伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

ハンコ廃止に反対

2020年09月28日 | エッセー

 先日、朝日は以下のように報じた。
 〈河野氏、ハンコ廃止を全府省に要請 「存続なら理由を」
 河野太郎行政改革相は24日、全府省に行政手続きでハンコを使用しないよう要請した。そのうえで業務上、押印が必要な場合は理由を今月内に回答するように求めた。
 河野氏はテレビ朝日の報道番組に出演し、「テレワークをやってたのにハンコを押すために(会社に)出ていかなければいけないということが随分ある」と話した。〉(抄録)
 「存続なら理由を」という前に、なぜ生まれ、なぜ存続してきたのかを彼は問うたのであろうか。
 5千年前、メソポタミアのシュメール人が財宝を封印するために作った円筒印が最古のハンコとされる。誕生から約250万年間狩猟採集を続けてきた人類が農業革命を起こしたのが1万5千年前。それから1万年の間、何が起こったのか? 移動から定住の農耕社会へと大きく変化していった。農耕は狩猟採集のようなその日暮らしでは立ち行かない。種を蒔き時を経て稔りを迎えるという長時間のスパンで考えないと成り立たない。加えて、次の耕作のために種を保存せねばならない。ゆえに未来という概念が生まれたのだ。シュメール人の頭脳に未来の概念が棲み着いた時、円筒印は生まれたとみていい。さらに農耕は否応なく所有権の概念を飛躍的に高め、必然的に格差をももたらした。益々ハンコはプレゼンスを高めることになった。それが大括りの来由である。
 ハンコひとつもらうためにコロナ禍を移動しろというのかとのブーイングがある。尤もではあるが、太古からそのような事情は何度もあったはずだ。どうせ盲判とのオブジェクションも頷ける。しかし、それらを超えてなお「所有権の概念」は重要だ。死活に係わる。だからこそ、いくつもの審級を設けた。いちいちに熟慮と決断のステップを構え、責任の所在を明示した──という幻想を共有した。そういえるのではないか。例えば水戸黄門の印籠。誰もフェイクだとつゆほども疑わずひれ伏してしまう。なぜか。助さんが「静まれ、静まれ」と呼ばわり、格さんが「こちらにおわすお方をどなたと心得る・・・・頭が高い、控えおろう!!」と宣しつつ懐から印籠を取り出し高々と掲げる。その厳かな段取りが越後のちりめん問屋の隠居を刹那に先の副将軍にメタモルフォーゼさせる。隠居が自分で名乗り印籠を出したのでは「えーい、斬り捨てい!」の通りにされてしまう。
 これからは電子署名が取って代わるという。偽造はできず、手間暇も掛からない。セキュリティーを最大化し、コストを最小化するには打って付けだ。市場原理の一結実ともいえよう。だが、件(クダン)の「幻想」も「未来の概念」も跡形もなく潰える。それは同時に人間くさい営みの喪失でもある。清濁ともに消えた純水には特殊な酵母やカビを除いて生物は棲めない。「未来の概念」を逸失すると無時間思考のピットホールが待ち構える。今がどういう未来を招来するかは思慮の外に置かれる。当今の直情的で無分別な凶悪犯罪の横行はその表徴である。いつかも書いたが、だから林修の「今でしょ!」が嫌いなのだ。意図は別にあるにせよ。それだって、随分市場原理に毒されているが。
 京大元総長山極壽一氏はこう語る。
 〈この先に訪れるのは、物が動くか、人が動くか、どちらかの世界でしょう。自分の身体を使わずに宇宙にも行けるし、深海にも潜れるし、外国で異文化体験もできます。自分はまったく動かなくていい。でも、これは非常に危険です。なぜなら、信頼関係は身体をつなぎ合わせることでしか得られないものだからです。ぼくが期待しているのは人が移動する時代です。〉(「スマホを捨てたい子どもたち」から抄録)
 重い指摘だ。
 サインもハンコと同じく消えていく流れにある。かつてオバマが財務長官にジャック・ルーを起用した時、彼のサインが余りにも稚拙で簡単だったため偽造が心配された。任命式でオバマは「ジャックのサインを見た時は、指名を取り消そうかと思ったよ。僕にも読める文字を1文字は入れてくれと注文したんだ」とジョークを飛ばした。こんなやり取りは電子署名ではあり得ない。なんと味気ない。
 反対の理由はもう一つある。コロナ禍で噴き出した忿懣への人気取りに感じられてならないことだ。普段ならまず実態調査。次いで形だけでも諮問会議をつくって諮るところだ。いつものプロセスを素っ飛ばしてともかく実績をとの底意が見て取れる。拙速との批判を覚悟しても、まずはやってます感を演出する。そんな臭気がするのである。目下の官僚機構が抱える問題はそれではないだろうってことだ。変な猫騙しより、アンバイ君の負の遺産を片づけることが先だ。細々と曲がりなりにも命脈を保ってきた戦後民主主義が機能不全に陥っている。その再生こそ急務のはずだ。一度は自民党を飛び出した親父の気骨は悴に継承されなかったのか。太郎君、真価が問われる。 □