伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

2009年5月の出来事から

2009年06月03日 | エッセー
<政 治>
●民主党の小沢代表が辞任表明
 西松建設の違法献金事件の批判に抗しきれず(11日)
●民主党の新代表に鳩山由紀夫氏
 岡田克哉氏を破り、02年2月以来の復帰(16日)
―― 一心同体だと言ってきた元幹事長が、何らの責任も問われず領袖の跡目を襲う。これは明らかにおかしい。一度は身を引くのが常道であろうし、世間一般の常識ではないか。そのことについて論議になったと聞かない。実に変な話だ。与党もマスコミも指摘しない。形式論だというかもしれないが、永田町から形式論を除いたら、一体なにが残るのか。
 投票権もない人々を相手に街頭演説をするなどという御為ごかしの茶番はいいとしても、肯んじ難い代表選びであった。

●09年度補正予算成立
 15兆円超の経済対策を盛り込む。消費者庁設置関連法も成立(29日)
―― 予算委員会での政府答弁からすると、10兆円超の国債を追加発行することにより、国民1人当たり約8万5000円の借金を背負う計算になる。今年度末には国の債務残高は900兆円を超える。『借金王』だと自虐した故小渕首相の時が300兆だったから、約10年で3倍増したことになる。日本の個人資産は1000兆とも1400兆ともいわれる。政府資産は600兆円だそうだ。だから大丈夫という話もあるが、債務がこんなに倍々ゲームでくると、デフォルトの不安が過(ヨ)ぎる。経済音痴の杞憂であってほしい。
 消費者庁については、先月触れた。

<経 済>
●GDP戦後最悪の落ち込み
 1~3月の国内総生産は実績15.2%減(20日)
―― GDPが約500兆。その15%は75兆円である。前項ともつながるが、75円でも、75丁でもない。関西国際空港の総建設費が約1兆円だったから、1年で関空75個分のダウンだ。そう譬えると、にわかに絵面が浮かんでくる。これはただ事ではない。

<国 際>
●核不拡散条約(NPT)再検討会議準備会合
 米国が核軍縮に転じたことを歓迎(4~15日)
―― 4月5日、オバマ大統領は、プラハで歴史的演説を行った。骨子は次の4点。
 ① 米口核軍縮の推進と核不拡散条約(NPT)の強化
 ② 核兵器のない世界を目指す
 ③ 包括的核実験禁止条約(CTBT)の早期発効
 ④ 唯一の核使用国としての道義的責任
 歴史的なのは④だ。「使用した側」の道義的責任に言及したアメリカ大統領は史上初だ。「核のない世界を目指す」、「核ゼロ」宣言である。
 伏流水ともいうべきものは07年にあった。この年1月、「ウォールストリート・ジャーナル」にキッシンジャー、ペリー両元国務長官ら共和・民主両党の長老政治家4人が、「核兵器のない世界へ」と題する論文を寄稿した。核抑止論は時代遅れであり、危険で非能率だと指摘。別けてもテロ集団には抑止論は無効であり、アメリカこそが核兵器廃絶を主導すべきだとした。すぐに、マクナマラ元国防長官などが強い賛意を表した。いずれもかつての抑止論の主役たちである。言わずもがなではあるが、『保安官』ブッシュは完全にこれをネグった。
 背景には、軍事技術の進展でハイテクを使った通常兵器の抑止力が飛躍的に上がり、核兵器のプレゼンスが劇的に薄れたという形而下的事情がある。だがそのような身も蓋もない見方は、① ③ のとてつもない至難さを考えた時、余りに皮相的との譏りを免れまい。
 将来の歴史書に「2009年4月5日」がゴシック表記され、ターニング・ポイントだったと解説されることを切に希う。もちろん併記される「バラク・フセイン・オバマ・ジュニア」も特大ゴシックで。

●北朝鮮が地下核実験
 06年10月に続き(25日)
―― 矢継ぎ早のエスカレートを見ると、核とミサイルを交渉カードとしてではなく、位置づけを変えてきている節がある。つまり、国家目標へのステップとしてである。2012年、金日成生誕100周年を「強盛国家の大門を開く」年にするというのが当面の、そして喫緊の大目標である。有り体にいえば、『王朝』を永遠ならしめる軌道を敷くことだ。「将軍」の健康不安もあり、世継ぎ問題もある。端緒は極めて内政的ではないか。
 この辺りの見極めを的確にする必要があるが、なにより怖いのは『軽挙妄想』の輩だ。こうなると決まって、「敵地先制攻撃論」をはじめとして「核武装論」まで賑やかになる。ブラフにしても、敵に塩を送ることになる。
 ともかくキチンとしたストラテジーを練り上げる必要がある。6者協議はスキームであり、安保理決議はタクティクスだ。ストラテジーが先立たねばならぬ。 …… 核とミサイルに勝てるのは「自由の風」だ。断じて核とミサイルではない。

<社 会>
●足利女児殺害事件、受刑者とDNA不一致
 再鑑定で判明、再審開始の公算大(8日)
―― DNA鑑定の精度は諸説あるが、今や約5兆人に1人の確率だ。地球の総人口をはるかに凌駕する。であるなら、大きな懸念が生じる。死刑制度の是非だ。再審の問題ではない。足利事件は無期懲役だったからまだ救えるが、これが死刑だったら取り返しはつかない。再審なぞ意味はなくなる。
 さらに、証拠価値が高ければ高いほど厳重な管理が要請される。冤罪を生む可能性だってある。『印籠』扱いされることで、恐るべき思考停止が引き起こされかねない。
 愚考ではあるが、春秋の筆法であってほしい。

●漢検の前正副理事長親子を逮捕
 架空の業務委託で協会に損害を与えた背任の疑い(19日)
―― 漢字を食い物にした親子だ。公益法人の仮面を被り、知的探求心や向学心に付け入った点で二重に赦しがたい。年末恒例の「今年の漢字」なぞ、今振り返れば噴飯ものだ。
 所轄官庁の文科省は何をしていたのか。どっちもどっちだが、日本人はもっとまともだったはずだ。どこでボタンが掛け違ったのだろう。なにより、文化への「背任」でもある。

●裁判員制度はじまる
 重大な事件の刑事裁判に市民が参加。審理は7月ごろから(21日)
―― 何度も取り上げてきた。深い虚脱感があるが、かくなる上は一時も早く廃止に追い込まねばなるまい。
 反対論の中で、社会学者・宮台 真司氏の論点は出色である。以下、紹介する。
〓〓あえて言います。なぜ司法の正統性が民主主義であってはいけないか。理由は、移ろいやすい民衆の感情から法原則を隔離するためです。そうした隔離がなされていない場合、たまたまの民意で重罰に処されるなど法的裁定の恣意性が際立ち、法的信頼が損なわれ、遵法動機も失われてしまいます。法的裁定の適正性を担保する仕組が大幅に欠落した日本の裁判員制度が、とりわけ司法の正統性の本義に反すると僕が考えるのはこの点です。
 繰り返すと、感情原則から法原則を隔離するための有効な手段に欠けるのです。司法の裁定を、人々の意見を寄せ集めた合意に基礎づけてはいけないのです。〓〓(「日本の難点」幻冬舎新書から)
 「司法の正統性が民主主義であってはいけない」これは鋭い。手垢のついた「市民感覚」なる言葉に騙されてはならない。

<哀 悼>
●忌野清志郎さん (日本を代表するロックシンガー)58歳。(2日)
―― 58、やはりアラカンは大きなヤマかもしれない。前項で述べた通り、拓郎の肺ガンも58歳であった。 …… 冥福を祈るのみ。

(朝日新聞に掲載される「<先>月の出来事」のうち、いくつかを取り上げました。見出しとまとめはそのまま引用しました。 ―― 以下は欠片 筆)□

 
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