遊びと学び,創造の基地・山のあしおと小学校

冒険,遊び,仕事,学習,生活全般を学ぶ、子ども達のための私設小学校

稜線を彩る

2008-07-31 02:22:18 | 山行

 ハクサンコザクラ

 コマクサ


 イワキキョウ

 チシマキキョウ

 リンネソウ

 ツリガネニンジンの仲間

 タカネヤハズハハコ

 シナノキンバイ

 同

 ミヤマダイコンソウ(?)

 タカネツメクサ

 イワツメクサ

 シコタンハコベ

 シコタンソウ

 シコタンソウ(?)

 ヨツバシオガマ

 イブキジャコウソウ

 クルマユリ

 ハクサンフウロ

 ?


 登頂

大池へ

2008-07-31 01:38:16 | 山行
 宇治しぐれ
                   

 白馬大池にて
 テントの花咲く
 十目チラシ寿司
 ウナギ,錦糸卵,キュウリ,針ミョウガ,大葉etc・・
 賑やかに 楽しく
 平らげる
                   
 まもなく夕暮れ

地獄に仏・・・山荘からの救援!

2008-07-30 12:42:22 | 山行
4000歩を数えた時点でわずかながらハッキリと風の衰えを感じた。それ以上に目の前の小ピークがスッキリと見えて、雨がかなり小降りになったのが分かったので初めて立ち上がって後方を見ると、やはりそこに後のメンバーがいた。
 こちらはある程度希望的予想をしていたが、向こうは最も居そうに無い(Toshi君)所からひょっこり顔を出したのでびっくりしたらしい。何にしても安心したし嬉しかった。
 Ogataがしきりに手で合図をよこすのだが意味が掴めない。進行方向に対して手で×のジェスチャー,続いて手で左(信州)側を指している。4人いるはずだが3人しか見えなかったので、1人は左手で示した方の陰に居ると言う意味かと思ったがよく分からない。面倒になってまた潜り込み、まだ歩ける状況ではないので更に2000歩ほど仮想歩きを続ける。
 6000歩で天狗山荘の方に進む決断をして後方に伝えようと立ち上がった時、突然一行とは別の単独の人が現れて大股で通過して行ったのに驚き、またそれに勇気づけられもして後方に合図を送り、先行者の後を追う。時刻16:45。
 正確な記録が無いが、鑓のはじめの道標通過が14:58,ピーク下の分岐点通過が15:10頃で、その後、風を避けてハイマツに潜り込んでいたのが15:20か25頃,それから16:40頃までの約1時間あまりをそこで待機していたと思われる。
 16:45発。17:00頃,鑓温泉への下降点に到達。ここに来て初めてOgataの手信号の意味が解り、下降ルートに入って風を避けながら後続を待つ。その下降点への入り口がちょっとした鞍部で風の通り道になっていて煽られそうなのでOgataと一緒に来た紅一点を確保しながら風裏へ引っ張り込んで一先ず落ち着く。
 ここで下降ルートに入って鑓温泉まで下るか、途中の大出原でビバークするか、いずれにしても下へ行こうと話していた丁度その時、天狗山荘から心配して駆けつけてくれた人があった。
 山荘の支配人と思われるその人は、私達の戦力と士気を確かめ、下ってビバークするつもりだと言う私達に、『小屋までは30分で稜線部分が20分,この区間を頑張れば後は風裏なので小屋へ行きませんか! 女性の荷物は私が背負います。荷物が無ければ軽量でも飛ばされることは無いでしょう・・。他の方も荷物が無理なら後で取りに来る手もあります』と言ってくれた。地獄に仏の思いで有りがたく申し出を受け、残る2人の到達を待って最後の難関に向かう。
 17:15発。稜線を左に寄らないようにトップで進む。すぐに西空が晴れて富山湾と能登半島らしい島影が見えているのに気づき、後に伝えたる。
 5月に歩いたコースを山の上から見る感慨に浸る余裕は無く、一時も早く稜線を抜けることに全力を注いで、丁度20分で道標を通過,更に10分後の17:45小屋に着く。

秘中の秘・・・リュウキンカの水辺

2008-07-30 09:23:54 | 山行

                   
 雪どけの水,苔むす水辺,咲き乱れるリュウキンカ,谷地マナコ 


                   
 ここよりいい場所を 他に知らない。ここよりいい場所を 他を探す気も無い
 その必要も無い・・。

                   
 年に一度だけここを訪れ 満足する。ただそれだけ!

仮想の6000歩

2008-07-30 06:04:09 | 山行
 後続の4人の状況を考えて見た。現在どこまで来ているのか,自分とどれだけ離れているのか,4人のうちの誰かが事故っていないか・・等々。
 まず、距離的に鑓のピーク下から自分の位置までの距離がそれほどある訳ではなく、また峠を越えた時の位置関係から両者がそれほど離れているとも思えない。吹き飛ぶ雨とガスで見えないことが不安を助長しているが、事故っていなければ我々は比較的近い所にいるのだろうと考えた。
 峠から左下に向かって下り始めてハイマツにぶつかった所から右折する所をを直進して雪渓に向かわないかと言うこと、またそのハイマツがわずかな風除けにもなるので避難場所として利用できなくは無いが、4人には少し狭すぎると言うこと,そこに留まることなく下降を続ければ風を避ける所が無く、避難するとすれば自分が最初に逃げ込んだハイマツの切れ目にまで下がるしかないこと等々・・。
 次に誰かが事故を起こしているとすると、必ず1人が風雨を突いて自分または天狗山荘に連絡を取ろうとするだろう,そしてその役は若いToshi君だろ。その様子がないところを見ると少なくとも事故は無いと判断してよいだろうと考える。
 後方にいるOgataは沈着でベルクバハトの訓練も積んでいるし、Toshi君は海外の高所経験が豊富だから、道を間違えることは無く避難場所を何とか見つけているだろうと考えた。
 こうして後方の心配を取り除くと自分の体に対処することが一番重要だと言うことになる。
 明けない夜は無いと言うが止まない風もない筈だ。早ければ2時間,長くて5時間を想定する。仮に一晩中吹き荒れて動けなければ、できれば4人を糾合してこの場所でテントを体に巻きつけて5人固まって一晩中押しくらまんじゅうでもやっていれば朝になるだろう,糾合できなければ後もテントを持っているので同じ方法を取るしかないだろう・・,と考えて最悪のビバーク方法に決着。
 次に、その間にぬれて冷えた体を持ちこたえさせればよい,と考えた。雷のことはどうしようもないのでもはや頭から消えていた。
 
 じっとしていれば冷えるばかりである。ぬれている体を温めるには体を動かすしかないので、ハイマツの中に潜り込んだだまま風雨の中を歩くのに近いを状態を想定して足を交互に踏み、片腕を振るような仕草を続けることにした。
 疲労凍死と言うのは単純に冷えると言うことではなく、体内で燃焼するエネルギーが切れて補給できない状況に陥った先に来るものだから、エネルギーが補給できる以上は体を動かして燃焼を促すべきだ。寒い時にブルッと身震いが起こると体温が2℃上昇すると言う。幸いにして食料はまだ2日分以上あるので腹が減るぐらいしっかり体を動かすべきだ。暑くなるほど動くことは出来ないまでも、体温が常温になればぬれも少しは乾いてくるはずだ。山ではよく着干しと言うのをやるではないか・・,と考える。
 時にはイチィ・ニッと元気よく声を出して数を数えながら、1000歩,2000歩と仮想歩きで体を動かす。少なくとも小刻みな震えは止まった。

 4000歩を数えた頃,風の中に時々息を感じたような気がした。はじめは希望的観測かも知れないと一旦楽観論を退けた。だが、1時間あまりたった頃、一瞬も途切れることのなかった轟音に切れ目~風の息が感じられるようになり、それと同時に雨が小降りになって目の前の小ピークがハッキリ見えるようになった。いつの間にか雷鳴がおさまっていた。

予兆はあった

2008-07-30 04:46:19 | 山行
 ハイマツの中に潜り込んで風雨を避けながら、頭の中でこの事態に至らしめたことに対する自責的自問自答が始まる。
 確かに杓子岳を通過する辺り、時刻で言えば12時50分頃を境に天候は急変した。それはあまりにも突然の変転で予測できなかったと言えなくも無かった。
 が、その変化の幅は大きすぎたとしても、天候が悪化の方向に向かっていることは予測しなくてはならなかったし、振り返って見れば小蓮華岳に到達する前頃,黒部側に黒いガスがあって本峰や剣・立山方面がスッキリ見えていなかったのが気になっていたと言う予兆を実は感じていた。だが、それ以上にノーテンキにこの日の稜線の花の素晴らしさに浮かれていた・・。

 夏の後立山連峰から燕・常念にかけてのアルプスの稜線は、安曇野の方からはスッキリ見えることは少ない。だがそんな時でも稜線に出ると西側は大抵晴れていて飛騨側や越中側はきれいに見えることが多い。
 なので雷鳥坂を登りきって小蓮華岳を望む位置まで来ると剣岳の秀麗な姿に歓声が上がるし、立山・薬師方面から槍・穂高岳や三俣蓮華岳・黒部五郎岳までをスッキリ見渡せ、白馬岳山頂からは黒部ダムの観光放水まで見ることができる。もし鹿島槍の双耳峰に代表される後立山連峰までもがきれいに見渡せることが出来たら、これ以上ない夏型の最高の天気である。
 それに照らして見ると山が晴れている時のこのパターンが朝から見られていなかった。稜線の左側,信州側からガスが上がってくるのは普通のことで、真に暑い時にはこれが上昇気流となって午後には雷雲に発達するのでこれと競走で行動すればよいことになる。これに対して飛騨側にガスがある場合は前線の影響を疑うべきだったし、白馬山荘ではそれを確認することが何よりも重要だった。
 緊張感をもって注意深く雲の動きを観察し深く読んでいれば、花に浮かれてばかりいられる場合ではなかったのだ。

 こんな問答を100回繰り返しても今のこの事態が変わるわけではない。もしことが起こったら、頼まなくても各方面が容赦なくバッシングしてくれるだろう・・。今は濡れてガタガタと震えが来る体を何とかすることと後方の4人との連絡を取ることが先決だと気づいてマイナス思考を打ち切る。 

一難去らず、次の難!

2008-07-29 14:40:48 | 山行
 目の前の落雷の後も雷公は暴れまわったがやがて白馬岳方面に幾分移ったかと思われた。グリーンパトロールの若者が立ち上がって鑓に向かうと言い、私達は様子を見させてもらうと答え、若者が70~80m上のハイマツで避難していた単独の登山者と何やら話しているのを見て、私達も上に向かう。
 14:46発。同58,単独者が避難していた道標を通過。ここまで来て俄かに風が強くなる。経験から20m/秒くらいの風と思われたが、踏ん張って歩けない風ではない。
 更に進んで白馬鑓の頂上に向かう分岐点にかかる頃,再び雷鳴が頭上で轟き、後ろからマッキンレーで風速40m/sを経験しているTosi君が追いすがって『スピードを上げて一気に越えて下ろう』とプッシュしに来た。
 一番しんどいところだったが『得たり応!』と加速して分岐点を通過。下りに入って後方を振り返り、ついて来ているのを確認して歩き始めた途端に風が一段と強くなり、吹き飛ばされそうになる。
 下りに入ってから最初の100mほどは風下に向かって斜め進むので強風に押されて半ば転がるように進む。『かつて経験したことのない風』を感じてハイマツか何かの陰に避難しようと目の前のハイマツの風裏に入ることを考えたが、そこから先は下に雪渓のある急斜面であるし、道はそこから右に折り返しているので敢えて風上に向けて突っ込んでジグザグを切りながら徐々に下る。
 幸いなことに左手信州側に縦にハイマツ帯があって仮に吹き飛ばされてもそこで止まると言う安心はあったが風を避ける場所がなく、殆ど四つん這いで風上に向かって進みながら徐々に下る。
 風上に向かっている時は踏ん張って耐えていればいいのだが、問題は逆に道が風下に切り替わる時で、風に背を向けて慎重に立ち上がろうとしたところを狙われて吹き飛ばされ、2mほど先にもんどりうって転ばされて右手を岩角にぶつけた。同じことをやってもう1度同じように吹き飛ばされたが、左手のハイマツ帯に沿って50mあまり下り、そのハイマツの切れ目に逃げ込んで一息つく。
 後続と離れたのが気になったので、そこに荷物を置いて戻ろうと考えたが、その荷物を持っていかれる恐れがあったので更に下って少し窪みがある感じのハイマツ帯まで一気に走り、風裏と言うよりも風の下のわずかな凹みのハイマツの根に体を押し込んで風雨を避ける。そこに荷を置いて空身で登り返そうとしたが、とても登れる状況ではなくそのままハイマツの中に潜って待つしかなかった。
 雷はなおも頭上にいたがもはや気にもならず、ひたすら後続が到達するのを待つばかりである。

予測しようとしなかった雷雨

2008-07-29 11:06:24 | 山行
 一昨日から昨日,今日と雷予報は出ていた。にもかかわらず今日のこの激しい雷雨は予測できなかった。いや予測しようとしなかったと言うのが正しい。極論すればタカをくくっていた。
 それは、単なる熱雷だと決めつけて天気図で寒冷前線の存在と位置に関心を払わなかったからだ。なので熱雷なら午後2時か3時頃までに着けばいいと考えていた。雷3日と言い、一昨日も昨日も雷は夜だったし、今日は朝からそれほど気温の上昇は感じられなかったので熱雷の発生はあったとしても遅い時刻で規模も小さいだろうと考えていたからだ。
 けれど白馬山荘で天気図を見て閉塞前線を確認していた者はいた。しかしそれをもとに天候判断について検討しようとしなかった点では見なかったのに等しく、結果的に閉塞前線の影響については誰もが注意を払っていなかった。
 
 閉塞前線は寒冷前線の動きが速くて温暖前線に追いついて、冷たい空気が暖かい空気の下に潜り込んで暖かい空気を押し上げるために激しい上昇気流を生じさせる。冷たい空気同士のぶつかり合いであっても2つの気団に温度の差があって前方の空気が追いついた空気より冷たい場合は追いついた空気が前方の空気に乗り上げて上昇気流となり、反対に追いついた空気が冷たい場合には前方の空気の下に潜り込んで前方の空気を押し上げて上昇気流を生じさせる。
 いずれの場合も激しい上昇気流が生じることによって雷雲が発生する。これは界雷と言われて熱雷とは区別される。時に両者が同時に起こることもある(熱界雷)が、界雷は季節や時間を選ばないから午後2時,3時までに着けば・・,と言うのは通用しない。また前線の動きに伴うものなので広範囲に及ぶ。

 仮に白馬山荘通過時に、界雷の発生が予想されることを知っていれば突っ込まなかったか・・,と言われればそこは何とも言えない。多分,『まあ早く通過すれば・・』と急ぐ程度だったのではないかと思う。
 だが、それでも杓子岳の頂上ルートとの分岐点で最初の雷鳴を聞いた時,界雷だと確信すればまだ白馬岳方面に引き返す選択肢があったことは確かだし、コルに到達した時点であってもなお白馬岳に引き返す選択肢はあったと言うことが言える。
 この点は申し開きできないミスである。

風速40m・・? 稜線で雷雨に遭う

2008-07-28 09:36:15 | 山行
 7月27日、白馬岳までは順調。12:45,杓子岳の頂上を踏んで行くつもりで分岐点で休憩。この時鑓方面で雷鳴がしたので頂上通過はやめて先を急ぐことになり13:07発。  
 13:20,杓子と鑓の間のコルに到達する頃、雷鳴 が激しくなり雨が降って来たので雨具をつけて大岩の陰での待機となる。はじめ雲の中の放電だったのが、あっと言う間ににバリバリと言う激しい地上とのやりとりになった。

 鑓の頂上から2パーティー3名が降りてきてコルで交差。1人は足速に杓子方面に向かったが、2人は鞍部の一番低い位置に座り込んで待機の体制をとる。自分達も長期戦の覚悟を決め大岩にへばりつくようにして風雨をさけながら雷の通過を待つ。岩の側は決して安全とは言えないし、電解質の塊である人間が5人も固まっている事は雷を呼び込みやすいので、バラバラになって身を伏せておくのが本来であるが、まあどこにいてもさして変わりはあるまいと腹をくくって風雨を避けることを優先する。
 防水能力が落ちた雨具のズボンはたちまち雨を吸い込んですぶぬれなり、上着からも水が入って容赦なく全身をぬらす。風と雨による体感温度の低下は戦意を喪失させ、思考力の低下を招く。
 10分くらい経った時、杓子の道から駆け足で1人のグリーンパトロールの若者がやって来たので、上に行くつもりかと聞くと『いや、今の一発でやめました。ここで待ちます』と言って座り込んだ。
 その状態が1時間近く続いた後、雨が雹に変わりバラバラと雨具を叩きはじめた。
 目の前に雪渓があり、その先に岩場があって岩場から崩れた土砂が雪渓の上に小さな堆積をつくっていた。その方面を何気なく見ていた時,突然カチッと言う音がしてどよめきが起こった。その瞬間,私が眺めていた岩場のすぐ左上で火柱が立ち、電光が岩の表面を植物の根が枝分かれすように分散して走ったのを3人の仲間が見たと言った。距離にして40mほど先でのできごとで、それが我々のいる岩場でなかったのは単なる偶然でしかないとの思われた。
 雷撃を受けた岩の付近からパラパラと少量の砂が落ちていくのを見た者もおり、私はそれらの瞬間を見逃したことに切歯扼腕したが、雷はなおも激しく暴れまわって容易に収まりそうになかった。
 待機中,この雷と雨を何故予測できなかったかが議論になり、白馬岳通過時の天候に対する楽観視が浮き彫りになった。

白馬岳縦走・1日目

2008-07-27 07:01:09 | 山行
栂池高原駅7:20発、栂池登山口着7:50。8:10発、同50、栂の森の水場で休憩。9:05発。天狗湿原下に雪渓あり。9:30天狗湿原休憩所通過。風吹方面への分岐点から右に進んで山の神尾根への分岐に荷をおろす。ここで11:00まで湿原を散策。戻って昼食とし、11:20出発。乗鞍への登りにかかる。岩場が混んでいたので早めに雪渓に入り渡る。12:05、雪渓終点で氷にシロップをかけて食べる。12:25発。同30、ケルンの手前で小沢さんに会い、10分ほど話し込む。大池山荘でツアーのガイドが心筋梗塞でなくなり大変だったと聞く。朝からヘリが飛んでいた訳が分かった。12:45発。13:10大池山荘着。すぐにテントを張る。