伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

第100回記念 ―― 奇想!「寅さんの声が聞こえる」

2007年06月13日 | エッセー
 「…… 七冊目。七つ長野の善光寺。八つ谷中(ヤナカ)の奥寺で、竹の柱に茅の屋根。手鍋提げてもわしゃいとやせぬ。信州信濃の新蕎麦よりも、あたしゃあなたの傍がよい。あなた百までわしゃ九十九まで、共に虱のたかるまでっていうやつ。どう? ほらっ!」
 『寅さんの声』とは、やはり啖呵売であろう。威勢がよくて、リズムがあって、ちょっと古めかしくて、滑稽で、なんとも日本人の琴線を心地よく弾(ハジ)く。
 やっと100回に辿り着いた。わが家の「手鍋」は、間違っても「あなた百まで」などとは言ってくれそうにない。だからブログで替えた。そのくせわたしの絶望的観測によれば、「わしゃ九十九まで」はほぼ確実だ。ああー。

 「寅さんの声が聞こえる」が初回だった。記念に、又、ここに戻ることにする。

 寅さんが映画に登場したころ、ヒッピーが最盛期を迎えていた。戦後も四半世紀を迎えるころだった。ベトナム戦争は泥沼化していた。反戦と厭戦が綯(ナ)い交ぜになり自然志向へと向かう。やがて米国の若者たちの間にアンシャン・レジームに異を唱える一群が出現した。反―体制、反―都市、反―文明が彼らの信条だ。放浪を事とし、髪は長く伸ばし服装は奇を衒う。ポップアートにサイケデリックだ。世を形作ってきた価値観や慣習、制度を認めない。勢い、行動は反社会的となる。またたくまに世界を席巻し、69年の「ウッドストック」で頂点に達する。
 日本では、「フーテン族」と呼ばれた。より先鋭化しアンダーグランドに沈潜した連中も出た。他方には「全共闘」。若者たちは二極に分化していた。そんな時代に寅さんは割って入った。極めて日本的な意匠を凝らして ―― 。
 「人呼んでフーテンの寅と発します」自ら、そう名乗る。フーテンとは何か。「瘋癲」であろう。「風天」ではなかろう。仏典に登場する、手に風幢(フウドウ)を持つ白髭の守護神。まさかこれではあるまい。瘋癲には二意ある。癲狂、これは病気。定職を持たない風来人。これだ。これに日本版ヒッピー「フーテン族」を掛けたにちがいない。巧みなネーミングである。
 寅さんは的屋(テキヤ)が稼業だ。家業ではない。家業は団子屋だ。いかがわしい物を売るから香具師(ヤシ)。うまくいけば御足が入る。的に矢が当たるからヤシだ。ヤシの「や」と、的(てき)を倒語にしてこのタームが生まれたらしい。まことにアンダーグランド・ビジネスではないか。さらに的屋は漂浪する。定点販売はこの稼業には不向きだ。かつその態(ナリ)は一瞥にして衆目を引き寄せる日本版「サイケ調」ではないか。さらに啖呵売の名調子は今でいうラップである。和風ポップアートと言わずしてなんと言おう。まさに紛れもなく、寅さんはフーテンであり、『ヒッピー・タイガー』であったのだ。本場のヒッピーは跡形もなく潰えてしまったが、こちらは27年に及ぶ。歴史に屹立する。
 と、ここまでは「奇想」ではない。かなりな奇想であると仰せある向きもあろうが、本番はこれからである。どうか、堅忍不抜の意志をもってもう一区切り、お付き合いを願いたい。

 「林住期」といふ事 ―― 。
 ことし、ある作家の手になる同名の著作が話題を呼んでいる。だが、この稿では引用も準拠もしない。一読はしたが、触発は受けていない。30年近く前、タモリが「エロ親父」と評して以来、この作家を避けている。松坂慶子が歌った「愛の水中花」の作詞に絡んでだった。わたしはためらいもなくタモリに追随した。二人並べれば、愛するタモリを当然採る。人の世の習いだ。
 寄方(ヨルベ)にしたのは、哲学者・山折哲雄の「ブッダは、なぜ子を捨てたか」(集英社新書)である。昨年7月の初版だ。氏は著作の中で、ブッダの「出家」は実は「家出」ではなかったかと疑問を呈する。なぜか。そこで「林住期」が語られる。以下、抄録する。(~~部分)

  ~~ヒンドゥー教に人生のあり方を四つのステージに分ける「四住期」という考え方があった。人間はその四つのステージを順次にたどっていってこの世を終えることができれば、それが本当の理想の人生だ、という思想である。
◇第一の住期を「学生期」といい、師について勉学に励み、禁欲の生活を送る。
◇第二の住期は「家住期」と称する。この時期は結婚し、子どもをつくり、神々を祀って家の職業に従事する。
◇第三の住期は「林住期」。これは妻子を養い、家の職業も安定した段階で、家長が一時的に家を出て、これまでやろうとして果たすことのできなかった夢を実行に移そうとする人生ステージである。
◇第四の住期、それが最後に到達すべき「遊行期」である。「遁世期」ともいう。百人に一人、千人に一人、ほんの一握りの人間だけが入っていく「住期」である。そしてこの第四ステージに入った者は、もはや家族のもとにはもどらない。自分を育んでくれたかつての共同体には引きかえさない。~~

 悟りを開く以前は「シャカ」である。覚者となってからが「ブッダ」だ。
  ~~悟ってからのブッダの視点はひとまず棚にあげ、悟る以前の未熟なシャカの姿を注視しなければならない。悟り(覚り)を開いた者=覚者ブッダではなく、悩めるシャカの視点に立つことだ。~~
 青年となり、妻を娶り子を成したシッダールタは行く末に苦悶する。このまま世俗の澱(オリ)に足を捕られ城壁の中にくぐもってしまうのか。王室の存続だけを担い、抱く夢も叶う当てなく、一生を籠の鳥で終えるのか。この時期、彼は「四門出遊」が象徴する根源的問題ではなく、「エゴイスティックな焦りと迷いの中にいたのではないか」と氏は指摘する。だから、「ブッダはまだブッダになってはいなかったということだ」と。
 ヒンドゥーの時代であった。誰人も時代の外では生きられぬ。シッダールタを捉えたのは「四住期」というヒンドゥーの規範であった。これなら文句は出ない。
  ~~「仏伝」でいう「出家」を、「四住期」説にあらわれる第三の「林住期」と重ねあわせて考えてみたいのである。
 脱世俗の自由を一時的に楽しみ、ふたたび世俗の世界に帰ってくる。このような生き方を人生の第三ステージ「林住期」と呼んだのである。
 ほとんどの「林住期」経験者はもとの世界にもどっていくのに対して、ほんのひと握りの者だけがつぎの第四ステージ「遊行期」に入っていく。たった一人で遊行者の生活を送るようになる。その遊行者の群れの中から、古くはブッダ=覚者のような人間が誕生したのである。~~
 彼は「林住期」へ向かって、勇躍、家を出る。覚者を目指しての「出家」ではなかった。事由は個人的だった。だから、「家出」だ。なにより未だ「ブッダ」ではなく「シッダールタ」であった。
  ~~彼はときどき妻や子どもの顔を見るために家に、こっそりもどっていたのかもしれない。一日二日、あるいは数日を家族とともに過ごし、ふたたび放浪の旅に出ていく。心を鬼にして、しかし後ろ髪を引かれるようにして、家を出ていく。それのくりかえしだったのではないだろうか。
 第二ステージの「家住期」の生活にもどるべきか。それともつぎの第四ステージの「遊行期」に進んでいくべきか。その中間のところで立ちどまり、考えあぐねて、挫折と決断をくりかえしている、悩める人間シャカが見えてくるのである。それが、シャカにおける放浪期「六年」の意味だったのではないかと私は思う。~~

 さあ、みなさん!お立ち会い。もう、四の五の言うことはあるまい。それこそ、釈迦に説法だ。あるいは、この罰当たりめとお叱りをいただくかも知れぬ。それは覚悟の前だ。

 奇想、天外より来る。 ――「林住期」の現代的体現者、それが寅さんだった。

 ただ寅さんの場合、27年の特別に長い同住期を経て、ついに「遊行期」には至らなかった。そのまま黄泉に旅立ってしまった。
 また「心を鬼にして、しかし後ろ髪を引かれるようにして」というよりも、いつも喧嘩別れ。後ろから突き飛ばされるように、といったほうが相応しいかもしれない。しかし、である。じっと瞼を閉じて、柴又駅、さくらとの別れのシーンを甦らせてほしい。
 …… 電車が心(ウラ)悲しいホームに滑り込んでくる。扉が開く。一言、二言さくらに声をかけて寅は電車の中へ。ドアが閉まる。駅員の吹く笛がピーと鳴る。電車が走り始める。車窓とともに寅の顔が去っていく。夜の帳(トバリ)に電車が吸い込まれていく。……
 寅さんは、寂しい目をしていた。再び「林住」に還る、「家住」を振り切る哀切の目ではなかったか。心を鬼と化していたに相違ない。
 想像だが、「林住」といっても林ばかりで暮らしたわけではあるまい。所謂市井を含めてのことであろう。つまりは「家」を「出」ることの表徴としての「林」ではないのか。それほどに世俗たる「家」は重かったというべきか。「脱世俗」としての「林」である。
 だから、お定まりの『失恋』は当然であった。色恋は俗も俗。そのようなものが稔ってよかろうはずがない。林住期を全うするためだ。刻苦勉励、克己復礼。溢れんばかりの無念を抱きながら、寅さんはフラれ続けた。

 以下、余談ながら。
 拙宅の居間に、木目調の外装を施した古めかしいテレビがある。さんざん友人に悪口(アッコウ)されてきた。いまや古風というより捨て損ねた遺物だと。ところがである。昨年、大発見をした。第39作「寅次郎物語」、「とらや」の居間にあるテレビがなんと同型ではないか。なぜか20年の時を越えて、わが家族とともにあり続けたナショナル PANACOLOR THS―C34R。これはただならぬ因縁である。なにが地デジだ。当家の家訓として断じて捨ててはならぬ。受信ができぬ、だと。ええーい、ビデオをつないで観ればよいではないか。やがて国宝級になるにちがいない……。

 初回「寅さんの声が聞こえる」から引用する。一押しの科白である。
  ―― 『レントゲンだってね、にっこり笑って写した方がいいの。だって明るく撮れるもの、そのほうが。』と、片肺のなかったこの役者が語れば、凄味を帯びた人生訓となってくる。(第32作「口笛をふく寅次郎」から) ――
 寅さんの声は市井の民のそれだ。かつ、哲人のそれだ。おそらく「林住期」を32回、忙(セワ)しなく繰り返した末の、大悟の言の葉だ。□ (この稿を、ともに観、ともに笑った先妣に捧ぐ。平成19年6月13日)


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