遊びと学び,創造の基地・山のあしおと小学校

冒険,遊び,仕事,学習,生活全般を学ぶ、子ども達のための私設小学校

ガッテン式体重管理・7(0802・4・0228)

2008-02-28 14:30:12 | 山のあしおと小学校

 今日の昼食。コープ長野の焼きソバWに茶碗半量の残り飯を混ぜて、キャベツ,ニンジン,ピーマン,ニンニク,ノラボウ等,残り物の野菜の総ざらえに手づくりベーコンの厚切りを加え、総重量800g+イワシの尾かしらつき1尾に味噌汁,併せて900g強。普段よりやや多め。まだ入るがこれ以上は無駄食い

 Aさんの第4~第7週(2月第1~第4週)
 Aさんの第7週(2月第4週)

 第7週目を終えたAさんの体重の記録。朝の値が目標値に近いところで安定している。この週は夜の10時まで会議のある日が2日続いたらしい。
 先々週も同じことがあって夕方何も食べずにぶっ通しで会議をして、遅くに帰って食べてすぐ寝るのはよくないから夕方軽くでも食べるようにとアドバイスしておいた。その通りにしてみると帰ってからの空腹感もなく、食べずに寝られたそうだ。

 木偶の第4~第7週
 木偶の第7週

 B(木偶)はリバウンドからやや脱却し踊り場で一休み。
 夕食前に体重計に乗ってみると、日中しっかり食べているのに殆ど朝の値まで下がっていることが多い。それなのに夕食後は、控えめに食べてもなかなか下がらない。昼間と夜間では同じことをしているようでも代謝が違うのかもしれない。遅い夕食は要注意だ。
 逆に言うと夕食さえ気をつければむやみに太ることはないと言うことだが、日本人には一番難しい課題かもしれない。
 一日の食事の中心を夜とするか朝とするかには国民性があると言うようなことをTVで言っていた。それによると日本人は欧州なみに夜型らしいが、韓国やアジア諸国には朝型が多いそうだ。


どっこい生きていた!

2008-02-28 11:23:24 | 暮らし

 我が生ゴミぼかしBOXはEM菌などは使わず、段ボール箱に米糠と腐葉土を混ぜた培養箱に生ゴミ+米糠を投入するだけの超簡単・格安のぼかしBOXで、しっかり撹拌しておくとすぐに発酵して1日後には温度が50℃くらいにまで上がり、2日後にはゴミが原型を留めなくなる。その時点ではまだ水気があって粘っこいが、3日後には水分も抜けてボロボロの粉状になる。厳密に言うと発酵しきれない固形分も残るので、それを丁寧に砕いてやらなければ完全な粉状にはならないが、それは気にしない。
 だが、さすがに零下続きの真冬日には発酵が進まず、ゴミが原型のまま固まってしまってお手上げ状態だった。
 発酵してくれない
 発酵してくれないと生ゴミは増える一方で、たちまちBOXが一杯になってしまうので新しくつくり直そうと掘り返してみると、ほかほかの湯気が立ち始めた。固まっているように見えた上っ面の下で、発酵菌が大活躍していたらしい。
 3日ばかり放置している間にゴミはほぼ完全に細粒化していたが、それまでに発酵しないまま固まっていた古い生ゴミが回りにいっぱいあるので大きく掘り返してしっかり空気にさらし、スコップ1杯分ほどの米糠を投入しておいた。

 休眠状態だった原因が寒さであることは推察できるが、大寒から立春ころの一番寒い時期であっても盛んに発酵して湯気を立てている場合がある。
 生ゴミと糠の量の相対的な関係(比率)や水分の含有量と、それらと外気温との相関なのだろうと思うがほんとうのところは分からない。
 理屈はどうあれ厳寒の最中でも発酵しうるという事実がある。我が愛すべき『発酵菌君』達はちゃんと生きていたのだ。
 そうであれば『真冬は駄目だ』という結論を出す前に、もっと活性化のための努力をして見るべきだったかも・・。

 2月半ばを過ぎると、微生物達の働きも活発になってくるはずなのでその心配はなくなるが、それは腐敗菌達にも言えることなので毎日しっかり撹拌して発酵菌達を元気づけてやらなければならない。
 糠みその管理と同じだ。


食糧バイオテクノロジーこそよき道・・・か?

2008-02-27 17:21:56 | 私・あなた・世界&シニア便
 化学薬品企業から生命科学企業へ~モンサント社の主張

 『これからの世代が飢えることを心配するだけでは、彼らの腹を満たすことは出来ません。食糧バイオテクノロジーが彼らを食べさせるのです。
 世界の人口は急速に増加していて、10年ごとに中国の人口に相当する数の人間が増えています。更に10億もの人々を食べさせるためには、農地を拡大したり、現在ある農耕地から更に多くの収穫を搾り出すことも出来ます。 
 2030年頃にはこの惑星の人口が倍増すると言う見通しの中、土地に対するこのような高度の依存は更に高まるばかりです。 
 土壌流失とミネラル分の枯渇が土地を疲弊させるでしょう。熱帯降雨林のような土地も耕作しなければならなくなるでしょう。 
 肥料,殺虫剤,除草剤の使用が、地球規模で増大するでしょう。
 モンサント社では、今、食糧バイオテクノロジーこそが進むべき道だと確信しています。』
 (巨大企業モンサント社が160万ドルをかけたヨーロッパ向けの広告から)

 果たしてそうか・・・!

 ヴァンダナ・シヴァの主張
 『食物はあらゆる生物にとって必要なものである。だからこそ「ウパニシャット(バラモン教の教典)」は「影響の及ぶ範囲にいるあらゆる生き物を養いなさい」と人間に呼びかけている。
 工業化された農業がより多くの食物を生産したことはない。工業化された農業は様々な食料源を破壊してきたし、特定の商品をより多く市場に運ぶために他の生物から食物を盗み、その過程で莫大な量の化石燃料,水,有害化学物質を使用してきた。
 現代的な工業化された農業での緑の革命のいわゆる奇跡の品種なるものは、収量がより大きいから飢饉を抑止しているとは、よく言われることだ。
 ところがこの、より大きな収量なるものは農地における作物の全収量と言う文脈の中では消えうせてしまう代物である。
 緑の革命の品種は光合成生産物を茎に回さないことでより多くの穀粒を生産する。このような「分配」は作物が矮性化することで達成され、またこの矮性と言う特徴がより多くの化学肥料に耐えることを可能にしたのである。
 ところが、茎が少なくなることは家畜用の飼料が減り、土壌を作り甦らせる何百万もの土壌生物を養う土壌有機物質が減るということを意味している。従って、麦やトウモロコシの高い収量は、家畜や土壌生物から食物を盗むことによって達成されると言うことになる。 
 家畜やミミズは食糧生産における私達のパートナーなのだから、彼らから食料を盗むことは、長期にわたる食糧生産の維持を不可能にすることであり、部分的な収量増大は持続可能ではないと言うことになる。
 工業化された農業のもとでの小麦とトウモロコシの収量の増大は、小規模農地が与えてくれる他の食物の収量を犠牲にして達成されるものである。豆類や豆野菜類,果物類,野菜類は、農地からも収量の統計からも姿を消した。
 二,三種類の商品穀物については国内,国際市場への出荷量が増加したものの、第三世界の農家の家族の口に入る食物は減ってしまった。
 工業化された作物の収量の増大は、従って他の生物種と第三世界の貧しい農民から食物を盗むことに基づいている。 
 このことが、より多くの穀物が生産されて地球規模で取引されればされるほど、第三世界で更に多くの人々が飢えることの理由である。地球規模の市場で取引される商品が増えているのは、自然や貧しい人々から食糧が盗まれてきたからなのだ。』

加害者

2008-02-26 11:02:07 | 生き物達
 今年ツグミがいつもの年より多い気がする。走っていると道の端っこ辺りから突然飛び立って車と並走(翔?)するということがあって、時に車が追いつきそうになりブレーキを踏むこともしばしばある・・,と思っていた矢先,やってしまった。
 普通は同じ方向に飛びたつので何とかかわせるが、なぜか反対側からこっちに向けて飛び込んできた。ゆっくり走っていたので思いっ切り左に避けたが、うまくすり抜けたか,あるいは接触したか・・。衝撃は無かったので当たったとしてもかすった程度かも・・,と慌ててルームミラーを見ると路上でバタついている姿がチラリと見えた・・。
 瞬時に絶命したのならともかく、苦しんでいるのを見捨てたことが3日経っても頭から離れない。後続の車に轢かれて紙のようにペラペラになることだけでも防ぐことは出来たのに,と慙愧に耐えないが、こう言う場面でこそ,人間の本性が暴かれているのかもしれないと思う。もはや遅し!

夜の波

2008-02-23 13:51:12 | 山のあしおと小学校
 9日,平郡島の夜。岳夫妻が夜光虫の光る海で泳いで見たいと言い、Takaharuさんも夜の海で泳ぐことはあまりないので行って見ようと言って車を出して下さることになり、4人で五十谷に行く。

 夜の海は波の音がことさら大きく聞こえて『こわい』と言う印象を持つ人もいるが、ここは遠浅の内海であり、昼間の様子も分かっているのでお互いの所在を確認しながら泳げばどうと言うことはなく、規則的な波のリズムはむしろ安心感を与えてくれる。波打ち際に座って時おり来る予想外の波に翻弄されて見るのも波の大きさが見えない分、不意打ちを食らうスリルがあって楽しい。
 肝心の夜光虫はしかし前回ほどではなかった。夜光虫の量が少なく、身体中にまとわりついて動く度に周りがぼうっと光り、その光に包まれて海に漂う幻想的な現象にはほど遠かった。それでもみなはこの滅多にないこの体験に興奮気味だった。

沖合に向けて真っ直ぐ100mほど泳いで見ると、向かい波でも後ろからの波でも波にうまく乗るとひとかきで随分進むものだと言うことが、周りに雑多なものが見えすぎる昼間よりよく分かることに気づいた。巨大な波なら一瞬で50mも100mも持って行かれると言うのがよく分かる。内海と言えどもその点は油断できないが、波に乗るとこんなにも進むのものかと思えるような体験は楽しい。
こうして1時間あまり海に使って遊んだ後、夜釣りの場所を調べに三島の方に行ってみた。

ガッテン式体重管理・6(0802・3・0222)

2008-02-22 14:43:51 | 山のあしおと小学校
 Aさんの第4~6週(2月第1~第3週)
 Aさんの第6週(2月第3週)
 6週目を終えたAさんの体重の記録。先々週・13日の遅い夕食の後,ゆっくり下降して18日にはグリーンゾーンに達したが、翌日の昼に外食があってその後横ばいを続けている。本人は16日までの下降に気をよくしていたので、その後の推移が不満らしいが、この程度の凸凹は流れの範囲であって、しばらくは横ばい状態が続くかもしれないが問題にするほどのことではない。

 木偶の第4~6週(2月第1~第3週)
 木偶の第6週(2月第3週)
 B(木偶)は乱調の1週間だった。きっかけは17日の雪の街道・峠越えの日,昼前にお仙茶屋で予定外の握り飯を1個食べ、昼食を食べずに最終地まで歩いてそこで弁当を食べたことだ。弁当は通常の昼食より多めで、それを歩き終わった後の遅い時間に全部食べたので、夜は殆ど食べなかったのにもかかわらずその後下がらず、それ以後先週より上のレベルで横ばい状態が続いている。
 きっかけはそうだが、実は前の週に調子よく下がるものだからつい欲が出て少々無理をしたきらいがある。後で気づくことだが、これはそのリバウンドかもしれない。
 先週だけでなく、過去5週間連続で右肩下がりを続けていたので起こりうることだ。そこだけ見れば駆け足で階段を登っているように見えるが、全体で見れば中休みに過ぎないと思うことにする。
 しばらくは横ばいが続きそうだが一喜一憂せずだ・・!

ヴァンダナ・シヴァ著・・・食料テロリズム

2008-02-21 16:46:46 | 私・あなた・世界&シニア便

 多国籍企業はいかにして第三世界を飢えさせているか~と言う副題の『食糧テロリズム』(ヴァンダナ・シヴァ著,浦本昌紀監訳 竹内誠也・金井塚務訳)は衝撃的な書である。
 
 『企業による食糧の支配と農業のグローバル化が、何百万人もの人々から生活と食糧を手に入れる権利をどのように奪いつつあるのか』という事を述べるに当たって、ヴァンダナ・シヴァはインドに焦点を絞る。
 それは彼女がインド人であり、また『インドの農業が地球規模の企業から特に標的にされ』ているからだと,インドでは75%の人々が生活手段を農業から得ていて、世界の農民の実に4人に1人はインド人なのだ,それゆえ『インド農業に対するグローバル化の衝撃には地球規模の意義がある』のだと氏は言う。

 森林を切り倒したり、自然林をマツやユーカリ等の単一種大面積栽培(モノカルチャー)の人工林に変えてパルプ工業の原料にしたりすることが、歳入や経済成長を生み出すと言う点はその通りであるが、しかし、この成長は森林から生物多様性と土壌や水を保持する能力とを奪い取る行為に基づいたものであり、森林に依存する人々の暮らしから、食物,飼料,燃料,繊維,医薬品,洪水や旱魃に対する安全保障の源泉を奪い取る行為に基づいている。
 
 このパターンは林業だけでなく、農業とあらゆる食糧生産の場にも及んでいる。だが、多くの環境保護論者は、自然林を単一種大面積栽培の人工林に変えることは自然を痩せさせる行為だと言うことが理解出来ているのに、その洞察を工業化された農業についてまで推し進める人は多くない。
 『工業化された農業はより多くの食糧を育て、飢えを減らすために必要だ』と言う企業神話がつくられ、殆どの環境保護論者や地域開発団体もそれを是認している。また多くの人々は、集約的,工業的な農業は資源を節約し、従って生物種を救うとも仮定している。
 成長と言う幻想が、自然や貧しい人々からの収奪を隠蔽し、資源の欠乏を創り出しているにもかかわらず、それを成長と偽っているのだ,と。  続

姨捨駅にて・・・雪の街道・峠越え・5

2008-02-20 13:00:09 | 山のあしおと小学校
 
 姨捨駅は無人駅であるが、JRの職員さんが時々来て清掃等の管理に当たっており、この時は若い人がホームに積もった雪掻きをしていた。 
 下りの電車が来て中高年の一団がゾロゾロ降りてきたが、切符をどうしていいかわからずオロオロしている。そのまま出てしまうのは気が退けるらしい。切符を入れるポストはホームにあって分かりづらい。『記念にもらっとけば・・』と言うと『そうよネェ』と安心顔で出て行き、上山田温泉のらしい送迎バスに乗り込んだ。

 善光寺平方面

 そろそろ電車が来ると言う時間になり、ホームに出て塚田さんと『〇〇はあっちだろう』等と話していると、雪掻きをしていた職員さんがスキー,スノーシューを持った私達に『その格好だと猿ヶ番場峠を滑ってこられたのですか?』と話しかけてきて『そう言う楽しみ方もあるんですネェ』と言い、『ここで仕事をしていると色んな方とお話しできて、それがやりがいの一つです』とつけ加えた。
 
 『無人だけど駅舎に色々な版画とかパネルがあってなかなか面白いですネ』と言うと『版画は地元の方の作品です。みんなで駅舎を守っていこうと言うことで協力してもらっています』と誇らしげだった。
 ギリギリの時間にやってきた婦人の『南松本に停まりますか?』との問いに丁寧に答え、スイッチバックの電車が出発するのをにこやかに見送ってくれた。
 15:41発。同:52,聖高原駅で降りて車で一緒に帰り、途中の戸倉温泉で汗を流す。終わり

姨捨駅がおもしろい!・・・2

2008-02-20 11:48:28 | 山のあしおと小学校

 棄老伝説の説明版。昔,年寄りの嫌いな殿様がいて70才以上の老人を山に捨てるようにとのお触れを出す。殿様は隣国から『灰で縄をなえ』『九曲の玉に糸を通せ』等の難題を吹きかけられ、出来なければ国を攻めると脅されるが、母親を山にかくまっていた息子がこれを知り、母親からその答えを聞いて言上した結果国は難を免れ、棄老のお触れを出した殿様はこれを恥じて撤回したと言う伝説が記されている。
 現代では4月から75才以上を対象とする後期高齢者医療制度という名の棄老政策がスタートする。

 
 姥石伝説~見目も心も美しい木花咲耶姫(このはなさくやひめ)とその伯母で見目も心も醜い大山姫にまつわる伝説
 醜さゆえに僻んで着飾ることにのみ腐心し、周囲から疎まれる大山姫を心配して咲耶が神に祈っていたところ、月の神が夢枕に立って『十五夜の夜,大山姫を連れて更科の数々の峰を越え一番高い山に登り、大岩の上に立って四方を見渡す』ようにと告げる。
 言われた通りに大山姫を伴って大岩の上にに立つと四方は山々は黒く静まり返って、はるか下方の段丘の田毎の水に月が写っているのが見え、2人はその景色に見とれる。
 しばらく後に大山姫が静かに口を開き『田毎の月の美しさに自分の心も洗われるようだ』と語り、『自分がもし月の宮に登れたら諏訪の神様のようなこの国を守る神になりたい』と言う。すると月の宮から『そなたの美しい心こそ月の宮人としても、国を守る神としてもふさわしい。共に月で暮らそう』と言う諏訪の神の声と共に浮橋が降りてきて大山姫は月に登って行った~,と言う八幡地区の長楽寺に伝わる話しで、その大岩を『姥石』と呼ぶ。

 
 冠着山伝説。
 日の神が弟の乱暴な振る舞いを諌めようと天の岩戸に隠れたのを神々が酒宴を開いて日の神の興味をそそり、岩戸を少し開けて覗いたところを力の神が岩戸を引き剥がして日の神が出てきたと言う天の岩戸伝説の後編で、日の神が再び岩戸を閉じて隠れてしまわないよう『岩戸をどこかに隠そう』と言うことになり、力の神が岩戸を持って雲の中を走り出す。その途中,力の神は一つの山の上で乱れた装束を正し、冠を着けなおした。それが冠着山(姨捨山)の謂われで、岩戸を隠した山が戸隠山と呼ばれるようになったと言う。

姨捨駅がおもしろい!・・・1

2008-02-20 10:57:42 | 山のあしおと小学校

 『身にしみて 大根からし 秋の風』
 芭蕉秀句の一つ,『大根からし~』の句碑は会田宿から立峠にさしかかる途中にある。
 大根はやせ地で育ったものほど小さくやせていて辛い。木曽の大根はだから辛かったのであろうが、その大根の辛さ以上に木曽の秋風の寒さが身にしみる~の意か・・。更科紀行の旅はそれ以上に身に染みるものがあったのであろうと思われる。


 姨捨駅には芭蕉の句の版画をはじめ、姨捨伝説,棄老伝説にまつわる伝承などを記した額が数多く飾られている。
 中でもこの『大根からし~』の句をはじめとする地元版画家の芭蕉の句の画や更科紀行を描いた極彩色の絵図が目を引く。


 『俤や 姥ひとりなく 月の夜』
 姨捨伝説は、妻にそそのかされて老母を姨捨山に捨てたが、姨捨山に出る月の美しさに目が覚めて、母を連れ帰ったとするものの他に、苛斂誅求な圧政に苦しんで老人を捨てたとされるものなどがある。


 『十六夜も まださらしなの 郡かな』
 芭蕉は望月(15夜),いざよい(16夜),立待ち(17夜)と三夜続けて信濃の月を愛でたと思われる。更科は去らないの意をかけていると言われている。
 『更科や三夜さの月見雲もなし』は旅に同行した越人の句


更科の里・更なる信濃へ!・・・雪の街道・峠越え・4

2008-02-19 12:51:04 | 山のあしおと小学校


 山の神林道はR403までの約2.1km。植林の中の緩やかな下りで、しばらく進むと左手から高速道路を走る車の音が聞こえて来るようになり里の近さを感じる。
 雪はすでに峠の半分以下なのだが1本の轍に左右のスキーを入れると狭く、片方だけを新雪に置くと滑りにくい。部分的にシャーベット状になっていたりすると片方のスキーが持っていかれて転倒する。転ぶとアスファルトなので痛い。相変わらず下りは下手くそだ。


 ちょっとうんざりしかけた頃に急に目の前が開けてR403が現れ、国道の先に千曲川をはさんだ向かいの山と青空が飛び込んで来て突然林道が終わり、スキーとスノーシューの旅もそこで終わる。(14:10着)
 いささか陰鬱だった白と灰色の世界との鮮やかな対比・・,そこから先は次なる世界だが空の青さに心が弾む。
 スキー,スノーシューを外して国道を横切り、長野道の陸橋を渡って姨捨の駅に向かう道すがら、千曲川沿いの平野部から川中島方面を望む。最後の峠を越えてようやく善光寺平が目の前に開けた。
 稲荷山方面
 川中島・善光寺平方面

 14:40姨捨駅着。10分前に上りの電車が出たばかりで次の電車は当初予定の15:41発となり、たっぷりの待ち時間で遅い昼食を摂る。


一筋の足跡・・・雪の街道・峠越え・3

2008-02-18 16:25:50 | 山のあしおと小学校
 
 聖湖の東端から国道が下り始める辺りの左手に広場があり、そこから桑原宿方面に向かう幅広のしっかりした林道がある。これが現在の善光寺街道で、もちろん冬期は閉鎖されて歩く人はいない。
 国道の除雪で道路脇に出来た雪壁を乗り越えて広場を通り抜けた所でデポしたスキーを履いて歩き始める。
 新たな雪が積もってはいるが、下見の時に歩いた自分のトレースがはっきり残っていて歩きやすい。全コース下りで滑りすぎるのが怖かったが、この日は適度にフリクションが効いて歩きやすく、また滑りたいところではゆっくり滑って思うように止まることが出来たので快ピッチで進み、念仏石,馬塚と進んで12:55に火打ち茶屋跡に着く。気温は-5℃だが歩いている限りは寒さを感じない。

 お仙の茶屋でソバおにぎりを食べたせいか腹が減らず、みかんと温かいココアを口にしただけで15分休んで出発。
 そこから先は未踏査の道だが、左右に1筋づつ獣の足跡らしいくぼみがあって、それがちょうど車の轍のような間隔をもってどこまでも続いていた。そのくぼみを辿るとスキーの沈みが小さいのは、獣達が同じ所を何度も歩いているからと思われた。彼らもまた歩きやすい所を選んで歩いているのだろう・・。

 足跡を追って歩いたり滑ったりしながら小気味よく下って15分で一里塚に着く。一里塚は林道を下に10mほど降りた所にあって古墳のように土を円く盛り上げてあり、見学しやすいように道を取り付ける工事が行われているところ。
 そこに車が入って来て引き返している本物の轍の跡があった。峠からは3km近く下っていて雪の量も少なくなり、時折ストックの先が直接アスファルトに当たるようになる。

 雪が少なくなったのと轍が邪魔したり滑りやすくなっていたりで歩きにくくなる。滑るかと思えば止まり、止まるかと思うと急に滑り出したりで度々転倒しながら10分(13:30)でのぞきに着く。
 かつてはこの場所から中原沖や集落はもとより,遠くは川中島平まで遠望することが出来たところから『のぞき』と呼ばれるようになったと言われる。また、簡単な望遠鏡が据えつけられていて視野の中に善光寺本堂をピタリと捉えていたとも言う。

 善光寺街道はここから中原を経て桑原宿に向かう。桑原宿までは3.1kmで、姨捨駅(3.7km)よりは近いのだが、そこまで行くと最寄り駅は稲荷山駅となり、市街地をさらに3kmばかり歩かなければならないので、当初の予定通り姨捨駅に向かうことにして山の神林道に入る。

湖 ふく風に 抗わず・・・雪の街道・峠越え・2

2008-02-18 11:23:42 | 山のあしおと小学校
 
 白蝶乃 湖吹く風に抗わず/本家・お仙茶屋
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 急峻な聖高原につけられた国道403号はうねうねと大きく蛇行して登って行くが、街道はそれを突っ切るようにまっすぐ上に向かっている。
 茶店のすぐ上で国道を横切り、さらにもう1度横切って本来のお仙茶屋跡にさしかかると雪が一段と深くなる。スキーは峠でなく、茶店に置かせてもらうくらいでよかったかもしれないと思った。


 20分で茶屋跡に着く。芭蕉に因んで御影石に刻まれた句の中の『白蝶乃~』が目に止まった。安西冬衛の『てふてふが一匹 韃靼海峡を渡って行った』の詩を彷彿させる気がした。

 茶屋跡から峠までは距離はわずかだが、このコース最大の斜度で雪も膝ほどの深さになり、ツボ足にはちょっと厳しかった。スノーシューに先行してもらって後を追い、12:00に峠下の国道に出る。さらに5分歩いて聖湖のそばのあずま屋で前半終了となり、スキー靴に履き替えて後半に備える。

 湖水は全面結氷しているらしく、その上に雪が積もって何も見えないが、雪を纏った対岸のカラマツが美しい。

甦るお仙茶屋・・・雪の街道・峠越え・1

2008-02-17 19:55:40 | 山のあしおと小学校

 昨夜は北信,中信ともに大雪の予報が出ていた。この場合,北信は間違いなく大雪になる。だが中信地区が大雪と騒がれて大雪になった験しがない。
 猿ヶ番場峠は北信と言うには南に過ぎ、中信と言うには北に過ぎると言う半端な位置にあるが、峠の向こうとこちらでは雪の量がはっきり異なる。
 今朝の安曇野は10cm足らずの新雪。たいしたことはないと踏んでためらわず出かける。

 出発点は聖高原駅だが、スキーを履くのは峠の向こうからなので峠まで行ってスキーをデポし、駅に戻って電車で来る塚田さんを待ち、9:30出発。 
 駅から10分で海善寺,50分で市野川の高札場跡を通過し、10:32,国道を横切る。その辺りから雪が深くなり、塚田さんがスノーシューをつける。峠の手前の雪が5日前の下見の時より多いのは昨夜から今朝にかけて降ったものと思われた。

 再び国道を横切る位置に『夢広場』と言う公園のような場所があって最近ここに茶店が出来た。店を覗くと中に4人の従業員の人がいてテーブルを囲み、お茶を飲みながら楽しそうに談笑していた。『やってます?』と聞くと『時間前だけど、どうぞ どうぞ』とにこやかに迎えられる。
 塚田さんに知らせて店に入るとテーブルを囲んでいた輪が解けて各人厨房に,受付けにと作業態勢に入っていた。10:45着。

 天ぷらそばや山菜そば等,そばが中心の茶店だが、弁当は持っているし食事にはまだ早いしのでコーヒーをを注文するとすぐにお茶が出たのに続いてお茶うけに蕗の煮物の小皿と、さらにお菓子やチーズケーキまでついてきた。
 『コーヒーよりお茶うけの方が高くつくじゃん・・!』と言うと『商売より こうやって皆さんに喜んでもらうのが第1でボランティアみたいなもんですよ・・』と屈託がない。申し訳ないので花梨ジュースと蕎麦入りおにぎりを追加注文する。

 『さっきのお話しの輪に入れてもらって一緒に喋るだけでよかったのに・・』と言うと『そうするとネ,お代を頂けなくなっちゃうんですよ・・』と笑う。『そりゃ なおさら都合がいいけど』・・・,と、そう言う掛け合いが楽しくてついつい時間を過ごしてしまいたくなる。
 土,日の11時から2時までだけ営業するという店は現代に甦った『お仙茶屋』と言えそうだ。11:25,辞去して本来のお仙茶屋に向かう。