伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

悪童が帰ってきた!

2009年01月26日 | エッセー
 1月18日付の朝日新聞 スポーツ欄に次の記事が載った。
〓〓朝青 品格なき7連勝 ―― 張り手に激怒 協会野放し
 鬼の形相だ。朝青龍が勝利を喜ぶどころか、相手と一緒に飛び出した土俵下で怒りの表情でにらむ。視線の先には、敗れた嘉風がいた。
 嘉風が言う。「めちゃめちゃにらまれました。絶対(横綱を)見ないようにした。お客さんは『あいつは何、にらんでいるんだ』と何度も言ってました」
 また、品格を問われてもおかしくない行動だ。支度部屋では仏頂面で無言を貫いた横綱。原因はおそらく張り手で顔をたたかれたことだ。
 敗色濃厚だった。立ち合いで先手をとれずに、顔を右から思い切り張られ、懐に飛び込まれた。慌てて首投げを見せたが、決まらない。再び、押し込まれて土俵際へ。何とか、体を開いて逆転した。
 勝負の後ににらむのは見苦しい。だが、それも失いかけていた闘争心の復活かも知れない。武蔵川理事長(元横綱三重ノ海)も逆境での奮闘ぶりには脱帽だ。「危ない場面が2回あったのによく残った。しのいで白星につなげているのはすごい」
 理事長は「にらみ」については「何だったの」とごまかした。インターネットヘの書き込みで逮捕された容疑者について、横綱が「殺してやる」と言ったことも、師匠の高砂親方(元大関朝潮)を注意する方針だったが、当面は見送る雰囲気。7連勝が、協会の対応さえも軟化させている。引退危機を遠ざけ、周囲を驚かせる土俵っぷりと問題行動。朝青龍が「らしさ」を取り戻しつつある。〓〓
<補足 ―― 初日、インターネット掲示板に「これから国技館に行って朝青龍を殺す」という書き込みが載った。警視庁は厳戒態勢を敷いて警備。捜査の結果、15日、北海道に住む29歳の男を脅迫容疑で逮捕した。>

 朝青龍についての朝日の論調は、かねてから厳しい。やたら品格をあげつらう。しかし、たぶんそれは筋違いであろう。少し古いが06年の7月21日付の本ブログを抄録したい。(☆部分)

☆江戸時代、相撲はショーアップされた娯楽であった。歌舞伎に並ぶ大いなる娯楽であった。江戸版の「プロレス」であったともいえる。今でこそ大銀杏一本だが、かつては何でもありだった。それぞれに髪型を工夫して客の目を引いた。なかには、櫛をさした力 士までいた。頭突きなどという野暮な手は使わないとのアピールだったそうだ。さらに、白粉をぬった力士までいたらしい。もう、プロレスと変わりない。
  雷電は土俵上で相手を投げ殺したというし、土俵外でも素人に死人が出る大乱闘をしでかしている。不知火なぞは馬子と喧嘩になり、怪力でその首を引き抜いたという。プロレスラーも真っ青だ。
 観客も同類。「喧嘩の下稽古」だといって、客席で喧嘩を売る連中もいた。相撲見物に行って五体満足で帰るのはだらしない、という手合いがそこら中にいた。土俵の上でも客席でも血の雨が降ったという。だから、見物は女人禁制、お上は何度も相撲禁令を出している。
 以前、小錦が「相撲はケンカだ」と言って顰蹙を買ったが、小錦こそ本質を捉えていたのだ。彼はただのデブではない。☆(「露鵬 乱心」から)

 しかし今はちがうのだ、という向きもあろう。ならば ――

☆相撲が「国技」になったのは明治中期である。維新直後には存亡の危機に見舞われた。その後さまざまな曲折を経て、見世物からスポーツに『メタモル』していった。次第に伝統が強調され、様式美が、倫理性が求められた。朝日新聞が言うところの「精神性の高さ」「伝統精神」である。悪いことではない。時代は進歩するからだ。しかし、まだ120年程度。維新から勘定しても140年分の伝統でしかない。江戸時代はそれに倍する。いや、それ以前もある。古事記まで遡ればざっと10倍にもなる。きっかけさえあれば先祖返りするのは当たり前だろう。☆(同前掲)
 問題は「きっかけ」である。「先祖返り」のトリガーになったのは、外国人力士にちがいなかろう。異国の血が日本文化の古層を呼び覚ましたとなれば、アマルガムの一典型といえるかもしれない。(付言すると、まことに残念なことに露鵬は昨年9月、おクスリで解雇された。)
 きっかけは、分けても朝青龍である。相撲始原の地を出自とするから、なおさら遡及力が働いたのかもしれない。剥き出しの敵愾心。ガッツポーズ、にらみ、眼付け、だめ押し、暴言、脱線行為。横綱の「品格」を問う声がかまびすしい。もはやヒール扱いだ。朝日でさえ、見出しに「悪童」や「悪漢」と掲げて憚らない。
 だが、あるテレビ・プロデューサーは、「ウルトラマンが登場するには、まず町を破壊する怪獣が必要。朝青龍は、そんな愛される悪役ではないか」と語る。いいところを突いている。現に今場所は視聴率がうなぎ登りだった。
 かつて、横綱 大鵬は「憎いほど強い」と評された。しかし、憎かったわけではない。強さの形容として「憎い」が冠されただけだ。朝青龍はちがう。「憎く」て、かつ「強い」。その「憎い」部分が批判に晒されている。曰く、「品格」である。前掲の「露鵬 乱心」は、わたしなりのオブジェクションであった。つまり、相撲はエチカではない。「ケンカだ」。
 90年代末からミレニアムをはさんで若貴時代の沸騰が過ぎ、武蔵丸が引退してからの約4年間、一人角界を担ったのは横綱 朝青龍だった。担うだけではない。相撲をおもしろくした。そのおもしろ味とはすなわち、格闘技としてのDNAを呼び覚ましたことにある。江戸の民草が快哉を送ったのと同根のものを平成のわれわれに届けてくれたのではないか。とすると中興の祖とはいわないまでも、好き嫌いは抜きにして史上特筆すべき横綱ともいえる。

 彼は優勝インタビューで、「帰ってきました!」と一声を放った。帰ってきたのは朝青龍だけではない。『悪童』との二人三脚の凱旋だ。 □


☆☆ 投票は<BOOK MARK>からお入りください ☆☆