伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

憐憫の情

2017年12月04日 | エッセー

 日本相撲協会のトップは八角信芳理事長。元横綱で八角部屋の親方である。事業部長、巡業部長ほか各部の部長も元関取、親方衆が就く。片や、日本野球機構のトップは斉藤 惇コミッショナー。米国資産運用会社KKRジャパンの会長。証券畑を歩んできた名立たる実業家である。各球団社長もオーナー企業からの出向が肩を並べる。
 違いは明らかであろう。首脳陣の出自がまるで異なる。才覚はあるにせよその道とは無縁だったリタイア組が相撲協会を回している。野球機構は野球とは無縁であったが、ことマネジメントについてはプロ中のプロが取り仕切っている。平時はともかく、一旦緩急あらば歴然たる相違が表出する道理だ。
 江戸に入って相撲人気が高まり、浪人や力士自らが勧進元となって各地に相撲興行集団が生まれた。力自慢の大男たちだ。当然、集団間で争いが起こり暴力沙汰が相次いだ。幕府は相撲禁止令まで繰り出すが、人気はいや増して高まる。遂に幕府は寺社奉行の管轄下に置くことで相撲興行を認めることになる。その時の条件が相撲集団の責任体制の確立であった。「角力会所」はそれを受けた自主組織であり、力士経験者を年寄(長老というほどの謂か)と呼んで運営に当たらせた。秩序維持が最優先である。管理下に置くために幕府公認の株仲間制度を援用したといえる。これが相撲協会の淵源である。生い立ちからしてすでに手前普請なのだ。
 刻下の騒動につけ、とかく相撲協会の不手際や弱腰を批判する声がある。だがしかし、相撲はプロでも集団の切り盛りはアマ同然の連中がやっているという内情をもっと斟酌してやるべきではないか。それに力士の現役時代は短い。年寄とはいっても世間のトップ層に比してずいぶん若い。八角理事長54歳、斉藤コミッショナー78歳である。協会の理事クラスも同様だ。相撲の中でのみ育ち、いわばいきなり社会人デビューしたも同然なのだ。それこそ押し出しはよくても中身が相応しているとは限るまい。そのことにエクスキューズを与えてもいいのではないだろうか。
 ともあれ野球のようにはいかない。後援会があり谷町はいても、オーナーは依然として親方である。造りが違う。それでもなお外の風を招き入れていく方途は探るべきであろうが、大向うにも堪え情が要る。切っても切れない仲である。憐憫の情だ。大相撲は今、時代とのフリクションに喘いでいるのだから。
 囂しいわりにはついぞ聞かないイシューに触れてみた。 □