伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

NHKよ、お前もか!

2011年12月14日 | エッセー

 大晦日の「なんとか歌合戦」にも出るそうだ。労働基準法によれば児童の労働時間は午後8時までだから、当然、開演間もなくの出番であろう(開始時間を15分繰り上げ、前半の目玉にするらしい)。しかしそれにしても、NHKまでが世の尻馬に乗るとはなんとも情けない。カエサルめかして言えば、「NHKよ、お前もか!」である。
 芦田愛菜ちゃん、鈴木福くんのことだ。とりわけ愛菜ちゃんである。
 これは児童虐待ではないか。そう感じつつ、この子たちが出てくるとチャンネルを変えてしまう。はじめの頃こそカワユかったものの、ちかごろではむかっ腹が立つ。もちろん、彼らに対してではない。彼らを操っている大人たちに、である。その卑しい心根に、である。なにやら越後獅子を連想するが、これほどの酷使はなかったろう。獅子舞には哀愁はあったが、親方による抑制も節度もあった。世に捨てられた子らを抱えることもあり、救済にもなった。なによりコマーシャリズムに玩弄されることはなかった。
 よく動物と子どもは確実に視聴率が稼げるという。その安手の稼ぎ手に利用されているだけではないか。もしも彼らに癒しを求めているのなら、結局は動物と同列の扱いなのか。なんと淋しい大人たちであることか。あるいは、お笑い芸人に席巻されたテレビに辟易した反動であろうか。心底彼らの未来を考えるなら、もっと自制の利いた使い方があるのではないか。
 CM10数社、学校に行けるのは週1か2。「日本一忙しい小学生」といわれる愛菜ちゃん。テレビに映らない日はない。多忙のあまり、心身ともに参っているらしい。人気を博した子役で後々大成したためしがほとんどないことを考え併せると、どのみち使い捨てにされるのは目に見えている。
 13歳に満たない子役の就労は、労働基準法の例外的規定である。児童の健康及び福祉に有害でないこと、労働が軽易であること、所轄労働基準監督署長の許可を受けること、修学時間外に使用すること、が条件だ。1、2項目はすでに抵触している。修学については、学校側が相当に「配慮」しているらしい。それも問題だが、より厳格な運用とさらには法改正(より使用に制限を加える)が必要ではないか。「子ども手当」を公言する政府は、金銭ではなく子「役」への人間的「手当」を図るべきだ。文化への権力の介入というより、児童福祉の象徴的事例として捉えるべきだ。どうせ2匹目の泥鰌を狙う向きは急増するだろう(泥鰌を標榜する首相とは関係なく)。AKB48の後に数多の泥鰌が群れているように、過熱はまちがいない。かわいいからで済む話ではない。これでは、いたいけな子どもへの虐待を放置するに等しい。一時(イットキ)も早く『普通の子ども』に戻してやるべきだ。国際条約が結ばれ減少したとはいえ、「子ども兵士」にも通底する大人の事情があるといえば大袈裟であろうか。大人の事情が子どもの事情を踏み拉いているのはどちらも同じだ。子どものために大人がいるのであって、決してその逆ではない。その顛倒の極みに「子ども兵士」がいる。
 公共放送というなら、せめてNHKだけは出演させるべきではない。毅然として視聴率と手を切るべきだ。それが公共放送の矜持ではないか。
 愛菜ちゃん、福くんの出ない「なんとか歌合戦」なら、禁を犯して10分ぐらいは観てもいい(この番組が禁忌であることはかつて触れた)。なんなら、大負けに負けて30分でもいい。観るの観ないのと偏屈に聞こえるだろうが、それが大人の意地というものだ。子どもを下敷きにして大胡座をかくより、よっぽどまっとうな理屈だ。たとえ声なき声であろうとも、立派なごまめの歯ぎしりだ。□