伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

「勝手居士」

2011年12月19日 | エッセー

 今年も多くの高名な人たちが生者の列を離れた。それぞれ名残惜しいが、別けても立川談志師匠ではないか。
 ともかく落語は巧かった。絶対、当代随一だった。落語はさほど聴くほうではなかったが、談志師匠であれば逃さなかった。トーク番組で撒き散らす毒気も、傾ける蘊蓄も、捻りの入った小咄も大好きだった。

「お前、いま何やってんの?」
「俺? いま胎教やってんだよ」
「胎教って、女房に?」
「そうそうそう。女房のお腹に、いい音聞かせたり、いい曲を聴かせたりすると、やがて生まれてくる子供が、すばらしい音楽家になったりミュージシャンになったりする、その可能性を楽しみにね」
「そうかなあ、俺は胎教、信用しねえなぁ。……うちのお袋はいつも、俺をおぶりながら、擦り切れた、古くせえレコードをかけてたけど、だからといって別に俺はね、だからといって別に俺はね、だからといって別に俺はね、だからといって別に俺はね、だからといって別に俺はね……」

 なんていうのは、オリジナルかどうかは知らぬが出色であった。これがあの語り口で捲られると、なんとも軽妙な味を醸した。
 毒気といえば、次のような語りもあった。

──若者に未来はありますか? 
 無い。時間があるだけ。
 ハンバーガーみてぇな文明的な残飯喰ってて、長生きするはずがない。
 それが証拠に、若い奴で長生きしている奴ぁ一人もいないだろ。

 こんな変化球を投げられた日には、こちとら空振りは確実。球筋が読めたころには、とっくに三振している。
 「落語とは人間の業の肯定だ」が持論であった。著書でこう語る。

 “人間を常識から解放させる”存在が落語家。その役割をやりたいと思ったやつが落語家になった。人間、生きていく為に“常識”というのを覚える。面白くねえが死なねえ為に、他の奴と連携して社会の中にいる為にだ。それを演(ヤ)るより仕方ない。一人ぢゃ生きられないしな。だから根本的にゃ、“常識”ってなア、不快なのだ。けど仕方がない。だからな、それで“常識”に対して“非常識”というのが発生する。しかし“非常識”を認める訳にゃいかない。でも、これをどこかに入れないと人間、参っちまう。八っつあんも熊五郎も与太郎も、金玉医者も、非常識な振る舞いをする人間が、落語には登場する。そして落語と称(イ)う”非常識”なモノを、社会のアウトローである落語家が、「寄席」という空間で喋ったんだ。寄席とは、本来そういう場所だったんだ。それはスポーツでも、芝居でも、書物でも、彫刻でも、歌劇でもみな同じ。それが現代では「藝能」なんて嘘をついて社会の中で地位を与えられている。(「世間はやかん」より)

 ここでいう“非常識”が人間の欲や愚かさ、本能、つまりは「業」であろう。エキセントリックに聞こえるが、突き詰めれば“常識”的論旨だ。斜に構えた人間讃歌といえなくもない。「『藝能』なんて嘘をついて」とは、まことに痛快だ。浅田次郎氏の「小説家は唯一ウソをつくことを許された職業」との言と大いに響き合う。
 謹んで弔意を表したい。……と、これで終わっては能がない。想を飛ばそう。

 浅田次郎著「椿山課長の七日間」。訃報の折、たまたま読んでいた。これはおもしろい。〇二年に朝日新聞に連載された作品である。西田敏行主演で映画化もされた。
 過労で突然死したサラリーマン、椿山課長。人違いで射殺されたやくざの親分。交通事故で夭折した里子の少年。三人は来世の入り口にある中陰で極楽行きを拒み、初七日までの期限付で現世に『逆送』される。それぞれにやり残したことと、やらねばならぬ後始末があるからだ。生前とは似ても似つかない身体を借りて舞い戻った三人。とんでもない意外な『過去』が明らかになるなかで、親と子の絆、愛のかたち、欲得の愚かさ、人を結ぶ縁(エニシ)の妙が縦横に綴られていく。氏の得意技、笑いながら泣かせる作品だ。
 『逆送』の条件は、「復讐の禁止」「正体の秘匿」「制限時間の厳守」の三つ。一つでも破れば、地獄行きとなる。この軛が物語に絶妙な展開を呼ぶ。さらに、この作品で洒脱な小道具になっているのが戒名である。中陰では戒名で呼ばれ、『逆送』中は戒名のもじり。しかし『逆送』の目的には、実名でなければ叶わぬものがある。明かせば「正体の秘匿」を破る。地獄は必定。……どうする。どうなる……。

 さて、談志師匠の戒名。生前、自分で決めていたそうだ。「立川雲黒斎家元勝手居士」(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)である。なんだか臭ってきそうな戒名だ。師匠の代名詞である毒気を三文字に託したのか。「勝手」は、遂に貫き通したあの生きざまそのものだ。
 中陰で、大師匠はどうしたのだろう。だだをこねて極楽行きは蹴ったはずだ。「そんなの、おめー、沽券にかかわる」と。ならば、『逆送』か。「勝手居士」にはそれもない。きっと「えーい、面倒くせーや。いまさら浮世に未練はねえよ。とっとと、地獄へでもなんでも送ってくれ!」とかなんとか毒突いただろう。だが、中陰だって相当困る。この「勝手居士」さん、嘘はついても同じほどの真実を噺にしてきたのだから、送るに送れない。それに、獄卒だって師匠の毒気に面食らうに決まってる。あーあ、あちらでも「勝手居士」か。□