遊びと学び,創造の基地・山のあしおと小学校

冒険,遊び,仕事,学習,生活全般を学ぶ、子ども達のための私設小学校

道迷い

2007-08-31 12:44:15 | 境界線・新境界線

 
 Bと一緒に下山する道すがらBが道を間違えたことを聞き、その地点を確認したが、この場所はAもはじめ沢の方に向かっていると考えた場所で、しばらく観察して周囲をぐるっと見回して左に折り返す道を発見し、ことなきを得た所である。
 下を向いたまま歩いているとそのまま入り込んでしまいやすい場所で、事実、無数の踏み跡がかなり高い所まで続いており、それがよけいに道迷いを誘引する要素にもなっていると言える。Aもかつて尾瀬燧ケ岳で同じことをやったことがある。
 このような場所にはもっとハッキリした×印を施すべきである旨,後に温泉事務所に伝えた。紅白のポールが1本横たえてあったが、それでは意味不明である。
 Bは間違いに気づかずかなり高い所まで迷い込んだが、そこから下を見下ろして山頂に向かう正しい道を発見し、以後は沈着に行動して元に戻ったと言う。
 その後一旦下山して、Cから『Aが探しに行っている』と聞いて再びAを追って登ってきたと言うことで、A以上に疲労しているのは明らかだった。

無事下山

2007-08-31 12:38:49 | 境界線・新境界線
 最悪の場合を想定して手を打つとすれば須川分岐でAが別のコースを辿り、Bが下山して他の仲間に知らせて、別コースの下山口からも探してもらうことである。 須川別れには3つのコースがある。一つは湯浜コースでこれはまずないとして迷うとすれば天馬尾根コースであるが、もう一つ,秣岳に向かう細い道があった。この道は天馬尾根コースと同一の道だということが後で分かったのだが、地図がなかったのでAはこれは秣岳までの行き止まりの道ではないかと考えた。道が細くて間違いそうには見えなかったが、もし入り込んで迷うととんでもないことになりかねないと言う不安が広がった。
 考えあぐねたが、天候がよかったのでここで間違う可能性は低く、山頂から自然研究路ルートで下っている公算が高いと考えて、まずは下って情報を得ることにする。17:05須川分岐発。途中,名残りヶ原分岐で二手に分かれて探しながら18:20下山。D,E両名,無事の下山を知る。

 

影を追って山頂に至る

2007-08-31 12:36:13 | 境界線・新境界線

 15:15,下山中のCさんと遭遇し、5分ほど話してD,Eが下山中(の見込み)であることを聞き、その地点で待つことにした。Bの所在については不明のままであったが、Cが下山することにより何らかの情報が得られることに賭けるしかなかった。
 駐車場と登山路を行ったり来たりして疲れていたので一旦は待つことにしたが、じっと待っているより少しでも早く安心したいし、安心してもらいたいので、須川分岐までには会えるだろうと予測しながら迎えに登ることにする。
 15:45、須川分岐に着いたが2人の姿が見えず、稜線上にも人影がなかったので、ひょっとするともう一方の自然研究路コースを下ったかもしれないと言う考えが生じ、また、須川分岐まで戻ってから道を間違えた可能性も否定できないと言う最悪のケースまでが想起されて、とりあえず山頂まで急ぐことにする。
 16:05山頂着,結果的に登頂となった。登山者1名に聞いてみたが分からない。信じがたいことではあるが、もし自然研究路のコースを降りていたらそれが最善であり、須川分岐まで戻っての道迷いでないことを願う。しかし、悪い方の予想が的中すれば次に打つ手を考えなければならないと思い、自然研究路コースを追うか、須川分岐に戻るかで迷う。
 2人を追って自然研究路コースを降りる決断をして5分ほど下ったところでカメラを忘れたことに気づき、山頂に戻って考え直し、須川分岐に戻ることにする。

 16:27発。同35,Aを追ってきたBに会う。一つ心配の種が消えてホッとし、そのまま登頂してもらって須川分岐で合流する。
 
 

四分五裂

2007-08-31 12:33:47 | 境界線・新境界線
 いつまで待ってもBが来ないのでCに『D,Eさんが行った先に三叉路があるはずなので、合流したら一緒に左折して先に登って下さい。後から追いかけるので、必ず同じ道を下ってきて下さい』と言い残してBを迎えに行くことにした。
 来た道をゆっくり戻って、最初に立ち止まった位置まで来たがBの姿が見えないので駐車場に戻ったのではないかと考え、大急ぎで降りて駐車場とテントを探した。2度,3度行き来して探したが見えないので温泉の事務所で放送をかけて呼び出してもらい、10分ほど待って反応がなかったので山中にいるものと判断して再び山道を追いかけた。すでに出発から1時間以上が経過していた。
 あるはずのない三叉路を探して進むうちに登山口に向かって下っていることに気づき、初めて道を誤ったことが分って13:45から引き返す。三叉路に戻ったのが14:15。よく見ると標柱に『←山頂』と書いてあり、Bは他の4人とは離れていたが故にこれに気づいているはずだと思った。
 この時点でAは自分以外の4人全員が自分より上にいると確信して後を追い、5分後の14:20に大きな案内板のある名残りヶ原の分岐点に到達した。

 この先で道は須川分岐を経由して山頂に至る道と、自然研究路を経て山頂に向かう道に分かれるが、予定は須川分岐となっており、また自然研究路は大廻りになるので事実上1本道で迷う所はなく、またA自身が山頂まで登るのは時間的に無理と考え、須川分岐から下りて来るであろう4人を迎えに行くつもりでゆっくり登り始める。
 

終章・・・栗駒山にて汚点を残す

2007-08-31 12:27:13 | 境界線・新境界線
 鳥海山を序章とすれば、栗駒山の登山は5人が山上でバラバラになり、誰がどこにいるのか分らなくなって捜し歩くと言う最悪の経過をたどり、汚点を残す終章となった。できれば書かずに済ませたいが、どうしてそのような事態を招いたかと言うことをきちんと分析し、自己批判することは避けて通れないことなので敢えて経過を書く。

 12:00出発⇒14:00~14:30山頂⇒16:30下山の予定で、Aが先に登山口に行って待っていた。他の4人は準備に手間取り、遅れて駐車場を出たがAのいる位置が分らず、須川温泉の中に向かって行った。Aは大声で4人を呼んだが聞こえなかったので追いかけて合流した。そこで登山口に戻るべきだったが、温泉の中からでも登れないことはないので妥協してそのまま登り始めた。
 20分ほど登った所でBが『財布がない』ことに気づき、立ち止まって点検したが見つからなかった。Aは立ち会っていたが『すぐに行きますから先に行って下さい』と言われて先行する3人を追いかけ、薮道から見通しのいい平原に出て木道に指しかかる辺りで写真を撮っていたCに追いついた。この時,DとEは100mほど先の三叉路を右折してさらに100mほど進んだ位置にいた。正面に火山性の荒れた沢が見えていた。
 AはBが来るのを待ちながらCと一緒にゆっくり歩いて三叉路を右折し、D,Eを追った。この時Aは、C,Dのいる位置の先に三叉路があってそこを左折し、正面に見えている沢の中を登る道があると錯覚していた。

 

須川高原へ

2007-08-31 09:48:14 | 境界線・新境界線
 当夜の食材を確保し、各自もそれぞれに土産を買って送ったり車に積み込んだりして6:45発,R283を北上に向かう。途中から道が2つに分かれていて直進すると高速道路のような道となってすぐに長いトンネルに入る。これは新しくできた仙人トンネルで、続く2つのトンネルを抜けるとJR釜石線の平倉駅の近くで一旦R340に入り、5分ほど走ると元のR283に合流してほどなく遠野市に着く。
 この高速バイパスは将来の高速道路化を意図した規格になっていた。他にもそういう規格の準高速道路のような道があちこちに見られる。
 7:30頃,道の駅風の里に着く。ここで朝食を摂るつもりだったが、早すぎてまだ食堂の準備ができておらず、特産品売り場のおにぎりで済ませて北上へ向かう。
 9:31,北上・江釣子ICin。30分で一関IC。そのままR342に入って須川高原着11:00。須川高原CP場のサイトにテント2張りを張り、炊事棟に炊事道具と食材を置いて、12:00出発を目標に栗駒山登山の準備にかかる。

須川高原 須川温泉

釜石の橋上市場

2007-08-31 09:04:14 | 境界線・新境界線
 佐々木貴範氏のHP・・・Special   
        http://www.ipm.jp/ipmj/gallery96/sp/index.html より

 日本唯一、最初で最後の橋の上にあるマーケット、それが岩手県釜石市の橋上市場だった。2003年1月5日、45年の歴史に幕を降ろし、いまでは完全にその姿も消している・・・。
 橋上市場は甲子川に架かる大渡橋に並行する形で1958年に完成。全長110m、全幅13mの場内には鮮魚、野菜からお土産品、日用雑貨、食堂など約50店舗が営業をしていた。ここは釜石の戦後復興の象徴であり、市民の台所として、また観光名所として栄えた。
 始まりは戦後、甲子川沿いの市道に集まった露天朝市。最盛期には300店を超えた。そこでは交通混雑や衛生上の問題が生じたため、河川法の特例許可を受けて河川上に市場を建設したのだ。しかし「営利目的の河川占有は認めない」とする65年の河川法改正により、橋上市場は違法占拠のテッレルを貼られた。岩手県は老朽化した大渡橋の架け替えに絡み、移転・撤去を迫った。この問題は市民の関心も高く、存続を求める署名は釜石市人口の80%を超えた。組合はそれを持って陳情したが結果は変わらなかった。
 河川法の特例措置で建設が許可された橋上市場は、同じ法律によって撤去を迫られる形となった。組合が正式に移転・撤去を決定したのは1996年に入ってからだ。その後は移転先や補償問題が難航し、完全決着したときは2002年になっていた。
 「鉄と魚のまち」で知られる釜石。しかし鉄は冷え、魚は減り、橋上市場は消えた。あとに残るのは橋上市場建設を後押しした市民の情熱と存続を求め続けた力、その精神だ。釜石に内在するその熱き精神が、釜石再生への原動力となる。釜石と盛衰を共にしてきた橋上市場は、その物理的な建物は消えたが、それを支えた精神は消えることはない。

釜石駅 橋上市場跡



釜石の市場

2007-08-31 08:58:52 | 境界線・新境界線
 
 8月13日,5:50に釜石駅前に着く。
 釜石にはかつて、イタリアのフィレンツと並んで世界に2つしかないと言う珍しい『橋上市場』があり、旅行者や近隣から来る人々で賑わっていたが、橋の老朽化に伴って惜しまれつつ廃止となり、2003年に『サン・フィッシュ釜石』としてリニューアルオープンしたとのこと。
 5年前に来た時には、元の橋上市場のすぐ近くの仮設小屋のような建物で営業しており、新しい建物を訪れるのは今回が初めて。
 6時からの開場を待って入ると、以前の市場の半分かそれより短い奥行きスペースの中に20店舗ほどの店が並んでいたが、半分はまだ開店していなかった。かつての賑わいに比べれば店の数は半数以下となり、客足も少なくて寂しいかぎりだ。
 

 
 ここでの目当てはイクラとウニ。街には『海鮮丼』を売り物にしている店があるが、高い金を払って食べるより、ここでイクラを買って熱々のご飯に乗せ、しょうゆをぶっかけて食べる方がはるかにいい。3000円分も買えば6人がたらふく食べられる。仮に2000円のイクラ丼を6人で食べるとすると12000円かかるところが3000円ですむ。ついでに奮発して生ウニ3000円分を上乗せしても半値。こう言うところが幕営の旅の利点と言うものだ。
 イクラには醤油漬けと塩漬けがあり、塩漬けにも塩加減の弱いのと強いのがある。ご飯に乗せるには醤油漬けがベスト。
 生ウニはお盆の値段で通常の6~8割。生なので土産にはできないが、当日使うには問題なく、これもその日のうちに食べる切るからこそ買える。


 鮮魚店で、ポン焼き用に黒光りするスルメイカ3杯を買い求める。お土産用に買ったものはその場で宅配便に。

釜石

 
 

吉里吉里共和国にて

2007-08-30 11:37:30 | 境界線・新境界線
吉里吉里海岸

 ここは岩手県大槌町吉里吉里。井上ひさし氏の小説 『吉里吉里人』の舞台にもなった町の海水浴場のある海岸。町の人達が 思い思いに海岸にテントをはりキャンプを楽しんでいる。炊事棟やトイレもあり、1人500円の協力金を払えば自由に使うことができる
 海水浴場なのでシャワーもあり、頼めば無料で気楽に使わせてもらえる。村長さんがニコニコと対応して下さる。暴走族が入って来ないように常時監視され、トラブルが起こればすぐに警察に連絡が行くようになっているそうだ。
 要するに町の人達や外来者が安心してキャンプを楽しめるように取り組んでいるようで、警備の人が詰め所につめているが、『○○警備保障』と言うようなシャクシジョウギな警備員と違ってそこいら辺に住んでいる普通のおじさんで、いかにも地元の人と言う感じなのだ。
 村長さんも警備のおじさんも9時頃には帰って行ったが、帰り際に『地震があったら防災放送を流すのですぐに避難して下さい』と言った。夜中に目が覚めて外に出ると、別のおじさんが近寄って来て『泊まりの方ですか』と聞かれた。こうして一晩中警備している人にも守られて朝を迎えることができるのだ。
 
 3時には目が覚めて食事の用意にかかるのが常だが、今朝は釜石の市場で食材を仕入れてから遠野の道の駅で朝食を摂ればいいと考えて朝食をつくらず、昨夜聞いた近くの港で朝市があると言う情報を頼って大槌漁港に行ってみたが、『市は日曜日だよ』と言われてスゴスゴと引き返す。
 テントを撤収し、5:20に出発。釜石に向かう。

北東北,山と温泉の旅・・・三陸へ

2007-08-30 11:32:01 | 境界線・新境界線
浄土ヶ浜 吉里吉里海岸
※地図をクリックすると大画面の地図を操作しながら見ることが出来ます。

 14:00,馬返しCP場発,R282から県道16で盛岡市を迂回して14:50頃,R106に入る。この道は閉伊街道と呼ばれ、並走するJR山田線とともに早池峰山の北を通ってまっすぐに宮古に向かう。岩手県内の道はどこも広くて立派な道ばかりで交通量も少なく走りやすい。15:50,川井村の道の駅・やまびこ館で15分の休憩。
 16:50,浄土ヶ浜に着き、浜を散策しながらキャンプ場の情報を収集。17:50発,釜石市に近い浪板海岸か釜石市の根浜のキャンプ場に狙いを定めてR45を南下する。
 
 浪板海岸のCP場は国道から見えたがあまりにもテントの数が多いので敬遠してテン場にふさわしい海岸を探しながらゆっくり走っていると、同乗のTさんが海岸に張られたテント群を発見。そこに入り口があったのでそのまま入ると『進入禁止』の立看板があり、『これはダメかな』と思ってUターンするつもりで進入したついでに『キャンプしたいんだけどダメかな?』と聞くと『いいよ,何人だい?』『6人だけど』『管理費として1人500円でOK。今すぐならシャワーもあるよ』とあっさりOKが出たので、後の車とも相談して幕営することに決める。
 『キャンプ場の情報にはなかったけど、何というキャンプ場?』と聞くと『ここは吉里吉里海水浴場』だと言う。『吉里吉里って、あの吉里吉里共和国の?』『うん,そう。今,村長を紹介すっから受け付け済ませて!』と言う。
 『村長って、ここは村かよ・・?』と思っていると、人のよさそうなおじいさんみたいな人がニコニコしながら名簿を出して『ここに名前と人数書いて!』と言う。はじめに応対してくれた人は警備員だそうで、『進入禁止』と書いてあるのは暴走族などを入らせないための看板なのだそうだ。要するにここは町民や近隣の人達が昼は海水浴を楽しみ、夜は安心してキャンプできるように町中あげて管理しているということらしかった。
 キャンプ場にはかなりの数のテントが張られていたが、子ども連れの家族が多く数の割には静かで、大きな花火の音や嬌声もなく、節度をもって控えめにキャンプを楽しもうとする空気が感じ取れた。18:00着。
 
 私達はこのキャンプ場が大いに気に入り、すぐにテントを張って遅い夕食の準備にかかる。何と言っても炊事棟に電灯があるのがあり難かった。飯盒飯,挽肉を使ったマーボーナス,ゆでたジャガイモと赤タマネギのスライス,納豆。コンビニへビールを買いに走って19:30から夕食。
 後は潮騒と海の香を枕に、テントで,車で,あるいは砂の上で眠るだけ。
 


天ぷら

2007-08-26 09:17:03 | 山のあしおと小学校
 
 昨夜(今朝),絶好調の時に発電機(投光器)が止まって納竿し、今朝は5時から釣りり始めたが、泳ぎ回っているのはコヨリばかりで、アジはさっぱり寄って来ない。この点は漁業でも同じで、何トンと言う漁獲があった次の日に1尾の魚も獲れないことがあるらしい。海と言うのは不思議なものだ。
 コヨリを餌にヒラメを狙ってみたが、アタリなし。置き竿にしてアジとコヨリを天ぷらにする。何といっても揚げたてが一番!
  

豆アジ・コヨリを調理

2007-08-25 23:09:05 | 山のあしおと小学校

 まだ明るいうちにサヨリを20尾ほど釣った。サヨリと言うには小さ過ぎるのでコヨリとでも言おうか・・・。
 今日は潮が悪いせいか食いか渋い。そこそこは釣れるが、ダブルヒット,トリプルヒットがないので数が伸びずアジがやっと100尾程度。バラシも多く随分逃がしてしまった。仕掛けの選択を誤ったのか、ピンクのスキンよりグリーンの方がよかったのかも・・。
 アタリが止まっている間に鰓と腹わたをとって下処理。明朝天ぷらにする予定。
 

(鰓と一緒に内臓を引っ張り出す。これができれば手早くきれいに処理できるが、何分にも相手が小さすぎる。)
 10時現在やっと上げ潮に転じたもよう。次の満潮は午前3時頃。陸からの風が心地よい。
 
 置き竿で釣ったアジを餌にしてヒラメを狙っているとアタリが2回あった。1度は背中にハリを通したアジが頭を齧り取られていた。上あごはアジが弱りやすいのでしっぽのつけ根にハリをつけて泳がしてみるとしっぽだけ残してうまく取られてしまった。
 背中にハリをつけた場合が一番元気だったが、体の縦の線に対してハリが横向きになるので魚の泳ぎ方が不自然になる。しっぽも同様。この点では上あごがいいが、脳天に近いのでアジがすぐに弱る。平行して豆アジを釣りながら常に生きのいい餌に交換するのは結構忙しい。
 8時頃からアジがパタリと止まってしまい、餌が供給できずヒラメを中断。午前0時頃からまた釣れ始めたが、2時過ぎにガス欠で発電機が止まり、投光器が使えなくなって敢え無く終了。


夏の海釣り教室のご案内

2007-08-23 17:22:10 | 山のあしおと小学校


今年2回目・夏の海釣り教室です。

日時;8月25日(土)~26日(日)
場所;新潟県能生町能生漁港
集合;場所:JR大糸線・穂高駅  時刻:11時00分
解散;場所:   同       時刻:16時頃
日程;
25日:穂高駅発11:00~14 :00着能生漁港14 :30~釣り準備&夕食等20:00~夜釣り・睡眠~朝まで
26日:05:00・朝食~釣り~11:30昼食・片づけ13:30発~16:00着穂高駅・解散

服装;
上着・シャツ(長袖)/ズボン/保温着または防寒着/雨具(セパレーツ型)・傘/靴・靴下/帽子(熱中症防止のため必ず)

持ち物;
釣り竿(3~5m,小型リール付,または5mくらいの渓流竿)/シュラフ/食器セット/水筒またはポリタンク、および飲料水/懐中電灯またはヘッドランプ・乾電池(予備も)/間食・行動食/ロールペーパー/ビニール袋(5枚以上)/古手ぬぐい(魚を掴んだり手を拭きます)/保険証(コピー可)/その他(現金・地図・時計・常備薬他)

共同装備;
テント1/コンロ・ガス/コッフェル/調理具セット/クーラーボックス/20リットル水タンク/調味料セット/食糧・米,他/発電機/投光器/ライフジャケット3着/携帯ラジオ/救急薬品セット/ビニール袋/ロールペーパー/アイスノン/釣具・チヌ竿2,投げ竿1,渓流竿3~5,ライン,ハリ,オモリ,目印,リリアン,各種仕掛け,ハサミ,スプーン,アミカゴ,餌等/その他(カメラ,フィルム,道路地図,他)

定員;車1台につき4名まで。
参加費;交通費は実費を分担します。食費,餌代,仕掛け・用具等は各自負担で。

宿泊;テントを用意しますが、車の中で寝ることも出来ます。ただし1台に3~4人が限度なので、狭い場合はテントを張ります。寝具はシュラフ。

食事;釣りの時間を充分に確保したいので、自炊は出来るだけ避けてスーパーかコンビ二の弁当,またはレトルト,インスタント食品等で済ませたいと思います。コンロを用意しますので、お湯を沸かしたり、飯盒でご飯を炊くこともできます。
時間に余裕があれば、釣った魚を料理しますが、当日の状況次第と言うことになります。

釣具;
①竿,仕掛け:用意します。
②餌:現地の釣具屋さんで各自必要なものを購入して下さい。ただし、コマセ(撒き餌)用の餌は共同で購入します。


※重要
①:釣り道具屋さんは漁港から国道をはさんだ向かい側にあります。交通量も多いので買い物に行く時は1人では絶対に行かないこと。
②:夜の海に落ちたら助からないのでライフジャケットを着用します。何かにつまづいてその弾みで落ちることもあるので釣り場では走ったりふざけあいをしないで常に海に神経を集中しておくこと。また、いつもお互いの居場所を確かめながら行動し、決して1人で行動しないこと。できるだけ両手をフリーにしておくために、懐中電灯よりもヘッドランプを使って下さい。
③竿を地面に置いたまま離れて踏まれないこと。離れる場合はたたむか、何かに立てかけて置くこと。また、釣った魚を取り込んだり、餌や仕掛けを取りつける時に竿を不用意に置くと他の人が歩きにくく、時には踏まれることがあるので置き方に注意すること。他の人の置き竿を踏まないこと。
④防波堤や港での釣りは周りの人となかよくなる釣りです。つり場では他の釣り人となかよく。人の好意・親切はありがたく受けるのが冒険学校のモットーです!