大中寅二の『椰子の実』作曲記念の歌碑(新)/藤村の『椰子の実』記念の詩碑(旧)
写真は愛知県渥美半島伊良湖岬(現田原市)にある2つの椰子の実記念碑~大中寅二の作曲記念の歌碑と島崎藤村の詩を刻んだ詩碑(旧)。
明治31年,恋路ケ浜に逗留した民俗学者柳田國男が浜で椰子の実を拾い、その話しを親友の島崎藤村に語ったことから『椰子の実』の詩が生まれ、昭和11年,この詩に大中寅二が曲をつけて国民歌謡となった。
↓『椰子の実』の歌詞 及び 曲
http://www.youtube.com/watch?v=eG1gB5dluU8
記念碑公園から海岸へ降りる/暗い浜に打ち寄せる白波
4月29日(日)22:45,伊良湖岬の椰子の実記念碑のある公園を出発。公園から手すりのある細い階段を伝って海岸へ降りるとそこは『日出の石門(ひいのせきもん)』と呼ばれる名所で、沖にはその岩にぽっかり空いた穴から日の出を見ることが出来ると言う巨岩があるらしいのだが光が届かず、しかし打ち寄せる白波だけは仄暗いヘッドランプの光にもハッキリと見え、近寄りすぎると次の波が大きな波音と共に追いかけてきて逃げ切れず、足を濡らす羽目になる。
田原豊橋自転車道は/こんな道
波と戯れながら浜を歩き、砂に足を取られることに疲れてテトラポットを乗り越え護岸堤に上がって『田原豊橋自転車道』と言う看板から海岸海沿いのサイクルロードを歩く。
ハマダイコン/次第に草丈が高くなる
分厚い茂みとなる/5mもあろうかと言う篠竹
自転車道の脇にはハマダイコンの花が見られる等,丈の低い雑草越しに海を眺めることも反対側の海岸段丘を見ることも出来ていたが、やがて両側とも篠竹や灌木が混じる茂みとなり、いつしかその茂みが分厚くまた高い壁のようになって自転車道は完全に薮の中に埋もれ、隔絶されてしまった。繰り返す波の音だけが海の存在を教えてくれる。
電照菊のハウスが現れる/ハウスを覗いてみた
1時間半あまり歩いた時、突然自転車道が行き止まりとなり、追い出されるように集落に出るとそこは電照菊のハウス群の真っ只中だった。明々と電灯を点したハウスが闇に浮かび上がってさながらネブタの灯籠ように美しく、また温もりを感じさせる。それはまた煌々と灯りを点して漁をするイカ釣り船にも似ている気がした。
省エネ・節電が叫ばれているこの時勢に・・,等とは言えない。イカ釣り船だってこの何倍,何十倍も明るいが、沖合で漁をしているから分らないだけだ。
新鮎川橋出休憩/道端のフラワーポットも菊
日付変わって4月30日(月)1:40,新鮎川橋で休憩。10kmくらい歩いただろうか。朝までに赤羽根まで歩きたいものだ。
記念の椰子の木と初期ココナッツ・メッセージの説明版
1979年の4月~6月の間,伊勢湾フェリー(KK)が同社の15周年記念事業の1つとして、太平洋上の北マリアナ諸島ロタ島から1000個の椰子の実にココナッツメッセージを付けて放流した。記念碑のある公園にはその1つが漂着したことを記念する椰子の木が植えられている。
この時放流された椰子の実は日本の沿岸各地にも漂着し、それは太平洋岸だけでなく日本海側の海岸にまで及んでいたらしい。以前はその漂着点を示す地図板があって、それが全国各地におよんでいるのを見て『ココナッツ・ウォーク』を思い立ったのだが何故か無くなっていた。場所を再確認したかっただけに残念でならない。
愛のココナッツ・メッセージ/漂着記念の椰子の木・・?
今はそれとは別に『愛のココナッツ・メッセージ』と称して、1988年からこの詩を再現しようと、沖縄県の石垣島を『遠き島』に見立て、椰子の実に『愛のココナッツ・メッセージ 波にのせ想い遙か恋路ヶ浜』と刻んだ金属プレートを取り付けて放流すると言うイベントが続けられており、そのオーナー(実を買った人)と拾った人の名を連ねた表示板が仰々しく建てられている。
『愛のココナッツ・メッセージ』の企画そのものは面白いし若い人受けすると思うが、柳田国男・島崎藤村・大中寅二の詩・歌碑とそのエピソードに対してこれは非常に違和感がある。
本来、詩碑とか歌碑等と言うものは愛好家が訪ね歩くくらいの地味なもので、権威・権勢を誇示するものではないから広い敷地を占有したり巨額の金をかけるのではない控え目なもので、この記念碑のある公園もささやかながらホッとできる空間だった。
2001年8月3日,放流されたその椰子の実の1つが渥美町内の海岸に流れ着き、長年の夢が叶ったのを記念して恋路ヶ浜に『願いのかなう鍵』をかける所が設けられていて人気を博しているそうだが、この名前を連ねた表示板も恋路ヶ浜に建てた方がいいのではないかと思う。
~4月は11勝13敗2分で4位~
~月が変われば打線も変わる?~
~バリントン好投~
~3連敗~
~投げて打って!~
~3打席連続でも…~
~久々の1軍登板~