべてが、現実だと断言できる。
 しかし、病院の集中治療室に瀕死の僕が横たわっているのもまた事実で、いわゆるパラレルワールドが存在する、とでも考えるほかはなかった。〉
 ゴーストはこの作家の十八番(オハコ)である。ただ本作では体外離脱というスタイルを取っている。とはいうものの、綯い交ぜに綴られているゆえ同等と見ていい。再三の引用になるが、内田 樹氏の炯眼を徴したい。
 〈浅田次郎の小説も、すごく幽霊が出てくるの。その幽霊は、壁の一枚向こう側にいる。自分たちの日常の論理や、言語が通じないんだけど、非常に親しいものなんだ。それとの関わり合いを構築していくことが、人間の生きていく意味なんだ、っていう。村上春樹と浅田次郎だけだよね、作品の幽霊出現率が九割超えてる作家って。
 手触りがあって、これが現実だと僕らが思ってる現実が、本当は現実の全部じゃなくて。その周りにカッコがある。自分たちの“現実性”みたいなものを成立させている外側があるってことは、みんな知ってるの。外側には回路がある。その回路から入ったり出たりするんだけど、そこに出入りするものっていうのは、こちらの言語には回収できないし、こちらのロジックでも説明できない。でも、明らかにあるの。そのことをちゃんと書いてる人たちが、やっぱり、哲学でも文学でも、ずっとメインストリームなのよ。〉(『どんどん沈む日本をそれでも愛せますか?』より)
 「壁の一枚向こう側」がこの作品では集中治療室に横たわる「瀕死の僕」のすぐ「向こう側」であろう。「外側」にある「回路」だ。
 また、養老孟司氏は近著で「プラトンは史上最初の唯脳論者だった」(『遺言』)という。現実がイデアの「似像(ニスガタ)」だとは、イデアが脳の産物である以上その通りではないか。「異常をきたしている脳の機能か、幻覚作用のある薬品が、みごとな仮想現実を作り出している」とはその事情を指すともいえる。加えて、「パラレルワールド」はSFではなく量子力学でもその理論的可能性が論じられている。決して荒唐無稽な作り話ではない。
 つまり、『おもかげ』が描く世界は単なるドラマツルギーを超えた「外側の回路」だといい得るのではなかろうか。広辞苑を引くと、「おもかげ」とは「目先にないものが、いかにもあるように見える、そういう顔や姿や物のありさま」との謂が始めに載っている。「顔つき」は二番手だ。巧いタイトルである。
 再来年、平成は改まる。昭和、とりわけ戦後の焼け跡は遠景に退いていく。続く高度成長期。団塊の世代が生きた時代。それらが行きつ戻りつ書割のように入れ替わり舞台は回る。この小説のもうひとつの読みどころだ。舞台を回すのは地下鉄。替えがたい脇役だ。「地下鉄に乗って」を筆頭に浅田文学には地下鉄は欠かせない存在だ。今作はさらにメタファーが潜む。それも味わい深い。
 「泣かせの次郎」という。いっちょ前のすれっからしが簡単に術中に嵌まって堪るか。そう心得つつ読み進んだ。前評判にそぐわずなんてことはなかった……最終頁から3頁前までは。
 そこで、遂に泣かされてしまった。拭っても拭っても活字が霞む。ジジイがジジイに泣かされて世話はない。「泣かせの次郎」の金字塔だ。 □