伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

9月の出来事から

2022年09月26日 | エッセー

■ 通園バスで園児置き去り 死亡
 毎年のように起こっている。原因は何か? TVではコメンテーターがああだこうだと囂しいが、根因はただひとつ、愛情がないからだ。 わが子や孫なら絶対に見逃すはずはない。愛情がないから事故を起こす。愛情がない者が園を差配するから事故が起こる。
 では、どうやって見分けるか。保育士の動きをじっと見るのが骨法。心底楽しそうに働いている保育士が2割いれば信頼できる。残り6割は引き摺られて普通に働き、2割はどうしても不労のまま。全員が理想だが、そうはなかなか問屋が卸さぬ。2─6─2は集団行動の黄金律だ。

■ 西村 何様?
──「お土産持ち人員」「サラダ購入部隊」「荷物持ち人員」「弁当購入部隊とサラダ購入部隊」夕食には「弁当購入部隊とサラダ購入部隊の二手に分かれて対応」「発車時刻の20~30分前には駅に到着」「お土産の購入量が非常に多いため、荷物持ち人員が必要」「生モノ購入には「保冷剤の購入は必須」など──
 これは朝日新聞が入手した西村康稔経産相の出張への省内対応ロジ文書。これはまるで「桜を見る会」の猿真似だ。さすがは安倍の子分、やることが薄汚くさもしい。「西村 お前、何様だ!」と吠えたくなる。
 数日後、「現場で気をきかせてくれたものと認識しているが、行政官が奉仕すべきは国民。本来の公務に支障がないよう、過度な負担とならないよう事務方に伝えた」と話したそうな。それを言うならその場で言え。言い訳がましいとはこのことだ。お前の後講釈なぞ聞きたくもない。かてて加えて、政治家の劣化はついに官僚にまで及んだ。
 政治学者 白井 聡氏は、近著「日本解体論」でこう述べる。
〈結局のところ日本の民主制を機能不全にしているのは官僚なのです。極めて重要な国の方向性の根幹に関わる争点は、本来公的な場で十分な議論がなされ、選挙で有権者に選択を問うべきものです。しかし現実には、見えない密室でごく少数の人間が綱引きをやって決めている。宮廷内の権力闘争ですべてが決まる国家と何も変わりません。つまりは、日本の官僚機構は、民主主義の敵です。〉
 大臣もアホだが、アホを裸の王様にして霞ヶ関で覇権争いをする官僚どもはまさに「宮廷内の権力闘争」、「民主主義の敵」である。
  
■ 似非大横綱の大きなお世話
 今場所、支度部屋への通路で土俵から帰る力士にアドバイスをする白鵬の姿が散見された。12・13日目だったか、解説の北の富士が「早く帰りたいのに、大きなお世話だよ」とコメント。痛快! 切れ味抜群! 
 横綱のなんたるかが最後まで判らず、ダーティとヒールの名をほしいままにした白鵬の助言なぞなんの足しにもならない。単なるマウンティングで、まったく大きなお世話だ。前期の西村と大差はない。お前、何様だ。

■ 玉鷲 最年長優勝
 似非横綱に比して、なんと玉鷲の鮮やかだったことか。以下、17年7月の毎日新聞から。
〈17年7月の九州北部豪雨で大きな被害を受けた福岡県朝倉市の寺が、大相撲九州場所でモンゴル出身の前頭・玉鷲が白星を挙げるたびに祝福の鐘を午後6時に3回鳴らしている。住民は、被災者を慰問するなど同市に心を寄せ続ける玉鷲への感謝と、「朝倉が復興に向け歩んでいる姿を見せたい」と語る。〉
 昨日の6時には3回どころか蔵前へ届けとばかり、乱打、連打の滅多打ちではなかったか。

■ 統一教会問題
 作家の佐藤 優氏は月刊誌への寄稿で、こう釘を刺す。
〈教会建設のために多額の献金をしたり、土地を寄贈したりする人もいる。信徒が自らの意思に基づいて献金する権利が保障されていなくては、信教の自由も宗教団体の自主的運営も実質的には担保されなくなってしまう。一部の有識者が宗教団体への献金に法律で上限額を定めるべきと主張するが、宗教を信じる人々の心情を無視した暴論だ。〉 
 献金自体が悪ではない。「自らの意思に基づいて」いない『自らの意志が歪められた』献金が悪なのだ。霊感商法が悪なのだ。そこは立て分けが必須である。
 さらに統一教会が自らの教義を政治の舞台で実現しようとする運動は決して違法ではない。いかに陳腐で偏向した非人道的教義・信条であろうとも選挙への支援を通じて実現を図ることは決して違法ではない。憲法20条の通りだ。教義・信条の攻防は言論の場で決着を図るマターだ。
 むしろ問題は、票欲しさに日本属国化を図る外国勢力と癒着した自民党にある。なんと愚かしいことか。それがそのまま売国行為となることに考えが及ばなかったのだろうか。
 二階元幹事長は「『この人は良い』とか『悪い』とか、瞬時に分かるわけがない。できるだけ気を付けてやったらいい。その上で、問題が分かった場合に「見直していくということで良いんじゃないですか。問題があればどんどん出して究明していくべきだ。自民党はびくともしない」と述べた。
 他人事にしてすっとぼけていると酷評されたコメントだが、「びくともしない」とは言い得て妙だ。このひと言は、売国行為だって呑み込んで票の足しにしていく自民党という名のサタンの捨て台詞ではないか。これは怖い。身の毛がよだつ。

 このようにして9月は気づかぬうちに過ぎ去った。個人的には独房の中で気づきようもなく、世間は物価高と愚にもつかぬチンドン屋のような国葬騒ぎの中で。 □