伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

「くりから御殿」

2018年07月22日 | エッセー

 ついふた月前、長治郎は三途の川を途中まで渡ったところで追い返された。心の臓の病だった。大坂屋長治郎、白粉問屋「大坂屋」の主人である。今また病は重く、いよいよあの川を渡り切る日は近い。だから語り置きたい話がある。齢十の身に起こった絶望と怪異譚、それに爾来四十年こころを咎め続けてきた幼馴染みへの後ろめたさだ。
 山並を背負った港町、柄杓の底を抜いたような春の長雨が続いていた。古老も初めてだという大雨であった。その最中(サナカ)の朝まだき、干物問屋の長坊は寝小便に目を覚ます。恥ずかしい。隠そうとして布団を抱えて廊下に出たその時であった。ただならぬ地響きを伴って山津波が町を襲った。泥塗れになりながら必死に逃げた。一瞬が生死を分けた。町は潰滅。両親は潰れた家の下で亡骸に。奉公人も近隣の人びとも同じように命を落とした。生き残ったのは長坊ひとり。「寝小便に救われた命」であった。だがいつも一緒だったとりわけ仲の良かったみいちゃん、はっちゃん、おせんちゃんの三人は行方不明に。
 一瞬にして孤児となった長坊は、網元の好意で開放されたその宏壮な隠居所へ身を寄せる。そこで怪奇は起こった。
 五日目の朝目覚めると、そこはわが家であった。味噌汁の匂いが漂う台所。かくれんぼしよう……みいちゃんの声だ。みっけと物入れの引き戸に駆け寄った刹那、長坊は起こされた。それは起き抜けの短い夢であった。ちょうどそのころ、みいちゃんの遺骸が見つかっていた。
 二日後、夢の中で目を覚ますと、はっちゃん家(チ)であった。長坊が鬼やで……またしてもかくれんぼだ。裏庭にある大きな水瓶。みっけ。ところがはっちゃんはふわりと逃げた。その日、かばい合うように身を寄せ合ったはっちゃん一家の遺体が押し潰された家の下から発見された。
 それからしばらくして、おせんの家の幻を見る。五日後、おせんちゃんの死骸が漁師の網にかかった。これで仲良し四人組は揃ったが、この世に置いてけぼりをくったのは長坊だけ。
 艱難辛苦の後、今、長治郎は江戸で一廉の商家を構える。しかし、なぜ自分だけが残ったのかわからない。たった一人生き残った理由が、どうしても見つからない。仲間はずれか。寂しくて悲しくて、胸の穴が埋まらない。それをぶちまけたかったから、ぶちまけたくてたまらなかったから、長治郎はここへ来た。
 
 「ここ」とは、江戸神田三島町にある袋物屋の三島屋、黒白の間。聞き役は三島屋主人(アルジ)の姪っ子おちか。ご存知、宮部みゆき「三島屋変調百物語」シリーズの第3作『泣き童子(ワラシ)』である。身の毛がよだつ怪談のオンパレードだ。単行本は5年前に出たのだが、文庫は先月25日に発刊となった。困窮の身、余程のことがない限り文庫を俟つことにしている。読み始めたのが今月アタマ。長治郎の語りは第2話「くりから御殿」である。3・11直後に発表された。然りである。
 「平成30年7月豪雨」が西日本を中心に全国を襲ったのは、先月26日から今月8日にかけてだった。中身を知って繙いたわけではないが、この一話との邂逅は偶然にしては奇譚じみている。
 豪雨の中、広島、岡山では「山津波」が猛り狂った。先々日現在、死者225人、行方不明13人。前者225人の中にみいちゃんやはっちゃんが、後者13人にはおせんちゃんがいるかもしれない。いや、いるに違いない。汗みどろになって瓦礫を、川の流れを探る人たち。見守る人たち。待ち続ける人たち。その中に「寂しくて悲しくて、胸の穴が埋まらない」長坊もいるに違いない。
 長治郎の告白を聞いた女房の言葉で物語は締め括られる。
「みいちゃんの姉さんぶりも、はっちゃんの竹とんぼも、おせんちゃんの笑窪も、みんなみんな知ってます。その三人が、どうしてあんさんを仲間はずれなんかにしますかいな。あんさんにいけずなんかしますかいな。仲良しの三人だから、あんさんを案じて、あんさんをいっぺん、わたしに返してくれましたんや」
 返してくれたとは、冒頭で触れた三途の川の途中から追い返された一件である。奇譚に包(クル)んだ宮部みゆきのぬくもりが確かに伝わる。秀逸な筆致と巧みなドラマツルギー。百物語は変調ではあるが、紡がれる中身は決して変調はしていない。紛れもない正調だ。だから身の毛がよだつ。 □