遊びと学び,創造の基地・山のあしおと小学校

冒険,遊び,仕事,学習,生活全般を学ぶ、子ども達のための私設小学校

平地歩きは素人

2008-05-10 04:35:00 | たび・出会い

 初日の28kmは体に大きなダメージを残した。原因は平地の長距離を歩くことに対してあまりにも無知であったことにある。
 私の登山は縦走が基本である。日帰りであってもピストンが嫌いで出来れば向こうへ抜けたい・・,軽装備が嫌いでしっかり装備を整えて出来ることなら何日でも幕営したい・・,そのスタイルをそのまま平地の長距離歩行に持ち込んだことが失敗の元である。

 山中3泊以上の縦走登山の場合,20~25kgを担ぐのは普通のことで、パーティーによっては30kgにおよぶこともある。だから『生活しながら歩く』と言うことを重視する意味から20kgまでなら大丈夫だろうと軽い気持ちで大型ザックに、テント,シュラフ,コッフェル,コンロ,ガスカートリッジ等の生活用具を詰め込んだ。

 悪いことに集団で行動することが多いので1~2人用の用具を持っていない。あらゆるものが3~4人かそれ以上に対応できる大きさであるから、これに食料と衣類を加えればたちまち20kgになる。
 それが登山ならどうと言うことはない重さであるのは1歩1歩のペースが平地の3分の1以下だからなのだ。そのことが計算に入っていなかった。

 空身であれば人はおそらく時速5kmで歩くことが出来るだろう。軽いデイパックでも4kmで歩ける。そして20kg近い大型ザックの私は、計算では前半を時速3.5kmで歩いていた。
 20kmや30kmの距離を歩いたことは何度もあるが、重装備での長距離歩行はまったく経験のない初体験だった私には、荷物とペースの関係が全然分かっていなかった。つまり平地の歩きに関してはど素人だったのだ。

 そのツケが右足のふくらはぎに来た。肉離れのような痛さだった。それをかばううちに左足の足裏に肉刺が出来た。肉刺は『蹴り』の力が加わる足指のつけ根の広範囲に出来、我慢して歩いているうちに血豆となった。足指のつけ根をかばうことによって足裏の後ろ側にも肉刺が出来、左足が痛くなると右足に負担がかかり始めて右にも肉刺が出来た。ふくらはぎの痛さは消えたが足裏の痛さが歩きにくさが手伝って後半はガクンとペースが落ちた。
 早いペースは肩にも負担をかける。加重と締めつけだけでなく、こすれて肩の皮膚を破ってしまった。ゆっくり歩く時にはあり得ないことだがペースが速いとザックが揺れて肩の皮膚に摩擦が加わるのだ。

 2日目以降を歩き続けるなら荷物を減らして立て直すしかなかった。そこで電車に乗って糸魚川市役所に停めてある車に戻り、市振の関まで移動して荷をつくり直した。即ちテントと余分な衣類,予備のガスや必要以上の食料を除いて10kg以下にする。
 車を持って来たので幕営の必要がなくなり、結果的として初日に担いだ荷物は何の役にも立たなかったことになる。

 考えたら分かりそうなものだが,やって見たからこそ分かったことである。そこが素人たる所以だが、無駄になった大荷物には感謝している。

 コースタイム&里程
 明科4:30⇒6:20糸魚川市役所P・朝食7:20⇒(3.2)⇒8:10姫川東詰8:17⇒(5.5)⇒10:27第1トンネル出口⇒(4.1)⇒10:57駒返しトンネル出口11:10⇒(1.2)⇒11:30道駅親不知12:00⇒(3.7)⇒13:15天険パーク13:30⇒(3.9)⇒15:00市振漁港15:35⇒(6.3)⇒17:45越中宮崎駅18:49⇒19:50糸魚川市役所20:00⇒20:50市振の関・泊
 歩行距離27.8km 歩行時間7時間49分 平均時速約3.5km/h


挫折

2008-05-09 14:37:29 | たび・出会い
 富山へ55km
         境関所のお亭 
 長く単調な境川の国道の峠を下り切ると市街地からの道が合流する信号があり、さらにもう一つ信号があって、そこに『牛馬を積んだ車の乗り入れお断り』と書かれた駐車広場があった。その看板に気をとられて線路を渡る踏切があることを見逃したまま通過する。
 そこから国道は越中宮崎駅までの2km近くを北陸線と併走することになろうとは知る由もなく、しばらく歩いているうちに線路の向こうに沢山のテント群があるのに気づく。キャンプ場という看板も見える。
 何とか線路を渡って海側に出たいと思い踏切を探したが一向にそれらしいものは見当たらず、そろそろ駅があってもいいはずだと前方に駅舎の影を求めても何も見当たらず、そう言えばさっき踏切があったような・・,と、その頃になって迂闊に信号を通過したことを悔やんだが、すでに引き返す距離ではなかった。
 17:00,日帰り温泉の入り口で休憩。疲れと足の裏の痛みで座るのも立ち上がるのもよろよろふらふらと容易でない。15分休んだ後に気力を振り絞って立ち上がり、さらに歩くこと30分で越中宮崎駅を見つける。その先100mの踏切を渡ってまた100m戻り、17:45ようやく駅舎に辿り着く。
 糸魚川市役所から宮崎駅までの距離は約28km。

越中宮崎 ヒスイ海岸
 牛と牛つなぎ石~糸魚川市塩の道

 日本海海岸線行脚は初日にして挫折し越中宮崎駅で終わった。明日以降,このままの状態で続行できなければそれは挫折である。旅を続けるのであれば考え方を改めて計画を立て直さなければならない。幸い挫折の原因は明白だ。

市振の関

2008-05-09 10:11:47 | たび・出会い
 海道の松
          市振関所跡 
 最後の3kmは洞門の屋根と海岸の道を歩いたりして10kmにおよんだトンネル群が終わり、15:00に市振漁港に着く。
 国道を離れて市振港への道を右に折れると道はすぐに2つに分かれる。左は町並みの通りで右が港につながる道,その分岐点に『海道の松』と呼ばれる大きな松の木があり、松の下には次のような説明文の看板があった。

 『昔の北陸道はこの海道の松から海岸へ降りて、西からの旅人は、いよいよ寄せくる波におびえながら、天下の険,親不知子不知(おやしらずこしらず)を東へ越えることになったのである。
 また、西へ上る旅人は10キロ余りの波間を命がけでかいくぐり、海道の松にたどりついてようやくホッとして市振の宿へ入ったのである。
 目通り2.5mで200年以上の風雪にたえたと言われ、地元の人々からも大切に守り育てられて来たが、明治16(1890)年には崖の中腹に如砥如矢(とのごとくやのごとし)の国道がつき、大正元(1912)年には汽車が通るに至り、記念の老松が忘れられようとしている。』
 弘法の井戸
          芭蕉の宿 
 海道の松のある分岐点を右に進んで港へ向かうと護岸に沿って擁壁で仕切られた盛土があってそこが公園になっており、植え込みが青々と葉を繁らせて涼しい木陰をつくっていた。その公園に上がる階段に腰かけてトンネル越えの疲れを癒しているうちにウトウトと眠ってしまったらしい。
 右のふくらはぎの痛みは治まったが代わりに左足裏に肉刺が出来ていた。荷物が肩がに食い込んで肩も背も強張っている。昨夜は2時間しか寝ていなかったので疲労が極限に達していたのかもしれない。それらの諸々から解放された刹那の体と心の何と軽やかで快く、吹く風の心地よかったことか・・。
 頭の中に何も浮かんでこない忘我の時間,体がふわっと浮き上がって虚空へ吸い上げられていくような浮揚感・・,随分長い時間,その快感を貪っていたような気がしたが、夢から覚めたように我に返るとまだ30分しかたっておらず、道の反対側では2人の主婦の井戸端会議がそのまま続いていた。
市振の関 市振漁港
 15:35発。市振漁港へは前年5月29日に海釣り教室で来たことがあったので道に見覚えはあるが、この道をこう行けば国道に出るんだった・・,と記憶が道を教えてくれるのではなく、逆に道に記憶を呼び覚まされながら国道へ戻る。

 15:55市振駅通過。16:05道の駅『市振の関』着。糸魚川市役所から23km。10分の休憩の間に駅長にあることを頼んで先を急ぐ。
 市振駅
      道の駅・市振の関  

 16:15市振の関発。すでに初日の目標点には到達していたが、まだ歩ける時間帯なので行ける所まで行こうと言う感じで歩き始める。
 16:35新潟県から富山県朝日町境川に入る。国道の表示では富山まで55km。
境川
 新潟県から 
          富山県へ 

 富山県朝日町境川 
                 
 国道は境川の町並みをはずれて山よりの峠を越えている。海岸線に近い町並みを通ればよかったものを何も考えずにまっすぐ峠に向かったのが間違いの元,長くて単調でしかも照りつける陽光を遮るものが何も無いつまらない道だった。だだっ広いだけの無味乾燥なその道は峠を越えてからも延々と続く。山裾を飾るタニウツギの花だけが唯一の彩り・・。

随道を通らず越える

2008-05-08 14:34:03 | たび・出会い
 相馬御風歌碑
      親不知・子不知由来 
 12:00発,地図を見るとトンネルはまだまだ続く。道の駅に着く直前に右脚のふくらはぎに鋭い痛みが走った。筋が断裂したかと思うほど痛くて続行不能になるのではないかと思ったので休んだのだが、かばいながらでも歩き続けるしかない。

 天険親不知(東から)
       文学碑多数あり 
親不知 天険トンネル 
              シャガの花 
 12:40、最初のトンネルに入る。ここはこれまで以上にカーブがきつくてしかもかなりの登りになっていた。1つ抜けると右手に夕日を見る展望場があり、そこから先を見て思わず唸った。道が海岸線の屈曲に沿って激しく蛇行しながら一気に高度を増しているのだ。すぐ目の前に見えている道に行くために何百メートルも回って来こなくてはならない。しかも全部洞門。
 自転車が追い越して行った。続いてもう1台。歩くものはいないが似たような人がいるのに意を強くする。
 13:15,細心の注意を払いながら坂の頂上の随道に辿り着く。そこは天険パークと言う公園になっていた。思いがけずそこに『栂海新道』登山口を発見。予期できぬことではなかったが予期していなかった。

      栂海新道起点  
         
 天険随道は700mあまりだが迂回路があるのが嬉しかった。親不知・子不知の中でも最難所と言われる核心部の真上を通る遊歩道である。
 天険から東を見る
       天険・真下を覗く 
 公園には様々な碑や説明版があり、どれも興味深い。
 『道』の歴史
     道・第1世代  
        道・第2~4世代    

 13:30からその迂回路を歩き始め、45に髄道の先に出る。すぐに次の洞門にかかろうとして左手に上に向かう道があるのに気づき、もしかすると洞門の屋根を歩けるかも知れないと考えてその道を上がる。
 天蓋の上に道はあった
      細々と踏み跡もある 
 同じようなことを考える者はいるもので上にはバイクが1台行き詰まっていたが踏み跡があり、歩きなら行けそうなのでそのまま進む。天蓋の端から下を覗き込むと30mくらいの擁壁で、海岸にも道があるのが見えた。洞門の最後まではおよそ2km。うんざりしたが同門の中を歩くよりはいい。
 随道を見下ろすのは気分がいい 
  随道の下に道が見えている 
 ところが幸いなことに洞門が1つ終ってその切目にハシゴがあり、強制的に下ろされた所から先ほど見えた海岸の道に降りることができたので今度は下を歩く。
 それは護岸用の波消しブロックを運ぶための道路らしかった。

 海沿いの道に下りて
     今度は随道を見上げる 
 何を供養したものか・・・?
      消波ブロックの頭が蛸 

 こうして最後の洞門は中を通ることなく越えることが出来た。
 ユキノシタorジンジソウ
       タニウツギ 

親不知,子不知は命不知の道

2008-05-08 14:32:31 | たび・出会い
 トンネル開口部    
      駒返しトンネル出口  

 青海川にぶつかって国道に戻ると歩道がなくなっており、そこからは仕方なく路側帯を歩くことになる。親不知・子不知のトンネルを前にして嫌な予感がした。
 国道が北陸線を越えると左手に数戸の民家があり、そこでその先の道路の様子を聞くとトンネル内に歩道はないのではないかと言う。そのまま行くしかない。
親不知ピアパーク 子不知トンネル 
 左路側帯
  右路側帯から後方を見る  
 10:27最初のトンネルに入る。案の定、歩道がない。しかもカーブの連続。左側の路肩を歩くので右カーブの時はいいが左カーブになると後ろから来る車に発見してもらえない恐れがあるので両方向の車が途絶えるのを待って素早く右側に移動し右カーブになるまで歩く。途切れるまではその場で待つしかない。
 ある時,大型のトレーラーが猛スピードで突っ込んできた。牽引されている後方の車両は先頭の車よりどうしても内廻りになるので路側帯を掠めて通り過ぎて行く。待たずに歩いていたら・・,と肝を冷やす。そう言う場面が何度かあった。
      
 だが右側いる時の右カーブは左側にいる時の左カーブよりもはるかに恐いし危ない。トンネルは片方に柱を設けて天蓋を施した洞門と言われるもので、右側は海側なので太い柱がある。その柱と柱の間には安全なスペースがあるのだが柱に区切られているので隠れ場にはなっても通路にはならない。
 前から車が来るのが分かると運転手を驚かさないよう先方が気づく前にそこに隠れて車の往来が途絶えるまで待つ。事故に会うのも嫌だが事故を誘発するのも嫌だからだ。なので遅々としと進まない。進まないがここは焦らずに行くしかない。
 巡視用通路
    トンネルから下を見る            
 所々にではあるが海側の柱の外側に通路が設けられている所がある。それは点検用の通路と思われ、入れないように柵でガードされていたし、完全に繋がっていなくてしばしば途切れる。それでもそちらの方がはるかに安全なので柵を乗り越えて断崖絶壁に張りだしているその通路を歩いた。

 道の駅へあと3.3km
        駒返しトンネル 

 最初に短いトンネルがあった後、3・8kmにわたって断続的に3つのトンネルが続き、その間は生きた心地がしなかったが、最後に駒返しと言う名の本物のトンネルがあって、ここだけは歩道が設けられていた。それを通過して1kmあまりで『おやしらずビアパーク』と言う道の駅に着き(11:30)食堂で昼食。
 駒返しトンネル出口
 

日本海海岸線行脚・第1弾北陸編,第1行程~糸魚川発富山へ

2008-05-08 09:25:27 | たび・出会い
 R8号・姫川大橋東詰め
        市振の関まで18km 
一宮神社P 一宮神社P

 5月3日。明科発4:30。糸魚川市役所P6:20着。弁当を食べて7:20出発。本来なら直接海岸線に出てから西進,姫川港を経て姫川河口を遡り、R8に出て姫川を渡るべきところ、端折って駅からまっすぐ西に向かいR8に突き当たって左折。8:10姫川大橋東詰めで休憩。
 待たれているのか・・,新幹線
          姫川上流を望む 

 8:17発。姫川大橋を渡って河口に沿って海岸線に出るべきところ、横着をして海岸線に自然に合流する地点まで国道を行き、8:55,コンビニのある地点で海岸線にぶつかり砂丘の道に入る。
姫川港・姫川大橋 糸魚川市須沢
 糸魚川・姫川方面 
  行く手・親不知方面を望む 

 海岸線に沿ってどこまでも続くクロマツの林は、本来なら砂浜と対になって『白砂青松』をなすところだが、緩やかな斜面の大部分はコンクリートで覆われており、その内側の平らな部分はインターロッキングを敷き詰めた歩道になっていたり草地であったりして別の様相を呈している。
 沖合いには消波ブロックを積み上げた一文字と呼ばれる防波堤が設けられており、またクロマツの林と浜の間にも巨大なテトラポットが並べられていて、荒々しい日本海の海岸線の厳しさを覗かせている。

田海川橋  田海(とうみ)川

 田海川と言う川の橋を渡るために一旦国道に出て再び松並木のある海岸の長い長い堤防を歩く。海岸と国道の間には団地があり、堤防は団地の裏を通る感じになる。
 飛砂防護林・砂防柵
   海のすぐ側にも畑がある 
         
 クロマツは、風の強い所では防風林と呼ばれ、砂丘のある所では飛砂防護林と呼ばれたりする。農作物を潮風から守る役目を果たしてもいる。
 クロマツの林の根元に当たる部分にはガードレールを何段も重ねたような柵がめぐらされていた。

田海川橋 青海町
 
 海岸線に入って3km,細長い団地は2km近く続き、荷物の重さ,肩の痛さがつらくなって9:27からベンチで5分の休憩。9:32発,青海駅付近を通過して長かったクロマツの並木が終わり、青海川にぶつかって橋を渡るために国道に出る。
 ここからまもなく恐怖のトンネル歩きが始まる。

コース取り失敗!無駄歩き

2008-05-06 21:50:10 | 山のあしおと小学校
射水市の新港から更に欲張って高岡市の氷見線伏木駅まで行こうと言うのはあまりにも無理な計画だった。と言うより地図を読み間違えて富山新港と小矢部川河口の位置を混同していた。ために火力発電所先まで進んで来てようやくそれに気づいたが時既に遅く、伏木まで行くにはさらに8km、最寄りのJR駅に戻るにしても6kmはあろうかと言う半端な場所で選択を迫られる事態となった。早く気づいていれば、射水からバスで富山駅に帰ると言う選択肢があったのだ。
結局最寄りの小杉駅に向かうことになったが、駅までの長かったこと・・、分岐点から2時間歩いて20:07小杉駅につく。帰って調べて見ないと正確なことは言えないが、30jmくらい歩いた気がする。次回どこから歩き始めるかも問題だ。無駄歩きした。

富山湾の最深部

2008-05-06 14:53:17 | 山のあしおと小学校
昨日、魚津のしんきろうロードから『あの高い塔が二つ並んで点滅している所が射水市』と教えられた。その火力発電所の煙突が間近に見えてきた。今日の目的地は氷見線の伏木駅。そこまで行っておくと次の能登半島へのとっかかりがいいので何とか・・。残り15kmは切っているはずだ。
今日はいい天気なのに対岸の半島は見えない。見えているのは氷見市あたりか・・。

3日目。

2008-05-06 11:10:40 | 山のあしおと小学校
2日目は宮崎海岸から大屋海岸を経て入善町に入り
県道60号・2号と進んで黒部川に到達。生地と言う駅までの約22kmを歩いて駅で仮眠。
3日目は生地駅から海岸線を歩いて魚津市入り。しんきろうロードと言う散歩コースをゆっくりあるいて滑川へ入ったところでトラブル発生。やむなく滑川駅から電車で市振に車を取りにもどってトラブルを解決。温泉に入ってリフレッシュし、今日は滑川の道の駅からの出発となる。
現在地富山市古志の松原。まもなく 神通川。

暑い!

2008-05-04 14:24:36 | 山のあしおと小学校
5月4日。昨日は泊まで行きたかったが、色々とトラブルや無理な面が見つかったので一旦車に戻って荷をつくりなおしたかったので、5km手前の越中宮崎で止めて電車で糸魚川に戻り、 車を市振の道の駅に回して車中で寝た。
今朝は4:25に起き、朝食を済ませて車をそこに置き、市振駅まで走って6:08の電車で宮崎に移動。6:20から歩き始める。
宮崎の海岸は直線距離にして1kmに及ぶ長い海岸で、大きなオートキャンプ場があり、早朝から釣りや散歩をするの人達の姿が見られた見られた。
浜から上がって来た人に聞くと仲間が50cmくらいのサクラマスが上がったと言うので見に行く。サクラマス狙いの他にイナダやサワラ狙いなど様々だが、ホタルイカか押し寄せてきているので餌を追わないと言う。見ると波打ち際にホタルイカがたくさん打ち上げられていた。拾ってそのまま口に放りこむとしょっぱいが生きがよくて美味。思いがけず朝から富山湾の贅沢な幸をふんだんに食す。
足の裏に大きなマメをつくってしまったので今日はあまり歩けそうにない。ペースも上がらずトロトロ、ヨタヨタと言う感じてある。今日はゆっくり歩いて足への負担を軽くし、明日距離を稼ぐことにする。黒部市に入れればよしとする。

無事に育った!

2008-05-03 03:02:04 | あまってら農園
 

 昨年植え替えたタラが立派な芽を出した。天平の森近くの畑に植えてあった時には、わずかな芽もすぐにむしり取られて育つ間がなく、大半が枯れてしまったので残った15本を植え替えて1年が経過。半分以上は枯れてしまったが5~6本だけが生き延びて勢いよく芽を吹いた。
 やたらと背が高くなるのを防ぐために頭の高さでバッサリ切って脇芽を出させることにする。

野菜がたっぷり食べられるシーフードリゾット

2008-05-02 08:20:37 | 喰う寝る○太

             基本のスープ 
 基本の野菜スープを使ってつくるシーフードリゾット・・・これなら野菜がたっぷり食べられる。

1;基本の野菜スープをつくる
材料:4人分
 ブロッコリー1/2株・・・小房に分ける
 キャベツ4~5枚・・・ざく切り
 タマネギ1/4個・・・薄くスライス
 ニンジン1/4本・・・イチョウ切り
 セロリ1/2本・・・スジを取って斜め薄切り
 ローリエ・・・1枚
 顆粒コンソメ・・・小さじ3
つくり方:
1)野菜を下ごしらえする。
2)水800CCを火にかけ、沸騰したら、顆粒コンソメ,ローリエ,野菜を加えて5分ほど煮る。
3)塩・コショウで味を調える。(コンソメの塩分に注意)


           
                      

2;シーフードリゾット(1人分)
材料:
 基本の野菜スープ・・・1人分
 ご飯・・・100g
 トマト1/4個・・・1cm角に切る
 シーフードミックス80g
 粉チーズ適量
 オリーブオイル小さじ1
 ニンニクの微塵切り少々

つくり方:
1)シーフードミックスは解凍して水気を切っておく
2)鍋にオリーブオイルを入れ、ニンニクの微塵切りを炒める。
3)香りが出てきたらシーフードミックスを入れて炒める。
4)基本の野菜スープを入れ、沸騰したらご飯を加えて塩・コショウで味を調える。
5)器に盛って粉チーズを乗せる。

 香味野菜とトマトの酸味がベストマッチ。食べやすいので野菜を多くしてたっぷり野菜を摂ることが出来る。実際につくると具やご飯の割りにスープが少ないので、基本のスープをつくる際に水を多めにしてその分だけコンソメを追加するなど,アレンジするとよい。煮込めばキャベツやブロッコリーの芯も美味しく食べられる。

カレーチャーハン

2008-05-01 18:34:31 | 喰う寝る○太
 カレー粉は風味を生かすために2回に分けて加える。
材料;4人分
 鶏肉100g・・・あられ切り
 タマネギ100g・・・同
 トマト100g・・・湯剥きして種を取り、あられ切り
 長ネギ1本・・・小口切り
 ご飯800g、
 卵2個・・・よく溶いて塩少々
 カレー粉大さじ1 
 ラード大さじ3
つくり方;
1)鍋をよく焼き、ラード大さじ1を熱して鶏肉とタマネギを入れ強火で炒める。トマトを加えてカレー粉の半量をふり、サッと炒めて別皿に取る。
2)鍋にラード大さじ2を継ぎ足して溶き卵を強火でサッと焼き、ご飯を入れる。塩小さじ2/3と残りのカレー粉,ゴマ油で味をつける。
3)炒めた鶏肉と野菜を戻してネギを混ぜ、しょうゆ大さじ1を鍋肌に廻しかけて風味をつけ皿に盛る。